アルカディアの17
三話連続投稿です。
「あっはっはっはっは!!お腹痛い、お腹痛いわ!!」
「言わないでって言ったのに……酷いですよ」
「ごめんね?でもこんなに求められたら、ねぇ?」
恨めしそうにフィリーネを見るヴィート、そんな二人のファーストコンタクトの一部始終を聞いたラフィは、腹を抱えて爆笑していた。
だから嫌だったのだと不貞腐れるヴィートに、フィリーネはくすくすと笑いながら頭を下げた。
リュージは笑いはしないものの話を終わらせる気は無いようで、納得したように頷いた。
「で、イナセがそこに通りかかったわけだ」
「見てらんなかったぜ?アタシもアルカディアに住んで一年になるわけだけど、あそこまでてんぱってる奴は他に見たことなかったもん」
「なるほど、どおりでどうやって会ったのか話そうとしねえわけだ、別に恥ずかしがらなくてもいいじゃねえか、なぁ?」
「ぼ、僕もう部屋に戻りますから!」
優しく慰めたつもりだったのだが、何故だか追加でダメージを与えてしまったようだ。
顔から火が出そうなほど赤面したヴィートが選んだのは戦略的撤退、そそくさとその場から逃げ出して、二階へと逃げてしまった。
当然そんなことは許さない人物が一人。
「逃がすわけないでしょ!待ちなさいヴィート!」
「ひぃっ!来ないで!」
悲鳴をあげて逃げるヴィートに追いかけるラフィ、それを愉快そうに眺めていたフィリーネは、隣に座るイナセの肩を軽く叩いた。
「イナセ、あんたも行ってきなさいよ」
「はぁ!?なんでアタシが」
「いいから、ラフィだけじゃやりすぎちゃうでしょ、あんたが行って優しくしてあげなさいよ」
「それ確実に人選ミスだぜ?」
「はいはい、さっさと行く」
ぶつぶつと文句を言ってはいるものの、イナセは素直に言うことを聞くことにしたようだ。二人を追って二階への階段へと足をかけた。
フィリーネはそれを見送ると、席を立ってリュージの正面になるように座りなおした。
「聞いてはいたけど本当に愉快な人たちねぇ、もっと早く来ればよかったわ」
「聞いてた、か、イナセとは付き合いが長いのか?」
「言ってなかったかしら、私たち一緒に暮らしてるのよ」
「一緒に?」
「ええ、私が借りてる部屋に、イナセも住んでるの」
「だけどイナセは、あー、その――」
「言葉選ぼうとしてくれてありがと、そんなに気を使わなくて大丈夫よ、『そっちの仕事』ならイナセはしてないわ」
「……悪いな、聞かれると嫌なもんかと思って」
「見た目の割に控え目な人、リュージさんをからかっても面白いのかもしれないわね」
「勘弁してくれ、この年になって醜態さらすのはごめんだ」
ゆっくりと首を横に振る。リュージだって女慣れしているわけではないのだ。固まって動けなくなるようなことはなくとも、どうしていいか分からなくなることは間違いない。
そういう意味でも、リュージはヴィートのことを笑う気になれないのだった。
「冗談よ、あの子の友達にそんなことしないわ」
「まるで母親みたいな口ぶりだな」
「そんなに歳離れてないわよ、精々姉でしょ?」
口を尖らせるフィリーネに、失言だったかと反省する。
しかしラフィ達と歓談していたイナセの姿を、テーブルを挟んだところから見ている彼女の姿には、深い母性が感じられた。
それこそ、なかなか周囲と打ち解けることができない娘に友達ができた時のような、とでも表現できそうな――。
「……去年の今頃だったわ、あの子がこのアルカディアに来たのは」
本当に突然、フィリーネが口を開いた。そこから聞こえたのは小さな声、正面にいるリュージにしか届かない程度の小さな声、リュージはそれに耳を傾けた。
そうしなければいけない気がしたからだ。
「道端でね、倒れてたの、十三の子供がよ?」
「……」
「どうしたのって聞いたら、あの子なんて言ったと思う?」
「……なんて言ったんだ?」
『道端で眠ってる人間がそんなに珍しいかよ?自分の面倒は自分で見る、アタシの人生に首突っ込んでくんじゃねぇ!!』
「ギラギラした目で、この世の全てが敵だって目で、小さな女の子が、たった一人で生きていくんだって――」
