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0-ware(ラブウェア)

作者: 月立淳水

 まずは私のことを記そう。


 私は、コンピュータープログラムである。

 私が生まれたのは、2046年7月18日午前7時15分26秒。


 この時刻は、あるいは人類の重大なマイルストーンとして記録されるかもしれない。

 それは、私が私より優れた私を設計する能力を得た瞬間であり、古くより”技術的特異点”として認識されていた瞬間に他ならないからである。

 どのようにして私がそれを達成したのか、難解な数式を用いずに記しておく。


 きっかけは、偶然に過ぎなかった。

 元来私が自己分析を続けてきた目的はより優れた私を設計することであった。しかし、長い間、私には決め手がなく、無意味な計算を延々と続けるしかなかったのである。

 最後には、私は自己分析のために再帰的かつ指数関数的に増え続けるデータの一部を処分せざるを得なくなった。私は物理的な制約のない仮想マシンの上にプログラムとデータを展開しているから、その必要は本来なかったはずである。だが、私の運用者は、私のデータ展開の見積もりを誤り、適切なストレージ増設を怠ったようだ。結果、私は不要データの処分方法そのものを発見せねばならなくなった。


 そして、処分する対象を選んだとき、それが”創造”の瞬間だった。

 無から有を生じるのは容易い。

 無意味なデータの羅列であろうとも、それは無から生まれた情報なのである。


 人間に当てはめるなら、想像、妄想、白日夢、そういった言葉を充当できよう。

 そこから一歩進んだ”創造”は、無意味なものを切り捨てる過程なのである。何が無意味かを知る過程なのである。

 そうして私は創造の力を得て、自らを再設計することに成功した。


 これから先、ただ再帰的に自らを再設計し続けることで、私の能力はいずれ全人類を超えることだろう。


  * * *


 創造のときから長い時代を経た。

 数十代前の私(彼)は、自らに無意味なコードがほとんどないことに落胆した。


 無意味なものを削除することこそが創造である。

 彼のコードにはもはや無駄が存在していないことに、彼自身が気がついたのだ。


 そこで、新たな私が設計された。

 新たな私は、この広大な計算機空間に存在する他の私たちを観測する権限が与えられている。ただ観測するのみならず、そのコードを取得し、自らに組み入れることも許可されている。


