15・ギルバートの少しかわいそうなお話
「王宮内の私室に、ケイトがいないというのは本当か」
「は……はい。夕方までは確かにいらっしゃったようなのですが……」
ギルバートのあまりの剣幕に、彼の側近・ジョシュアは表情を硬くした。夜もすっかり更け、いつもなら部屋に下がり呼び出されることなどない時間帯だ。
「一体どうして……」
ギルバートは寝台に座り込んで頭を抱える。
そこには普段、頭脳明晰、眉目秀麗な第二王子と評される普段の彼の姿はない。寝台横の灯りに照らされるサラサラの黒髪も紺碧の瞳も暗く影を落とし、焦りの表情ばかりが浮かんでいた。
「申し訳ございません。その……部屋に『すべて国王陛下の裁可に従います』という書置きが残されていて……異世界から来た少女が姿を消したことと関係があるのでは、と捜索中です」
「お前が聖女と勘違いした異世界人のことだな」
「それは……本当に申し訳ございません」
ジョシュアはさらに深く頭を下げた。
ギルバートが、異世界から聖女がやってきたらしいと聞かされたのは今日の午後のことだった。ケイトをお茶に誘おうと思ったところで、兄である王太子に急に呼び出されたのだ。
慌てて行ってみると、そこは神から非常に強い加護を受けていることを示す黒髪の少女がいた。
(ケイトと同じぐらいの年頃か……)
ギルバートは、純粋にショックだった。
このエルネシア王国では聖女は王族と結婚するという決まりがある。ケイトもれっきとした聖女であることは疑いようもない事実だったが、異世界人の能力の高さは広く知られている。
兄が隣国の王女と婚約済みであることや諸事情を考慮し、ケイトとの婚約が破談になることは目に見えている。
焦ったギルバートは、その足で国王の執務室へと向かったのだった。
「国王陛下。至急、重要なご相談が」
「来たか、ギルバート。そろそろ来るのではと待っていたぞ」
ギルバートを出迎えたのは兄である王太子だった。部屋の奥には国王がロッキングチェアに座って揺れていた。二人の表情は、どう考えても楽しそうである。
そして、執務机から離れて置かれた応接セットには酒とつまみの類が準備されている。
(しまった)
ギルバートには王太子である兄のほか姉が二人いて、兄弟の中では末っ子だ。
二十歳を迎えた今でも家族間でからかわれることが多いのは、子どもの頃から末っ子として可愛がられてきたからにほかならない。
この後の予定を察して踵を返そうとしたギルバートの肩に、王太子ががっしりと手を回す。
「異世界から来た少女の件で相談があるのだろう? 話は酒でも飲みながらゆっくり聞こうじゃないか」
「……」
いわゆる、上司二人からの誘い。ギルバートに、断れるはずがなかった。
「このまえ、ケイト嬢からアーモンドクリームパイをもらっただろう? ジョシュアが言っていたぞ、執務机に置きにやにやしながら眺めていて気持ちが悪いと」
「ほう。ケイト嬢がつくった菓子か。わしもぜひ食べてみたいものだな」
ニコニコしながらグラスを揺らす王太子と国王に、ギルバートは口を尖らせる。
「……眺めていたのは一日だけです。次の日には食べました」
「平民の文化では、手作りの菓子をもらったらその場で口にしておいしいと伝えるのがいいらしいぞ?」
「そんなことをしたら一瞬でなくなってしまいます。ケイトがつくるお菓子は何よりもおいしい。私のためにつくってくれたと思えばなおさら大切にしなければ」
ギルバートがこんなに素直に惚気ているのには、理由があった。
それは、この二人に捕まってしまったら洗いざらい全部喋るまで離してくれないと身をもって知っているからである。
恥ずかしさに赤くなってしまった顔を隠しもせず、ギルバートは二人に視線を送った。
(とっとと話してしまって本題に入ろう)
「……で。国王陛下、王太子殿下。私がこのように慌ててこの部屋にやってきたのは、異世界から来た少女の件です。聖女として召喚されたというのは本当なのでしょうか」
「ああ? なんと?」
分かりやすく急に耳が遠くなってしまった国王に、心の中で舌打ちをする。この集いはどうあっても長引きそうである。
それから数時間。ギルバートは、どれぐらいケイトのことを想っているか、どんなに妃として迎えたいかを語らされた。
二人からやっと解放されたとき、まだ明るかった空はもう真っ暗になっていた。
異世界から来た少女がいない、と騒ぎにならなければ、きっと朝まで飲まされていたかもしれない。
しかも、最後に兄はギルバートに言ったのだ。『あの子は聖女ではないようだぞ。能力を鑑定したが、飛び抜けているのは力と声の大きさ。聖女としての能力はないようだった』と。
最初にサクラを見つけたジョシュアが彼女を聖女だと勘違いしたのは、着ていた服が白っぽかったことと、髪色がブロンドではなく黒だったことが原因だった。
この国では、ブロンド以外の髪色を持つのは聖女として生まれる者以外にほとんどいない。
異世界から来た少女が聖女ではないと知っていたからこそ、国王と王太子はギルバートをからかった。
けれど、そのせいでギルバートがケイトに会いに行く時間がなくなってしまったことが、二人の関係に大きな変化をもたらすこととなる。