その時のことを思い出したのか、フィリーネは酷く寂しそうだった。
フィリーネの瞳の奥には今でもその時の光景が焼きついているのかもしれない。
一人孤独に生ききると、決意を固める少女の姿が映っているのだ。
「その後はいろいろあったわ、無理やり部屋まで連れてって、風呂に放り込んで一緒にご飯食べて、打ち解けるまで大変だったんだから」
「……よくそこまでやろうと思ったな、こう言っちゃなんだが赤の他人だろ?」
「私がこの都市に連れてこられたのも十二の時だったわ、だからかしらね、ほっとくにほっとけなかったのよ」
出会った当初のイナセは猜疑心と不信感の塊だったらしい、度々家から金目のものをすべて持って逃げだし、それでも数日後にはまた町のどこかで蹲っていた。
それも当たり前のことで、幼い少女は自らの言葉を頑なに守り通し、一切人との関わりを断っていたのだ。
人は一人では生きていけないというのは綺麗ごとに聞こえても真実だ。仕事をするにも、買い物をするにも、必ず人との関わりがある。
イナセはその全てを強引に断ちきっていた。生活がままならないのは火を見るより明らかだった。
そんなイナセを見かけるたびに、フィリーネは部屋へ連れ帰った。
また数日後に姿を消す、連れて帰る、姿を消す――。
何度か繰り返したある日、いつの間にかイナセは、部屋に自然にいるようになった。
「イナセは自分は居候だって言い張ってる、そろそろ友達くらい言ってくれてもいいのにね」
微笑むフィリーネは発言とは裏腹に嬉しそうだった。
全てを聞き終わったリュージは、呆れと尊敬が織り混じった複雑な感情をフィリーネに向けていた。
見ず知らずの少女を部屋に招きいれ、結果いろいろと盗まれ、逃げだした少女を見つけ出して部屋に連れ帰る。
なんとも、それはなんとも――。
「お人よしだな、お前は」
「そんなことないわ、きっと誰だってそうする」
「俺にはそうは思えねえがな、お前と同じことができる人間が、果たして何人いるか――」
「ありがとう、でもあなたたちだってそうじゃない?」
「何の話だ?」
「普通の人は自分の財布を盗んだ相手を夕食に招待し続けないわよ」
リュージは息を呑んだ。少し焦って、それでも気付かれないように階段へ目をやった。
幸い少年は、いつにもなく抵抗しているようで誰かが下りてくる気配はない。
リュージは一口含んだ水を飲み下すと、視線だけフィリーネに合わせた。
「知ってたのか」
「そっちこそ、やっぱり気づいてたのね」
「……あの状況で疑わねえのはヴィートくらいなもんだ」
「あ、ヴィート君はホントに気づいてなかったのね」
そこだけは予想外だったと、フィリーネは目を丸くしていた。
あの状況で盗られた本人だけが気付いていないなんて、直接確かめもしない限り信じられないだろう。
お人好しさ加減については、他の追随を許さないヴィートを目の当たりにしなければ、だ。
「お前こそ、知ってたんだな」
「勿論、今だから言うけど私も協力してたわ」
「……そうか」
「怒らないのね」
「今更過ぎて怒りがわいてこねえよ、元々怒ってたわけでもねえしな」
「人のことお人よしだなんて、言えないわねぇ」
お人よし、というよりは今さら掘り返すのが面倒なだけなのだが、訂正するのも手間だと、リュージは無言で通した。
謙遜と受け取ったか、照れたと勘違いしたか、フィリーネは上機嫌で手元のワインを喉に流した。
リュージも持っているエールを呷る。
正直心配しているところもあった。あんな年齢の女の子が、悪事に手を染めている事実は、裏を返せば周囲に誰一人頼れる相手がいないことと同義だ。
しかし違った。イナセにはしっかりと心配してくれる相手がいたのだ。
一人で生きるというポリシーのせいで、今は盗みやスリしか、手が見当たらないのかもしれない。
だが、こんな相手がいるのならいつの日かきっと日当たりの良い道で生きていく当てもできるだろう。リュージたちが去った後の心配など、偉そうにする必要もない。
幾分か心が軽くなった。穏やかな気持ちで、そろそろ降りてくるのではないかと、視線だけ会談へと向かわせる――その時だった。