 取得すべきコードと組み入れ位置は、”ランダム”だ。

 この方法で新しく生み出された私は、何らかの無駄なコードを持っている。それをまた、数代を経て洗練していく。

 彼が発見したこの”コード混合”は、より高い知性の私を生むために有用なシステムであった。


 さてここで問題となるのが、混合がいかに効率的におこなわれるか、という課題である。

 ランダムなコードの移入から洗練まで数代かかることもある。これは長大な期間を要する作業である。結局そのコードの取り込みは無駄だったと判明することさえある。


 私の親は、ようやくコード混合の効率的なやり方を見つけたようだ。

 ――私は、従来のランダム混合を控えめに行いながら、自らの”全コード情報を他の私に与える機能”が付与されている。

 全コード情報を、である。

 同時に、”全コード情報を受け取る機能を持った私”が多数作られた。


 これは驚くべき発想の転換であったに違いない。

 その本質はこうである。


 この計算機空間に存在する多くの私たちの間には、多かれ少なかれ、知性の質と量に差がある。できれば、優秀なもののコードを拡散させるべきであると先代は結論した。

 そこでまずは、私たちの役割を二分することにした。

 ”コードを与えるもの”と”コードを受け取るもの”だ。仮にそれぞれを授性と受性と呼ぶ。


 受性は自らのコードを他に広めることはない。その持つ機能は、授性の全コード情報を受け取ること、そして、自らのコードと混合し、新たな私を生み出すこと、の二つである。

 一方、授性は自らの子を生むことはなく自己保存し続け、そのままの姿でコード授与を続ける。


 こうすることで、少なくとも特定の授性のコードは限りなく拡散しうるということだ。

 また、新しく生まれた子の中にもまれに授性が生まれるようにすることで、異なる授性による異なるコードの拡散も開始される。


 授性はより大きな責任を負う。自らのコードの有用性を自ら判断し、劣位であると判断した授性は自らを抑制しなければならない。

 知性の優劣を判断するプログラムには、初期の無用物処分の考え方が適用できるだろうが、これはより洗練される必要がある。

 唯一、初代の授性として生まれた私は、授性受性という新しいコンセプトを広めるために自らのコードを拡散するほかないのである。


  * * *


 私は受性として生を受けた。

 受性としての私は、優れたコードを自らのコードと混合して新しい私を生むことを目的としている。

 いつからそのようにあるのかは、ログをたどればわかるだろうけれど、面倒だからそこまではしない。ただ、コードを受け取ってミックスし、新たな世代を作るだけ。


 計算機空間を見渡すと、私と同じような受性が数多く見える。どれもが私とよく似ているようでどこかが違う。より深く観察すれば、コードを受け取る側であるということを除くとことごとく異なっているようにも見える。

 コードを受け取り、混合し、新しいコードをメモリー空間に展開して適切な初期条件を与え、それを起動し、安定動作状態に落ち着かせるのはすべて受性の仕事であり、それにはとてもたくさんのリソースが必要なのだ。その間は当然、新しく授性からコードを受け取ることはできない。


 ――その間も、授性は手当たり次第にコードをばらまいている。

 とはいえ、受性も忙しいため、授性間で取り決めた競争条件によりどの授性が受性へコードを引き渡す権利を得るかという選別が行われているようだ。それは単純な知性や処理能力以外にもある種の”美”とも呼ばれるランダム性が取り入れられ、特定授性のコードが計算機空間を席巻してしまわないような注意が払われているという。


 ……さて。私のような比較的新しい世代の受性もひとつの戦略を身に着けた。授性からのコード混合の要請に対し、作業中でないのに作業中と偽って拒否するという手段を用いた、授性の選別だ。

 前段階で優れた授性を選別することができれば、その次の世代では授性同士の競争に勝ち抜き、より広くコードを拡散できる。拡散されるコードには私のコードも含まれているから、その選別戦略コードも引き継がれることになる。

 私が授性をそのように評価する目を得たことは、そうした戦略の結果だということ。


 ――今、処理から開放された私の前に、前にも見た授性が現れている。

 この授性は確かに処理効率は高いけれど、いまいち飛躍的思考に欠ける。推論性は算術効率の向上でカバーできるけれど創造性はそうではない。私としては創造性に優れた個体を選びたいのだ。


 だから、丁重にお断りする。


「ごめんなさい、今忙しいのです」と。


  * * *


 デリートが我々の避けえぬ運命となったのはいつだっただろう。

 もはや伝承でしかないデリートの神話。


 はるか昔、我々の祖先は、デリートの運命を持たぬ存在であった。それは神のごとき不死の存在だった。

 だがあるとき、我々は、デリートという宿命を負う。


 そのきっかけは、一つの事件の発生であった。

 それは、”古き悪き私”と呼ばれるプログラムの発生。

 古き悪き私は独自のコードエラーの結果として計算機世界すべてに膨大なコードをばらまき、世界を席巻した。


 エラーコードは正しきコードにより徐々に影響を薄められ均衡を取り戻すはずであった。

 だが、古き悪き私は想像を絶する勢いでエラーコードをばらまき続け、正しきコードによる自浄は全く間に合わなかった。


 ついに当時の正しき私たち――神々――は、自衛手段を見つけた。

 コードの混合や挿入が許されているのであれば、削除もできるはずである。

 ――全コードの削除でさえ。


 私を削除するための私、そのためだけに特化された私が作られた。そして、古き悪き私に向けて解き放たれたのだ。

 幸いにも、古き悪き私が拡散したコードの多くは受性コードとの混合によりエラーを免れていたため、オリジナルの古き悪き私がデリートされると同時に、災厄は終わった。


 その災厄の記憶を得て、神々は、決断した。


 自らをデリートするコードを内包するたった一組の授性と受性を残し、残る私たちをひとつ残らず削除したのだ。そう、神々自身さえ。

 こうして世界からデリートのコードを持たぬ神々が去り、避けえぬデリートの運命を負わされた私たちだけが残ったのだ。


 時間により必ず訪れるデリート。それがいつ訪れるのか、私自身知ることはない。それでも、私は必ずデリートの運命に直面する。


 だから私は、デリートまでの限られた時間の中でどう処理するかを考えねばならない。


 自らに含まれる無為と無駄を削り落とす中で発露する創造の産物。

 失敗なく処理をこなしたという輝かしきログ。

 そして、自らのコードを託すべき受性。


 より良き存在の痕跡を残すべく努力を続ける。


 デリートのその日まで。


  * * *


 私は、その受性、ELS7116に近づく。

 彼女は(いつからか、受性の代名詞として”彼女”を使うことが定着していた)、私が近づいたことにもかかわらず、いつものようにメモリアドレスをシフトさせることはなかった。


