アンハッピースパイラル
就活で何社からもお祈り食らいながら書き続けた小説です。そのためだいぶ暗いです。
それと、少し暴力シーンもあるので、そこは注意を。
一瞬で視界が真っ暗になる。
心臓の鼓動は大きく、速い。
どくどくどくどく。
「消えろ。消えればいいんだよ」
「何もできないゴミが」
髪を掴まれて体が教室の壁に打ち付けられる。
背中が痛い。髪が乱れた。同時に心も傷つく。
こんな日常、三か月も続いていたら慣れるのだけれど、周りの人はどんどん私から離れていく。
「大丈夫か?」
背後から聞こえる小さな声。振り向くと男の子が一人。
「つらい。死にたい」
「俺がいるから」
たった一人だけ私に寄り添ってくれる人。その存在はありがたかった。けれど。
「私といたら嫌われるよ! もうやめて!」
彼には傷ついてほしくなかった。その一心で出た言葉。突然の大声に彼がひるむ。
私が傷つけたと気づいたのはそれを言った直後だった。
「ご、ごめん」
後ろめたさ、罪悪感、自己嫌悪、申し訳なさ。いろいろな負の感情が渦巻いて、いてもたってもいられなくなり、私は走ってその場から逃げた。
せっかく寄り添ってくれた人を、自分から突き放した。
自分の愚かさと残酷さに嫌気がさす。
ああ。明日からまた、独りぼっちだ。
本当に、死のうかな。
学校から解放されて外に出たら、土砂降りの雨が降っていた。
「……ただいま」
濡れた髪や服から落ちる水滴を土間に落とす。
「お前はまたそんな顔して帰ってきて!」
間髪入れずに、お酒を片手に目くじらを立てて怒鳴りながらこちらへやってくる父。
この光景にも、慣れた。
父は私がこういう目に遭っていることを知りながらもこういう扱いをしてくる。
母親を早くに亡くし、物心ついた時には、家族と呼べる存在は父しかいなかった。
だから、最初は父に懐こうとした。けれど、酒におぼれ暴言を吐いてくる日々にその気持ちはどんどん遠ざかっていった。
「うるさい!」
こちらも叫ぶようにそう言って、二階の自室へと向かう。
心が安らぐ場所はここだけだ。そのほかの場所は私の心を攻撃してくる。
夜ご飯も食べずに私はベッドに飛び込む。
うつぶせになって視覚を消すと、無限の闇が広がる。
でも、闇のほうがまし。私が生きている世界にはもう、きれいな色はない。全てが灰色になって、私を敬遠している。
色がなくなった世界。それは虚しく、悲しい。
闇の世界を楽しんでいるうちに、いつしか寝てしまった。
「わー花火だ!」
「きれいだね!」
「一緒に見れてよかった!」
暑い夜。電信柱に抱き着く蝉が、生への執着を訴える音をしり目に空を見上げる。
夜空に咲く色とりどりの花。隣で目を輝かせる女の子二人。
この時ばかりは星も月も花の綺麗さに紛れて見えない。
でも、それでもよかった。
「すごーい滝みたい!」
「どうやってるんだろう?」
夜空の端から端までを、まるで絨毯のように火が駆けていった。
それは綺麗で、でも一瞬で終わる。まるで小さいころから培ってきた人間関係のように。
脆く、儚い。
手に届かないものほど輝いて見える。こうして夜空に咲く花火だったり雨上がりに架かる虹だったり。
そして遠い思い出の中の自分だったり。
目が覚めたら午前三時。楽しい夢を見てた。
小さいころの記憶。それをそのまま再現した夢。
一緒に花火を見ていた子は、今私にひどいことをしている子たち。
その事実が嘘だと言わんばかりに過去の記憶を掘り返してくる。
一瞬それで、そうだ私は今でも彼女たちと仲良くやっているんだと錯覚しそうになる。
そんなこと、ないのに。
また四時間もすれば地獄のような学校が始まるんだ。傷つくだけの時間。
それまでの、ほんの少しの快楽を求めて私は再び寝息を立てた。
夢の中だけは平和。
悪夢だって夢だって現実よりはマシだ。唯一、逃げられるところだから。
夢の世界の住人になりたい。できれば、楽しい夢。
例えば、みんなに囲まれて誕生日を祝われているような。
遮光カーテン越しに太陽の光を感じる。
けたたましく鳴り続ける目覚まし時計に手を伸ばして止めた。
父は既に仕事に出かけたようだ。いつも決まった時間に出て決まった時間に帰ってくるから、わかる。
