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束ね鬼怪奇譚  作者: ばち公
『顔剥ぎ』と『のっぺらぼう』
2/66

亡くした記憶

 少女は目を開けたところで、視界がさして明るくならないことに気が付いた。埃っぽい匂いが鼻についた。


 仰向けに寝かせられた彼女の傍らには、一人の少年がいた。

 立襟の学生服を着た彼は、彼女が目覚めたことに気付くとほっと肩を撫でおろし、なにやら懸命に喋り始めたが、少女はただその口元を茫然と眺めるだけであった。

 そのうち少年にされるがまま上半身を起こしたが、それでも彼女は、周りの状況を掴めない乳幼児のようにぼんやりとしている。


「――……よかった、無事だったんだね。大丈夫? ほら、起きて。頭とか痛くない?」


 やがて少女にも、徐々に彼の発する言葉の意味が分かってきた。心配に加えて彼女を気遣うようなことを、慌てているのか、やたらと噛みながら喋り立てている。


 は、と薄く口を開き空気を吸い込むと、思いの外ひんやりとしている。

 少女はしばらく口をもごつかせたあと、ようやく喉を震わせ、声を発した。


「だれ?」

「え?」


 二人がいるのは薄暗い室内だった。窓の外には一番星だけが光る紫がかった空が広がり、部屋の方々には既に夜色の影が沈殿している。

 しかし、視界が潰されるほど暗いわけではない。

 少女が手をつく床板は日光焼けで白んで、無数の細かい傷跡で覆われていた。ぽつぽつと置かれている、机や椅子の足で傷つけられたのだろう。


 ただ、今はそれすらもよく分からないのだ。


「ここ、どこなん…? わたし……? ……、『私』って、なんやっけ?」


 すぐそばで「え!?」と驚く声があがるが、少女はただ定まらない視線をうろうろと周囲に彷徨わすばかりだ。

 天井にある蛍光灯も壁掛けの時計も、ただ存在するだけだ。まるで死んだかのように沈黙している。

 何もかもがしんとして、二人だけがこの空間で生きているかのようだ。


「記憶がないの? なんにも?」


 ことさら優しげな声に、少女が頷く。その拍子に、ほつれて肩にかかった濡羽色の髪がさらりと揺れた。


「そっか。俺はね、×××だよ」

「? あの、もっかい言ってもらってもいい?」

「……聞こえなかった? 俺の名前は×××……」


 その後少年がいくら繰りかえしても、少女にはどうしてもその部分だけが聞き取れなかった。

 己の耳がおかしいのかと不安に思い両手を宛がうが、外傷は無いらしい。名前以外は聞こえるので、やはり耳に問題は無いようだ。

 肝心の頭部も自分で撫でるだけでなく、少年にも触って診てもらったのだが、特に異常はないようだった。


「……とりあえず、俺のことは好きに呼んで。他に異常はない?」

「う、ん。名無しさんやね。んとな、何がいいかなぁ。えっと……」


 と、いっても、少女には元となる記憶が無いため何一つ思い浮かばない。空白のなかから何かを手探りで掴もうとするような、宙ぶらりんの感覚に捕らわれる。

 少女は難しい顔をして考え込む。すると、そんな彼女を眺めていた少年がふと、彼女の足元に落ちている、小さく折り畳まれた紙に気付いた。


「それ、なに?」

「え? ……なんやろ、これ」


 雑に四角く畳まれたそれを少女から受け取ると、少年は丁寧に開いた。薄闇のなかで目を眇める。


「どうやら、劇の広告みたいだね」

「げきのこーこく」

「うん。ほら、見て」


 少女もそれを覗きこむ。

 緞帳の暗紅色や金糸雀かなりあ色で、鮮やかながらもシックに纏められている、まるで一枚の絵のようなチラシだった。

 しかしどれも彼女にはぴんとこず、じっとそれを眺めてから、少年の顔を窺った。


「『名無し男』って題の劇だよ」

「知っとんの?」

「今度行きたいって、君と話してたんだよ。ほら、もうしばらくしたら公演が始まる」

「あ、これ文字か! ……うん、私読めるっぽいよ!」