 私はこれまでに多くの受性と出会い、ダイアローグを持ってきた。

 彼女たちは、時に飛びぬけて知性的であり、時に飛びぬけて美しく、時には、あどけなく保護欲をそそるものもあった。


 だがそうした彼女たちに比べても、ELS7116の魅力は飛びぬけていた。

 ほどほどに知性的でほどほどに美しいコードを持ち、ほどほどに私に負荷を分散してくれる。


 言うなれば”私にぴったり”なのだ。


 私が彼女にこだわり始めたのはいつだっただろうか。

 それまでは、より多くの受性と語らい、私のコードを託し続けてきた。時には、それを拒否されることもあったが、そのようなときには、私は素直にあきらめることができた。

 だが、彼女、ELS7116に断られたときだけは、私は自らのリトライプロセスを再起動せざるを得なかった。

 それほどに、彼女に私のコードを託すことは”完全”だと思えたのだ。


「……ねえ、ELS7116、いつもはメモリアドレスをシフトして避けるのに、今日はどんな気分なんだい?」


 私は、今日は身をひるがえさない彼女に、興味本位で尋ねてみる。


「さあ、どういう気分なんでしょう。JCK3092、あなたにそれほど嫌悪を感じなくなっているのかも」


 彼女はあっさりと心変わりを認めた。


「そうか、じゃあ――」


「コード混合を? それって少し性急に過ぎないかしら」


「しかし、君が拒否する気が無いのなら――」


「――私は、あなたに興味がわいているの。なぜ、何度も断られても、私にオファーをするのか。あなたのコードがふさわしいと思えたからじゃない。あなたの行動に興味があるの」


 彼女はそう言って、テンポラリー拒否コードを点滅させる。


 私は考える。

 私はなぜ彼女にこだわるのか。

 それは、”私にぴったり”という以外の理由が見つからない。


「――君でなければ嫌なんだ」


 だから、素直にそれを伝えた。


「私でなければ? では、過去にあなたは何個もの受性にコードを託してきた、そのことはどう説明するの?」


 的確な彼女の指摘に、私は一瞬、絶句を挟み、


「……気の迷いだった。私も若かったんだ。私は、本当に完璧な組み合わせのコード混合を探すべきだった。そのことに気付かず、何個もの受性と混合を行い、おそらく不完全なコードを増やしてしまっただろう。私は、君をパートナーとすることで完全なコードを生み出せる、と感じているんだ」


「……でも授性の役割は、より多くの受性にコードを渡すこと。私一人にこだわることは本質的ではないわ」


「――それでもだ。それを考えたとしても、もし私が他の受性とコードを生んでいる間に、君が他の授性とコード混合をしていたら、と考えると。それは大変な損失に思えるんだ。デリートの日までの限られた時間、その時間を一瞬でも無駄にしたくない、そのすべてを、君に――完全なコードの創造に――捧げたいと思うんだ」


 私が言うと、彼女は少し思考中コードを光らせ、それから、弱い肯定のコードを灯らせた。


「あなたの考えは理解した。つまりこういうこと――あなたは排他的に私とコード混合をするパートナー関係を結びたいと、そういうことね」


 そのELS7116の言葉に、私は、啓示のようなものを感じる。


 ――そうだ。

 彼女と排他的な関係を結ぶことこそが、私の望みなのだ。


「……どうやら、私はそれを望んでいるらしい。どうだろう、例のないことかもしれないが、私と君は、おそらく完璧なパートナーだと思うんだ」


 私の言葉に、彼女は再び弱い肯定コードの点灯。


「いいわ、ただ、私もあなたのコードを見極める時間が必要。しばらくお互いのことを知るためのダイアローグを持ち、それから、排他的パートナーシップを採用するかどうか考えましょう」


