13・はじめて店番をしました
「あ、いらっしゃいませー!」
サクラの威勢のいい声に、ケイトは自分が店番中だったということを思い出す。
(余計なことを考えていてはダメね。エリノアさんにしばらくお世話になるのだし、しっかり働かなければ)
ケイトは、ギルバートへの想いにとりあえずは蓋をする。
客が一人訪れると、店内はどんどん混雑していく。クライヴが『人手が足りなくて、うちの店はすぐに売り切れる』と言っていたのも納得の繁盛ぶりだ。
「なにこのパン? 珍しいね。バターのいい香りがする」
一人の客が、窓際の外から目立つ位置に並べられたクロワッサンを指さす。
「うちの新商品です! めっちゃおいしいから、まず買ってみてくださいな!」
カウンターから出たサクラが常連らしきお客と楽しげに会話を交わすのを見ながら、ケイトは慣れない手つきでパンを包む。カウンター前には、行列ができていた。
急がなければと思えば思うほど手が震える。パンを紙袋に入れてテープで止めるだけの簡単な作業なのに、うまくいかない。
(聖女サクラ様に迷惑をかけるわけにはいかないわ)
「あいつ、パン屋のノリじゃねえよな」
背後から苦笑まじりの呟きが聞こえたので涙目で振り向くと、配達を終えたらしいクライヴが手伝いに入ってくれていた。
「ごめんなさい。もたもたしてしまって」
「初日だろ。サクラもケイも、上出来だよ」
クライヴは手を休めずにどんどんパンを包んで会計をしていく。クライヴが手伝ってくれたのであっという間に行列は解消し、朝のピークは終わったのだった。
「ふー! 今日もよく働いたわ! でも今日はこの後大学がない! この世界すごい!」
実家がパン屋というだけあって、サクラは一日の流れを熟知しているようだ。
「……ごめんなさい。私、役に立てなくて。クライヴとサクラの邪魔ばっかり」
「えっ? そんなことないよ? 私、頑張ってパンを包むケイトが愛しいなって思いながら接客してた。尊みがすごすぎて辛い、もうどうしよう吐きそう」
(尊い……)
優しいサクラのフォローを噛みしめていると、クライヴも同意してくれる。
「たぶん、今朝のピークがいつもより混雑したのはケイトが店番をしてたからだな。外からこっちを覗いて入ってくる客が多かった気がする。ていうか、すげえ売れたな。クロワッサンとクロワッサン・ダマンド」
クライヴの言葉に、ケイトとサクラは窓際の棚を見る。二十個ずつ焼いて美しく並べられていたはずのパンたちは、クロワッサン・ダマンドあと数個を残すだけになっていた。
「明日も……買いに来てもらえるといいな……」
しみじみと呟くサクラは、頬を染めている。どうやら本当にうれしかったらしい。いつも元気なサクラが見たことのない喜び方をしているので、ケイトとクライヴは顔を見合わせた。
「……ねえ、クライヴ。一つ聞いてもいいかしら? 不思議な形のパンがあるなって思っていたのよ」
「ああ、あれか? 右端の棚の」
クライヴが指差したのは、柊の葉のような尖った形のパンである。
「そう。王都では見たことがなくて、不思議だなって」
「あれは、ドラゴン殺しのパンだよ」
まん丸の目をぱちぱちさせながら話を聞いていたサクラがうれしそうにする。
「ドラゴン殺し……! ファンタジー展開きた!」
「そんないいもんじゃねーぞ? ミシャの町は昔ドラゴンに襲われたことがある。その記憶を忘れないためにあのパンが受け継がれてんだ。中には酒と香辛料が練り込んであって、『喉を潰す』を連想させるようにしてある。ドラゴンは、女の高い声に反応して怒りが増すらしいからな」
「へー! でも普通においしそうだね!」
「……サクラは、どこの出身なんだよ? ドラゴンの話を聞いて楽しそうにするって、ふつーじゃねーぞ?」
(いけない)
サクラが異世界から来た聖女様だということは秘密である。焦ったケイトがどうごまかそうかと考えていたところで、
カラン。
タイミングよく、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませー…… って、商人のおじさん!」
入ってきたのは、昨夜この町へ向かう途中に出会った商人だった。
「あれ。君たち、ここで働いていたのかい」
「はい! 私たち、ここの家の子なんです!」
サクラの言葉に、クライヴがプッと噴き出す。
「銀行で金は下ろせたし、君たちとの約束の時間になるまで昼食用のパンを買おうとやってきたんだが……ちょうどよかった」
商人は、カウンターの上に封筒を置く。ケイトはそこに何が入っているのか見当はついていたけれど、あまりの厚さにびっくりした。そして、恐る恐る手に取って中身を確認する。
「こんなに……いただけません」
ケイトが昨日買い取りを依頼した宝石は、質はいいものの石は小さく、せいぜい十万ルネほどのものだった。でも、中には倍以上のお金が入っている。
「いいんだよ。これは、ポーションとか馬車にのせてもらったお礼は関係ない。俺は、あの宝石にこれだけの価値があると思ったんだから」
「でも……」
二人の押し問答に、サクラが助け舟を出す。
「あ! じゃあ、おじさん、これ持って行って! 私達が今朝焼いたパンなの。『クロワッサン・ダマンド』!めっちゃおいしいから!!」
「へえ。見たことがないパンだね。食べてみてもいいかい」
「もちろん! ……どう?」
「本当、うまいな、これ! こんなの食べたことがないよ。ミシャの町の名物になりそうだなあ。これから行く先で、宣伝してもいいかい?」
「全部持って行ってください」
会話に加わることなく静かにしていたクライヴがスッと立ち上がった。トレーを持ち、残りのクロワッサン・ダマンドを回収している。売り上げにはあまり興味がなさそうにしてはいても、店を繁盛させたい思いはあるようだ。
「じゃあ、箱に入れて包んでもらえるかな。あと、この店の名刺も頼む。贈り物にするから」
「はーい!」
「サクラ、ラッピングは私が。こういうのは得意なんです」
今朝のピークでまともに役に立てなかったケイトは汚名返上を申し出る。
エリノアが出してくれた薄いピンク色の包み紙で、丁寧にクロワッサン・ダマンドが入った箱を包み、上にペーパークラフトで作ったお花を添える。ケイトは、手先が器用だった。
それから、サクラの指示に従ってお店の名刺の裏に『ショーミキゲン』を書き込んだ。手土産にして、おいしさを広めてもらうにはいい状態で食べてもらうことが大事らしい。
「そのブレスレット、珍しいデザインだね。石も上質なものだ」
クロワッサン・ダマンドをラッピングするケイトの手元をじっと眺めていた商人が感心したように呟いたので、ケイトは目を細めた。
「これも……もしかしたら買い取っていただく日が来るかもしれません」
「そんな風に大切そうに見ているうちは買い取れないな」
「……できました」
ケイトと商人のやり取りを聞いていなかったらしいサクラが、楽しげに叫ぶ。
「このギフトボックスめちゃかわいい! さすが、ケイ!」
「じゃあ、また来るよ」
「「「ありがとうございました!」」」
カラン。
店を出た商人は、ニコニコして呟く。
「いいものが手に入ったな。こんなに珍しくておいしいパン。王宮への献上品として、ぴったりだ」