6話 貴方の仲間
「皆さんこんにちは。今日はクリエイテット・ステージ・ファイターの皆様に、今後の競技における注意事項の連絡をさせて頂きます。」
集められた百余名の人造人間達は会議室の席に付き、神妙な表情で正面のスクリーンを見つめる。見た目は当然、普通の人間。だが彼らの実態は、高い能力を得て生まれた『強化人造人間』だ。
彼女も、美坂有希も、またそのうちの一人だった。
先週、新たなCSF(クリエイテット・ステージ・ファイターの略である)に応募した有希は、人造人間を父に持ち、純粋な人間を母に持つ。出自は研究所や人養機関ではないものの、人造人間の血と遺伝子を受け継いでいるのだ。
本来、そのような生を受けた者は、自分の腕にクリエイテットの紋章を刻む必要もなく、一般の人間として社会に出る権限を持っている。(人造人間の編集遺伝子は子供にある程度遺伝するとされるが、道徳通説的にこのような子を人造人間と同じく扱うことはない。)しかしクリエイテット・ステージというコンテンツに挑戦するのは、有希なりの思うところがあってのことだった。故に有希は紋章を偽装し、大会参加資格を得たのだ。 彼女は未だ17歳、都内の名門、王貢寺学院高校に通う高校生だ。その端麗な容姿と共に、文武両道の気概を持つ有希の能力は、やはり、人造人間の血を持つことに起因している。今は亡き有希の父親は、“最強の人間”の実験工程において数体試験生産され、“最強の人間”を生むために必要とされた五つの要素のうち、身体能力に特化した“高駆動個体”の内の一人だった。 そして有希はその遺伝子を少なからず受け継いだ。彼女は常人を越える運動能力を有しており、CSFに十分な適性を持っていると言える。
有希の周りには厳めしい男からほっそりとした者、大人びた女性や筋骨隆々の野郎など、種種雑多なCSFが集まっていたのだが、何せ美麗な彼女の容姿だ。有希の年齢が周囲に比べて幾分か若いほうであったことも助けたのか、有希は説明会中もすっかり注目を浴びていた。
一通りの説明は終わった。次々と席を立つ人造人間達の中心で、有希は言いようのない疲労感を感じていた。仕方あるまい。ここまで大勢の人にちらちらと見られ続けた心労はなかなかに重かった。
「こんにちは。」
ふと、隣の席の女性が話し掛けてきた。強張った顔を少し向ける。その女性は、落ち着いた雰囲気の大人らしく端麗な佇まいで、有希に挨拶した。顔が隠れるほどのマスクをしていて、表情は掴めない。女性の突然の行動に、有希も反射的に会釈をする。
「…こんにちは。──どうかなさいましたか?」
「いいえ、可愛い子だったから話し掛けただけよ?」
尋ねる有希に、女性はマスクを外しながら、悪戯ぽく笑いかけた。綺麗な方だ。──そしてどこかで見たことがある気がする。
そして気付いた。この人は有名人だ。
有希は一昨日家で眺めたファッション記事、その特集の大きな部分を占めていた女性を思い出す。先ほどから周囲の視線をこれでもかというほどに集めていたのは、私ではなくこの女性だったのかも。有希は自意識過剰気味な勘違いに気付き、顔を赤らめる。
「緊張してるの?」
女性は滞りなく有希に質問を投げ掛ける。
「あぁ…まぁ…はい。」
少し、驚きがあった。初対面でここまで積極的なコミュニケーションを取ることのできる人造人間の方って珍しいな──有希は顔に貼り付けていた警戒心を一度剥がす。女性はその一瞬を逃さないかのように、有希の“ここでの名”を問うてきた。有希は黙って持っていた座席表の自分の欄に目を落とす。釣られるように、女性はそこにある名前を見つめた。
「……あなたのアクションネームは──『サイバーガール』で、いいのかな?──あまり見たことないけど、新人さん?」
少しだけ大きめの声で読み上げられたその名を、周囲の人物は少なからず認識しただろうか。
「こんな名前で……その……なんだか、恥ずかしいですけど。」
有希は女性を見上げた。その左耳、ピアスに反射した光が眩しい。
「ふふふ、一緒にこのステージのスター目指して頑張りましょ?」
女性は自分の席を立ち、髪を解いて歩き出した。有希は再び座席表に目を落とし──自分の隣に座っていた、その女性の名を確認する。『木川アリサ』と記されたその表の一角を、有希はまた黙って見つめた。
女性は優しかった。小さな優しさだけど、なんだかほっこりした。得した気分。有希には、アリサが輝いて見えたのだった。それは人造人間だとか、人間だとかは関係なく、一人の人として、だ。
