第7話 Empty(1)
ギラ・ズールいいよね
廊下は広い。彼には、その広さが恐ろしかった。
「…」
教室から漏れてきた笑い声が、よく響き渡るからだ。
休み時間、話し相手のいない彼は、早々に弁当を食べ終わって廊下に出る。
「…」
どうせ行く所は決まっている。図書室だ。
毎日毎日そこへ行き、飽きもせずに本を読む。同じ本をだ。
「すいません、これ」
「はいはい」
半分事務員のような図書の先生に、本を渡す。
たまに興味の湧いた本を借りていくが、次の日には返しに行く。本の2、3冊なら1日で読み切れるからだ。
多くの生徒は、課題でもなければ本を読まない。読んだとしても、1冊を1日以上かけて読む。だから、読むのは早い方と言える。
彼の母はそれを才能と言っていたが、彼自身はそう思っていなかった。
読書しかすることがなかったからだ。授業以外の時間全てを費やして本を読むのだから、そりゃ2、3冊読み切るのは簡単だろう。
彼の母は、そんなに本が好きなら書店員か司書にでもなれば、といった。
下らない、と思った。口には出さないが。
彼は本が好きな訳ではなかった。彼にとって、全ては暇つぶしだった。
彼は救いがたいほど凡庸で、その上『何かを楽しむ才能』に欠けていた。
速い話、薄っぺらい人間だった。自身、それを分かっていたから、余計につまらなかったのだ。
「ここのね、『来ず』はちょっと特殊で、ただの変格活用じゃないのね」
午後の最後の授業も、佳境に入る。
(早く終われ早く終われ早く終われ早く終われ早く終われ早く終われ)
授業の内容など、もはや耳に入っていない。こんな調子では、テストもろくな結果に終わらないだろう。
いつもいつも、同じ失敗をしては忘れ、その度に後悔する。そう考えると、自分が嫌になった。
だがどうせこの感情も、しばらくすれば忘れる。
そしてチャイム。
(ああ、やっと終わった)
「おっ…と、もう時間か。ごめん!すぐ終わるから、もうちょっとだけやらして?
とりあえずここまでやっときたいからさ」
瞬間的に、憎悪が高まる。
(もういいよ…。早く終われよクソが…!)
貧乏ゆすりが始まる。いつも、常に、そうだ。
彼は自分の人生に、1ミリの価値も見出していなかった。
『早く終われ』、それが彼の望む全てだった。
朝起きて学校に行く時は、『早く学校に着け』。
午前の授業が始まると、『早く昼休みに入れ』。
午後の授業が始まると、『早く放課後になれ』。
家に帰ると、『早く夜になれ』。
就寝時は、『早く明日になれ』。
人生が早く終わることだけを望み続け、幸運な事にそれは『成就』した。
「…はいはい、夢ね」
『彼』は今、『彼女』だ。
「久々に昔の夢を見たなぁ。もう誰の顔も思い出せないのに」
肩を大きく回し、布団から出る。彼女は、廃教室の机を並べ、その上に布団をひいて寝ていた。
「ふわ…っあ!よく寝た!寝ぐせついてねーかな?」
トイレから引っぺがしてきた鏡で、確認する。
「…まだ慣れないねえ。どうしたもんかな」
鏡に写る、美しい女。一見、気高く冷たい顔立ちだが、真紅の眼の奥には、隠しようもない卑屈で粗暴な光が宿っている。
