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ステゴロソウル~たとえば俺が勇者なら~  作者: 寅猛
建設都市アルカディア
75/165

アルカディアの20

 この都市のシンボルでもある中央ビル、親方の威光を知らしめるようにそびえ立つその足元からまっすぐに伸びる道、この都市のメインストリートでもある中央通り、そこに巨大な人だかりができていた。

 あまりの大きさに行く道を塞がれた人々がさらに最後列に加わり、人だかりは現在進行形で成長を続けている。



 なぜこの人だかりがあるのか、いつできたのか、もはや把握している者は少なかった。ほぼ全てが野次馬根性で見物に来たに過ぎない。

 何があったのかは知りたい、しかし積極的に人を割ってまで前に行くのも面倒くさい。後から来た人々の気持ちなんてそんなものだ。

 たった今現場に到着したリュージは、人の多さに驚いた。



 「なんでこんなに集まってきてんだ」

 「え?なんて?」



 ざわめきが大きすぎて隣にいるラフィにすら、声が届いていない。リュージはラフィの耳元に顔を近づけた。



 「なんでこんなに人が集まってきてんだよ」

 「ずっと都市の中で生活してると、安全だけど暇になりがちだもの、いい暇つぶしなんじゃない?」

 「おいおい、一応事件だぞ」

 「残念だけど他人の不幸でご飯が食べれるのが人間って生き物よ」

 「お前もそうなのか?」

 「私はそんなものより美味しいお酒があればいいもの」

 「……まぁいくらかマシか」

 「そんなことよりここからじゃ全然何も見えないわ、声すら聞こえないじゃない、ここまで私たちを苦しめてくれたんだもの顔くらい拝まないと気が済まないわ」

 「あ、おい!待てって」



 ラフィは果敢に人ごみに突っ込んでいくと、掻き分けて内側へ潜り込もうとしていた。

 この人数で逸れると次に会えるのは、間違いなく全員がいなくなってからになってしまう。

 リュージは渋々ラフィを追って、前列に割って入った。



 前列の男、女、男、女、男――。

 ラフィが通った道を後から進むことによって、少しはスムーズに行ける。それでもぶつかる人には軽く頭を下げつつ、リュージは騒ぎの中央を目指す。

 間もなくざわめきで聞こえなかった捕物の音が微かに耳に入ってきた。



 『大人しくしないか!』

 『離してよ!何も知らないって言ってるでしょ!』

 『そんな言い訳が通るとでも思っているのか、現物がここにあるんだぞ』

 『だから、それは、なんで入ってるのかわからないんだって――!』

 聞こえてきたのは問い詰める男の声、必死に弁解する女の声、会話の内容から察するに男のほうが騎士なのだろうが――。

 それよりも、そんなことよりも、もっと重要なことに気付いた。それは、弁解する女の声に、聞き覚えがありすぎることだ。

 前を行くラフィもそれは同じようで、顔は見えないが明らかにスピードが上がった。リュージも多少強引に周囲を押しのけながら進む。



 人の林を掻き分け掻き分け、たどり着いた先で広がっていた光景は、予想していたもので、最も望んでいなかった光景だった。



 「フィリーネ……」



 漏れた呟きは、自分のものか、それとも隣に立つラフィものだったか……。

 どちらにしても驚きのあまり漏れた声だったという事実に変わりはなかった。昨日知り合った相手が、十人を超える騎士に囲まれている場面は、リュージたちを驚かせるには十分だった。

 フィリーネは前列に現れたリュージたちを見つけると、手を伸ばして必死に叫んだ。



 「リュージさん!助けて!」



 その声が、その表情が、そのすべてが嘘だというならどうしようもない。少なくともリュージからすれば、友人が必死に助けを求めている姿にしか見えなかった。

 誤解なのか、そうでないのか、事情なんて後で確認すればいい、とにかく彼女を取り囲んでいる騎士たちと話をしなければ――。



 「わりぃ旦那、肩借りるぜ」



 よく通る声がリュージの耳に聞こえたのは、リュージが一歩前に出るのとほぼ同時だった。

 直後、フィリーネを囲んでいた騎士の一人が音もなく倒れた。

 前列で見ていた者も、囲んでいた騎士たちも、何が起こったのか理解が追い付かない、いつの間にか現れて、フィリーネを庇うように立っている小柄な少女が何者かすら、わからなかった。



