アルカディアの32
切る場所がホントにありませんで……
代わりに物語のきりがいいとこまで連続投稿
朝日が昇るよりもほんの少し早い時間、人通りが全く無い大通りをひとり男が歩いていた。
迷い無く不安さを隠しきれてない、そんな矛盾した足取りで男は一心不乱に進んだ。
目指す先にあるのはこの都市の権力の象徴、最も背の高い建物。
男は歩み続ける。自覚無く向かう先が全ての結末であるとも知らずに――。
男は会社であり市庁舎でもあるその建物の扉に恐る恐る手を伸ばした。ドアノブは何の抵抗も無く捻られ男は扉の内側に姿を消す。
中には誰もいなかった。当然だ。人々が仕事に精を出すような時間ではない。
当然この建物の特徴である移動室――エレベーター――も使うことが出来ない。
男は一直線に階段へ歩を進めると、一段また一段と上へ向かった。
無音の空間に階段を踏む音が響く。
真っ暗な空間に響き渡る靴音は、第三者から見れば不気味な光景だったかもしれない。
当然上っている本人がそんなことを気にするわけも無く、男は黙々と段を踏みしめる。
一階から二階へ。
二階から三階へ。
三階から四階へ。
休むことなく進んだ先に待つ終着点は、当然のことながら最上階。
しかし男はその最上階すら通り過ぎた。
その先にあるのは屋上の扉のみ、男は最後に待っていたその扉を開いた。
深い紫の空が男を出迎える。
男はしばらく空を見上げてから、屋上の淵へと歩いていった。
今から目覚めていく町並みが、まるでミニチュアのように並んでいた。
その町並みに何を感じたのか、男は深い深いため息をついた。
何を間違えたのか、いや『何を』なんて今更考えても答えなど出るはずも無い。
それでも強いて言うなら、きっと全てを間違えたのだ。
「……俺は――」
どこにいる誰に向かって何を言おうとしたのか、男自身にも分からなかった。
そして言葉を最後まで紡ぐことすら出来なかった。
背中に走った衝撃が男の体を前へと突き飛ばしたからだ。
男の体が宙に浮く、足元には何も無い。次に男がたどり着ける場所は遥か下にある地面だけだ。
男は自分が何をされたのかも分からないまま、重力という世界の法則に囚われて――。
ブルーノは逆らう術も無く落ちていった。
「はぁっ……はっ!はぁっ……社長……!」
男を突き飛ばした影は呼吸を粗くしてその場に座り込んだ。
手足はがくがくと震え、瞳からは絶えることなく大粒の涙が落ちていった。
その人物は抑え切れなかった叫びを力いっぱい床を殴りつけることで代える。
何度も何度も――。
何度も何度も何度も――。
拳が裂けて血が流れるまで、何度も何度も――。
「そのくらいにしとけ、治らなくなっちまうぞ」
急に聞こえてきたその声に、その人物は声が聞こえてきた方向――屋上の入り口――に目をやった。
果たしてそこから現れたのは、この世界では見慣れない服を着た長身の男。
そしてその後ろからは続々とその仲間であるシスターや見覚えの無い小柄な少女、親方とその秘書、騎士団の人間が雪崩れ込んできた。
「あいつが犯人なのか!!何をやっている今すぐ――」
「少し黙ってなさいよ。私たちに時間をくれる約束でしょ?」
血走った目で叫ぶ親方はラフィの一言に、わざとらしく舌打ちを返しながら顔を逸らした
屋上の一角に出来た人ごみの中、その一番前に立っている男は座り込んでいる人物に向かって言い放った。
「もう逃げられねえぞ、スヴェン」
座り込んでいる人物――スヴェン――は混乱を隠せない様子で雪崩れ込んできた一団を忙しなく見渡した。
「何で……あなた達が」
「私たちは探偵じゃないのよ。決定的な証拠が無ければ本人にぼろ出してもらうしかないじゃない?そのメモもうまくいくか賭けだったけど、結果は上々ね」
人ごみから踏み出してリュージの隣に並んだラフィがスヴェンに語りかける。
スヴェンはポケットを抑えた。そこに入っている紙切れは昨日ナディヤに渡されたものだった。
書いてあったのはたった一行。
俺はもうオットナーにすべてを話に行く会社を任せた ブルーノ
