第6話 lunaticus(中)
人が悪に染まるのを、止めることなど出来ない。
煮物がその隣にある卵焼きを染めるのを、止められぬように…。
というわけで、全国のお母さん。煮物と他のおかずを隣接させないでください。
3人の男女。森の中を歩いている。
「ええと、君はアビゲイルさんだよね?」
アルビノの女が問いかけ、無表情の少女が答える。
「…まあ、はい」
「あっ、足元に気を付けて!転んじゃうから!」
「どうも」
ボソボソとした口調で、必要以上の言葉は発さない。
(愛想の無えガキだぜ。…オレにそっくりだ)
かつての自分を思い出し、余計に気が滅入ってきた。
「話しかけても無駄だぞ。そやつは誰にでもそうだからな。
貴族の癖に陰気な奴よ!」
侮蔑するように言うのは、レルム。
「へえ、貴族なんだね!レルム君はアビゲイルさんと仲良いの?」
「まさか!こやつのように陰鬱な女と一緒の空間にいると、体調を崩すからな!」
「こ、こらこら!そういう事言ったらダメだよ!」
この男の傲慢さは、同じ貴族に対しても発揮されるらしい。
「何しろ暗殺者の一族だからな。詮無きことよ」
「暗殺者?それは…」
「こやつの先祖はな、建国における陰の英雄などと言われておった暗殺者よ!
功績によって貴族階級に引き上げられたが…今でも訓練は続けられているらしい!薄汚い夜盗じみた技術を…」
「だ、だからレルム君!そういう事は言ったらダメだって!」
暗殺者の家系で、なおかつ貴族。なんと心躍る設定であろうか!
アニマは、わずかに気分を持ち直して、アビゲイルに話しかける。
「じゃあ、もし魔物が出ても安心だね!」
「…」
当の本人はどこ吹く風といった様子で木々を見つめている。
「あの、アビゲイルさん?」
「…あ、はい。そうじゃないですか」
相も変わらずフワフワした返答だ。
この鼻持ちならないクソ貴族と、陰気なアサシン貴族を相手に2時間潰すのは中々の苦行である。ただでさえ彼女は精神が崩壊気味で不安定なのだ。
(分かるけどさ、気持ち…。
そりゃ、あるよ?先生と仲良くする必要ないでしょ、みたいなね?)
とは言え、口には出さぬ。ほんの1日我慢すればいいだけだ。
(この世界来たら、もう我慢しなくていいと思ってたんだがな…)
生来の性根の暗さが加速しつつある今日この頃だ。
「…んっ?」
その時である。木立の間を、何かが走り抜けたように見えた。
「ん?どうかしたかね?」
「いや、ちょっと…気のせいかな?今魔物の姿が見えたような気がして…」
レルムはキョロキョロ辺りを見回し、アビゲイルは未だ無表情で木を見ている。
「いや、いないと思うが…」
「あの、先生ちょっと見てくるから!2人ともそこで待ってて!」
全速力でその場を離れる。直感したからだ。
(あのジジイがオレを寄越したのは、こういう事か)
先ほどは魔物と言ったが、恐らく人間である。
(こないだのマフィアと同じか。…この学園、侵入者多すぎない?)
何か妙なものを感じる。警備がザルというわけでもないし、こういう奴らの存在を学園側が知らないとも思えない。
(ま、今考えても仕方がない。ここはひとつ…)
大きくかがみ、息を吐く。両足を思い切り曲げ、足の裏に力を込める。
(直接本人に聞いてやるッ!)
全力で地面を蹴った。その瞬間、アニマの身体はひとつの飛翔体となり、ミサイルめいて宙を飛ぶ。
「…!?」
そして逃げる男の前に、ドスンと着地した。
「な、い、今、跳んで…?」
アニマの驚異的な脚力を目の当たりにした男は、恐れのあまり膝をついた。
「どこいくのォ?この島には何しに来たわけェ?観光かな?」
赤い眼が、獰猛な肉食獣の如く光る。いや、実際のところ今の彼女は、獣にも劣る精神状態であった。
「き、貴様は何者…」
「あのさ…オレお喋りしに来たわけじゃないからさ。さっさと答えてくれる?」
彼女の今にも食らいつきそうな表情を見て、交渉できる相手ではないことを悟った男は、開き直ってあぐらをかいた。
「こ、断る!俺は何も話さんぞ!」
「ああ、そう」
諦めが早い。
「分かった、じゃあ…他に仲間はいる?それくらいは答えてくれてもバチは当たらないでしょ?」
「フッ…何を今更。
貴様もこの学園の教師なら聞かされているはずだ。我々のことを」
やはり学園側はこいつらの侵入を把握しているらしい。
実は、学校の警備だけでは力不足だが、外部に委託するわけにもいかず困っている、というのが真相だが、彼女はそこまで気づけるほど頭は良くない。
「おい…」
不意に、背後から声。新手の敵か。
「あ?…あっ」
構えつつ振り返ると、そこには声の主がいた。
「え、え~と…レルム君?『待ってて』って、先生言ったよね?」
その傲岸不遜な顔つきも、今ばかりは驚きに歪められている。
「き、貴様、何をしておるのだ?」
「いや、え~っと、その…」
どう考えてもここから巻き返せるとは思えないが、彼女はそういう状況でも嘘をつき続けてしまうタイプだ。
「そ、そう!彼はここの管理人さんで…いや、違うか…」
「バカめ!今お前はどう見てもその男を殴ろうとしておったろうが!」
レルムの驚きの表情が、少しずつ意地の悪いものに変わっていった。いたぶるように話を掘り下げる。
「いずれにせよ、もうこの学園にはおれぬぞ!」
「い、いや、これは…」
これは非常にマズいことになった。よりにもよって一番知られたくない人間に知られてしまった。
「私は庶民が分不相応な立場にいるのが我慢ならんのだ!この噂を流して貴様を追い出し…」
その言葉は途切れることになる。
「バカめがッ!」
男が隙をついて逃げ出したからだ。咄嗟に振り向いて追いかけようとするが、
(いや、この状況で追いかけるのは無理か…)
諦めて見逃そうとしたその時、男がこちらを振り向いて腕を突き出した。
「ん?」
よく見れば、腕には小型のボウガンがついている。何か音がした。
「あっぶね」
風を切って飛来した矢を、わずかに首を傾げて躱す。彼女の動体視力をもってすれば、銃に劣る矢の速度など、見切れぬわけがない。
…だが!