 その場で事態を辛うじて把握できたのはリュージだけだった。

 左肩についた土を払いながら、首だけ後ろに向ける。背後には同じように肩に土をつけた男がいた、おそらくその後ろの女にもついているのではないだろうか。

 肩に何かが乗った感触を感じた次の瞬間、何かが猛スピードで騎士に飛び掛かっていくところが見えた。



 体験しなければ決して信じられないが、つまり少女は一番後ろから誰にも気付かれないように、数人の肩を踏み台にして最前列まで到達し、勢いそのままに騎士を一撃で昏倒させた。

 信じられない身体能力だ。



 「イナセ……?」



 フィリーネがその少女の名を呼ぶ、呼ばれた少女は応えずに、残った騎士たちに相対する。



 「……テメエら、フィリーネに何してんだ」



 背筋が冷える程冷たい声だった。油に放り込まれた水滴が必死に弾けるのを耐えているような、押さえきれない激情を抑え込んでいる声音。

 一人二人やられたところで、圧倒的優位は揺らがないはずの騎士たちは、確実に気圧されていた。

 しかし彼らもプロとしてのプライドが残っていたのだろう、イナセと向き合う形になった騎士が、いつでも腰の剣を抜ける構えで口を開く。



 「君、今すぐどきなさい!その女性はある事件の犯人である可能性が高い、拘束する必要がある!邪魔をするなら――」

 「うっせぇ!!んなこたぁ聞いてねぇ!フィリーネに何してんだって言ってんだよ!」

 「……放しても無駄なようだ、隊長」

 「やむを得ん、できる限り怪我はさせるなよ」



 歯をむき出しにして吠えるイナセに、呆れた様子の騎士は、向かい側にいた小太りの男に声をかけた。リュージにも見覚えがある、アルカディアに来た時に検問を仕切っていた人物だ。この場においては彼に指揮権があるらしい。



