7話 気味の悪い場所
美咲が“クラン”に住まい始めてから、早くも一週間が経っていた。巡流は仕事続きである。
美咲への直接の被害を抑えられるのは、クランの場所が彼女を狙う教団の手にバレるまでだ。それまでの間に、巡流は教団の実態をなるべくはっきりと判明させる必要があった。何より、巡流は、クランの住人やマスターに迷惑をかけたくなかったのだった。
調査を急くとはいえ巡流の本職は情報屋。現場探査だの、潜入捜査だのと警察や探偵の如く立ち回ることはない。微細な情報を拾い集めて、そこからだいたいの象形を掴んでいく、というのが巡流のやり方だ。
警察も同じような捜査を行っているのではないかと疑問に思う人もいるだろう。だが、多数の事件を同時に相手取り、“WCIS”(ワールド・コモン・インターネット・システム)の監視や取締にその労力の7割を費やす現在の警察機関は、基本的に街角で起こる犯罪にかける労力を限界まで削減している。ただでさえ近年、窃盗や殺人など、街の其処いらで起こる犯罪は減少傾向にあるのである。彼らは思った以上にその手の捜査に全力を出していない。この時代、犯罪といえばインターネットシステム上のものがほとんどだった。警察も時代の変化に合わせ、それに対応する形へと組織を変容させてきた。仮に美咲を襲おうとする教団の捜査を警察に依頼したところで、従来の現場捜査技術を失っている彼らが十分な成果を上げられるかと考えると、怪しい。
だからである。巡流はフロスター財閥が自分などという小さな存在に協力を求めた理由を知っていた。
無論、俺が自分をトライドに売り込んだというのもある。が、それ以上に、国内最大の組織であるフロスター家は、似たように国家の実力機関として存在している警察に借りを作るのを嫌悪したのだろう。どのみち警察に捜査を依頼してもまともな成果は期待できないのであるし。それに、美咲への被害を警察に明かすのは、『フロスター財閥トップの娘、美咲が狙われている』事実を世間に明かすのと同義である。(美咲本人の周辺環境への悪影響が増す可能性が高い。)ただでさえこれらのようなデメリットを孕むのであれば、多角的な知識や捜査起点を持ち、美咲本人への繊細な配慮の出来──何より信用のある協力者である、華秀巡流を選ぶ方が断然得策である。彼らはその結果、現状、俺を頼らざるを得なかったのだと──そう考えながら巡流はふっと、したり顔を浮かべた。
想矢は今日はオフだ。同居人とはいえ一応うちの事務所で雇用していることになっている想矢には、もちろん休日がある。給料として、自由に使える金も与えていた。巡流自体元々の資産や仕事の儲け含め金には困っていないからだ。だが、人造人間である想矢がその金を何に使っているのかは皆目判らない。今日もまた外出しているようだ──そういえば最近、家に帰ってきたとき想矢の表情が楽しげであることが多くなった気がするが、何かあったのだろうか。知る由もない。
巡流は思い出しながら、パソコンのメールボックスを開けた。返信が数件。目当てのものを捜す。
あった。
それは巡流が先日依頼した情報提供だった。
巡流は見つけた一件のメールを保護した。
『WW教団についての連絡。跳谷遼より』
警察官の友人から送られてきたそのメールを開ける。
(WW……?例の教団の名義ってところか?)
巡流は興味の赴くままに本文を開いた。
『よう。メールですら久しぶりな気がするぞ。そっちの仕事は順調?
言われてた話なんだけど、俺も高度な情報までは掴めなかった。ので、取り敢えず俺らの課の捜査で判ってることを送るね↓
WW教団(奴ら自身の呼称。なんの略かは知らない。)
創立 2023年 2月16日
リーダー 司祭とされている者がいるようだが本名また性質は不明
活動地域 北旗市辺りで教団員らしき人物が多く目撃されているらしい。
こいつらは警察が全部取り締まってるんだ、って言い切りたいところだけど、こいつらに関しては何がしたかったか判らないような事件ばかり起こっているので、目的どころか、正直なところ犯罪グループなのかどうかすら判断できてない。
一応捜査は続いてるけどなんか重大な問題が無いからそろそろ切り上げられそう。
近況はどう?最近俺は後輩の神羽くんが正義の味方だとかなんとかうるさくて困ってる。今話題の、ライルの情報ゲットしたら頂戴ね。
まあとにかくこの情報が何かヒントになれば光栄。
追記
今年の大学のバーベキュー大会、多分俺行けないわ。ギックリ腰。もう衰えを感じる。お前も気を付けて。』
跳谷遼は、巡流の高校からの友人だ。大学では学部が異なっていたものの、定期的に数人の友達のグループでよく連んでいた仲である。彼からのメールは過労気味の巡流の気分を少なからず楽にした。──どうも向こうも中々に疲労を溜め込んでいそうではある。
跳谷遼は、“最強の人間”、神羽正義の先輩として、監督役を命じられている。そのことは以前から知っていた。
