アルカディアの7
親方の言葉を聴いた直後、ラフィの不機嫌さは、段階を飛び越して最高潮になった。
「それが脅しのつもりなら、私そういうの大嫌いよ」
元々行動を制限されるのが何よりも嫌いな彼女だ。その上都市の最高権力者からの直々の命令ときた。ラフィの最も嫌いな状況の一つだろう。現に今その顔からは温度が消えつつある、不機嫌になると冷めていくタイプなのだ。それを知っているだけに、リュージはこのまま放っておくのはまずいと判断した。
「待ってくれ、出られない、なのか、出さないじゃなくて」
「ああそうだ、出られないんだよ、お前たちだけじゃない、この都市は今誰一人入ることも出ることも出来ない、この一週間ずっとな」
「それは門で聞いた、それと俺たちがあんたを手伝うことに何の関係がある?」
「慌てるな、今順を追って説明してやる、今このアルカディアでは、都市の命運をかけた一大プロジェクトが進んでいる」
髭の先を指で弄りながら、親方は全く関係のなさそうな話を始めた。ラフィが意地悪くそのことを突っ込もうとしていたが、察したリュージが目で止めた。ラフィが茶々を入れると話が一向に進まなくなるのだ。
「シャトランジへ行ったことは?」
「いや、無い」
「そうか、じゃあ知らんだろうが、あそこには世界最大規模の建築、シャトランジ城がある、近々その改装を大々的にやるんだ」
「なるほど、稼ぎ時ってわけだ」
「いや、このままじゃ全ては水の泡だ」
「……さっきから話が進んでないんだけど?早くどう繋がるのか教えてよ」
「いいだろう、仕事に意欲的なのはこちらとしても好都合だからな」
そういうわけじゃない、その言葉を使うのも面倒なのか、ラフィは黙って話を聞く姿勢だ、よほど話を切り上げたいのだろう。
リュージも黙って続きを待った。
「そもそものきっかけは……ああ、どこから話せば良いかな」
「親方、コンペの件から話すべきかと」
「ああそうか、そこからだな、チッ!あの都市の連中もなぜ今回に限ってこのようなややこしい手筈を、いつもどおりうちに頼めば良いだろうに!」
親方は、詰まりながら、時折愚痴を交え、話を展開させていった。
今回のような大掛かりな工事・改修の場合、これまでのアルカディアのやり方では、この会社、つまりは親方が主導となり、他の会社がそれに協力する形をとっていた。しかし今回に限って、依頼主であるシャトランジがややこしい注文をつけてきた。
コンペ開催の要求である。一般公募した設計図の中から、シャトランジ自身が、どの改装案を選ぶか決定するというのだ。当然だが、そこで勝ち上がったものが、工事を主導する立場となる。
「それの何がいけないんだ、公平で良いじゃねえか」
「公平なんぞクソくらえだ!大きな仕事の先頭にいつも親方が要る、それがアルカディアで権力を保つために重要なことだったんだ。今回俺が負けるようなことがあってみろ、俺を蹴落とすまたとないチャンスになるってわけだ」
「勝てば良いじゃない、自身が無いっての?」
「そんなことはありません!」
ラフィの挑発に、返事をしたのは親方自身ではなくその隣に立っているナディヤだった。理知的な彼女のイメージからは外れるような厳しい声で、ラフィの無礼を叱責するように、彼女は語った。
「親方は実力でこの地位まで登ってこられた方です、今回のことだって何も無ければ、間違いなくうちの圧勝でした!」
言い終わって息を荒げるナディヤに、ラフィが目を丸くしていた。リュージも同様である、当の本人は我に帰って、自分が何をしてしまったかに思い至り、慌てて頭を下げた。
「す、すみません!」
「いや、いいさ、随分部下に慕われてんだな」
「……そんなことはどうでもいい、彼女の言うとおり、何も無ければうちの圧勝で終わっていた。その自信がある」