 その隊長が、イナセをどかせることを許可した。

 イナセたちを囲んでいた騎士たちも、年若い少女を力づくで退かせることへの抵抗は強いようだが、仕方なくイナセを抑え込もうとにじり寄っていく。



 「さっきはどんな魔法を使ったのかは分からないが、この人数差だ、おとなしく諦めてくれるね?」

 「さっきアタシが何したか見えなかったってんなら、何人いようと同じだ」



 にらみ合う少女と騎士たち、群衆はざわめくことも忘れて、突然始まったこの非日常に、呼吸も忘れて見入っていた。

 その群衆の一部と化していたリュージは、わき腹を突かれる感触に我に返った。ラフィが目で訴えてきている。

 『早く止めないとまずいんじゃないの』と。

 そうだ、見ている場合ではない。

 リュージは状況を変えるべく、にらみ合う一団に割り込もうと一歩踏み出した。



 これがあまりにもうかつな行動だったと直後に思い知る。

 騎士の一人が、背後から聞こえた足音に過剰に反応してリュージへと向き直った。向き直ってしまった――。

 刹那、イナセの姿がその場から消えた。



 「なんだ!?どこに――」

 「旦那、ナイスアシスト」



 狼狽した騎士は、足元から聞こえてきた声に視線を下げる、と同時にその顔面を鋭い痛みが襲う。

 蹴られたのだと知覚するころには、首筋に強烈な回し蹴りをくらって地に倒れ伏していた。



 「おかげで一気に二人減ったぜ」

 「気をつけろ!『強化』持ちだ!」



 騎士のひとりが上げた焦り声に、イナセを取り押さえようとする騎士たちの間で動揺が広がった。それは生まれて初めて見たものと相対しなければならないが故のものだった

 やはりそうか。リュージも納得する、この世界の騎士がよくやっているような、風の『操作』を利用した加速とは明らかに毛色が違ったからだ。



 それにしても『強化魔法』とは、こちらに来て二ヶ月経つか経たないかのリュージだけならばいざ知らず、周りのリアクションを見るに、珍しい魔法というのは本当のようだ。



 「ハッ!ばれたから何だって話だよなぁ?」



 現に今まさに手の内を暴かれたはずのイナセは余裕綽綽、つま先で地面をノックしていた。

 張り詰める空気の中、身を低くして追撃を仕掛けようとしているイナセの前に、リュージは立ちふさがった。



 「おいイナセ!落ち着け」

 「旦那、そこにいられるとちょっと邪魔だぜ、半歩横にずれてくれるだけでいい」

 「わざわざことを荒げるような真似するんじゃねえ、一旦止まってくれ」

 「なんだ、旦那もアタシの邪魔する側か」



 背筋がうぶ毛立つ、眼前の少女から、自分の肩にも届かない小さな少女から発せられるプレッシャーとは思えない。

 正面に立つリュージにはその瞳がよく見えた、真っ暗な目だ。光が入ることを自ら拒んでいる目だ。

 世の中に、敵の存在しか見出していない目だ。



 「三度も言う気はねえぞ、落ち着けイナセ、フィリーネがこんなことする筈がないのは、会って一日の俺にだって分かることだ」

 「だったらジャマすんじゃねぇよ」

 「邪魔してるのはお前だ、本当に信じてるんだったらこんな意味のない真似してねえで、まずは話を――」

 「なんだよ、顔の割に随分平和ボケしてんな、騎士(そいつら)が、人の話なんか素直に聞くわけねぇだろ、一回犯人を見つけたら、他の可能性なんて考えようともしねぇ、そういう連中だぜ」



 嫌悪感を露にして毒を吐くイナセに、リュージは押し黙った。

 実際イナセの言うことは、残念ながら的を射ている。

 この世界、捜査という概念がイマイチ発達し切っていないところがあるのだ。それというのも騎士の能力の高さが原因だったりする。

 ほぼすべての犯行を現行犯で捕まえてしまう実力故に、騎士というものは姿の見えない犯罪に滅法弱い。

 その類を相手にしたとき、目に見える物的証拠に流されてしまいがちなのだ。



 「ほら、言い返せねんだろ?だったらそこを退いてくれ、アタシはフィリーネを助ける」

 「……ここを力づくで突破できたとして、その後どうする、こんな方法じゃ、その場しのぎにもならねえぞ」

 「小難しい話は後で考えるよ、いいから、そろそろ返事をしてくれ旦那、退けるか、それとも――」

 「退ける気はねえ、戦う気もねえ」

 「……やっぱ甘いよあんた達」



 寂しそうな笑顔が、見えた気がした。

 その笑顔すらも置き去りにして、イナセの姿が消える。

 迷っている暇はない、生身ではどう足掻いてもあのスピードには対応できないのは明白、リュージは瞬時に自らの内にある『力』を解放した。リュージの体が、銀色の輝きに包まれる。