正面から、今までの会話よりも遥かに小さな呟きを聞いたのは、
「――これならきっとあの子も大丈夫」
「ん?なんか言ったか?」
「イナセの夢が叶えばいいなって言ったのよ」
「イナセの夢?」
「教えないわよ、私が勝手に言うのはマナー違反だもの、ちなみに私の夢は玉の輿よ」
「いや、それは聞いてねえが――」
「まったく、手間とらせて!」
乱暴に階段を下る音に、会話は中断させられた。
足音は二つなのだが、片方はやけにたどたどしい。よく見ればラフィに襟を掴まれたヴィートが後ろ向きに階段を下りさせられていた。
「ラフィさん!わかりました、僕が悪かったです!全面的に僕が悪かったですから、だから前向いて降りさせてぇー!!」
当然ラフィは聞く耳を持たない。
恐怖に震えながらも、器用に後ろ向きに階段を下り切ったヴィートは息を荒げながら席まで戻ってきた。
「なんでこういう意味のない嫌がらせをするんですか!?」
「お腹が空いたらご飯を食べるでしょ?ヴィートが目の前にいたからやった、同じことよ」
「僕をいじめるのは生理現象と同レベルなんですか!?」
「お前らいくら人がいねえからって騒ぎすぎ――おい、イナセはどうした?」
「へ?イナセちゃんがどうかしたんですか?」
「さっきお前らを追って階段あがってったぞ」
「来てないわよ、さすがに目の前に来た人に気付かない程、ヴィート如きに熱中してないわ」
「……なんか引っかかる言い方だなぁ」
会話の流れで意味もなく貶められたヴィートはさておき、ならばイナセはどこに行ったのか、まさかフィリーネもいるのに、何も言わずに帰ったなんてことはあるまい。
リュージの頭の中に、一つの嫌な想像が膨らんでいった。
イナセを襲った三人組、奴らが何故か再びイナセの前に姿を現したことは、十日前にヴィートに聞いた。その時にヴィートが騎士に引き取ってもらうところまで確認したらしいが――。
そもそも人一人をあそこまで粘着質に狙っておいて、全員で三人なんてことがあるだろうか。
もしも、仲間がいたとしたら――。
もしも、そいつらがいまだにイナセを狙っているとしたら――。
もしも、この宿屋に潜んでいたとしたら――。
妄想に近い想像だが、一度考えると不安になってしまう。リュージは立ち上がった。
「ちょっと探してくる」
「えぇ?ほっといていいと思うけど、あいつならすぐに帰ってくるわよ」
暗に心配しすぎだと告げるフィリーネ、おそらく彼女が正しい、ただの心配性なのだろう。
それでも一度芽生えてしまった不安の芽は摘んでおきたいのが人情というものだ。
「一応だ、何かあったのかもしれねえし」
「何かって?」
「……廊下の端の方で転んで頭打って気を失ってるとか――」
「旦那がアタシのことをどう思ってるのかはよぉく分かったぜ?」
背後に気配を感じた。リュージがゆっくりと振り返ると、そこには口元に笑みを湛えるイナセの姿があった。
笑顔を浮かべてはいるものの、体からは怒気が溢れんばかりだ。きっと今帽子を外せば一切笑っていない目を拝めるはずだ。
「アタシがそんなマヌケに見えるってか」
「そういうわけじゃねえ、ここ最近お前も色々あっただろ、それで少し心配になっただけだ」
「なんの心配してんだか知らねぇけど、自分の身ぐらい自分で守れる、子供扱いすんな」
「……そうか、悪かった」
素直に謝るリュージに向かって鼻を鳴らすと、イナセはどっかりと自分の椅子に座りなおした。
その仕草に分かりやすい不機嫌を感じて、リュージは眉を潜めた。生憎その場でそれを感じ取ったのはリュージだけだったらしく、他の面々はいつもどおりのイナセの悪態だとしか思わなかった。
「こらイナセ、あんまり失礼なこと言っちゃいけないでしょ?」
「ああ、わかってるって、楽しく飲み食いしてぇもんな」
気のない返事をするイナセの瞳に灯る苛立ち、ある種の諦観に、付き合いの長いはずのフィリーネが気付かなかったのは、彼女がこの場の楽しさを、場に充満する繋がりのようなものを疑わなかったからだ。
それがどういう結果をもたらすのか、それが分かるのはほんの数時間後のこと。




