第3話 monster(上)
主人公にとっては、殺戮こそが日常なわけです。つまりこの小説は、『日常系』なのです。
『おはようございます!では、今回の標的について説明させていただきます』
「お願いします」
スマホで会話しつつ、朝食のパサついたコンビニパンを缶コーヒーで流し込む。
世界の救世主たる彼女でも、金の無駄遣いはできない。なぜなら彼女は自身の生活費を、殺した人間から奪った金で賄っているからだ。
『…で、その標的がいるのは…』
「なるほど、はいはい」
歯を磨きに、洗面台へ行く。水垢まみれの鏡には、アルビノの美しい女が写っている。
見た目だけだ、美しいのは。内側にある『魂』は、どうしようもなく捻じれて、いびつで、救いようがない。
(…卑しい獣だな、オレは)
アニマは、自嘲的な気分であった。喧嘩もしたことがなかった人間が、自らの手で人を殺す生活を続けるのは、並々ならぬストレスが伴う。だから、心が壊れないように、自分で自分を罵っているのだ。
『…あの?もしもし?理解していただけましたか?』
「え?…ああ、はい。大丈夫です」
『…それにしても、私と普通に会話してくれるようになりましたね?最初は口もきいてくれなかったのに』
事務的な口調が、突然親しげに変わる。計算か天然かは分からない。
「あー…いや、なんつーか…恨み続けるのって疲れるんですよね」
『ふうん。そういうものですか』
「そういうもんですよ。それにオレ、この仕事向いてると思うんです」
『…へえ。それなら良かった。じゃあ、今回も頑張ってくださいね!』
通話を切って、うがいする。水と泡が排水口に吸い込まれていくのを無心に眺めていると、インターホンが鳴った。
「ああ、あれか」
玄関を開けると、緑色の肌の配達員が段ボールを差し出した。ゴブリンだ。
かつて『魔王軍』というのがいて人間と戦争を繰り広げたらしいが、それもかなり昔の話である。彼ら魔族は若干の差別を受けながらも、こうして人間社会に適応している。
「あのォ、ここんとこ、サインお願いします」
「あい、これでいいすか?」
彼女は最近パソコンとルータを買ったので、通販ができるようになった。今回買ったのは、お取り寄せの高級弁当であった。
(世界を救ってるんだ、たまには贅沢せんとな)
配達物を受け取り、ドアを閉め、ため息をついた。
(にしても割に合わないよなあ…)
今回の標的の事であった。その名は、『魔王』。異名や比喩ではない。そのまま、魔王である。かつて人類を苦しめ、3人の勇者によって封印されたという魔王が、今また復活したらしい。はっきり言ってベタ、ゲームでも使い古された設定である。ただ1つゲームと違うのは、これが現実であるということだけだ。
(早過ぎる…まだこの世界に来て数週間だぞ…いきなり魔王って)
とはいえ、彼女の精神状態は極めてフラットであった。
(まあ、どちらにせよ、オレは仕事するだけだしな…)
放っておいても、どうせこの世界は滅びる。魔王を殺す以外に道は無いのだ。
それより、今の彼女にとって重要なのは、
「…あ〜、眠っ…」
押し寄せる眠気であった。この日、結局彼女は、昼過ぎまで二度寝した。
次の日も、その次の日も、彼女は普段と変わらず過ごした。二度寝したり、町に出て飯を食べたり、たまにチンピラをぶん殴ったりと、気ままに生活した。
勿論、魔王の件を放棄した訳ではない。この世界に来て、仕事を行う中で得た、裏社会のツテがある。それを辿って、『魔王』という存在についての情報を集めた。
そしてその中で、かつて魔王が棲んでいたという古城が、現在立ち入り禁止になっているという話を聞きつけた。
(やはり、魔王とやらは復活しているらしいな…)
そのことが公になれば、社会に大混乱が起こる。故に、各国政府は事実を隠蔽し、秘密裏に処理しようとしている、という所だろう。
魔王城は今や文化遺産に指定されており、所在地は有名だ。
問題は、いつ、どんな準備をして乗り込むべきかだ。魔王の力について何も情報が無い以上、初見殺しであっさり殺される可能性が高い。
(それに、各国政府に目をつけられる心配もある…ただでさえオレは殺人犯…指名手配でもされたらマズい!)
もっともその不安は、すぐに解消される事になった。街角で見つけたポスターだ。
【風俗店経営者フォビオ・ダーラン氏殺害の疑い:
この顔にピンときたら通報!】
の文字と共に、白髪の女の写真が貼られていた。無論、はっきりと写っている訳ではないが、見る人が見たら分かるだろう。
(…もう指名手配されてるゥ〜ッ!)
急にどっと汗が吹き出てきた。辺りを見回す。
(こ、こんな写真、いつ!?どこで!?…こりゃ悠長に情報集めしてる場合じゃねえな)
そして今更ながらに、自分のしてきた事の重大さを思い知った。
(…そうさ、オレは殺人犯なんだ。分かってたつもりだったけど…もう二度と太陽の下を堂々と歩けない、犯罪者なんだよな…)
捨てなければならない。芽生えていた、『甘え』を。生まれていた、『慣れ』を。そしてーー
「あの〜すいません」
「ひゃい!?」
突然、背後からの声。しわがれて、弱々しい。
「ちょっと道をお尋ねしたいのですが…」
「あ、ああ!道ね!いいですよ!」
(びっくりさせやがって…このクソジジイ!)
アニマは内心毒づいた。フードに隠れて顔は見えないが、腰が曲がっているし、長いヒゲが出ているのでたぶん老人だろう。
「あの、そこにある角を曲がって左に行くと、もう見えますから!」
「なるほど、よく分かりました。わざわざありがとうございました」
にこやかに応対しつつも、アニマは穏やかならぬ心理状態にあった。何しろ指名手配の身なのだ。警察に見つかって追い回されなどしたら、魔王退治どころではない。
(家を移るか…少なくともこの国には居られない)
また1からやり直すのは面倒だが、ここは慎重には慎重を重ねるべきだろう。
「ああ、そういえば…」
去ろうとしていた老人が、急に立ち止まって言う。
「はあ、まだ何か…」
面倒に思い、多少ぞんざいな口調になる。
「…あなたの顔、どこかで見覚えが…」
「!!」
身体がこわばる。思わずポスターを隠した。
「い、いや?オレ…私は全く覚えがありませんね。気のせいでは?」
「そうですか…いや、失礼しました!全く、年を取ると記憶が曖昧になっていけない」
やり過ごした。安堵がため息となって出る。
「ああ、でもやっぱりどこかでーー」
アニマはキレた。
「おいジジイッ!テキトーこいてんじゃあねえぞッ!オレとテメェがどこかで会った?ありえねぇんだよ、そんなことはよォ!」
「…ええ、確かにそのようだ。でも私はあなたのことを知っていますよ、アニマ」
空気が変わった。どろりとした、濃密な殺気である。
「…ああ?テメェ、オレの名を…!」
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.6【魔王】
かつて人類に挑んだ、強大な魔族。文明の遅れた人類では太刀打ちできなかったが、突如現れた3人の勇者によって打倒されたという。現代に再び蘇り、世界を滅ぼさんとする。四天王も一緒に復活したらしい。