16・やっと探しに行けるギルバートのお話
回想を終えたギルバートは首を振った。
「……すまないジョシュア。過ぎたことは仕方がない。ケイトがいないと聞いて……気が動転してしまった。さっきの暴言は忘れてくれ。……とにかく、これからケイトを探す。最後に会ったのは誰だ」
「ケイト様の侍女アリスです。殿下に緊急の取次を申し出るため、ケイト様をお一人にしたところその間にいなくなってしまった、と」
許されたとは言っても、ジョシュアは表情が硬いままだ。この事態を招いたのが自分の勘違いが原因とあっては、仕方ない。
そのまま二人は、王宮内に置かれたケイトの私室を訪れた。
「ギ……ギルバート殿下……ジョシュア様……」
そこには、もう夜中だというのにケイトの侍女アリスがいた。クローゼット内の床に座り込み、ケイトが慌てて荷造りをしたせいで散らかってしまった部屋を片付けていた。
二人の姿を認めたアリスは、慌てて立ち上がる。
「この度は本当に申し訳ございません。私がお嬢様をお一人にしたばっかりに……」
「いや、君は悪くない。元はと言えば私が悪いのだ」
ギルバートの言葉は婚約者の侍女への慰めではなく、本心だった。そして、寝台の上に畳まれた服に気が付く。
「……この服は」
「それが、私も見たことがない服で……ケイトお嬢様はそのような服は持っておりません」
ギルバートは服を手に取って広げた。
「これは、あの異世界から来たサクラという少女が着ていたものではないか」
「! ということは、ケイト様はやはり異世界から来た少女と一緒ということですね」
「……私は今からすぐに出る! 支度を!」
ジョシュアの言葉に、ギルバートは服を放るようにして置き、勢いよく部屋の外へと歩き出そうとした。それをジョシュアが必死で止める。
「お待ちください、殿下。明日も重要な面会のほか、執務がございます。それに、ケイト様は王宮の馬車を使っておらず手がかりがありません。今は、私どもと、アンダーソン侯爵家で探しております。殿下が行かれるのは有力な情報が出てからでお願いします!」
主君の執務を滞らせてはならないジョシュアも必死だった。
少しの衝動の後、彼が言うことがもっともだと理解したギルバートはそのまま項垂れる。そして、出しっぱなしになったままのジュエリーボックスを見つめて呟いた。
「ケイト……私が贈った宝石は持って行ってくれなかったのだな……」
その翌日。
ギルバートは、落ち着かないままに執務に臨んでいた。
(ケイトが見つかったという連絡はまだない……。彼女は小さな頃から大切に育てられてきた箱入りのお嬢様だ。異世界から来た少女と一緒とはいえ……きっと生きては行けまい。万一のことがあったら……私は……!)
指に力が入りすぎて手元の書類が歪んでしまったことに気が付いたギルバートは、深く息を吐いてから席を立った。
「ジョシュア」
「はい」
「昨日から大量の決裁書類が届いているが、私ではないものの裁可でも進められるものが混ざっているように思うが」
「それは気のせいでは、殿下」
ジョシュアは白々しく頭を掻いた。
一昨日、自分のミスのせいでケイトがいなくなったと知ったジョシュアは主君に頭を下げ、小さくなっていた。
が、本来の彼は幾分抜けているところはあるものの、『エルネシア王国の軌跡』の別シナリオのヒーローとして選ばれるぐらいには容姿端麗で見どころのある男だ。ケイトへの鬱屈した想いを抱えるギルバートに軽口を叩くこともある。
ところで、ギルバートはケイトのことを一刻も早く自分の手で探しに行けるよう、寝る間を惜しんで執務室にこもっていた。
しかしなぜか仕事は一向に終わる気配がない。
それは、冷静さを失っている主君が手当たり次第に動き回ることを避けたいジョシュアの仕業だった。
「どう見ても急ぎではないが『十年後の農地計画』『お菓子税新設の草案』まではしかたがないとして……『リチャードソン侯爵家の夫婦喧嘩の仲裁』まであるぞ」
「リチャードソン侯爵家は今大変みたいですね。女主人の命令でリチャードソン候の食卓には毎日パンしか出されないらしいです」