(どんなに見かけが綺麗になっても、内面の醜さは隠せない、か…)
むしろその歪みは、日に日に大きくなっていく一方であった。
「人間、見た目も能力も中身相応が一番だな!」
無人の教室に、アニマの蛮声が響く。
彼女は昔から、独り言をよく言った。虚しさと惨めさが押し寄せる一瞬が、たまらなく好きなのだ。
「うん!いい朝だ!ジョギングでもするか!」
枠の錆びた窓を無理やり開け、そこから飛び降りる。
3階の高さから落下しても、当然のように無傷の自分。無性に恐ろしくなった。
(オレって、オレなのかな…)
姿も力も全く変わり、肝心の中身さえ、記憶が薄れ、元の自分とは程遠い。
(そもそも『元のオレ』って何だ?『これだ!』って断言できるほどハッキリとした自己なんてあったか?う~ん…)
危うい均衡の上に成り立つ自我。
正気であろうとすればするほど、罪悪感に擦り切れていく心。
そんな事を考えながら森を歩く。
一種の『自分探し』ではあるが、大学生がインドに行って人生観を変えてくるそれとは違い、彼女にとっては死活問題だ。
その内森を抜け、荒い舗装の道路を延々歩いていると、街に入った。
先ほどまで田舎めいたあぜ道だったのが、突然都心めいて賑やかな街並みに変わる事に、いつも驚かされる。
(これで学園の中ってんだから、ビックリだよなぁ)
街中には、獣人だの魔族だのが入り混じって生活している。
だが、皆普通の恰好で、真面目に仕事をしている。
街中に溢れる異形の中では、血で汚れてみすぼらしい服装のアニマこそ、一番目立つ。
「君、ちょっと君!」
声をかけられて、振り向く。
声の主は、燃え盛る7つの頭部を持ち、きちっとスーツを着た男だ。
「うおっ!な、何か…?」
「『何か』じゃないよ君!君、学園の教師でしょ?
あのねぇ、仮にも教師ともあろう者がなんて恰好してるんですか!」
あれ以来、ごく一部の生徒や教師からは、先生として認識されている。
「ひょっとして、あなたも…?」
「ええ、教師ですよ。休日だからと言って、気を抜いてはいけませんよ!」
その男は、燃え盛る7つの頭部を持つという事以外、至ってマトモであった。
だからしつこく説教したり、襲ってきたりすることなく、去っていった。
(オレの方が、ヤバいやつかもな。多分あの先生、人殺した事ないだろうし…)
彼女は、以前老人の指を折った事を、引きずっていた。
(どうかしてるな…オレ。いや、とっくに狂ってんのかも…)
素手で人間の臓物を引きずり出し、首をへし折り、八つ裂きにする。
常人ならば、あまりの凄惨さに5分と正気を保てぬ所業を、いつしか平然と実行していた自分。
殺人を強制される内に無感情な殺戮マシーンになった、みたいな設定を見るたびに『かっこいい』と思っていたが、実際はこんな感じか。
(何のことはねえ、殺しすぎて心が麻痺して、気付いた時にはもう後戻りできねぇってだけの話だ)
焦りより、むしろ虚しい。昔の夢を見たせいか。
と、そこでまた呼び止められる。
「あ、先生…」
「はいはい先生ですが何か!?」
面倒くさそうに振り向けば…
「おお、お前は!」
そう、彼女がいた!人をいたぶり殺すことに至上の悦びを感じる異常者!