警察機関で運用されている三人の“最強の人間”は、王貢寺警察署、北旗警察署、交川警察署に配属されており、各地域にて業務に当たっている。人造人間毎にその在り方は異なっていると聞く。
巡流はこう考えていた。プログラム通りの完璧な行動、そして予測されるべき事態への迅速な行動を取る能力がある最強の人間達に、警察機関の司令や方針など足枷にしかなるまい。
だが残念ながら、彼らは『自分達に指示をする側の人間に抗わない』ことを髄まで教育されている。
彼らは警察機関の指示がいくら腐っていようと──例えば人間にとって清廉でも、彼らには汚濁を感じさせるようなものもある──その仕組み自体を否定することなど無い。
(一方でただ司令の文言に従うだけの彼らと異なり、うちの“最強の人間”である月息想矢には普通の人間と同じ、自他の関係形成能力が備わりつつある。それは人造人間の“自我”とも関係しているのだが──まあその辺りは人造人間科学の複雑な部分であるから、知識のない者には想像も付くまい。)
若い警官である遼はそんな『自我もない、反抗することもないが、想像も付かぬ思考判断のみに沿って動く最強の人間』の直近の手綱を持たされていた。心労の程は言うまでもないだろう。
しかしまあこのメールはそこそこに有益な情報を与えてくれている。教団のメンバーが北旗あたりによく出没するということ、そして『WW』という、不可解なものながら呼称が知れたのは大きい。これで、“例の”だとか“正体不明の”とか妙に格好付けた言い方はしなくていい訳だ。
地域を指定し、インターネットを駆使して適当に関連していそうな情報を探したら、教団の活動実態の、なんとなくの象形を掴める。基本的な作業はこの辺で終わり。後はあの辺に住んでる俺の“知り合い”を通して実情を確かめる作業に入るだけだ。
俺は情報屋だ。そして情報屋に知人は欠かせない。どんな距離感であれ、どんな関係であれ、どんな立場であれ。俺は沢山の知人を持ち、それ故に様々な視点、立場からの観測を統計することが出来る。
北旗市にも協力してくれそうな知人はかなり住んでいる気がする。市役所員のアイツに北旗で有名な暴走族グループのアイツ、そういえば教職員なら10人くらい知っている。怪しげな教団の存在が完璧に秘匿されているはずはない。存在の足跡が点在するはずだ。
故に巡流は詮索に難があるとは感じていなかった。
問題は、彼らの“最終目的”が全く以て判らないことだ。
活動を始めたのがざっと100年前ほどであるこの教団。設立のきっかけも、教典の内容も、というか実際の動きの具体的なものすら、全く明らかになっていない。奴らの目立った行動と言えば、フロスター関連企業の産業的、経済的妨害と美咲への襲撃のみ。警察ですら教団の概形を掴めないのは、それらをフロスター家が警察に明かしていないからであり、また同時にこれら以外に教団が目立った事件を起こしていないからであった。
「ぼちぼち仕事が増えることになりそうだね。」
巡流は困り顔を浮かべ──一方ではその口角を少し吊り上げながら──そろそろかと、想矢の帰りを待っていた。
──────────
「似合ってるわよ!有希!」
アクターズマネージャーの帆夏は、クリエイテット・ステージでのコスチュームを身に纏った有希を見て感嘆した。
「あんたほんとスタイル良いわよねぇ。すらっとしてて、羨ましいわあ。」
鏡の中にいる不思議な容貌の自分を見つめる。青いスポーツウェアっぽい生地のノースリーブに上半身を包み、へんてこな金属が付いたショートパンツを履いている美咲は、本当にテレビや漫画で見る、サイエンスフィクション系ヒーローの姿そのものだった。
(…今更だけど、恥ずかしくなってきたかも。)
有希は少し不本意を顔に覗かせる。
クリエイテット・ステージの第6回中継放送が、この後行われる。バトルアクション・エンターテインメントであるこの競技に出場する選手、“アクター”達は、各々が仮想敵との戦闘に備えた武装をその身に纏っており、有希は今マネージャーと共にその確認作業に入っているのだった。
「ほら、あんたのアクションネーム、覚えてるでしょ?こんな風に、オーバーなくらいSFっぽい見た目じゃないとキャラ立たないのよ!」
帆夏は一際大きなスーツケースを引っ張り出してきた。電子ロックを外すと、中に相当ぎゅうぎゅうに詰め込まれていたのだろう、スーツケースの蓋がひとりでに浮いてその内容物を見せた。
大量の、部品。ツヤの消された灰色の塊。
四つある正六角形の物体、他より少し黒く、真ん中に穴が空いているその部品は、電源コードの挿し口がある。外観から防具と思しきものも多数存在していた。
「…何ですか、これ?」
ガチャガチャと、沢山のパーツが取り出される。何やら平べったい塊を帆夏は持ち上げて有希のコスチュームに当てた。
「胸のプロテクターよ。派手な動きをすれば、事故もあり得るらしいし念のためね。」
帆夏は有希の胸にそれを当ててコスチュームに付いていたジョイントに固定した。
