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ステゴロソウル~たとえば俺が勇者なら~  作者: 寅猛
建設都市アルカディア
68/165

アルカディアの13

 朝目が覚めたのにベッドから降りたくないなんて久しぶりのことだった。それほどまでに疲れていたと言えばマシに聞こえるが、そんな大層なものではない。

 ただ単純に気まずかったのだ、何も悪いことをしていないヴィートに八つ当たりまでして、合わせる顔なんなかった。

 昨日手を振り払われたヴィートの、悲しそうな顔が胸に張り付いて剥がれない。



 ――結局何も成長してねえな、俺は。



 いつまでもこうしているわけにはいかない、されどもいつまでもこうしていたい、相反する二つの感情が、リュージの胸中で絶えず争いを繰り広げ、膠着状態に入っていた。



 起き上がらない理由はもう一つある。

 結局早く横になったにも関わらず、一睡もできなかったからだ。

 目を、閉じたくなかったのだ。瞼の裏に、昨日の出来事が映りこんで、終わったはずの言葉が、耳朶を震わせて――。



 ――果たして、勇者であることは貴様の戦う理由であろうか、疑問視する。



 今もまだ、耳に残っている、ほんの数分間の会話。

 ほんの数分で、リュージの心を的確に抉っていった、あの影との会話。



 ――推測する、自分が思うに根幹にあるものは正義感でなければ博愛でもない、罪障感だ、違うか。



 違うと、言ってやりたかった。でも言えなかった。

 何一つ言い返せないリュージに、相手は気を良くするでもなく、淡々と、まるでリュージの反応を観察したいだけと言わんばかりに、続けた。



 ――嘲笑する。見ず知らずの他人を救い続ければ、過去に対する罪滅ぼしになるとでも思ったか、浅はか、そんな浅はかな理由で、動機で、決意で、貴様は自分たちの邪魔をするのか、不愉快極まりない。



 本当にそう思っているのか疑わしい平坦な声が、それでもリュージの胸に突き刺さった。

 自分でも知らない自分の本心を、言い当てられたような気持になって、何かを言い返せばよかったのか、今でも分からない。

 ただ、押さえきれない怒りが、今さらのように込み上げてきて、リュージは喉を震わせた。



 「うるせえ!!」

 「まだ何も言ってないんだけど?」



 呆れを含んだ声に、顔をそちらに向けると、ラフィが扉を静かに開けて入ってきているところだった。



 「……なんか用か」

 「いんや、そろそろ起こそうかなって、窓から外見なさいよ、お日様が真上にある、さぁて問題、今何時でしょう?」

 「……わからねえ」

 「正解は十二時でした……いつまで寝てるつもり?ヴィートは一人で調べに行っちゃったわよ」

 「そうか」

 「それだけ!?あの人見知りなヴィートが勇気出して一人で行ったってのに!」

 「ああ、そうだな」



 心ここにあらずといったリュージの返事に、ラフィは大げさにため息をついた。

 ラフィはしばらく気難しそうな顔で天井を眺めてから、徐によしと手を打った。



 「リュージ、私着替えるからちょっと外に出てて!」

 「ああ?もう服着てるじゃねえか、それにいつもは俺がいるのも気にせずに着替えて――」

 「いいから出てけ!」



 ラフィは半ば押し出すようにリュージを部屋から追い出す。寝巻のま廊下に追い出されたリュージは堪ったものではない。

 だが、動き出したラフィを止めるのは走行中の列車に素手で触ることよりも危険だ。渋々廊下に背を預け、待つ姿勢をとると、扉が小さくあいた。



 「なんだもう終わったの――」



 言い終わる前に、薄くあいた扉の向こう側から飛んできた布がリュージの言葉が間違いであったと告げる。慌ててキャッチすると、それはリュージのスーツだった。



 「おい!投げんなよ、大事なものなんだぞ!」

 「ごめんごめん、謝るって、あと時間がもったいないからそこで着替えて」

 「ふざけんな、なんで廊下で着替えなきゃいけねえんだ」

 「大丈夫よ、今私たち以外に泊まってる人いないみたいだから」



 その言葉が事実であるのは、リュージも重々承知だ。

 今泊まっている宿、安くて飯がうまいのはいいのだが、いかんせん小さい。宿泊部屋が三つしかないし、食堂のテーブルも長いのが二つ、同時に何組か泊まったら相席になってしまうほどだ。