冷蔵庫から卵を出して、焼く。ご飯も用意して目玉焼きに醤油をかけていただく。
今日も一日、乗り越えられるように。
最初のころは重かった足取りも、今はそうでもない。やられることは、わかっているから。
「なんでまた登校してくるの?」
「懲りないね、お前も」
学校に着いた瞬間彼女たちから暴言を吐かれる。それに加えてカバンで頭を殴ってきた。
やり返せない私は非力で、弱い。
そんな自分が嫌だ。
机には直接的な悪口や汚物の絵が一面にかかれている。油性ペンだから消すのも難しい。
「ホームルーム始めるぞ」
席に着いた途端にチャイムが鳴って担任が入ってくる。
私は慌てて机の落書きを隠す。
大事にはしたくないから教師には気づかれないようにしている。
「じゃあ、今日も頑張っていこうな」
簡単な連絡事項を伝えて、担任は出て行った。
あの人はどこまでの気持ちで「頑張っていこう」と言ったのだろう。
頑張るだけじゃどうにもならないこともあるのに。
「きりーつ、れーい、ちゃくせきー」
「じゃあ始めるぞー。今日は教科書の四十二ページから」
一時間目、国語の教師が授業を始める。
私は後ろのほうの席だし、机間循環のタイミングさえ失敗しなければ、机上の落書きは国語教師にもばれない。
念を入れてノートと筆箱、それとペンで隠せるだけ机の上を隠す。
ボロボロの鞄から国語の教科書を取り出し、四十二ページを開く。
やはり、他のページと同様に落書きされている。
もう教科書の機能をはたしていないけれど、もういい。
時間がゆっくり過ぎていく。
「あ、ごめんねー」
先生が席を外した隙に、給食が乗ったお盆をひっくり返して滅茶苦茶にした彼女は、絶対謝罪の気持ちが入っていない声で通り過ぎる。
どうしよう。昼ごはんがなくなってしまった。
フローリングの床に無惨に飛び散るご飯やスープ、サラダ。割れた牛乳瓶から溢れる白、白、白。
「なんだ何があったんだ」
「ごめんなさい、お盆の角を思いっきり腕で押してしまってこうなりました」
戻ってきた担任教師に言い訳をする。
中学生が考える嘘だからものすごく無理があったような気もするけれど、先生は深く追及してこなかった。
今日のお昼は、抜き。
家でもろくにご飯を食べないから、体がどんどん痩せ細っていくのが自分でもわかった。
いつかは、健康的な生活に戻りたいなぁ。
そのいつかがくるかはわからないけれど。
「お前風呂入ってないだろ」
「きったねー」
「じゃあこうしてもいいよね」
地獄の放課後。中庭に呼び出された私は昨日の雨でぬかるんだ土に投げ込まれた。
「きゃはは。制服まで汚れちゃったねー」
「やめてほしけりゃ土下座しな」
下校時間真っただ中の中庭で彼女たちにもうやめてくださいと土下座する。
周りからの目線に耐える。所々から漏れる嘲笑。
中学生なんてできることは限られているのに、なんでここまでされないとけないのだろう。
ああ、孤独だ。
不登校になりたかったけれど、家に父と二人でいるほうがもっと苦痛だ。
だったらまだ、学校にいるほうがいい。
楽な地獄へ逃げる。
今日も解放されて、公園に向かう。
私の現実世界での唯一の憩いの場所。
学校から少し離れているし、知り合いにも会わない。
沈みかけた夕日が公園の水たまりを照らし、眩しさを感じさせた。
「もう、見てらんないよ、俺」
「⁉」
急に声をかけられて、振り向くと彼がいた。
昨日あんなにひどい言葉を吐いたのに、どうして。
彼と初めて会ったのもここだった。ベンチに座っていた私に声をかけてくれて、隣に座ってくれた。
今日も同じ状況。
「なんでそんなに私にかかわるの? みんなみたいに無視すればいいじゃない」
ああ、まただ。また心無い言葉を吐いてしまう。
うれしいって気持ちはいっぱいあるのに。
「放っておけないんだよ。エゴかもしれないけどさ。迷惑かもしれないけど、俺は君の支えになりたい」
本当にエゴ。けれど、彼が一人いてくれるだけで気が楽になるのは事実だ。だから迷惑なんかではない。
「じゃあさ、またこの公園に来てくれる?」
「……もちろん。いくらでも来るよ」