(あっ、しまったッ!今オレの後ろにはあのクソガキがいる!
…まさかッ!)
アニマが恐る恐る振り向くと、矢はレルムの真横の木に突き刺さっていた。
レルムは驚いて声も出ない様子だ。
(ふぅ~良かっ…)
何かが頬をかすめた。
「えっ」
矢だ。第2射である!彼女の動体視力は、矢の軌道を完全に見切っていた。
(ヤバい。絶対当たるッ!)
流石にもう間に合わない。
いくら彼女とて、矢を走って追い越すことなど出来ぬ。
(あいつ射撃ヘタクソだな!オレに当てろよ!
…やべえ、生徒1人死んでも許してくれるかな?)
学園長に対する言い訳を考えようとした、その時!
「おっと」
レルムは2本の指で、しっかりと矢を掴んだ。
「ほあ?」
「…なんだ貴様!急に矢を撃つな!」
そしてそのまま投げ返した。
「ぎゃっ」
手首の力のみで投げ返したにも関わらず、矢は相手の右目をしっかりと撃ち抜き、脳を破壊した。
「私は貴族だぞ!お前みたいな庶民よりもずっと価値があるのだ!それをお前…ふざけやがって!」
憎々しげに言い捨てる。
「…おい、貴様!貴様だ、教師!」
「はいッ!?」
混乱のあまり、わけも分からぬまま返事をする。
「アニマだったな…貴様のことは秘密にしてやるから、手伝え!」
「え?な、何を?」
「この死体の処理だ!このまま放っておくわけにもいくまい!」
「あ、そ、そうっすね…」
言われるがままに穴を掘り、死体を埋め、土と草で隠す。
「な、何なんだよ、お前…随分慣れてるじゃねえか」
思わず口調が戻る。
「別に、どうということもあるまい?
貴族というのは楽な反面、退屈での。人目を隠れて遊ぶこともある」
猛者と呼ばれるような戦士たちを相手に、夜な夜な殺し合いをするという『遊び』である。
「武術の試合と違って、後片付けまでせねばならんからな。面倒だが、慣れもする」
唖然とするアニマを、レルムは嘲笑った。
「何だ?こういう事をしているのは、私だけではないぞ?
貴族は基本暇人だからな。魔法や武術の鍛錬で暇を潰すこともある。
当然、中には鍛錬の成果を確かめてみたくなる者もおろう?」
「なるほどなあ。でも、その…違法なんだろ?」
「それもまた、当然よ。しかし我慢できぬのだから仕方ない。
ここだけの話、国内の不審死の原因の3割は貴族の趣味らしいぞ?」
身の毛もよだつような社会の闇を覗いた気分だが、よく考えてみれば自分はその中で生きていることを思い出す。
「まあ、今更か。人殺しが自分1人だと思ったら大間違い、だよなあ」
「そういう事だ。それに…ほら、見ろ」
言われて気づく。既に複数人の男たちに取り囲まれていることを。いずれも先ほど殺した男と同じ格好をしている。
「また穴掘りかよ…」
「仕方ないだろう」
話の続きは、彼らを殺してからでもよかろう。
〈つづく〉
どうしようもない名鑑No.23【レルム・イーゼルネン】
ガーティア王国の大貴族、イーゼルネン公の1人息子。
魔法の才能はまるでないが、ステゴロの才能に秀でており、10歳の頃には熊を撲殺していた。学園内でも『ケンカを売ってはいけない人』ランキング1位にランクインするほど恐れられているが、持ち前の傲慢さが逆に親しみやすさを与えている。