 強化された感覚器官が、イナセの姿を辛うじて捉えた。  

 素手喧嘩魂(ステゴロソウル)を利用しても尚、残像が見えるほどの速度で、イナセは踏み込んでいた。

 そのままリュージの前で跳んで、空中で華麗に前転を決めながら踵でリュージの頭を狙う。

 リュージは右腕でそれを受け止めた。イナセの両眼が驚愕に見開かれる。 



 ――が、それも一瞬のこと、少女は果敢に残った左足でリュージの顔面を狙いにかかった。

 驚くべき反応速度に脱帽しながらも、リュージは残った左手でその足を受け止めた。

 イナセはリュージの左腕を蹴った反動で再び空中に舞うと、危なげなく着地した。

 リュージは瞬時に能力を解除すると、元の体勢に戻る。



 この間実に一秒足らず、周囲からはイナセが消え、リュージの腕がぶれた、くらいにしか見えない、二人ぼっちの世界。

 戻ってきて先に口を開いたのはイナセだった。



 「……ついてねぇ、こんな所でお仲間に会っちまうなんて」

 「『強化』を使ってるって意味で言ってんなら、勘違いもいいとこだ」

 「しらばっくれんなよ、アタシの速さに、生身の人間がついてこれるもんか」

 「確かに大したもんだ、でも対処できない速さじゃない」

 「対処できない速さじゃない、ねぇ、久しぶりに言われたぜ、そんなこと、でもな、だからってはいそうですかと諦めるわけにゃ――」

 「いや!離してよ!」

 「いいから今のうちの来い!」



 背後からの声に、慌ててイナセが振り返った。

 そこには手首を縛られたフィリーネが騎士に引っ張られ、押され、人ごみの中に消えようとしているところだった。

 どうやら、リュージ達が戦っている隙に連れて行こうとしたらしい。



 「おい!何やってんだ!」



 イナセが身を低くする、高速の世界への切符を今にも切ろうとしている。

 しかし騎士たちもいい加減に学習していた、この少女が走り出したら、自分たちには止める術はない、ないことはないのだが、周りを巻き込まない手段がない。

 イナセが走りだしたら勝利はない、ただそれは言いかえれば動き出す前なら何とでもなると言うことだ。



 フィリーネを掴んでいる騎士は、空いている手をイナセに向ける、その手のひらから緑色に輝く野球ボール大の球が飛びだした。いくつも、いくつも――。

 魔素を運動エネルギーに変換して打ち出す『放出』系の基礎中の基礎、このサイズでは痣を作る程度の威力だが、代わりに連射が利く、動きを封じるだけなら十分だ。



 「こんなもん――っ!」



 一発、二発の被弾は避けられないが、他はかわせる。

 構わず強化魔法を使おうとして、イナセは気づいてしまった。自分の後ろにいる野次馬が、自分よりも幼い少女を連れた親子だと言うことに――。



 ――こんなとこに、ガキ連れて来てんじゃねぇよ!



 心の中で、不用心にも程がある母親に罵声を浴びせるが、どうにもならない、自分が避ければ、あの女の子に当たる。



 ――別にいいじゃねぇか、誰にあたろうとアタシの知ったこっちゃねぇだろ、だからかわすんだ、全部避けてフィリーネを助けに行くんだよ!



 心に渦巻く思いとは裏腹に、イナセはいつの間にか低くした体をまっすぐに立てていた。まるで、自らが盾になるかの如くに、瞳からは一筋の涙が流れおちた。



 「ごめん、フィリーネ……」

 「どいつもこいつも、止まれっつってんだろうが!」



 身を襲う衝撃を待つばかりだったイナセの前に、大きな黒い背中が現れた。うっすらと銀色に輝くその男は、イナセに襲いかかろうとしていた弾を次々とその拳でかき消していく。

 だが奈何せん数が多過ぎた、うち洩らした一つがリュージの頭へと一直線に向かう。



 「旦那!危ねぇ!」

 「頑固一徹(くろいろ)!」



 突如現れた黒色の壁が、リュージの頭を守る。イナセにも見覚えがある、ありすぎるものだ。



 「はぁっ、はぁっ、これ、どういう状況ですか?」



 盾を生み出した張本人、ヴィートは、いつの間に現れたのか全身から水滴を落として息を荒げながら近寄ってきた。どうやらたった今辿り着いたばかりで状況は理解していないようだ。

説明してやりたいのは山々だが、まずは片付けないといけないものが多すぎる。

 


 「……頭冷えたか」

 「ひ、冷えるも何も、まだ何一つ片付いてないじゃねぇか!旦那こそ気が済んだならどけよ!ぶっ飛ばすぞ!」



 背中越しに語り掛けられたイナセは、ハッと我に返ったように吠えた。

 リュージはその怒鳴りに緩やかに首を振って応えた。



 「無理だ、この状況じゃお前にフィリーネは助けらない」

 「目の前にいたくせに見てなかったのかよ、アタシだったらあんな奴ら全員――」

 「無理だ」

 「なんでだよ!!」

 「この状況で、後ろを気にすることができるお前には、絶対に無理だ」



 バレてないとでも思っていたのだろうか、愕然とした表情を浮かべるイナセと、振り返ったリュージの視線が交差する。

 痛み堪えるように歯を食いしばるイナセの頭に、リュージは手を乗せた。子ども扱いされることを何より嫌うはずのイナセは、その手を払わなかった。払う気力も、失くしているようだった。



 「変なこと言って悪いが嬉しかったぞ、お前が避けるのを躊躇ってくれて」



 イナセの実力は本物だ、だからもし彼女が本気で手段を選ばずに進んでしまったら、周りの被害を一切考慮せずに戦う気だったら、リュージも無傷で終わらせることはできなかったかもしれない。

 無言のまま俯いてしまったイナセの頭から手をのける。多分もう暴れたりはすまい、だったら早くフィリーネの所へ――。



 「動くな!」



 振り向いたそこにあった切っ先に、リュージはついのけ反った。

 正面だけではない、いつの間にかいなせ共々周りを囲まれていた。悠長に喋り過ぎたか。



 「お前もあっちに行け」

 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!何で僕剣向けられてるんですか!?」



 同じく騎士に取り囲まれてしまったヴィートが、そのままリュージ達のもとへ歩かされている。



 「まったく、お前たちが何なのかは後でしっかりと聞かせてもらうからな!おい、もう容疑者連れてけ!」



 まずい、このままではフィリーネが連れていかれる。

 かといって、どこを向いても剣先とにらめっこしている現状では、誰にも怪我をさせずに突破するのは流石に不可能だ。

 歯嚙みするリュージだったが、ある意味ここで終わっていた方が、事態は簡単だったかもしれない。

 耳に飛び込んできたがなり声が、そうはさせてくれなかった。



 「おい!どけ、どいてくれ!さっさと通してくれ!」



 俄かにうるさくなった人ごみをかき分けて、中心に入ってきたのは、確かに言われてみればいなかったのがおかしい人物だった。その男はフィリーネの腕を掴んだままの騎士の元へと歩み寄る。若い騎士は深々と頭を下げた。