 そしてそんな環境でほかに誰かが泊まっていたら流石にわかる。今はリュージたち以外誰もいない。



 しかしそれはそれ、これはこれである。いい歳して廊下で着替えなどしたくなかった。



 「横着すんな!順番に着替えればいいだろ」

 「聞こえなーい!聞こえなーい!」

 「ガキかお前は!」

 「着替えててね、約束だからね!破ったらいろいろ奢ってもらうから」

 「勝手に話を進めるな!」



 扉をたたきながら抗議するリュージだが、さりとて開けるわけにもいかず、悔し気に歯噛みすることしかできなかった。

 ふと、リュージは階段のほうに気配を感知した。首をそちらに向けるとそこにいたのは宿の店主、階段を上らせるのが不安になるほどプルプルと震えている老婆は、話は聞きましたとばかりに小さく頭を下げると、ゆっくりと階段を下って行った。



 ――素直に起きとくべきだったかな。



 急激な脱力感がリュージを襲う。もうなんだかどうでもよくなり、リュージは諦めて廊下で着替えた。



 ※    ※    ※    ※    ※    ※     ※       



 建設都市の昼は、通りを歩く誰もが忙しなく足を動かしていた。

 刻一刻と技術の躍進を求めるこの都市では、年中どこかしらで工事が行われている。道を行くのはまさに今から工事に向かうツナギの人々が主だ。鉄製のヘルメットが眩しい。

 そんな中、リュージは何とも言い難い落ち着かなさを感じていた。

 理由は分かり切っている、明らかに周囲から見て自分たちが目立っているからだ。もっと容赦なく言えば、浮いている。



 「何きょろきょろしてんのよ、いつもみたいに胸張って歩きなさいな、猫背で生きてても良いことないわよ」

 「猫背と良いことがあるかどうかは全く関係ねえと思うけどな……むしろなんで平気なんだ、こんなにじろじろ見られて」

 「悪いことしたわけでもあるまいし気にするだけ損よ、あなたも人の眼なんか気にしないで、お日さまの光を浴びる幸せを噛みしめたら?」



 その場で両手を広げてくるくると回りながら、朗らかに笑うラフィに、周囲の視線がさらに集まる。

 いつもならば、人通りの多い場所で一番目立ってしまうのはリュージだ。長身、強面、変わった服装と三拍子揃えば、道行く人の視線は嫌でもリュージに向かう。

 が、今回に限っては違った。空色のロングワンピースに身を包んだ美女の姿に、男は勿論、女でさえも釘付けになっていた。



 「……そんな服どこに隠してたんだ」

 「失礼な、ちゃんと持ってたわよ、ただ馬車のなかで着る機会なんて無かっただけ」

 「そうかよ」

 「何よ、人がせっかくとっておきまで出してきたのに、その淡白な反応は、似合ってるくらい言えないの?」

 「……似合ってるよ、残念ながら」

 「なにが残念なのか余すところなく問いただしたいところだけど」



 半目を向けて言外に責めてくるラフィを片手であしらう。そんなことより、リュージには聞いておかなければならないことがあった。



 「ラフィ」

 「んー?」

 「これどこに向かってんだ、さっきから適当に歩いてるようにしか思えねえんだが」

 「んー、分かんない」

 「……つまりはあれか、ホントに何も考えずに外に出たってことか」

 「そうとも言うわね、ノープランってやつよ」

 「それは胸を張ることじゃねえ」



 何で自分は連れ出されたのだろうか、調査する時間を無駄にしてまでやることが散歩では、同じ空の下、頑張っているヴィートに申し訳が立たない。

 元をたどれば自分のせいではあるものの、どうせ外に出てきてしまったのなら事件について調べるべきではなかろうか。

 このままつまらない意地を張るくらいならすぐにでも告げようと、リュージは右隣に顔を向けて、同行者がいなくなっていたことにやっと気づいた。



 「むむ!私は見抜いたわよ、このチュロスはとてつもなく美味しいと!そうでしょおじちゃん!」

 「お!見どころがあるお嬢ちゃんだな、どうだい一つ?」

 「お嬢ちゃんだなんて、お上手ね、ちょっと待ってて今財布を――リュージ!来てー!」



 なんだかんだで、全てはリュージを外に出すための方便で、リュージが折れて頭を下げれば彼女も真面目に働く気であるはずだ、そう見当をつけていた。

 だがチュロスに視線を奪われながら手招きするラフィを見ていると、小さな疑念が浮かび上がってくるのを抑えられない。



 ――あいつ、もしかして本当に遊びたいだけなのか……。



 言われるがままに、小さな屋台に近づきながら、リュージは何とかその疑いを頭の中から払拭しようと試みた。

 無理だった。

 その後も、ラフィは目を離すたびにいなくなり、気づけば近くの屋台か店のなかで、店主と打ち解けていた。その度に商品を買っていくのだから気付いた時にはリュージの両手は荷物で塞がっていた。

