10・甘いパン
翌朝。やっと空が白み始めたころ、ケイトは目覚めた。
エリノアが貸してくれたこの客間は広い。二つの大きなベッドのほか、ドレッサーやクローゼット、書き物机などが置かれているのに、それでもまだ余裕がある。
昨日案内されたときにほかの部屋の様子が伺えたのだけれど、似たような部屋がまだいくつかあるようだった。エリノアが、困っていたケイトたちを『部屋が余っている』といって誘ってくれたのも頷ける。
「聖女サクラ様……?」
部屋には誰もいない。隣のベッドの上にはサクラの寝間着がきちんと畳んで置かれていた。階下からは何やら話し声と、パンの焼けるいい匂いが漂い始めている。
(もう皆起きているんだわ……!)
ケイトは慌ててベッドを抜け出すと、身支度を整えて日課の朝のお祈りをした。
聖女としての力はサクラの方が優れていると分かってはいるけれど、小さい頃から体に染みついた習慣はそう簡単に取れるものではない。
それから、急いで階下に下りた。
「おはようございます! ごめんなさい! 私、寝坊してしまって……」
「おはよう、ケイ。全然寝坊じゃないよ。あいつが起きてくるのが早すぎんだよ」
そう言ってクライヴは呆れ気味にサクラの方に目をやる。サクラは、ケイトが起きてきたことにも気が付かず、一心不乱にパンを成型していた。
サクラが丁寧に型作っているのは、ケイトが見たことがない、不思議な形のパンだ。くるくると巻かれた生地が、まるで三日月の形みたいに見える。そこはかとなく漂う、バターの香りが鼻をくすぐった。
「あれって……何かしら?」
「知らない。サクラの得意なパンらしいな。俺が知っているパンと全然違う」
クライヴが知らないパンは、ケイトももちろん知らない。このエルネシア王国では、パンと言えばバゲットやバタールが一般的だ。
バリエーションとして中に具材を練り込んだものや変わった形のものはあるけれど、今サクラが作っている形のパンは見たことがなかった。
「ふぅ、っと。……あ! おはよう、ケイ!」
「おはよう、サクラ。サクラってすごいのね、形が揃っていてとてもきれい」
「へへ。クロワッサンはパパに教わって得意なんだ。きっとおいしく焼き上がるよ。うちの店でも人気商品だったもん」
「珍しいパンがあると集客になっていいよな」
クライヴも素直に感動している。
「でもね……このお店、甘いパンがないよね? 私としては、女子の心を惹きつけるスイーツ系のパンがマストなんだけどなぁ……」
「この国では、パンは食事と一緒に食べるものだぜ? サクラの国ではそうじゃなかったんだな」
ケイトは、サクラが知らないうちに自分は異世界人だということを明かしていたらどうしようと心配していたけれど、クライヴの口振りに安堵した。
「……あ! ケイ、あれ作れる? ギルバー……じゃなくて、婚約者様に差し入れしていたアーモンドクリームパイの、アーモンドクリーム! あれがあれば、クロワッサン・ダマンドができる!」
「え……ええ。材料さえ揃えば」
「店なら、開いてるぞ。この辺の店は朝が早いから、この時間でも大体のものは揃う」
ということで、ケイトは近くの食料雑貨店で材料を買ってきてアーモンドクリームを作ることになった。