5話 勇者
今しがた弾き飛ばした男は、意識を失ったようで、唸り声を上げていた。
「……ごめん。退かすだけのつもりだったんだが…」
跪き、若者の安否を確認したライルは、すっと立ち上がって路地の奥を見つめた。
ここは王貢寺、繁華街の外れで、休日である今日は喧騒の都市そのものであった。周囲には人だかりができている。ライルを撮影する者や警察に通報する者、鮮やかに街のならず者を吹き飛ばしたライルに、感嘆の声を漏らす者──サインを要求する者さえ存在した。
ここまでに名実を晒してしまった理由は判る。五日前、俺は火災現場にて、放火犯に加害しようとする人造人間、神羽正義を制止して、その若者を救出した。予想通り、メディアは突如現れた奇妙な存在であるこの俺のことを、世間一般に瞬時に広めた。が、これほど過剰とは予期していない。こうなった以上、俺のなすべきことにも若干の支障が出るかもしれない。
「おい、お前らに聞きたいことがある。その装置を何故持ってる?」
路地の奥でこちらを睨み付けながら一歩も動けない若者達に、ライルは言葉を投げかけた。どうもこの集団は窃盗の罪状で追われていて、今彼らは誰も気に留めないような短路地で盗品の機械の使用を試みているところだった。
先程、装置の発動キーとなるパーツを持った青年は、静かに歩み寄るライルに気付き、接近を牽制するために彼に腕を翳した。だがその瞬間──そのままライルは彼を路地の外に向けて、吹き飛ばしてしまったのだった。運悪く頭を打ち意識を失った彼は、左手から何か金属の部品を覗かせていた。ライルにはその部品に見覚えがあった。
突如現れたライルに驚愕した若者達は、完全に慌て、腰が引けていた。
暗がりに溶け込んだ暗色のマント、足を厳重に防護する金属製のブーツ、そし両肩で鈍く光る巨大な鎧。怪異である。彼はまるで巨竜の討伐にでも赴くかの様な格好で紫色の眼を光らせていた。
「お、お前には関係ない!」
若者の一人がやっとの思いで叫んだ。
「そうか。じゃあ早くソレを持ち主に返せ。明らかにお前等が持ってていいモノじゃないだろう。」
一歩ずつ。金属製のブーツを鳴らしながら、その集団に向かう。
「う、うわあああ!!」
どうしてもその物体を渡せないのだろうか、男達は恐怖の叫喚の中、しっかりとその装置を守る。
「いや、何を身構えてる?──」
ライルは牙を剥くでもなく、剣を抜くでもなく。至って沈着だ。やがて、男達の目前で立ち止まった。
「お前らが久都大からソレを持ち出したのは知ってる。それは特殊な技法で埋められたクリエイテットの紋章を右腕から取り除く装置の一種。──一応、国際法上禁止されている機械の一つだ。」
ライルは静かに彼らを見つめる。若者達は皆右腕を──紋章のあるはずの腕を背後に隠していた。
「言わせて貰うが、クリエイテットの紋章を取ろうが、取らまいが、お前らの本質は何も変わりはしないぞ。…いいや何なら、良くないことの方が起こりそうな気はするがな。」
静かに、ライルは右手を伸ばした。
「……っざけんな!俺達はこんな暮らしもうウンザリなんだよ!」
「何があったのか話を聞きたいところだ。が、まあ、そんな時間はない。俺のせいで、多分そのうち警察も来るしな。決めろ。ここでソレを捨ててこの場から逃げるか、それとも俺に抵抗するのか。」
ライルに威圧の意はない。だがライルの言葉に、一人、また一人と畏怖の表情を浮かべ始める若い人造人間達は、何も出来ずに、弱々しく後ろに退いた。
「違う…駄目なんだ…俺達はこれを手に入れて、認めて貰うんだ!!」
泣き入りそうな必死の声色を、ライルは静かに受け止めた。何故ならこの男は──その装置の、クリエイテットの紋章を取り除くことの、意味を知っている。
その紋章は呪縛。彼らの生誕を以て生存を縛る呪いの刻印だ。