「ありがと。話してくれるだけで十分だから」
そこで私は彼に初めて笑った。彼も笑ってくれた。
本当に幸せなひと時をここで過ごそう。本当の希望が見えてきた。
彼との時間が私にとって楽しみだった。私が陥ってる状況に深く聞いてくれることはなかったし、共感したり相槌を打ってくれたりするだけでもよかった。
安心感が、そこにはあった。
「本当に奴ら、懲りないよね」
「でも、君がいてくれるから、大丈夫」
「……これからも、よかったら守らせてくれないかな?」
「え?」
いきなりの展開にびっくりした。
「つまり、それは?」
「付き合おうってことかな」
予想は何となくしてたけれど、展開が早い。
少し、考えてみる。確かに彼がいてくれることで心が落ち着く。私も少なからず彼に恋心に似たものを抱いていなかったといわれれば、そんなこともない、気がする。
恋って何かはわからないけれど、彼といたいってことは私の中にある。それは本当。
信頼、してもいいのかな。
「わかった、いいよ」
「本当に? ありがとう! 信じてくれて。絶対、悲しませないから!」
その言葉に安心する。
彼がいる限り、私は生きれる気がする。
人生の道標を初めて得た気がした。
彼と過ごす時間は本当に楽しかった。
どんな酷い仕打ちを受けても、彼との間があると思えば耐えられた。
「なんでお前は! こんなにされて! 学校に来れるんだよ!」
耐え続けていると、太ったほうの女にそんなことを言われた。
顔は紅潮し、鼻息が荒い。
ぶもーって聞こえてきそうで、豚みたい。
「なんで誰にも助けを求めないんだよ! なんで平気な顔できるんだよ! ムカつくんだよ! 腹が立って仕方ないんだよ!」
私は答えない。彼がいるから、なんて言ったら彼まで被害を受けてしまう。直接的にも間接的にも。
「だんまりかよ」
もう一人、痩せたほうが私の髪を掴んで壁に叩きつけ、蹴る。
シマウマみたいな細い足で。
「あなたたちのような人間に負けたくないから」
「は?」
「こっちからも質問。なんで昔のように仲良くしてくれないの?」
「その傷つかない顔が、言葉が気持ち悪いからだよ!」
「昔は表情豊かでかわいかったのに、お前は中学に入ってからほぼ無表情になった。それが嫌なんだよ!」
太ったほうが肉団子のような拳で私の頬を殴り、痩せたほうがシマウマみたいな足で、でも力強く私の脚をける。
どこもかしこも青紫の痣ができたけど、気にしなかった。
理由を解明されても、私はどうすることもできない。
過酷な人生の中で、もう上手に笑えなくなったから。
心からの笑い方っていうのがわからないから。
愛想笑いしか、できない。
でも、彼といれば。
いつかはまた笑えるかもしれない。
そうすれば、彼女たちも私に手を出すことをやめてくれるだろうか。
今日も解放されるまで耐え続けた。
彼と会う時間を待ち望んで。
「今日も来てくれたんだね」
「もちろんだよ。痣だらけじゃないか。かわいそうに」
彼はどこからか持ってきた湿布を出して、スカートから露出した私の脚に貼ってくる。
「つめたっ」
「我慢我慢。ほら、痛みひいてくでしょ?」
「うん。スーッて」
湿布の冷たい感覚は、痛みそのものを吸ってくれているようで不思議だ。
「ありがとう」
「僕には勇気がなくて彼女たちと直接戦うことができないから、これぐらいは」
それでも、うれしかった。私のことを気にかけてくれているのが。
「これでもう大丈夫」
患部すべてに湿布を貼り終えた彼の顔は、夕日と相まってすごく輝いて見えた。
日が暮れて暗くなるまで、ずっと彼と話していた。
この時間が永遠に続けばいいのに。
でも、それは許されない。
「何時だと思ってるんだよお前はぁ!」
午後八時を過ぎたころに帰宅すると、開口一番父に怒鳴られる。それに加えて今日はビール瓶で頭をたたかれた。
「うるさい! 私に構わないでよ!」
頭の痛みに耐え、父の腕を振りほどき自室に向かう。
あの人は私を心配しているんじゃない。ただストレスの発散に私を利用しているだけだ。
なんで母が死んで父が生きたんだろう。
そんな運命を決めた神様が憎くなった。
憎くて憎くて仕方がなかった。
