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1・ケイトとギルバート

 穏やかな午後の、春の風がペールグリーンのカーテンをはためかせる王宮のサロン。今日もケイト・アンダーソンの戦いは繰り広げられていた。


「……今日は何をしていたのだ」


「はい、王宮のパティシエと一緒にお菓子作りを」


「……そうか」


「殿下がお好きなアーモンドクリームパイを焼いてみました。一口サイズに切って食べやすくしましたので、執務の合間にお召し上がりくださいませ」


「……そこに置いておけ」


 差し出したアーモンドクリームパイを直接受け取ってもらえなくて、ケイトは肩を落としそれをテーブルの上に置く。


 けれど、こんなことで挫けるわけにはいかなかった。


「あの! それから、庭園に新しい花を植えたと聞いたので、それを見に行ってまいりました。これまでに見たことがない色合いと香りがとても素敵でしたわ。殿下も、今度ぜひご一緒に」


「……ああ、今度な」


 やっぱり目の前の仏頂面に変化はなくて、ケイトは心の中でため息をついた。


 この『今度』が永遠に訪れない『今度』ということは、痛いほどよく知っている。


 ここは聖女が安寧を保つ国、エルネシア王国。アンダーソン侯爵家の令嬢、ケイト・アンダーソンはまさにその聖女として国民の平和を祈る存在だ。


 ケイトが生まれた日の夜明け、無数の星が流れて教会にお告げがあった。『王都の中央から東、白亜の館にこの国を守る青い髪の聖女が生まれた』と。


 その、ミルクブルーの髪は体の中に聖なる力を秘めている証。


 聖女の力は保護され役立てられるべきものだ。そのため、王族と結婚するというしきたりがある。


 王族に嫁ぐのに相応しい家柄を持ったケイトの婚約者は、当然のようにエルネシア王国の第二王子・ギルバートと決まった。


(でも、ギルバート様は私のことをお好きではない……)


 ケイトは、目の前の眉目秀麗な婚約者を見つめ直す。


 夜の闇を思わせる漆黒の髪と湖の底のような碧い瞳。いつ見ても、ハッとするその顔立ちはつくりもののように美しい。頑なにこちらへ向けてくれない視線でさえ、彼の魅力を増している。


(推せるわ……!)


 ふと思い浮かんだ言葉に、ケイトはかぶりをふった。


「どうした」


「いえ、あの……何でもございませんわ」


 冷たい瞳で怪訝そうにこちらを見る彼のことを、ケイトはにこりと微笑んでごまかす。


 この婚約者はなぜかケイトに冷たい。生まれてすぐに縁談が成立し、小さな頃は普通に仲が良かった気がする。それなのに、家庭教師がつく年齢ほどの頃から、まともな会話ができた記憶がないのだ。


 今だって、ケイトに『今日は何をしていた』と話を振っておきながら、この有様である。


 ケイトの後ろ盾、アンダーソン侯爵家は古くから王家に仕える名門だ。もし、ケイトが聖女として生まれなかったとしても、ギルバートとの婚約は既定路線だったのではと思えるほどの力がある。


(私は、聖女として生まれて本当に良かったわ)


 そんなことを思いながら、今日もケイトは冷酷で美しい婚約者の顔を愛でる。


 ケイトは、ギルバートの顔がものすごく好みだった。


 どんなに冷たくされたって、へこたれることはない。むしろ少しぐらい冷たい方が彼の外見にはぴったり合っていて、胸がきゅんきゅんした。


「……」


 じっと見つめられていることに何かを勘違いしたらしいギルバートが、ソファから立ち上がった。


「疲れているなら部屋まで送らせよう。……ジョシュア!」


「はい、殿下」


 音もなく現れた側近に、ギルバートは視線で指示を送る。その無言のやりとりに、今日の戦いが終わったことを察したケイトは淑女の礼をした。


「失礼いたします。また、お招きいただけますことを」


「ああ」


 にべもなくあっさりと自分を見送る婚約者に、ケイトは心から誓う。


 ――絶対に、婚約破棄なんてさせない、と。


 ケイトの後ろ盾、アンダーソン侯爵家が古くから続く名門だということは、すなわちそれだけ王族に近く、裏切らないということでもある。


 だからこそ、ギルバートが『ケイトではなく、ほかの令嬢を』と言えばその願いは叶うだろう。


 ケイトとお茶をする数十分の間、ギルバートはいつだって仏頂面である。一生懸命話題を振っても、「ああ」とか「そうか」しか言ってくれない。顔につまらないと書いてある。


 それだけに、毎日ケイトはギルバートからお茶の誘いを受ける度、今日こそ婚約破棄を申し出られるのではないか、と気が気ではないのだ。


 けれど、どんなに冷たくされてもますます彼のことが好きになってしまうほど、ケイトはギルバートを一途に想っていた。


 自分に冷たい婚約者から別れの言葉を引き出させないための見えない戦いに明け暮れる日々。そのケイトの日常は、あっけない形で幕切れを迎えることとなる。


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