パッチワークの7
「お客さん、朝ですよ」
そんな声で目が覚めた。
微睡の中、ヴィートの頭を占めた考えは二つ。
一つは、昨晩一体自分はいつ寝たのだろうということ。
昨日はいろいろとやんごとなき事情により、夜中町を駆けずり回って酒を売っている店を探していたため帰って来た時には深夜も深夜だった。
その後、ラフィと少しばかり話をして……そうだ、そのままいつの間にか寝てしまったのだ。
というか、自分を使い走りにしたラフィが先に寝てしまったから、自分も寝ることにしたのだった。
少し冷静になって思い返せば自分は昨日ラフィにいいように使われていたのかもしれない。いや、間違いなくそうだろう。
「お客さん、起きてください、もう日も高くなっていますよ」
そして二つ目はこの声、記憶が正しければ宿屋の店主のものだ。
彼が自分たちを起こしに来たのだろうが、それはおかしい。
知る限り少なくともこの宿屋で朝起こしてもらえるなんてサービスはなかったはずだ。そんなにいい宿をとった記憶もない。
「お客さん、朝ですよ、起きてください、お、お着換えお手伝いします」
「へ?着替えって……」
流石におかしい、そんなことをする宿屋なんて聞いたことがない。
ヴィートは不自然さに耐えかねて目を開いた。
目の前に広がるのは、ピンクや白色。
可憐さの極みを追求したとでも言いたげなそれは花畑を着る形にしてみた、というのが一番しっくりくる表現かもしれない。
そしてピンク色の袖から出ている腕は逞しい太さを見せつけ――。
スカートから伸びる足は、地肌が見えない程のすね毛に覆われ――。
首から上には、何を隠そう厳つい顔がついていた。
一言でいえば、宿屋の店主がフリフリのドレスを着ていた。
ヴィートの顔から表情というものが抜け落ちる。頭の中はとっくに真っ白だ。
そんなヴィートの前で、男がにっこりとほほ笑んだ。
「さあ、服を脱いでください」
「ほわああああああああああああああああああ!!!」
叫んだ、とりあえずそれしかできなかった。
その声に驚いたラフィが、勢いよく身を起こす。
「うわっ!何よ朝から大声出し、て……」
「ラ、ラフィさん、た、たす、たすけ――」
ドレスを片手にヴィートに迫るドレス姿の男。
迫られて涙目のヴィート。
それらを交互に見た後、ラフィは今まで見たことがないくらい優しい笑みを浮かべた。
「あ、じゃあ私外に出てるから、その、ごゆっくり」
「ラフィさん!さすがに今回は冗談で済まない!!というかなんか誤解してますよね!?」
「大丈夫、女神様はすべての人間の頭上に太陽をおいてくださるのよ、どんな性癖を持っていたって見放されることは無いわ」
「今まさに僕の人生が暗闇に包まれそうなんですよ!」
悲鳴を上げるヴィートを部屋において、そそくさと部屋を後にしようとするラフィ。
ヴィートはもはや自分一人で何とかしなければならないと悟り腹をくくった。とりあえず傷つけないように無力化する方法を考えて――。
「え?」
して頓狂な声を上げた。男の視線が自分から外れていたからだ。
男の視線の先にいるのは部屋を出ようとドアノブに手をかけているラフィ、男は視線をそのままに近くに置いてあった灰皿を手に取った。
ヴィートの背筋に寒いものが走る、考えがまとまるよりも前に声を上げた。
「ラフィさん!!危ない!」
声と同時に宿屋の主人が灰皿を思いきり投げる。
灰皿は的確なコントロールでラフィの後頭部に吸い込まれて――当たる直前で泊まった。
「悪ふざけにしては、度が過ぎてるんじゃない?」
「お客さん、まだ着替えが済んでないでしょう?そんな恰好で外に出るなんて恥ずかしいだろ?」
「私は主義も主張も信条も趣味も好みも性癖も個人の自由だと思ってるわ、ただそれを押し付ける人には容赦しないわよ」
「押し付け?違う、わ、これは親切なのよ?そんな美しくない恰好で外に出ようとするあなたたちみたいな可哀想な人への憐みなのよ?さ、さっさと着替えなさーい!!」
「話し合う気はないってことね、ヴィート!」
「はい!」
呼びかけに反応して、ヴィートは素早い動きでベッドから飛び降りるとラフィを庇うように位置をとった。
「う、う、美しくない、わぁ!!」
半ば白目をむいて歩を進めてくる男の迫力に、ヴィートは思わず後退った。
「なんか、様子おかしくないですか?」
「あれが普通に見えるなら目の診察してあげよっか?」
「で、ですよね、それでどうします?僕が押さえつけてもいいですけど、あっでもラフィさんが凍らせた方が早いんじゃ――」