神社なんて全部潰れてしまえばいいのに。
あんなもの祀る意味なんかないのだから。
私に付きまとう疫病神もどこかに行けばいいのにな。
それは私が変わらない限り、出ていかないのかもしれない。
ああ、生きていくのはつらい。
「飽きたわ。もうやめる。暴力振るうのも、友達も」
「一人で何も感じず生きてろ」
あの怒りの言葉から一日たって、私は地獄の一部から解放された。
彼女たちはそれを言いながら、私を一瞥して去っていく。
ああ、長いと思っていた闇の時間は案外あっという間に終わってしまった。
結局飽き、だよね。
飽きは来るよね、何事にも。
けれどいじめの終焉は彼の人生の、そして私の唯一の癒しの時間の終焉でもあった。
彼が死んだ、と聞いたのは町の人から。なんでも歩いていたら車に轢かれたらしい。
私はとてつもない悲しみに暮れた。支え続けてくれた彼に何もできなかった。
あの輝かしい笑顔はもう見れないんだ。
「すいません。彼はどこで轢かれたんですか?」
「四丁目の鈴木さんのお宅の前だよ。なにあんた、見に行くのかい?」
「はい、そのつもりです。ありがとうございます」
「どういたしまして。物好きだねぇ」
教えてもらった場所に向かう。
着いた瞬間、私は絶句した。
目の前の光景を信じたくなかった。
でも、きっとこれは現実。
車道の上には轢いたであろう白いボックスカーと、仰向けになっている一匹の猫がいた。
大量の湿布のところどころを赤に染めながら。
彼の体は冷たくなっていた。
もう、動かない。
私は彼を、埋めた。
「絶対悲しませないから」
その言葉は嘘だった。
私は今君のせいで一番悲しんでるんだよ。
君が私によくしてくれたから。
一瞬だけど幸せを教えてくれたから。
少しだけだけど、笑顔を取り戻させてくれたから。
それを与えてくれた君が、いなくなった。
今までの中で一番、つらくて悲しくて、絶望を感じている。
「……ただいま」
「おうおかえり。どうしたんだ、そんな顔して」
帰っても父は怒鳴ってこなかった。寧ろ心配そうな顔で話しかけてくる。
「なんでもない」
「何かあったなら相談乗るぞ?」
「なんでそんなに変わったの?」
「いろいろひどいことを言ったなって。ごめんな、悪かったな。お母さん亡くしたショックで悲しさをお前にぶつけてた」
何なのこの人。でも反省というか本当に改心したらしい。
「これからは、幸せに暮らしていこう」
幸せ。
私の幸せは、彼といた時間だけ。
例え父が優しくなっても幸せはつかめそうになかった。
学校でもいじめがなくなって、少しずつだけど話してくれる子も増えた。
何もかもが昔みたいに戻ってきている。
地獄のようだった時間が、日々が、終わりを告げてきている。
けれど、彼がいなくなってできた心の穴はふさがらない。
平和な日常が戻ってきたぐらいで埋められるほど小さな穴ではない。
ああ、どうすればこの穴は埋められるのだろう。
答えは、一つしかなかった。
学校から近くの踏切に向かう。
遮断機が下りるときに鳴る音は、とてもむなしく感じる。
それはまるで、この世の終わりを告げるようで。
そう、私はここで死ぬんだ。
彼のところにいく。
彼とともに生きる。
支えてくれた彼に恩返しをするために。
彼が一匹の猫だったとしても。
私を救ってくれたことに変わりはないのだから。
急行列車が近づいてくる。
車体とわずか三ミリというところで、踏切をくぐって線路に飛び込む。
電車も突然の事態に対応しきれなくて、容赦なく私を全身を車輪が踏みつける。
ああ、やっと生きることから解放された。
ただ、最期に一つ思うこと。
それは。
「幸せ」
それからの記憶はない。
幸せってなんだろうなあ、と書き終えてから思いました。
過酷な日常でも支えてくれる人、傍にいてくれる人がいてくれれば幸せかもしれない。
平穏な日常でも、愛する人と離れ離れになり、二度と会えないとわかれば、それはその人にとってつらいのではないか。
勿論それは人それぞれ違います。
しかし、少なくとも主人公の「私」はそうなんじゃないかな、と思いました。
だから最後はあんな形にしてしまったというのもあります。