「アビゲイルちゃんだっけ?覚えててくれて先生嬉しい…
…いや、お前はもう知ってんのか。オレの本性」
「うん」
小柄で、陰気な風貌の少女。しかし、縮れた前髪の隙間から覗く眼は、奇妙なほど澄んでいる。
「いや、ちょうどよかった!」
「…?」
彼女と比べれば、自分の抱える狂気などおままごとだ。そういう事にしたい。
「暇つぶしに、お喋りに付き合ってくれんか?」
「…うん、いいよ」
意外なほど素直に頷くアビゲイル。無愛想に見えるが、存外に人懐っこいのかもしれない。
「用事があるから、歩きながらで、いいですか?」
「ああ、はいはい。歩きながらね!」
女子高生ともあろう者が、1人で、休日の早朝からどこへ行こうというのか。
「ちなみに用事って…」
「…来てくれれば、分かります」
恥じらうように呟いた。その表情にアニマは妙な悪寒を感じつつも、話を進める。
「ああ、そうなんだ。で、本題なんだが…」
「本題?…ただの、お喋りなんじゃ…」
「え?あ、ああ。『一番聞きたかった話』ってこと!」
意外に鋭いらしい。
「私に、そんなに、聞きたい事が…?」
「ああ。ちょっと聞きづらいんだが、アンタの『趣味』の事なんだ」
つまり、人をいたぶり、残虐な手段をもって殺害するという行為。
アニマは1度見た限りだが、たぶん常習的にやっているはずだ。
だがアビゲイルはキョトンとして、
「趣味?…スイーツバイキングのこと、でしょうか?」
「全然違うし、女子力高いなアンタ…」
「ええ?でも、他に趣味と言えるものは…」
「ほら、人を…何かこう…ね!ザクッと…ね。こう、アレする趣味が…」
アニマとしては、向こうから言及してほしいわけだ。
「え、ご、ごめんなさい…。分かんない、です」
「いやいやいや!あるじゃん!やってるじゃん!アレだよアレ!」
「じゃあ、ヒ、ヒントください!」
「だからその…アンタの家系にもちょっと関係がある事だよ!」
アビゲイルの生まれたノワーリエ家は、貴族でありながら暗殺の名門。
太平の世である今、一族はその技術を伝承するのみに留めているが、彼女だけは違うはずだ。
「…フィットネスクラブのことですか?『ノワーリエの暗殺体操』で有名な…」
「違えよ!ていうかアンタの家族何やってんだよ!」
「ええ…?じゃあ、もう、お手上げ、です」
「人殺しの事だよ!人間を痛めつけて残酷に殺すのが、アンタの趣味だろうが!
…あっ」
思わず言ってしまった。慌てて周囲を見回すが、幸いなことに誰もいない。
(ふぅ、危ない危ない。…ん?誰もいない?)
気付くと2人は、無人のビル街に入り込んでいた。
「…気づいちゃいました?うふ。うふふ」
アビゲイルのたどたどしかった言葉が、スムーズになりだす。
アニマは身構えて、
「…何のつもりだ?アンタがその気なら…」
「ん?…ああ、違う違う!驚かせちゃいましたぁ?
でも大丈夫!ここが私の目的地なのでぇ!
ほらぁ、あのビルですよぅ!」
アビゲイルが指差したのは、何の変哲もない廃ビル。
「ああ?こんなボロビルに何があるってんだよ?猫でも飼ってんのか?」
「違いますよぉ!猫よりずぅぅっとかわいいです!」
「かわいい?」
「さっ、入って入って!」
中に入る。
「足元、気を付けてくださいねぇ!危ないですから!」
「どうも、お気遣いなく」
そう軽口を返すが、どうしても目の前のものが気になってしまう。
柱に括り付けられた、1人の男。その頭には、麻袋が被せられている。
「…あんまり、かわいくねえぜ」
「顔を見れば感想も変わるかも」
アビゲイルが袋を外すと、その顔が露わになった。
「あれ、コイツ…?」
「相変わらずかわいいですねぇ!今日もたっぷり愛し合いましょうね!」
1週間前、課外授業で襲撃してきた集団の、リーダー。
だが彼はアビゲイルとの戦闘で喉を貫かれ、拷問の末殺害されたのでは…?
「先生は勘違いをされています…私のこれは『趣味』じゃありません」
冷水を浴びせ、男の意識を覚醒させる。
「『愛』です…」
そして、呻く男の身体をタオルで拭き、優しく撫でる。
その時のアビゲイルの異様さと言ったら…まるで、恋する乙女のようなのだ。
「ま、『仕事』でもありますが」
アニマをちらりと見て、微笑む。懐から、ナイフを取り出した。
「ああ?お、おい、何を…」
次の瞬間、アビゲイルはナイフを男の心臓にねじ込んだ。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.25【ノワーリエの暗殺体操】
暗殺の名家、ノワーリエ一族に伝わる殺人技術を、フィットネスに応用した。
アビゲイルの母にして入り嫁の『アデレード・ノワーリエ』が開発し、広めている。
実際の所、今の一族の貴重な収入源であり、当主も彼女には頭が上がらない。