つまりその紋章がある限り彼らはまともに扱われない。人造人間は、人間に束縛される運命にある。その運命をはっきりと目に見える形にして見せつける物証こそが、その“created”の文字なのだ。
──酷い話だ。彼らは弱い。虐げられ、裁かれている。
彼らには、世界に、社会に、前提に、対抗する手段がないのだ。
「…哀れだな。」
それは若者に対してか、世界に対してか。ライルは感情なく言い捨てた。そして静かに黄金の剣を抜く。1メートル程のそれは、その刀身を現し、鈍く輝いた。
「みんな気付かないんだろうよ。俺たち人間が生きる限り──誰でも自分の中に持っている、共通の心に。」
フードの下から覗く冷たい眼差し。ただただ恐れる若者達、一人は足が竦み立ってすらいられなくなった。
ライルは剣先を真っ直ぐ見せる。人造人間の若者達は、抵抗すら見せられない。
投擲。
黄金の剣は廻転しながら、音を立てて空を切り、そして──
粉砕。
若者達の持った機械のパーツは、激突した剣によって破壊されてしまった。
既に全員が畏服し、地べたにへたり込んでいた。破損した機械の金属片だけが地面に零れ散った。
「はい、終わり。──これでいいだろ?」
ライルはそそくさと若者たちに駆け寄り、装置の残骸に突き刺さった剣を引っこ抜き、収納した。
「ああ………。」
若者達の計略は、今しがた白紙に帰した。
その実、この装置は社会の隅に押しやられた彼等にとって最後の希望。それが虚空へと消えてしまった。
「君達がどんな絶望を経たのかは解らない。だが、人造人間として以上に、一つの生として、今この世界で出来ることを考える。それがお前達の本来するべきことだろう。」
ライルは路地の出口を振り返る。多くの人々がライルを見つめていた。
「人造人間が何で、“made”や“producted”じゃないかわかるか?君達はな、“創り上げられた”んだよ。ただ生み出されただけじゃない。意図を持って、意味を持って、また価値を持ってそこに存在しているんだ。」
ライルはあっさりとした口調でその結論を出し、そのまま暗い路地の出口へと歩き始めた。
「俺にも教えてくれ。お前の生が何故“その生き方”を選んだのかを。」
立ち止まる。そこには見覚えのある影があった。
「……神羽正義。だよな?……まさか一人で来たのか?──そんでまさか、俺目当てで?」
「一週間振りだな。あの時は世話になった、貴様のような不審者に正義を論説して頂けるとは、何たる貴重な体験か。」
皮肉を呟く正義に、ライルは正対した。完成した気迫に圧倒される。こんなにも早く所在を掴まれ、相見えることになるとは思いもしなかった。そうか、こいつは“最強の人間”のはずだったな、とライルは少し身構える。
「退け。そこの若者達は、俺達警察が預かる。……無論、その装置を破壊したお前の身柄もな。」
神羽正義は寂然とこちらを見つめている。
その時になってライルには、この若者達を逃がしたい私情があった。
顔から、感情が掴めない。ライルは舌を巻いた。
(流石は最強──だな。しかし、表情から隙を掴めないとなると、行動の読み合いになってくるが──)
ライルはいったん抜こうとした剣に手をかけようとして、止めた。
「まあ確かに、こいつらは違法装置を盗んだかも知れないし、俺はこれを壊した。が、そもそもアンタらはこんな物を作る久都大学の方を問題視しないのか?」
無駄だと判っていても、弁明を投げる。そうして、少しでも時間を稼ぐ。その間、この場面で最も有意義な解決手段──奴の無力化の手立てを探る。これしかないのだ。ライルは細い道の奥に向けて若者達を追い込んだ。よってその出口に立たれてしまえば、若者達は勿論脱出出来ない。
ここで奴を説得することは出来ないだろうが、意識をそちらに逸らし、瞬時に奴を無力化出来れば……!
