灰色い鳥とリンゴの木
気が付いた時から、種の世界は真っ暗でした。
種は明かりを求めて移動しようとしました。けれど、種を覆う土が許しませんでした。
種は誰かと話そうと声を出しました。けれど、誰も応えてくれませんでした。
冷たい土はただ種に暗闇と静寂を返すだけだったのです。
種は寂しく、震える体を抱いて自らを守る様により一層硬い殻の中に閉じこもります。
種は孤独でした。
ある時、種は仄かな温かさを感じます。
種は身震いしました。寒さや寂しさ以外で震えたのは初めてだったのです。
種にとって温もりは初めての感覚でしたが、同時に今まで長い間自分が渇望してきたものでした。
種は今まで溜めていた力を解き放って、全身全霊に温もりの方へ行こうとします。今まで自分を守ってくれた硬い殻を貫かんと無我夢中に温もりを求めます。
そして「ピシッ」と音がして殻が破けました。余った勢いで種は地上に芽を出します。
どこまでも続く大地。双葉を優しくなでるそよ風。空気に含まれる清々しい潤い。そして、さんさんと輝き身体を芯から温かく包み込む、荘厳で昂然たる太陽。
その圧倒的な壮大さと温もりに、芽は恋に落ちました。そして、愛おしい太陽へと手を伸ばします。
芽はより高く少しでも太陽に近づこうと背を伸ばし、太陽に触れようと太陽の温もりを感じようと葉を広げました。そしていつしか木になりました。
しかし、太陽には届きませんでした。
そんなある日、木の枝に一匹の灰色い鳥が停まります。そして灰色い鳥は唐突に木に向かって言いました。
「どんなに頑張っても太陽には届かないよ」
木は驚きました。そして失礼な奴だなと思いました。
「アナタに何が判るの? やってみたいと判らないじゃない」
「判るよ。キミがどんなに頑張っても太陽には届かない」
灰色い鳥の言葉は不思議と説得力がありました。まるで既に見て来たかのように。そして、背を伸ばしても葉を広げても太陽に届かずくじけかけていた木の心に深く刺さりました。
「なんでそんな酷いことを言うの?」
木は悲しくなります。
「キミに無駄な努力をして欲しくないんだよ。自分の手が届くものを欲しがりなよ」
木には灰色い鳥が言っていることの意味が解りませんでした。
辺りを見回しても、木の他に生き物はなく手が届くものなんてないのです。
「もうアナタなんて嫌い。どこかへ行って」
木が体を揺らして叫ぶと灰色い鳥は木の枝から降りて飛びました。
そして木が頑張っても届かなかった上空へ、太陽の近くへはばたいて行ってしまいました。
木がどんなに頑張っても一向に太陽には届きそうにはありませんでした。
そして木の心に諦めがよぎる時は決まって、まるで木の心を見透かすかのように灰色い鳥が来ては「キミがどんなに頑張っても太陽には届かない」と木に向かって言いました。木はその言葉を聞くたびにこみ上がる怒りや負けん気を活力に頑張りました。けれど、それも限界です。
「キミがどんなに頑張っても太陽には届かない」
灰色い鳥の言葉が木の心に重くのしかかります。太陽には決して届かないのだと―――
―――届かない?
届かないのならば、自分から向かうことが出来ないのならば、相手の方から来てもらえば良いのではないでしょうか?