「あの……帆夏さん…隙間出来るんですけど…。」
有希の胸とそのプロテクターの間には空間がある。──そこに“ある”と、予期されて、作られていたスペースが無駄になり、完全に固定されなかったプロテクターは少し弛んでいる。帆夏は、有希の胸を静かに見つめた。
「……あ、あら、あんたの、大して大きくなかったのね。待って、ベルト一段上げれば良いだけだから。」
「……黙って貰っていいですか?」
さて、もうすぐ、クリエイテット・ステージが始まるようである。
──────────
微塵も人気の無い場所だった。
クリエイテット・ステージのフィールドと知らされ、ここに連れて来られた新人選手達は、古ぼけた都市の──21世紀の都市の様相を残した、その場所に驚愕することとなった。
「なぁ、ここって、どこだ?」
誰かが呟いた。おそらくは新人だろう。
「……こんなにごてごてした場所がこの国にまだあったなんてな。」
80年ほど前までは、一般人は“オフィス”という空間を利用していた。それは言わば、企業が構える拠点である。当時はここに出社し、上司や同僚と共に同じ空間で仕事をする、というのが当たり前で、今のサラリーマンのように在宅勤務が主流ではなかったのだ。つまり多数のオフィスが、都市のビル群に集中していた。現在の、ほとんどが交通関係の施設やシステム制御設備などに埋め尽くされた都会の街並みとは全く目的が異なる。その時代の都市には、オフィスを内包するがために作られたビル群が存在していたのである。
このフィールドには、21世紀の古い遺産が──旧都市の高層ビル群が立ち並んでいたのだった。
道路には倒れかけている電柱や交通信号らしきものが廃れ切った様相で蔓延っている。当然ながらそれらは動作していない。何故ここまで放置されていたのか、それを疑いたくなるほどの都市の残骸を前に、人造人間達はこの“クリエイテット・ステージ”の、自分達のステージの現実を、その不気味さを理解しようとしているところであった。
驚きの元はそれだけではない。フィールドの端にはかなり高い壁がある。暗いビル群に隠されてはいるが、その高さは目視できる限りで三十メートルはある。
人造人間達はこの違和感の果てに何一つ、自分達の安心を見つけられずにいた。
「…っ、おい!俺達、今からここで生中継で“仮想戦闘競技”を行うって手筈だよな?」
どこからか声が上がった。
「なんだか気味の悪い場所だし、それっぽい設備も全く用意されて無いじゃないか。なぁ、露都?」
叫んだのは一人の若い人造人間だ。隣に立っている、知り合いらしき人造人間に同意を求める。叫んだ男は、黒いスーツに身を包み、背中にはギターケースのように鉄塊を背負っていた。隣に立っている人造人間が返事をしようとする前に、どこからともなく、音声が鳴った。
『アクター、“ゆーや”さん。そのご指摘はご尤もだ。』
『しかしまず、ここでのルールを思い返してください。アクターの皆様は、どうかお互いをその“アクションネーム”で呼び合って頂こうと、事前説明会で申し上げたはずだ。』
「っ…そんなのは知らねえよ…俺の質問の答えがまだだ。これから俺達、どうなるんだ?あと30分で中継開始のはずだが。」
『ええ、確かに競技は開始されます。順次、仮想敵が配備されますので、皆様にはその討伐に当たっていただきます。──と、その前に』
放送の音声が止む。突如として現れた静寂が辺りを包む。そして、
ビル群の奥で、轟音が響いた。
『アクターの皆様、戦闘用装備を準備してください。これから、本番に向けてのデモンストレーション・マッチを行います。──これから出現する仮想敵に、それぞれの兵装でどうぞ挑んで頂きたい。』
「んなっ……!?」
「は…?」
新人選手達は互いの顔を見合わせ、ざわついた。
その放送が意図する内容など、誰にも易々とは理解できまい。“戦闘用装備”を万全に用意し、使用方法も完璧に学習していた彼らだったが、ここだの行使は全くといって予期できるものではなかったのだ。ここには仮想戦闘を行うという名目にそぐう設備が全く存在しないからだ。映像加工のみでどうにかなる問題ではない。実は事前に、人造人間それぞれ希望や需要に準じて、“明らかに現実世界で殺傷能力のある”武器が提供されていた。そこを警戒しない彼等ではない。それでも、ろくな説明をないまま、彼等はここに立たされることになっていた。
「一体どういうことだ…?いつもと雰囲気が全然違う……。」
鎧に身を包んだジョージは隣にいたエミィに声をかけた。エミィもまた、鎧を身に纏っている。
「…本名で呼ぶなって。私はここでは“木川アリサ”よ。」
「んなこと知らねーよ……おい、なんか音が近付いてるぞ。」
ジョージが扮したアクター、“LANCY”は、迫り来る脅威の大きさを測り切れずにいた。
そしてその正体は──思ったよりも凶悪に──人造人間達に襲い掛かった。
前方で、何かが高く打ち上げられたように見える。