自分は嵌められたのだと、スヴェンはようやく気付いた。
「はっきり言ってあなたの計画は杜撰だったわ。フィリーネの誘拐に失敗した人たちをわざわざ自分の会社に連れて行ったのもそう、おかげであの三人に移ってた匂いから追跡できたわ」
「匂い……?」
「お前の会社の製図室に使われてる芳香剤だ。ナディヤに聞いたぞ。あれはお前があの部屋に置き始めたらしいな」
昨日最後の質問の答えを思い出しながらリュージは問う。
スヴェンは焦りながらも頭を振ってそれを否定した。
「……前にヴィート君にも言いましたが、あの芳香剤は市販品です。使っている人間など他にいくらでもいる。その男たちから同じ匂いがしたからって――」
「それよ」
ピッとスヴェンに指を突きつけるラフィ。
不快そうに皺を深めるスヴェンに、ラフィは言った。
「あなた今その男たちって言ったでしょ?」
「そ、それが何か?」
「私は『あの人たち』としか言ってないわ。なのに何で男たちって知っているの?」
「……」
「あなたは忘れてるかもしれないけど、ヴィートと話したときもあなた同じミスをしてたわよ」
ラフィの指示通りに一字一句間違えないように書いてあったヴィートのメモを読んだときから気づいていた。
スヴェンの些細で致命的なミスに。
しかもこの場には今の会話を聞いていた人間が騎士も含めて山ほどいる。
もう言い逃れは出来ない。
ナディヤが悲しげに顔を歪めた。
「スヴェン……本当にあなたなの?あなたが、オットナーさんもブルーノさんも、フィリーネちゃんも陥れようと――」
「ち、違う!!僕を信じてくれないのか!?ずっと一緒に過ごしてきたのに!」
縋るようなスヴェンの言葉にナディヤの表情がさらに悲しみに染まっていく。
見かねたラフィが口を開いた。
「そもそもフィリーネのことを知れた人なんて他にいないのよ。当人たちが人に言いふらすとは思えない。一緒に住んでる人にだって言わないくらいだもんね」
ちらりとイナセを見るラフィ。
「可能性があるとすれば、家に置いてあったフィリーネ宛のプレゼントを見てしまえる人間、あなたくらいなのよ」
「ち、違う!それだって憶測だ!そうだ、僕は社長から聞いたことがあったんだよ!あの人は実は俺にも話してたんだ!」
「えぇ……今更それ言う?」
そもそもそのブルーノを突き落とした場面を見られた時点でスヴェンは逃れようが無いのだ。
今のこれは悪あがきにもなってない。子供が地団太を踏んでいるのと何も変わらない。
付き合う必要も本来ならないが――。
「往生際がわりいぞ」
「だ、だって僕はなにも――」
「だったらナディヤの目を見てそれ言えるか?」
「……え?」
「あいつはな、きっと今この瞬間だってお前のことを疑おうとはしてねえ。家族を信じようとしてる」
スヴェンはナディヤを見る。
その瞳の奥に見える深い深い悲しみを見る。
それでもなお、スヴェンを信じようとする輝きを見る。身を焦がされそうになるほどの輝きを――。
「お前がもし何もやってねえって言い張るなら、何もやってねえと言えよ……あいつの目を見てはっきり言ってみろ!」
ギリギリと離れた場所からでも聞こえるほどの歯軋りをしながら、スヴェンは必死にナディヤの目を見る。
開いた口からは呼吸が聞こえるばかり、声は一切出てこない。
そのままスヴェンは俯いた。
誰しもが、それで終わりなのだと思った。
本人を除いては――。
スヴェンは俯いたまま、他の誰にも聞こえないようにぶつぶつと呟いた。
「そうだ……僕は、僕はなにも悪くない……」
見ている者からは急激な変化に見えた。
勢いよく顔を上げたスヴェンはまるで別の人間にでもなってしまったような、能面のように何も無い表情をナディヤに向ける。
そして、はっきりと言った。
「僕は、何もやってない……!」
「スヴェン……」
「……それがお前の答えで良いんだな」
「はい、そうですよ」
「あくまでブルーノから話を聞いてたと言い張るんだな?」
「その通りです」