しかし、その時間稼ぎは、真に無意味となってしまった。正義を自称する者には、どうも人間の小細工などいくらでも見通せるらしい。戦略も見抜けぬ彼ではないのだ。犯罪者の弁明など無駄なものだと切り捨てる。
正義に、話を聞く気など毛頭ないのだった。
神羽正義は猶予を与えない。ライルに向けて、その歩みを、止めない。
「──どうしてだかお前だけは、俺は、理由なく、潰しておくべきだと感じるんだ。」
人造人間は普通の人間ほど豊かな感性は持たない。アレは無表情で力を振るいに来る。
「答えを得る。“正義”を一度否定した、“正義”の答えを教えてくれよ。」
ライルはそこで異常に気付く。血眼、という表現が最も適しているだろう。彼の目は燃えていた。どうしたものか、人造人間らしい冷静さに欠けている。
「……つまり、アンタは後ろのコイツらを先にどうにかしたいって訳ではないってことだな。」
ライルは、対話の隙に距離を詰めた正義の様子を入念に確認する。──こいつは本気でやるつもりらしい。
しかし、人造人間にしては自制に欠けた行動だ。ここで“正義の味方を自称する不審者”をノックアウトしたところで、彼や彼の信条とするところの“正義”に於いて何のメリットもないはずなのに。
その実、ライルは気付いていた。奴の血眼は演技だ。
戦闘に於いて、“目”の役割は観測だけではない。
鋭く強い目は、その場にいる者の緊張感を高める。正義は敢えてライルの緊張感を高めることで、彼の全力を図ろうとしていた。
互いが、互いの感覚を見切った。──相手に、精神的な不足はない。
(しかしまあ、同じ条件で、“最強の人間”である神羽以上に立ち回るのは、少し難題だな。)
辺りを確認する。若者達は逃がしたい。だが神羽に捕まっては元も子もない。取れる選択肢はかなり少ない。
ライルの様相が涼しくなる。正義もすっと表情を真に染めた。
互いが互いの出方を読み合う。
左足の爪先に体重を乗せる。上腕の力を抜き、前腕に力を込める。
だが、その緊迫は突如として霧散した。
「……あ…?」
何やら道路側で騒ぎが起こっている。気絶していた若者が所持していた違法装置の発動キーを、何者かが奪い取って走り出したのだった。
これはあからさまな現行犯。くたばっている若者達はその盗みを神羽に直接見られたわけではない。──目前に立つ警察官の優先順位は確定している。
「…追えよ。お前等警察の仕事だろ?」
「……………。」
神羽は力を込めた全身を和らげ、後ろを向き直った。民衆がざわめく。
「また、後日。」
神羽正義は逃走した者の方へ向かっていった。遠くに別のパトカーの音が聞こえる。
残存した人造人間の若者達に向き直り、ライルは面倒臭そうに頭を掻いた。
「…運良く助かったが、警察がもっと数を増やしていたらマズかったな。お前等、俺のおかげで助かったと思えよ?──犯罪の証拠は俺が消してやったんだからな。」
金属部品の残骸を足で踏み磨り潰しながら、ライルはほんの少し笑いかける。
若者たちは呆気にとられていたようだった。
「お前達はその紋章を背負ったままでも、必ず答えを得られるはずだから。誰でも自分は一人の人間だって、胸を張って言えるような、そんな世界を目指せるはずだから。お前達は、新しい世界に向かって、努力すんだ。な?」
励ますように、ライルは語った。
一人が呟いた。
「…あっ……りがとうございました………!」
ライルは野次馬の囲む路地を抜け、空を見上げた。
人造人間の自由、か。彼らが求めたそれは、当分この世界では認められないもののように思える。先程の、神羽正義の目を見て、ライルは確信した。簡単に言えば、感情の欠けた目。奴は俺に対面し、闘志を燃やしているようで、そうでなかった。奴がここに来た目的は『最強の人間の攻撃に対応することの出来る人間が存在し、敵対するのは危険であるから、排除する』、まあ言ってしまえば『俺を消す』、ただそれだけだったのだろう。最強の人間は能率的に行動するようプログラムされている。彼らに自由も、それを求める能力も、本来存在しないのだ。
だからこそ、この事件に於いて自由を求めた若者達に、ライルは実を言うと激励の意を表したかった。だがそれは“クリエイテットの紋章を消せば、俺達は自由だ”とか、そんな短絡的で無意義な行動原理ではなく、心からの自由への切望によってなされるべきだ。
とは言え、人造人間として生まれ、そんな中で自我を確立し、その境遇に腹を立たせ、解放を目指した彼らは、紛れもなく──
「…勇者だ。」
この世界を変えるには、大いなる勇気が必要だ。
ライルは決意を新たにした。俺は正義の味方らしく、人間の全てに向き合おう。見える部分を変えないで、救える生などないはずだから。