「落ちつきなさい、私たちがやってもいいけど、そんなことしなくてもいいと思うわ、向こうの方がやる気満々みたいだし」
カンッ!!と小気味のいい音がヴィートの耳に届いた。
直後、隣の部屋とつながっている薄い壁に円形の線が入る。そして同時に強烈な打撃音と共に、円形に切り抜かれた壁が猛スピードで吹っ飛んだ。
間髪入れず空いた穴から、砲弾のような勢いでリュージが飛び出してくる。リュージは飛び出した先にいた宿屋の店主を見て一瞬ぎょっとした表情を浮かべたが、即座に拳を握るとその横っ面を殴り飛ばした。
宿屋の店主は突然の攻撃に為すすべもなく壁に叩き付けられると、意識を失った。
リュージは床に倒れ伏した宿屋の店主をとヴィートたちを交互に見て、困惑した顔で呟いた。
「……どうなってんだこりゃ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
何かあったということは一瞬で理解できた。
ヴィートの悲鳴が何度も聞こえたからだ。
それだけならばどうせラフィが何かしたのだろうと放っておいたのだが――。
『ラフィさん!!危ない!』
その言葉に飛び起きて、隣のベッドに寝ていたイナセと目を合わせる。
イナセは瞬時に枕の下に隠していた脇差を手に持つと、壁に向き直った。
「旦那!斬る!」
「任せろ!」
脇差の刀身が鞘から解放される。
短い銀の輝きが壁に吸い込まれる。プリンにスプーンを入れるのと同じくらい簡単に壁が円形に切り取られる。
リュージは迷うことなくその壁を殴り飛ばした――。
「……で、結局何がどうなってんだよ」
「それが、僕たちも何が何だか、目が覚めたら突然その人が目の前にいて……」
「こいつって、昨日アタシらの部屋に来た奴だよな?なんでこんな格好してんだよ」
「知るわけないでしょ、隠れた趣味だったんじゃないの」
「いや、それは絶対にない。こいつは昨日フランソワの服を見てこう言ってたんだ、売れもしない服ってな」
リュージは昨日の部屋での一幕を思い出して、ラフィの言葉を否定する。
あそこまで力強くフランソワを否定していた男が、実はフランソワのファンだったとは考えられない。少なくとも昨日の男の様子からは嘘など感じられなかった。
「……ふぅん、たった一晩で転向したっていうには、極端すぎるわよねぇ、だとしたら普通じゃないことが起きてるって考えたほうがいいか」
「普通じゃないことってよ、もしかして――」
「ちょ、ちょ、ちょっとみんな!外!外!」
偶然窓の外が目に入ったヴィートが、イナセの言葉を遮った。
その慌てように三人は急いで窓際へと向かう。果たしてそこから見えた風景は――。
「あーらら、これはまたなんとも壮観ね」
さしものラフィも頬を引き攣らせていた。
味気ない道に、大小様々な花が開いている。白いもの、桃色なもの、白黒なもの、黄、緑、青、それはまるで都市一面が一つの花畑になってしまったようだった。
当然、本物の花ではない、花のようにカラフルな衣装を身にまとった人たちだ。老若男女区別はない。
窓から見える限りの景色を前に、イナセが思わず叫んだ。
「おいおい冗談ごめんだぜ、もしかして都市中こうなってんのか!?」
「そう思った方が、いいかもな」
「昨日の夜はこんなじゃなかったですよ!?」
「昨日の夜……そうか、お前そういえば昨日外に出てたな」
「は、はい、ラフィさんに言われてお酒を買いに――ってそれよりどうしましょう!?」
「落ちつきなさい、行かなくちゃいけないとこはわかり切ってるじゃない」
「ああ――フランソワのとこだな」
「え?……ああ、そっか!」
住民が来ているのは明らかにフランソワの作った服だ。この件に関わっているのは間違いない。
そうと決まれば早速向かいたいところだが――。
リュージは気を失ったままの男に目をやりながら、
「見つからないほうがいいよな、あの様子見ると」
「ロクなことにならねぇのは確かだぜ」
「……残念、もうどうやって逃げ回るかを考えるべきみたいよ」
その言葉に再び窓の外を見たリュージは、道行く少女と目が合った。
その少女だけではない少し視線を動かせば年端も行かぬ少年と、また少し先には大柄な女性が、気付けば道行くすべての人間がこちらを見上げていた。
その瞳には感情のようなものには見えず、ただただぼうっと自分たちを見つめている。
次の瞬間、その全てがリュージたちのいる宿屋の入り口めがけて全力で動き始めた。
「着替えてる、暇もなさそうだな……!」