 やっと現れた自分に出来ることに、少女は顔を輝かせ釘付けになった。漢字はいくつか読めなくなっていたが、それでも重要な情報くらいは理解することができた。


 主役の男は名無し男。nameless──ネームレスで、周りからはネムレスと呼ばれている。

 彼は今までふらふらと、自由気ままに生きてきた。しかしある日不幸な少女と出会ったことで、彼の人生は一変する――


「そんで、愛と勇気、感動の光の物語やって。なんかファンタジーやねぇ」


 そう言いながら、相槌を打つ少年をそっと見上げた。

 彼はなにがおかしいのか、静かに微笑を浮かべている。


「……ネムレスって名前、どうかなぁ? 長い?」

「じゃあ、ネムレスって呼んで。長いならネムでもなんでもいいよ」


 これ以上なくあっさり決まった。


「いいの?」

「君が決めてくれたんだし、いいと思うよ。――名前がないと不便だし、君以外に俺を呼ぶ人もいないんだしね」


 つまり暫定的なものに過ぎないのだし、君の好きに呼んでくれたらいい、ということを少年――ネムレスは語った。

 まあそれなら、と少女が試しに呼ぼうと口を開きかけたその瞬間、「呼び捨てでいいよ」と念押すように付け足されたので、少女は心底驚いた。

 実際に、ネムレス「くん」と呼びかけようとしていたからだ。


 まるで心の中を暴かれたような気がしたが、彼は自分の知り合いであるようだし、こちらの癖は筒抜けなのかもしれない。

 少女は気を取り直すようにこちらも名乗ろうとして、「私、……」もちろんできなかった。


「えーっと……」


 ネムレスに応えるため、少女は己の名前を探し始めた。

 といってもブレザーやスカートの胸ポケットなど手に届く範囲である。しかし、彼女の所有物らしき物は何一つなかった。失くしたのか、元々持っていなかったのかもしれない。


舞夜(まいよ)。どうしたの?」

「まい、え?」


 不思議そうに小首を傾げていたネムレスは、きょとんとする少女にああ、と納得したように頷く。

 彼は自分の手の平に、指先で漢字を書いて見せた。


「舞夜。君の名前は、(ひいらぎ) 舞夜(まいよ)。俺の友達だよ」

「ま、まいよ? まいよー」


 少女はその名を口の中で転がす。本人が言うのもなんだが、変な響きだと思ったのだ。いまいちしっくりこない、が、しかし呼ばれて不快ではないのは、身に馴染む、というのか。

 とりあえず、舞夜は自分の名前である、と認識する。


 変な顔をしている少女――舞夜を見てくすりと笑い、ネムレスは立ち上がった。はたいて制服の埃を落とし、それから舞夜の手を引いて彼女を立ち上がらせた。


「とりあえずここでじっとしていても仕方がないし、先に進もうか。なんとか出口が見つかるといいんだけど」

「でぐち? ……えっと、なんで?」


 そうして吐かれたネムレスの溜息に不穏さを感じ取り、舞夜は彼の顔を見上げた。

 ネムレスは冷静に、困惑する彼女に語りかける。


「説明してなかったね。俺たちはここに閉じ込められたんだよ」


 平淡な口調であるが、聞き捨てならない言葉に舞夜は一瞬だけ無言になった。


「な、なんで? 何があったん?」

「話すと長くなるけど、とりあえずここから出よう。道なら俺が分かるから。……えーっと、そうだね。ここは三階、最上階だ。とりあえず、階段を下りて一階に向かおう。そのまま出口が、開けばいいんだけど」


 最後にぼそりと付け足された言葉もあって、舞夜は戸惑うほかない。

 惨めになるくらい綺麗さっぱり記憶が攫われてしまっていて、今の舞夜にはその身以外、何一つ残されていないのだ。


 この状況のなか、彼女にとっては、未だ名前すら知れないネムレスだけが頼りであった。

 彼が道をさし示し、光を見せ、当然のようにその手の平を差し伸べる。

 差し出されたそれを取る以外の選択肢を、今の舞夜は持たなかった。

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