 魔法よりも何よりも、このコミュニケーション能力がラフィの強みかもしれない、純粋に羨ましいと思う。



 「他には何があるかしら」

 「まだ買う気か?そろそろ持ちきれねえぞ」

 「そんなことないわ、あなたならあと三倍はいけるって私信じてる」

 「そんな信頼はいらん、それに、いつまでこうしてるつもりだ?」

 「こうって?」

 「俺が言えたことじゃねえけど、遊んでる場合じゃねえだろ、お前が引っ張り出してくれたおかげで調子なら戻ったよ、そろそろヴィートと合流して――」

 「あら?あそこ何か人だかりができてる」

 「聞けよ話を」



 ラフィの言葉通り、道の端に人だかりができていた。通行の邪魔になるほどではないが結構な数だ。

 その大半が男、それも屈強な男ばかり、全員が固唾を飲んで見守るのは、ここからでは見えない輪の中心。



 「見に行ってみましょうよ」

 「……とことん人の話を聞かねえやつだな」



 好奇心の強いラフィは、返事を待たずに人だかりの最後列に並ぶ。

 リュージも諦めて先行するラフィに続いた。

 ガタイのいい男たちばかりなので、ラフィは見るのに難儀していたが、リュージからは輪の中心が楽に見えた。



 そこにあったのは一つの机と、向かい合って座る二人の男。

 一人は、どこにでもいそうな二十代くらいの男で、日々の労働で鍛えられた逞しい肉体を持っていた。だがその顔面は蒼白であり、傍らに立っている娘であろう幼い少女も同様であった。

 原因は分かり切っている、彼らの正面に座る男だ。

 肉体労働が多いアルカディアでは、筋肉質な男は数多いのだが、その男はそんなレベルではなかった。

 無駄な体脂肪は一切ないだろうが、重量感は凄まじい。筋肉の塊のような体だ。特にその右腕は常人の三倍は太さがあった。



 「……なんだこりゃ」

 「リュージ、あれじゃない、ほら机の上の――」



 ラフィが指さすのは机の隅、そこには小さな壺から溢れんばかりの硬貨と、これまた小さめの木の板、そこにはこう書かれていた。



 『腕相撲で勝ったら全額プレゼント』



 その下には挑戦料と、怪我をしても自己責任であるという注意書きが提示されていた。

 なるほど、あの男はこうして日銭を稼いでいる腕相撲屋といったところか、そして群がる男たちは一攫千金を目指している挑戦者というわけだ。

 納得したリュージの目の前で、若い男の挑戦が始まろうとしていた。

 二人が手を組んで肘をついたタイミングで、腕相撲屋がにやにやと口を歪めた。



 「そっちの好きなタイミングで初めて良いぜぇ?」

 「な、ナメるんじゃねえ!!そんな不公平な真似ができるか!」

 「そうかい、せっかくのチャンスだったのによ、そこのあんた、開始の合図頼むぜ!」

 「……俺か?」

 「そうだよあんただ、早くしてくれ混んでるんだ!」



 突然指を差されたリュージは面くらったものの、頼まれて断る理由も特にない。

輪の中心に入ると、無言で二人の手の上に掌を被せる。



 「俺が手をどけた瞬間から始めだ、いいな?」



 頷く両者、場の空気が一気に張りつめた。

 挑戦者の男だけでなく、周囲で見ている男たちもその瞬間を待望している。笑っているのは腕相撲屋の男だけだ。

 リュージは、両者のタイミングを見計らうと、ぱっと手をどけた。



 「うおおおおおおおおお!!」



 挑戦者が、絶叫とともに腕に血管を浮き上がらせる。始まった瞬間に手首を巻き込みにかかる姿には、腕相撲に対する慣れがあった。

 その思惑は成功し、手首は挑戦者のほうにしっかりと巻き込まれた。こうなってしまうと、追い詰めても手の甲がなかなか机につかないのだ。これは持久戦になる、見ていた全員がそう確信した。