「リチャードソン侯爵家はお前の家だろう。夫婦喧嘩ぐらい自力で何とかしろ」
はぐらかすように、ジョシュアは話題を変える。
「……そういえば、一昨日の夜、ミシャの町とこの王都を結ぶ道で小さなドラゴンが出たようですね」
「何。被害状況はどうなっている」
「いいえ。ただ、襲われて怪我をした商人が、今日別の用事で王宮に来まして。詳細を聞くことができました」
「その商人は大事には至らなかったのだな。それはよかった」
「はい、偶然通りかかった馬車に乗っていた者が上級ポーションを持っていて助かったと」
「……すごい幸運だな」
ジョシュアとの会話を交わしながら、ギルバートの頭の半分はケイトのことで占められていた。しかし、思わず返答に感情が乗る。
それだけ上級ポーションは高級品で、誰もが持っているというわけではないのだ。
「これは、その商人からの献上品です。ミシャの町で人気を博している『クロワッサン・ダマンド』なるものだそうです」
ジョシュアは、メイドが運んできていたワゴンをギルバートの前に持って行きながら言う。
「国王陛下も王太子殿下も召し上がって、大層おいしかったとおっしゃっていました。私もお毒見で少しいただきましたが、それはもう……」
「今はそんなものを食べる気にはなれない。置いておけ」
ギルバートは深くため息をついた。ケイトがいなくなって以来、食欲も落ちていた。
「しかし……お店の名刺の裏に、『ショーミキゲン』があるので本日の午前中までに食べ終わるように、と書いてあります」
「ショーミキゲン。なんだそれは」
その文言は、お店の名刺の裏にケイトがサクラの指示で書き足したものだった。聞いたことがない言葉に、ギルバートは名刺をジョシュアから受け取る。
「……これは……!」
そこに書かれていたのは、見覚えがある筆跡だった。彼女がいなくなってから、ギルバートはこれまでに送られた手紙を何度も読み返した。
最近読んだ本の話、新しいお菓子の話、侍女のアリスとの日常の話……。どれもたわいのないものばかり。
でも、その手紙を彼女が読み上げているところを想像するだけで、甘美な時間だった。だから、彼女の字を見間違うはずはない。
ちなみに、ギルバートの返事はいつも『読んだ、ありがとう』の一言。それとともに、豪華な贈り物が添えられるのが決まりだった。
ジョシュアは『たまにはもっと長い手紙を書いて差し上げてはいかがですか』と助言したことはあったものの、結局顔を赤くしたギルバートに睨まれて終わりだったことが、今回の事態を招く一因にもなっている。
なお、ギルバートをからかいすぎたことを反省した国王と王太子が、『自分たちの孫と息子にはもっと女性の扱いをきちんと教え込もう』と思案しているのはまた別の話だ。
「いかがなさいましたか?」
「いや……この筆跡がよく似ているのだ。ケイトの文字に」
そう呟いたギルバートは、ワゴンの上のクロワッサン・ダマンドに目をやる。そして徐にそれを手に取り、口に運んだ。
「……!」
それは、確かに覚えのある味だった。このまえ、ケイトが作ってくれたアーモンドクリームパイによく似ている。
シェフが姉たちの好みに合わせて作る、甘ったるいクリームではない。さっぱりとしているのにコクがある、上品な風味だった。
ギルバートは、無言のままクロワッサン・ダマンドを残さず咀嚼して飲み込むと、言った。
「その商人は、ミシャの町との間の道でドラゴンに襲われ、偶然通りかかった馬車に乗っていた者に助けられたと言ったな。上級ポーションを使わないと助からないほどの怪我を。しかも、一昨日の夜だ」
「はい。……あ!」
ジョシュアは、聖女であるケイトが持つ力に、やっと気が付いたようだった。
「不自然な上級ポーション、この筆跡、このパンの味。私としては、十分に動ける証拠は揃っているのだが。それでもまだ行ってはいけないか」
ギルバートは寝不足のせいで充血した瞳でジョシュアを睨む。
「いえ行きましょう、殿下」
案外あっさりだった。