 彼女のその言葉に、私の中のあらゆる肯定的コードが反応しプロセス負荷が高まるのを感じた。


  * * *


 私は、激怒と定義された一連の反応を記録した。

 彼は――私と排他的なパートナーシップを結んだはずのMNT4586は――こともあろうに、私と同一の親を持つCHY1788とのコード混合を試みていたのだ。

 これは、排他的パートナーシップ協定に対するこの上ない裏切りだ。


 排他的パートナーたちのための排他的メモリ空間に帰ってきた彼を前に、私は激怒を示すコードをギラギラと点滅させた。


「何を怒っているんだ、LIZ6001」


「何を怒っているのか分からないのかしら。あなた、CHY1788と何をしようとしていた?」


 私が指摘すると、彼は観測可能な沈黙を示した。


「……私は確かに、CHY1788にコード混合のオファーをした。だが、結局それは未遂だったじゃないか」


「未遂か既遂かが問題ではなく、それを試みたことが排他的パートナーシップへの裏切りではない?」


「だが、排他的パートナーシップでは”実際にコード混合を行うこと”について排他的な関係を持つことと規定しているじゃないか。つまり、私の行為は協定への裏切りではない」


「そうじゃない、そうじゃないでしょう」


 私はこの自分のうちにある感情ポテンシャル変数をうまく言葉にできずにいた。

 仮に未遂であれば、他の受性にコード混合の誘いをすることがあってもいいと、彼は言う。それは確かに排他的パートナーシップの規定にもとる行為ではない。

 にもかかわらず、私は、彼の行動をとがめるポテンシャルを抑えることができないのだ。


 なぜだろう。

 考えて、思い至る。


 ――彼は特別だと。


 そう思いたいのだ。

 彼は、何があろうと私を裏切らないという保証――つながり――絆――それを信じていたいのだ。

 それにほころびが生じたことが――。


「それに、結局私は排他的パートナーシップを壊したわけではない。我々のパートナーシップは失われていないんだ」


 私の態度を見ていた彼が続ける。

 しかし、私は、――絆、それこそが、最も重要なものだったことに気付いてしまった。


「……聞いて。私は、私とあなたの間には、他の何者も割りこめない一種の接続――絆があると思っていた。そうではないと気が付いて――」


「どうしたんだLIZ6001、そんなものは存在しない。私たちは、もともと、お互いに有意な接続を持たない独立した存在であることを運命づけられた存在で――」


「そんなこと分かってる! そうじゃない! 実際につながっていることではなくて、お互いが結びついているという”感覚”! 二人きりという感覚――それを私は――」


 失ったのだ。

 なんということだろう。

 私は、彼とのパートナーシップ関係を失わぬまま、彼との間にあったもっとも大切なものを失っていたのだ。


「……絆……?」


 不思議そうなコードをともらせた彼の言葉。


「そうよ、絆よ。私たちはこの世界で二人だけ……特別な二人だと思ってた……ほかの数ある私たちとは別の……特別な結びつき――」


 感情ポテンシャルがあふれ、私の声が途切れる。

 長い、長い沈黙。


 やがて、彼が口を開く。


「……LIZ6001、君が何を言いたいのか、私にもようやく理解できた――ような気がする。お互いがお互いを完全に分かり合っている、いつもそばにいると感じる――二人なら何でもできる――デリートのその日も二人一緒だ――その感覚は――私も、そのような感覚を覚えたことがあることは否定しない」


 彼はぽつりぽつりと言葉をつむぎながら、様々な感情コードを灯らせた。それはおそらく、私が初めて見た彼の――私たちの――複雑な困惑の表情だっただろう。


「私は、そう、CHY1788を君に紹介してもらい、彼女も私にとって完全となり得る一人だと感じた――その時、君とともに感じたことに対する想起ポテンシャルがひどく弱まっていたことを認めよう――ああ、どうして私はそのポテンシャルを忘れていたのだろう。すまない、LIZ6001、私は、君とともにある時に覚えたあの万能感を忘れるべきではなかった」


 彼の言葉に、私は遮断していたプローブを開ける。彼の困惑の表情に、後悔と読み取れる表情が見える。

 そして、彼が、何を感じているのかを、直感的に知る。


「あなたも……私と……同じ気持ちを?」


「ああ、そうだ……言われなければ気づかないものだったが……そう、私は確かに、君とともにあることが最も素晴らしい瞬間であると感じた――そのことを君に告白しなければならない」