 対戦している腕相撲屋を除いては――。



 「おい、先に忠告しとくぜ、これが全力なら、今すぐこの手を離しな」

 「なにぃ!テメエ、追い詰められたとたんに何を!」

 「忠告はした、あと五秒やる、ご、よん、さん、に」

 「ふざけんな!この――」

 「いち、ぜろ」



 一瞬だった。気づいた時には挑戦者の手の甲が机に着いていた。

 ギャラリーでさえ、何が起こったのか分からない者もいたほどだ。

 一番近くで見ていたリュージにははっきりと見えていた。

 瞬きするほどの間、その間に手首を巻き返し、一気に勝負をつけたのだ。

 賞賛に値する力と技術だが、結果は褒められるものではない。



 「うぎゃああぁぁあああぁあ!!!」



 挑戦者の男は、右腕を押さえてのたうち回った。手首のまがっている方向が普通ではない、肘から先もだらりと垂れさがっていた。



 「ぱぱぁ!ぱぱぁ!!しっかりして!」



 一部始終を観戦していた娘が泣きべそをかいて駆け寄るが、男は痛みのあまりそれどころではないらしく、変わらず痛みに絶叫することしかできない。

 リュージは輪の外側にいるラフィに視線を送る、既に人ごみの中に割り込んでこっちに向かってきていた。

 他人事のようだが、この男も運が良かった。痛み止めくらいはすぐにできるだろう。

 邪魔さえ入らなければだが――。



 「おいおい、そんなとこで寝てんじゃねぇよ、商売の邪魔だぜ」



 腕相撲屋は、男の右腕を乱暴に掴むと、人形でも扱うかのように、片手だけで持ち上げた。

 持ち上げられた男は、あまりの痛みに白目をむいて悲鳴を上げる。



 「が、ぐ、ああああああああ!!」

 「やめてぇ!!ぱぱを離してよぉ!」

 「離して?ああ、離してやるとも、邪魔にならない場所でなぁ!」



 大きくふるわれた腕、男は木端のように軽々と飛んで、輪の外で無様に転がった。もう動くことも、腕を押さえようともせずに呻くばかりだ。

 少女は、人ごみをかき分けて、父親に駆け寄ると顔をうずめて大声で泣き出した。

 周囲の人間たちも、あまりの仕打ちに腕相撲屋に責めるような視線を送るが、当の本人は気にした様子もなく椅子に座りなおした。



 「もう挑戦者はいないのか!なんだ、どいつもこいつも腰抜けばっかりか!」



 明らかな侮辱に、囲む男たちは気色ばむが、さりとて目の前で広げられた惨状のあとでは、視線を合わせることすら困難だった。

 腕相撲屋は、つまらなさそうに鼻を鳴らすと、立ち上がって机に手をかけた。今日は終いだと、誰もが察した。

 だが、ただひとり、リュージだけは納得しなかった。



 「待て」

 「んん?なんだ兄ちゃん、開始の合図手伝っただけで手間賃ほしいとか言うんじゃねえだろうな」

 「そうじゃねえ、明らかにやりすぎだってんだよ」

 「何だよ、注意が気にちゃんと書いてるだろ?怪我しても知らねえってな」

 「怪我させたことについては何も言わねえ、確かに書いてあるからな」

 「だろう、だったら――」

 「だけどよ、負けたら投げ捨てられるなんてどこにも書いてねえぞ」

 「……」

 「謝ったらどうだ?」

 「謝る?何で謝らなくちゃいけねえんだ、商売の邪魔だったからどいてもらっただけだぜ?だいたい自分の力も分からずに挑んでくる方が悪いんだよ」

 「……なるほどな、よく分かった」

 「分かってくれたか」



 頷く腕相撲屋の前で、リュージは椅子に腰かけた。

 そして懐から、パンパンに膨れた革袋を取り出すと、中身を机の上にぶちまけた。

 大量の金が机の上に広がる、それは男の今日の売上を優に超える額だった。



 「どうした?さっさと座れよ」

 「おい兄ちゃん、一回吐きだしたもんは呑み込めねえぞ」

 「そういうのはな、勝ってから言うもんだ」

 「……後悔するなよ」



 机に肘をつき、互いの手を握る、相手の掌はリュージの倍はある。

 このまま握ったら潰されてしまいそうだ。

 群衆からは、正義感の強い向こう見ずな青年が、激情に駆られて現実を見失っている姿にしか映らなかった。