 「親方!」

 「余計な挨拶などいらん、それより、この女か?思っていたのと随分違う」

 「おそらく間違いありません、鞄の中から現物が出てきましたので」

 「貸せ」

 「は?し、しかしこんな場所で――」

 「いいから渡せと言っている!」



 オットナーは騎士が差し出した紙袋を、半ば破るようにして中から小さく折りたたまれた数枚の紙を取り出すと、開いて中を確認し始める。

 一枚、二枚、三枚、四枚目を確認し終えると、再び全て折りたたんでポケットに詰めた。



 「これで全部か?」

 「えぇ、持っていたものはこれだけですが」



 オットナーは騎士に掴まれたままのフィリーネに話しかける、いや、それは一方的な問いかけだった。命令に近いものだった。



 「聞きたいことが、二つほどある、どちらも素直に答えるのなら、私も血の通った人間だからな、ある程度の情はかけてやる」



 表面上は穏やかな言葉だった。だがそれが表面上だけだということは髭を弄りながら小刻みに震えている手が如実に表していた。分かるものには一目で分かる、爆発寸前の感情が――。



 「まず一つ、誰に命令された?お前のような娘が一人でこんなことをするとは思えん、誰に何を吹き込まれた?」

 「……し、知らない、信じて親方さん、私は誓って何も知らないの、今朝までそんなもの鞄の中に無かったわ、中に何が書いてあるかも知らない」

 「……ふん、この質問は答えられないか、ならいい、だがもう一つの質問には必ず答えてもらう」



 オットナーは、哀れな容疑者の弁明を聞く気はないらしく、精々言ったら殺されるから言えないのだろうと見当をつけているようだった。



 「もう一枚はどこへやった」

 「も、もう一枚……?」

 「そうだ、これは五枚で一組だった。中でも一番重要な最後の一枚がここにはない、運ぶ人間を分けたのか、保険の為にどこかに隠したか、どちらでもいい、さっさと吐け、どこにやった」

 「だ、だから知らないって、それになにが書いてあるかも知らないの、もう一枚なんて知るわけがない」

 「……いつまでも優しく聞いてやると思ったら大間違いだ、こっちはお前の一人の為にここまで振り回されたんだ、我慢の限界なんだよ、聞くのはもう一回だけだ、もう一枚は、どこに、ある?」

 「何度尋ねられても、知らないものは知らないわよ」

 「そうかそうか、証拠はお前の鞄の中から出てきたけれどそれは何かの間違いで、つまりは俺と騎士たちの勘違いだというわけだ」



 オットナーは何がおかしいのか肩を小刻みに震わせて笑っていた。可笑しくて可笑しくて我慢できない、そんな風に笑っていた。

 位置的に背後にいたリュージにはその表情は伺い知れない、それでも直感的によくないものを受け取っていた。いつでも飛び出せるように準備をする――のが少し遅かった。



 「ふざけているのか貴様!」



 一秒前まで笑っていたオットナーの態度が豹変する、目を吊り上げ、砕けんばかりに歯を食いしばり、右手を振り上げた。高々と掲げられた拳を容赦なくフィリーネへと振り下ろす。

 フィリーネは固く目を閉じた。



 数秒たっても己を襲わない衝撃に、不思議に思ったフィリーネは恐る恐る目蓋を持ち上げる、そこには――。



 「……なんのつもりだ」

 「お前が殴る必要はない、そうだろう?」

 「直接会うのは九、いや十年ぶりか。よくも俺の前に顔を出せたもんだな、さっさと離せブルーノ!」



 目深に被っていた帽子が風で飛ばされ、その素顔が露になっる。

突然揃い、互いに敵意を隠そうともしない嘗ての名コンビに見ていたものは、リュージは困惑を隠せなかった。


ヴィート君が濡れてるのは土砂降り過ぎて傘じゃ雨が防げなかったから、多分傘はどこかに置いてきてます。

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