「そうか、じゃあ本人に聞こうじゃねえか」
「は?」
スヴェンの間の抜けた声と同時に三度屋上の入り口が開いた。
そこから現れたのは緑色の騎士服を着たヴィート、そして――。
「社長……」
「ブルーノッ!!」
掠れたスヴェンの声と、何も詳しいことは聞かされていなかったオットナーの怒鳴り声が重なる。
「なんでここに」
「俺もメモをもらってな」
ブルーノが取り出したメモもまた簡潔な一行で括られていた。
フィリーネを助けたいなら指定の場所に行って、ただし危険は大きいかも
「落とされるとは思わなかったがな。下の階でこの小僧の『オリジナル』に受け止めてもらったんだ……スヴェン、話は全部聞かせてもらった」
スヴェンが完全に崩れ落ちた。
嘘に使った本人が生きていたのだ。もうどんな手段を使ってもここから言い逃れることは不可能だ。
すっかり生気の抜けてしまったスヴェンに呆然としていたナディヤが声をかける。
「スヴェン、なんで、なんでこんなことを」
「……復讐だよ」
「何を、言ってるの……?」
「僕はこのアルカディアに復讐するためにずっとこの都市で生きてきたんだよ!今回の事件はその始まりだったんだ」
「貴様何を意味の分からんことを!!何が復讐だ、私は貴様のような男など知らんぞ!!」
怒鳴り散らすオットナーにスヴェンは顔を向ける。
能面のような無表情のまま瞳だけはぎらぎらと光っていた。
怒りと憎しみがぐちゃぐちゃに混ざった何かで……。
「そりゃ覚えてないだろうな、直接あったことなんかないんだから」
「なにぃ……?何を言っている」
「言っても思い出せないんじゃないか?沈んだ村なんて、もう記憶の片隅にも無いだろう?」
驚愕に顔を引き攣らせたのは三人、オットナー、ナディヤそれにブルーノ。
特に顕著だったのはオットナーだった。彼は怒りに歪んでいた表情を、今度は恐怖に歪める。弱弱しく掠れた声が喉から出てきた。
「ま、まさか、まさかお前――!」
「そうだよ、十年前沈んだのは僕の暮らしてた村だ!」
「そ、そんな……だってあなたそんなこと一回も――」
「言うわけないだろう。だって僕はこの十年間貴方を利用し続けてただけなんだから」
ギラついた笑みを顔全体に貼り付けてスヴェンは語る。
この十年間隠し続けたものを、これでもかと吐き出す。
「僕の村を見捨てたこの都市を、壊しつくすためにね!」
「ち、ちが、違うんだ……見捨てたわけじゃ」
「そうだね、僕だって最初はそう思ってたよ。あれは天災だって、アルカディアを恨むのはお門違いだって、でもこの都市に来て、その女に拾われてブルーノの会社で働くようになって、長い年月をかけて漸くあの時のことを理解したんだ……あれは避けられたかもしれない事故だったんだって!!」
その言葉にリュージもスヴェンが何を言いたいのかを察した。
昨日知ったばかりの情報をリュージは口にする。
「……オットナーが作ろうとしてた防波堤のことを言ってんのか。だがそれは――」
「よくご存知で。そうですよもし全てがスムーズに進んでいたとしても間に合うかどうかは分からなかった代物です。でも可能性はあった。僕の家族も友達も、生き残れる可能性はあった!それはそいつ自身が一番良く分かってるはずだ!」
「ひぃあ!!」
指を指されたオットナーは恐怖に歪んだ顔を両手で覆うとがたがたと震えながら蹲る。
それは自分の悪事を暴かれた罪人の姿そのものだった。
スヴェンはなおも糾弾をやめようとしない。
「ずっと聞きたかったよ。僕たちを殺して座ってるその椅子はどんな座り心地だよ!」
「違う、違う違う違う違う違うぅ!!」
「違わない。お前は自分の富のために僕たちを見捨てたんだ!僕の家族と友達を殺したんだ!」
「俺は、俺はただ……俺はぁ――」
「スヴェン、それは違う」
否定の声は予想外のところから入った。
ナディヤの声ではない。もっとしゃがれた男の声だ。
リュージでも、ヴィートでも、騎士団の誰かでもない。
蹲っていたオットナーがゆるゆると顔を上げて声の主を見た。
「……ブルーノ」




