第0話 Desperate
好きなスナック菓子はコメッコです。
想像していただきたい。一面真っ白な部屋に、女が一人。その女が頭を下げる。
「わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます」
「足、ありませんけどね」
虚空から男の声が聞こえる。この部屋にいるのは女一人のはず。
では誰と話しているのか?
いや、よーく見るとうっすらと…いるのだ、炎のように揺らめく何かが。
…幽霊か?そう考えた方もおられることだろう。当たらずとも遠からずだ。その正体は『魂』である!では『魂』と会話するこの女は何者か?
「神さまにわざわざお呼びいただけるとは…おれも捨てたもんじゃありませんね」
神さま?今、神さまと言ったのか?そう、『神』である!この女は神なのである!
以降は便宜上女を『神』、男を『魂』と呼称し、話を進めさせていただく。
「本題に入る前に、いくつか質問をさせていただきます。これは本題とは何ら関係ないので緊張せずに世間話のつもりで答えてください」
「はい」
『神』はあくまで低姿勢だ。
「ご自分の死因が何か、覚えてらっしゃいますか?」
「…覚えては、いません。受付の方に教えていただきました」
『神』がうなずく。『魂』の表面がざわめいた。
「…事故死だと」
「その通りです。あれほど派手に轢かれては即死でしょうから、覚えていないのも無理もありません。答えづらい質問にも関わらず、ありがとうございました。
…では、次の質問を…」
「…あの!」
言葉を遮られ、押し黙る『神』。
「…」
「…前置き、できれば飛ばしてもらえます?気になっちゃうんで、本題」
『神』はこめかみを抑え、息を吐いた。
「…そりゃ、そうですよね。気になりますよね。はい、じゃ、話します」
『神』は、あえて軽々しい口調で語りだす。見え透いていた。これから話す話の重要性。
「無数に存在する世界。そのうちのいくつかを、私が管理しています。…私、神さまなので!…まあ、それは、どうでもいいんですけど…で、あなたが生きていた世界も、私が管理しているんですけど、…いや、それもどうでもよくて…」
神らしからぬ狼狽。それほど切り出しにくい話題なのか。
「いや、すいません、本題ですよね。で、私が管理している世界の一つが、今ちょっと…トラブってまして。一週間に一回のペースで滅亡しかけているのです」
「…かなり多いような気がするんですが。…そんなもんですか?」
「いえ、おっしゃる通り、異常なペースです。どうやらバグかなんからしくて…」
「…あるんですね。バグとか」
世界ってそんな単純なつくりなのか、という複雑な思いが混じっている。
「あ、バグってのは物の例えで…いえ、とにかく!ここからが重要です」
嫌な予感がした。そうでしょうとも。それで終わるはずがない。
「あなたに、世界を救っていただきたい!というのが、本題なのです」
「…」
長考。声も出せない。それから3、4分は黙っていたが、
「…なぜ、オレなんですか?」
当然の疑問。わずかに期待がこもっている。
「お世辞はお嫌いでしょうから、正直に申し上げます。あなたは完全にランダムで選出されました。もっとはっきり言えば、クジです」
お世辞でもいいから『あなたは選ばれた人間』と言ってほしかった、と思った。
「…断られる可能性は考えませんでしたか?」
「承知しております。当然、強制はできません。これまで53名の方に打診させていただきましたが全員に断られております」
一人目ですらないのかよ。湧き上がる劣等感を飲み込む。
「…『救う』といっても、具体的にはどうするのか、説明していただけませんか?」
「もちろんです。といって、心配なされるようなことは何もございません。その世界に行き、私の指示に従って仕事をこなすだけ。無論、それなりにハードな仕事ではありますが…」
「…仕事、というからには、報酬がいただけるのでしょうか?」
『神』は顔をしかめた。痛いところを突きますね、という表情。
「…誤解を生むような言い方をしてしまいました。仕事というより、ボランティアですね」
なんたる無法か!『魂』は再び絶句した。
「…つまり、あれですか?世界を救って、でも報酬はナシよ、と?
…神さま、それは通らないでしょう。さすがに、ねぇ?」
『神』は悪びれもせず、かと言って開き直りもせずに、ただ頭を下げた。
「差し上げられるものなど、何もないのです。故に、私は『お願い』するしかないのです。どうか。なにとぞ。私をお助けいただけないでしょうか?」
ひどく無力な『神』の姿。親の借金を返せずに土下座する少女も、これほど惨めではないだろう。
自分が極悪人にでもなったかのような気分だ。
(世界を救うなんて責任、負えるわけがない。そうだろ?おれが悪いのか?)
内心で無意味な弁解をしながら、話題をそらす。
「で、そ…その世界ってのはどんなところなんです?魔法があったりとか…」
『神』が突如目を輝かせてすり寄ってくる。
「あ、ありますよ、魔法!あとモンスターみたいなやつも!お好きなんですか、そういうの?だったらおすすめですよ!」
「あ、いや、別に…どんな条件でも受ける気はないんですけど…」
とたんに『神』の顔が悲惨に陰った。目は虚ろで、口は半ば開き、肩を震わせ膝をつく。
「…あ、そうですか…」
何だよその顔は。やめろよ。しょうがないだろ。おれに頼むあんたが悪いよ。
心のなかで、誰に聞かれるわけでもない言い訳をする。
「…書類審査とかした方がいいっすよ、ホント。おれみたいな人間がやるわけないでしょ。おれみたいな、何の決断もせずに生きてきた人間がさ。世のため人のためとか…」
下らない弁解だけはすらすら出てくる。
「おれが、もしもよ?もしも受けたとして、任せられます?自分の大切な世界を、こんな人間にさ!」
『神』は一瞬の躊躇もなく答えた。
「それはもちろん!よく知りもしない世界を、ノーギャラで救おうって人ですよ?そんな人にこそお任せしたいじゃありませんか!私の大切な世界なんですから!」
「…」
『魂』はまたまた絶句した。彼女の言葉に感銘を受けたからではない。
(ズレてるよ…それ…)
先ほどから言葉の端々に感じられる、詰めの甘さ。想像力の欠如。
(こんなムチャな条件の依頼、引き受けるとしたらお調子者かお人よしだ。そんなやつらが世界を救えるわけもない。現実はそれほど甘くはない…うまくいくわけがないんだ、最初から。
…しかしそう考えると、引き受けてもいい気がしてきた。どうせうまくいくわけないんだから、責任など考えずに観光気分で受ければいい。きっと漫画みたいな体験ができるだろう!失敗しても、『神』はおれに負い目があるから怒れない。
…いけるな、これ。)
なんたる自堕落的な思考回路か!しかも相手が怒れないことまで計算に入れる卑劣さ!
…もっとも、生前の彼はここまでひどくはなかった。死んだことで開き直ってしまったのだろう、とフォローしておく。
「…ひ、引き受けますよ、その任務」
「…へ?」
「引き受けるってんですよ、いや、やらせてください!」
『神』の表情が驚愕、歓喜、安堵と推移してゆく。
「本当!?…いや、でもっ、なんで?」
「…こんなおれでも信用してくれるって言うなら…やってもいいかなって」
殊勝な声音で言ってのけた。『神』は嬉しそうに何度もうなずく。
「…よしっ!じゃっ、じゃあ、さっそく準備しますから!」
「…気が変わらないうちに早くしてくださいよ」
こうして、まだ見ぬ異世界の命運は、観光気分の『魂』に託された。
…だが彼はすぐに思い知ることになる。
真に想像力が欠けていたのは誰だったのかを。
〈つづく〉
甘いのはリーフパイが好きです。