 「おい、そこのあんたでいい、開始の合図頼むぜ」



 先ほどと同じく、適当に選ばれた男が、リュージ達がくんだ手に、上から掌を被せる。

 緊張感が高まる中、輪の外から「リュージ!負けたら承知しないわよ!」という声が上がった。

 ほぼ同時に、戦いはスタートした。



 「……なるほど、なかなかやるようだな!」



 周囲からもどよめきが漏れる。

 完全な拮抗状態、手は開始時点から、ぴくりとも動かなかった。

 相手がにやりと笑みを浮かべるのを見ても、リュージの表情は変わらない。



 「確かに出しゃばってくるだけのことはあるな!だが、俺はまだ全力の半分しか出していない!」

 「……」

 「驚きのあまり言葉もないか、だが先に伝えておく、あと五秒以内にギブアップしなければ、さっきの奴と同じ運命を――」

 「うだうだうるせえぞ、出し惜しんでる暇があればさっさとその全力出して見やがれ」

 「ふ、ふふ、人の親切を踏みにじったこと、後悔することになるぞ」



 額に青筋を浮かべた腕相撲屋の上腕二等筋が、急激に膨れ上がった。言葉通り、全力を出したようだ。

 ギャラリーのなかで、好奇心で人だかりに加わっただけの者は、再び凄惨なショーの始まりを予感して咄嗟に目をそらす。

 腕を折られたリュージの、悲鳴を聞かずに済むように耳をふさいでいる女もいる。

 ――が、いつまでたっても悲鳴が響くことはない、どころか響いたのは更に大きくなったどよめきだった。



 「ば、ば、バカなぁ!!」

 「……こんなもんか、もう終わっていいな?」



 完全な膠着は、続いていた。

 いや、ここまでくれば誰にでも分かる。どちらが優位なのか――。

 顔を真っ赤にし、額に脂汗まで浮かべて呻いている腕相撲屋と、呼吸すら乱していないリュージ、勝負の行方は明らかだった。

 ゆっくりと、ゆっくりと、リュージが腕に力を込める。

 傾いていく腕、そしてほんの数秒後には、巨漢の手の甲は机にべったりと密着した。

 呆然とする巨漢に向かって、リュージは肩を回しながら告げた。



 「ホントに力の差があれば、相手を怪我させずに終わらせられるんだよ、こんなふうにな」



 ネクタイの位置を直すリュージに、歓声が降り注いだ。

 この様子では、どうやらこの腕相撲屋、今までも似たようなことをしでかしていたのかもしれない。

 興奮して、肩や背中を叩いてくる野次馬たちを、適当にあしらいながら、金の詰まった壺を片手に、リュージは男の怪我を治療するラフィに歩み寄った。

 ラフィはリュージの姿に気づくと、快活な笑みを浮かべた。



 「楽勝だったわね!さっすが――」

 「人の正体をポロッとばらすのは止めろ」

 「おっと、つい癖で」



 片目を瞑って舌を出して見せるラフィに、無性に拳骨を喰らわせたい気持ちをなんとか抑える。

 隠しているわけではない、確かに日頃からそう言ってはいるが、別段いい広めたいわけでもない、同時にそうも言っているはずなのだが……。

 リュージは軽くため息をついて諦めると、意識を取り戻して座り込んでいる男に向かった。



 「腕はもう大丈夫なのか」

 「あ、ああ、おかげ様でね」



 怪我が治ったと言うのにいやに浮かない顔をしている男を、リュージは不思議に思った。

 男は気まずそうに視線を泳がせていたが、自らの腕を見、娘を見ると、覚悟を決めたようにリュージに視線を合わせた。



 「す、すまん!実は俺達金がなくて、せっかく治してもらったのに払えるものが――」

 「なーんだ、それでさっきから元気なかったのね、気にすることないわ、私ったら今教会から飛び出して旅してる身だから、お金なんて取れないもの」

 「ほ、ホントか!ホントに払わなくていいのか!?」



 ラフィの言葉の意味は分からなかったようだが、要点――無料だということ――だけはしっかりと理解した男は、安堵のあまり仰向けに倒れた。

 服の裾を逃げっていた娘が慌てて呼びかける。



 「ぱぱ!?まだどこかいたいの!?」

 「いや、どこも痛くないよ、ちょっと寝ころびたくなっただけだから、気にするな」