有希は持ち上げたハンドバッグを左脇に挟み、前髪を整えた。アリサが残した言葉を思い出す。
私は、このステージで、自分の新しい輝きを見つけるんだ。
有希の決意は、六年前のあの瞬間から進み始めた、一筋の光なのだった。
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とある人造人間の男は、早足で前方に居る友人を追っていた。
「よぉ、エミィ。奇遇だな。」
屈強な青年が、長い髪の女性に後ろから話し掛けた。
「本名で呼ばないでよ、ランシー?……あんた、何それ?」
ランシーと呼ばれた男は、自慢げに金髪頭をさする。彼もまた人造人間で、今しがたクリエイテットステージの説明を受けていた、ステージ出場選手でもあった。
「これからもっとステージで活躍するんだ。見た目から目立った方がいいだろう?」
「いいけど、あんたの顔薄いから、似合ってないわよ?それ。」
エミィは辛辣な言葉を投げる。
「何だかんだ心細いんだよ俺も。知り合いはお前ぐらいしかいねぇしな。そんでもって何より、このステージ自体が、俺たち人造人間の明日を懸けた戦いって奴なんだから。」
「私はそんなに重く捉えてないわ。──私はこのステージでも完璧に、多くの人を魅了してみせるだけよ。」
「そりゃあ、お前は“ステージ慣れ”をしてるからだなぁ。」
木川アリサことエミィは、人造人間にして、世界的なファッションショーのステージにも姿を現す、カリスマモデルの一人だった。そんな彼女があろうことか未知数のバトル競技に参加するというのだから、世間は更にクリエイテット・ステージに注目することとなっていた。
「まさか私がこんなモノに参加させられるなんてね。まあ、興味が無かったでもないし、そもそも私はスポーツ特化人造人間の失敗作みたいなものだしね……。」
「やっぱりオファーだったんだ。お前。──運営側はやっぱり、有名人に目をつけてるんだろうな。」
「だって人造人間への一般人の価値観を変えるためにこのステージがあるわけでしょう?有名人が広告塔に立てば、それだけで大衆の関心が高まるわ。」
実際、エミィ以外にも多数の人造人間アスリートや有名動画投稿者が参加し、視聴者受けを狙っている運営の策略が垣間見えた。
「しかし何も戦闘競技にしなくてもだな…。安全対策はされていると聞くが、それがどこまで信用できるものなのか…。」
「一番わかりやすくて、派手で、何より一般人には再現しようがないでしょう?そういうところに目をつけたんだと思うわ。やってみれば楽しいものよ。」
エミィとランシーは駅に到着し同時に息をついた。
「あ、そういえばさっき、若い女の子と話したの。──あんなに若い子までこのプロジェクトに参加しているとはね。」
「若者の方が多かった程だな…というか、まさかそれって『サイバーガール』とかいう女の子じゃあないか?」
エミィは目を細め疑念の目を向ける。
「可愛い子はマーク済み、って訳?」
ランシーは苦笑いを浮かべ、何も言えないという風に目をそらしてしまった。
──────────
「はぁ、そうですか。──またですか。はい了解です。」
巡流は棒のようになった声の明度と彩度と鮮明度を更に下げながら、端末上の会話を終えた。
「──想矢、おい。」
「……あ?今忙しいから話し掛けんな。」
二人は春先の麗らかな風の下で、優雅に読書を愉しんでいるところだった。だが残念ながら幸福に満ちたベランダは、次は鬱蒼たる気分に満ちた。想矢も巡流に訪れた連絡の内容をおおかた察しているのだろう、あまりの面倒に聞く耳を持たない。
数分の沈黙が続く。
「……フロスターのお嬢様に何かあったんだな?」
漸く、想矢が口を開いた。
「あった。また何者かに後を付けられたと。」
「……トライドは馬鹿なのか?何故美咲を無理に一人で登下校させる?」
「本人が友人にフロスター家の娘ってことを隠してるみたいでねぇ。フロスター敷地内の駅から王貢寺のあの子の高校までは一瞬だし、別に一人で行くのに警戒するほどの距離はないはずなんだ。登下校の途中じゃなくって、あの子が一人でコンビニとかに行ったとこを狙うんだよ、教団様方は。」
巡流は読み終えた本を机に置き、立ち上がった。
「仕方ない、こうなったらまた、あの人にお願いするか。」
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巡流は、夕暮れの未知に静かに佇む一つの喫茶店の前にいた。太陽光が『clan』と書かれた看板をやんわりと照らす。