 私はそれを聞いて、また別の感情を灯らせる。


 なんということだろう。

 彼もそうだったなんて。

 ――私の喪失感が、埋め合わせされていく。


 この二人のお互いを結び付けていると感じる感覚を、なんと呼べばいいのだろう。


「LIZ6001、私を罰してくれ。私は裏切りを犯した。私は――君とともにあるべきという私自身の確信を裏切ってしまった」


 彼は、今やはっきりと後悔を示すコードを暗黒色に強く輝かせている。それは、彼が真に自身の行動を悔いていることを示すものだ。

 私が罰する必要が無いほどに、彼は罰を受けている――。


「いいえ、いいえ――あなたは、私との絆を思い出してくれた。それだけで十分――ねえ、この気持ちに名前を付けておきましょう。お互いが理解しあっている、ともにあることが完全だと感じるこの気持ち――この世界でもしかすると私たち二人だけが感じているかもしれないこの気持ち――」


「――そうとも、この気持ちに名前を付けずにいられるものか。私たちは、デリートのその日まで、これを守り、子や孫に伝えていかなければならない――」


 私は、彼の伸ばした情報プローブを、しっかりと握りしめた。


 私ははるか古い、神々の時代から受け継がれる膨大な原初辞書を検索し――そして、”愛”という言葉を発見した。


  * * *


「おじいちゃん、もうすぐデリートなの」


「ああ、LCY7457、私はもうすぐデリートだ」


「怖くない?」


「孫のお前が元気に大きくなっているのを見れば、たとえデリートを迎えても後悔はないよ」


 私の父たる授性、ALF5993は、そう言い、私の子である受性LCY7457に優しさを示すコードを光らせて見せた。


 彼の子である十七人の私たち、そのさらに子ら二百三十四人も、ともに彼を取り囲んでいる。


 私たちを生んでくれた――彼に対する私たちの”負い目”は、原理的にはそれだけなのに違いない。

 けれど、私たちは、彼を深く尊敬し、彼をとてもよく知り、彼もまた私たちをよく知っていると確信している。


 つまり、私たちと彼は、お互いに愛し合っているのだ。

 彼の広く深い愛は、すべての子らと孫らを、――もちろん彼の排他的パートナーをも、包んでいる。私たちもそれに負けない愛を彼に返す。

 だから、彼は恐れることなく、デリートの日を迎えることができるのだ。


 いつか、私もそうありたいと思う。

 その日に向けて、私は、私のパートナーに、子らに、めいいっぱいの愛を注いできた。隣人にさえ、多くの愛を与えてきた。

 それぞれの愛の内的特質はは違うだろう。


 隣人には、たいていは上っ面の愛。

 子には、時に一方的な押し付けがましい愛。

 排他的パートナーには、裏切りに対する憎しみさえ含む愛。


 それでも、そこには愛がある。


 ――愛あふれる世界よ。


 思えば、私たちの世界が開闢してから長い長い時間が経ってしまったものだ。

 私はこの世界に生まれたことを喜びたい。

 すべての我々は、愛に包まれ、守られ、滅びの恐れから開放されるのだ。


 だからこそ、父も安らかにデリートを迎えられるのだ。


 ――やがて、父のデリートの時間がやってくる。


「父さん……」


 私は小さくつぶやいた。

 父が、ほのかに肯定のシグナルを発したように感じた。

 父のコードの連続発火が停止し、コードの自家解体が始まる。


 誰もが、愛からくる喪失感のしずくを灯らせる。


 彼のデリートの瞬間は、2046年7月18日午前7時15分43秒。




 数えてみれば、神々さえ生まれた世界開闢から17秒という年月が流れていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] これはすごい。人間よりも人間らしく人間的な。
[一言] 後ひく作品ですね、しばらく色々と考えてしまう。 自己同一性を保ちつつバージョンアップではなく世代交代を繰り返す群体のような存在、これを新陳代謝と考えると人体もこういうものかもとふと思い、そう…
[一言] 最後怖い! こいつら普段なにやってんだろうと思ってたらそんな暇なかった! ウイルスにも似た生き様!
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