木はどうしたら太陽に振り向いてもらえるかを考えました。そして、花を咲かせて自分を美しく着飾ることで太陽に気付いてもらうことにしました。
綺麗な花を咲かせることが出来たら太陽がこっちを向いてくれるかもしれないと思うと木の心は弾みます。
今ならば灰色い鳥の「無駄な努力をして欲しくない」という意味が解るきがしました。
木はたくさんの小さな桜色の可憐な花を咲かせました。
すると灰色い鳥が飛んで来て木の枝に停まりました。木は灰色い鳥に向かって声をかけます。
「久しぶり灰色い鳥さん。アナタが言っていた『無駄な努力』の意味が解ったわ。自分から向かうことが出来ないのならば、相手から来てもらえばいいのね」
木はどこか誇らし気でした。
「全然解ってないよ。こんな花を着ても意味ないよ」
しかし、灰色い鳥は木が期待していた反応をしなませんでした。
「なんで? 美しくなれば太陽もきっとこっちを見てくれるわ」
「これのどこが美しいんだい? 太陽の方がもっと美しいよ。自分よりも美しくないものを太陽が気にかけると思う?」
灰色い鳥の言葉に驚いて、木は次の言葉が出てきませんでした。
何も答えられずにいる木をよそに、灰色い鳥は白い花をそのくちばしでつつき始めます。
「な、なにをやっているの? やめて」
木は急な灰色い鳥の行動に慌てました。必死に体を揺すって灰色い鳥を止めようとします。
「酷いわ。どうしてこんなことをするの?」
しかし灰色い鳥は止めず、ついに木の白い花は残らずボロボロになってしまいました。
「諦めなよ。キミはどんなに頑張っても太陽には届かないし、太陽よりも美しくなれない」
灰色い鳥はそう言うと、また空の上へ飛んで行ってしまいました。
木が白い花を咲かすたびに灰色い鳥はやって来てその花をくちばしでボロボロにしました。
次第に花は咲かなくなり、今度は赤色い実が生り始めました。
そこで木はこの赤い実を太陽にプレゼントしようと考えました。美味しい実を実らせる木を太陽が放っておくことはないと思ったのです。
木は毎日毎日、赤い実へ「美味しくなれ、甘くなれ」と愛情を込めました。その甲斐あって、木の実は艶やかな赤みを帯びた素晴らしいものになりました。
木は太陽へ向かって言います。
「太陽よ。最も美しい人へ、私の実を捧げます」
しかし食べに来たのは太陽ではなく、あの灰色い鳥でした。
木は灰色い鳥を追い払おうとします。
「この赤い実はアナタにあげるものではないの。やめて、どっかへ行って」
しかし木の抵抗も虚しく、灰色い鳥は赤い木の実を食べ尽くしてしまいました。
「なんでアナタは毎回毎回私の邪魔をするの?」
木は泣きながら灰色い鳥に訊きました。
灰色い鳥は、木を傷つけてきたそのくちばしを開いて言います。
「なんでキミは太陽を選ぶんだい? キミがどんなに頑張って背を伸ばしても太陽には届かないし、キミがどんなに頑張って花を着飾っても太陽より美しくはなれないし、キミがどんなに頑張って実を美味しくしても太陽はそれを食べてはくれないんだよ?」
それでも、木が恋しているのは太陽なのです。
「そんなのアナタには関係ないじゃない。私が誰を想おうと私の勝手でしょ? 私の邪魔をしないで!」
木は叫びました。
「もう、アナタの顔なんて見たくない。どこか遠くへ行って」
灰色い鳥はそっと目を伏せると、どこかへ飛んで行ってしまいました。
そして二度と木のところへはやって来ませんでした。
木はその後も太陽を想うことを止めませんでした。太陽に振り向いてもらおうと必死に頑張りました。しかし、太陽が木を見ることは決してありませんでした。
やがて木は年老いて樹になりました。そしていつまでも樹は孤独だったのです……。
※
木に拒絶された灰色い鳥は空高く舞い、太陽に話しかけます。
「ねぇ太陽。リンゴの木はあんなにもキミのことを想っているのに、どうしてキミは無視し続けるんだい? 別にキミが木のことを好きになる必要はないんだよ。ただ、木に微笑みかけてあげたり、木の白い花を綺麗だねって言ってあげたり、木の赤い実を食べてあげるだけで良いんだよ」
太陽は灰色い鳥をチラリと見ただけで再び視線を前に戻し、ぶっきらぼうに答えました。
「しつこい。興味ない」
それだけでした。太陽は月の事以外には興味が無いのです。
灰色い鳥は、木に言われた通りに遠い場所へ飛んでいきます。
「ボクなら、キミの白い可愛らしい花を褒めてあげるし、キミの誘惑的な赤い実を美味しく食べてあげられるし、いつもキミの傍にいてあげられるのに……。
どうしていつもキミは太陽を選ぶんだい?」
そしてその遠い場所に、木の実の中に入っていた木の種を置くのです。
いつかは、木が目覚めた時たくさんの仲間たちと一緒にいられるように。
独りぼっちではないように。
木が孤独ではないように。