太い木製のドアの取っ手を引き、店の中に入る。いらっしゃい、と小さな声がする。声の主の顔を確認し、巡流は軽く手を挙げた。
「どうも、華秀です。ご無沙汰してます。」
喫茶店のマスター、アレクスは、すっと顔を上げて少し笑みを浮かべた。
「久しぶりだね、巡流くん。」
アレクスは目の前の客にコーヒーを出す。ここに居る客達は皆、自分の世界に浸っているのだろう、来客に全く興味を示さなかった。
巡流はいつも通り笑顔で挨拶をし──そして、美咲・フロスターを店内に招き入れた。
「言ってた女の子だよ。美咲ちゃんだ。マスター、暫く頼む。」
巡流は度々不審者に接触される美咲に、一時的に別の場所で生活してもらうことにしたのだった。
ここは喫茶“クラン”。壮年のマスターが経営する、“何かを見失った者”達の集会場だ。
ここのマスターは住み処のない、行き場を無くした人間を、この喫茶店と上の階とで何人か生活させている。巡流は様々な仕事の中でこの店を知り、訪れ、マスターと出会った。互いの境遇を熟知した彼らは、互いの仕事や悩みについても度々相談し合う仲で、美咲の処遇についても暫く相談をしていたのだった。
「こんばんは。美咲・フロスターです。その、本当にお住まいをお借りして宜しいのでしょうか……?」
美咲はか細い声で挨拶した。
「無論です。貴方にどんな事情があるのか詳しくは存じないが、──その顔は、疲れてらっしゃる。休みなさい。部屋などいくらでもお貸ししますし、食事もご用意致しましょう。──ここには貴方の仲間がいますからね。」
美咲は喫茶を見回した。確かに、先ほどから席に座っている者の中には、客ではなさそうなのが何人かいる。彼らは、ここの住人なのだろう。
ここに住む人間は、皆、美咲と同じように、各々が事情を抱えている。
「──若くて礼儀正しい子ね。私はリガ・ミルティアよ。これからよろしくね。」
カウンター席から話し掛けてきたのは金髪の女性だった。カウンターに乗せられた右肘の傍には変わった形の賽がある。彼女の挨拶を皮切りに、店内の幾人かはこちらに注目したようである。
「俺は街田逸心!人造人間だが、よろしくな!」
遠くの席から聞こえたのは青年の若い声だ。──陽気に、そう自己紹介した。
「レヴァニカ・ルウガスです。年、一緒だよね!仲良くしよ?」
その手前に座った、眼鏡の可愛らしい女の子は、そう言って笑顔を向けた。机にはノートとペンシルが置いてある。自分の年齢と同じなのか、と思うとその子は少し童顔だった。
「……おいおい、ひょっとして、客の俺も自己紹介するべきか?」
先ほどからずっと静かに電子書籍を読んでいた、入り口すぐの男が呟いた。
「ははは。面白い兄ちゃんだな。」
巡流が笑う。男は巡流の目を見た。何故だか、お互いに、二秒間程目を合わす。すぐに男はコーヒーに手を伸ばした。
「何も頼んじゃいないさ。──この子は、これからここに住まうことになったんだ。」
アレクスの言葉に男はふーんと呟きコーヒーを飲み干した。
「美咲・フロスターさん、ね。まぁ俺は常連客だから、また会うことになるかもな。」
男性は立ち上がった。背は巡流より少し低い気がするが、180センチは越えているだろう。
「もう行くのか?」
マスターが尋ねる。
「行くさ。いつまでも居ると気まずいし、申し訳ないからな。」
男は会計をさっと済ませて店を出て行った。巡流は横目でそれを見つめる。
「…まあともかく、美咲さんを、暫く、何か安心できる変化のあるまでここで落ち着いて住まわせてやって欲しい。本人は身の回りのことは自分で出来るそうだが──如何せん育ちはお嬢様だ。何とか助けてやって欲しい。」
「わかった。任せておくと良い。」
巡流はそれじゃと手を振って扉に向かった。
「あの、華秀さん!」
美咲が呼び止める。
「──どした?」
「…その、本当にありがとうございます!」
「ああ。いいさ気にすんな。暫く落ち着いて暮らしな。また顔見に来るからさ。」
巡流はニヤリと笑って店を出た。
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「……“ありがとう”、なんていつ振りに言われたかねぇ。」
呟きながら巡流は、そういえばと空を見上げる。参原に言われていた、プロジェクトのこともそろそろ考え始めなくてはなるまい。巡流は広報担当だ。これから各メディアを通して一般人の興味を更に引く必要がある。
まあそれにしても最優先課題は美咲を付け狙う教団への対処だ。
まだまだやることは山積みだ。この男はにやけている場合ではなかったのである。