 安心させようと娘の頭に手を乗せた男の腹が鳴り、空腹を訴えた。

 それはあたり一帯に轟く程の大きな音だった。



 「何だ、腹減ってるのか」

 「ち、違う!そうじゃない、全然平気だ」

 「ぱぱ、うそつかなくていいよ、きのうからなにもたべてないでしょ?」

 「そ、そんなわけないだろう、お前が見てないところで食べてるんだよ」

 「わたしがたくさんたべるから?だからぱぱはごはんが食べれないの?」



 ぐずり始める愛娘に、父親は言葉もなくただあたふたと慌てながら、口を開けたり閉めたりしていたが、いい言葉が見つからなかったようだ。力なく項垂れた。

 全てを察したリュージは、自分の財布をラフィに投げる。



 「ラフィ、悪いがその辺からいろいろ買ってきてくれ」

 「了解!目利きのラフィさんが、この辺で一番のグルメを持ってきてあげるわ!」

 「おつりは使うなよ」

 「じゃぁ行ってくるから!待ってて!」



 返事がなかったので、余分な出費を考えておかなければならないだろう。

 リュージは背中を見送ることもなく、男に向きなおるとその頭のすぐ横に、勝ち取った賞金を置いた。

 驚いたのは置かれた本人だ。勢いよく起き上がると、壺とリュージを交互に見比べる。



 「こ、これは、なんだ?」

 「やるよ、事情は知らねえが、必要なんじゃねえのか」

 「そんな!怪我まで治してもらった上にここまでしてもらうわけには――」

 「プライドも、意地も、お前が一人なら好きに持てばいい、だがな、お前は一人じゃねえ、そうだろう?」



 男ははっとして、依然心細そうに目にいっぱいの涙をためる娘を見た。

自分が守らねばならない、他の何を犠牲にしてでも守らねばならない愛しい者の姿を――。

 リュージは、屈んで娘と視線を合わせると、できるだけ穏やかに微笑みながら、小さな頭に手を置いた。



 「お前のお父さんはな、すごい頑張ったんだ、怪我するまで頑張ったんだ、分かるな」

 「……うん」

 「そのおかげでな、あのおっきい奴は弱ってたんだよ、だから俺は勝てたんだ、だからこのお金はお父さんの物だ、今日は二人とも腹いっぱい食べればいい、嬉しいか?」



 こくり、と幼女はその小さな頭を上下させた。その瞳からは涙は引いていた。

 リュージは「そうか」と呟いて、やや乱暴に頭を撫でた。慣れていないのだから、勘弁してほしい。

 父親は座ったまま、深く、深くリュージに頭を垂れた。



 「どこの誰だか知らねえが、恩に着る」

 「もういいさ」



 それにしても、アルカディアではそこまで生活に困っている者が多いのだろうか。

 目の前の男にしても身なりもある程度整っていることもあり、そこまで切羽詰まった生活を送っている層の人間らしくない。

 疑問を覚えたリュージの前で、男の口から、押さえていたものが溢れだした。



 「本当ならこんなはずじゃなかったんだ、でけえ仕事が入ったはずだったのに、都市の外に出られないってなんなんだよ」



 その一言が、リュージの心を大きく揺さぶった。それに気づかずに男は現状に文句を重ねる。



 「この仕事のおかげで、当分食っていけるはずだったんだ、それなのに今じゃ、女房まで働かせてよ、俺は情けねえよ」



 足音が、近寄ってくるのにすら気付けなかった。

 リュージのすぐ横を通り過ぎ、ラフィが買い集めてきた食料を、親子に渡す。素直にそれを頬張る二人から視線を外し、リュージは天を仰いだ。自然と、そうしていた。



 「ちょうど良かったから、私たちのも買ってきたわよ、大丈夫ちゃんとリュージの分も買ってきたから……リュージ?」



 手に持った包みを差し出すラフィの声さえ耳に入らず、リュージは自分でも気付かないうちに呟いた。



 「何やってんだ俺はっ……!」



 呟き自体はすぐさま空に溶けていった。

 しかし、リュージの心に重くのしかかり、深くしみついたそれは、消えることはなかった。


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