「てことは、なにかあったってことか?」
親方は、よほど言いづらいのか、忙しなく髭を弄んでいたが、このままでは話が進まないと、決心したらしく、重々しく、口に出すのも憚られるように、言葉を絞りだした。
「こそ泥だ、うちの設計図を盗みやがった」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
話はちょうど一週間前のことだ。
この中央ビルの最上階である十八階には親方と、ナディヤ以外誰も来ない。理由は二つある。
ひとつは単純にこの階に用があるのは二人だけだということ、接客は応接室がある、会議には会議室がある。わざわざ執務室まで来てやることがあるのは、そこの主である親方と、その補佐をするナディヤだけだ。
二つ目は、親方の度が過ぎた用心深さだ。彼は普段から執務室に貴重品を置きっぱなしにして厳重に施錠していた。その上で誰一人フロアに上がることすら許さず、少しでも興味を示す者とは、露骨に接触を避けた。
彼はこの件についてだけは、だれ一人信用していなかったのだ。
誰から見ても大げさと取られる対応であったが、残念ながらそれが決して大げさで無かったと証明されてしまうこととなる。
その日親方は、朝から多忙を極めていた。シャトランジ城の改装案が昨日完成し、方々への挨拶と、運搬の手続きのため、都市中を周っていたのだ。
本来ならばそのまま直帰の予定だった。執務室に愛用のペンを忘れていたことを思い出さなければ――。
取りに戻ったのは夜も更け、警備の人間が帰る直前のことだった。
僅差で間に合った親方は、鍵を開けてもらい一人最上階へ向かった。もちろん動かす役も帰ってしまっているので階段で、だ。
登り切る頃には息も上がっていて、親方は額の汗を拭いながら日ごろの運動不足を実感した。帰りにまた同じ階段を降りねばならないことに、憂鬱を覚えながら、執務室へ向かった親方はいち早く異変に気づいた。
音が聞こえたのだ。誰もいないはずの自分の部屋から……。
一瞬で背筋に氷を突っ込まれたようになった親方は、脇目も振らずドアノブを回した。そこには確かに鍵がかかっていた。だが内側からは間違いなく音が聞こえる。
親方は、焦りに焦って鍵をポケットから取り出した。
どうやって入った。何を狙っている、いったい誰が、答えの出ない疑問が頭の中をぐるぐると駆け廻る。ようやく鍵を開けて中に飛び込んだとき、そこはもぬけの空だった。親方が部屋を後にしたときとまったく変わらない光景が――いや、違うところが二つだけある。
丁寧に、傷一つなく開かれた金庫だ。
親方は膝から崩れ落ちた。そこに入れていた物の価値を誰よりも知っているのは、書いた本人である彼だったからだ。
完成直後の設計図、それが影も形も無くなってしまった。
親方はのろのろと、もう一つの変化に目をやった。
開け放たれた窓、ここから入り、ここから逃げたというのだろうか、そんな馬鹿なことがあってたまるものか、ここは地上十八階、ここから飛び降りたりすれば命がいくつあっても足りやしない。だが状況は雄弁にそれ以外の真実はないと語っていた。暫し呆然と魂消ていた親方は、しかし流石と言うべきかすぐさま対応を開始した。
町から出るもの、入るもの、全てを規制したのだ。人はもちろんのこと、物資、手紙、全てだ。
当然、何の説明もなく始まった暴挙に、市民は怒りをあらわにしたが、親方が方針を変えることは無かった。それだけ事態は逼迫していた。しかし迅速な対応の甲斐なく、一週間たった今でも設計図の行方は杳として知れない。
※ ※ ※ ※ ※ ※
語っている間、親方は表情を保っていられないのか、頻繁に変化した。
この一週間が仔細に思い描かれたのだろう。その中でも最も強く表れていたのは憔悴だった。親方は頭を抱えたまま顔を上げようとしない。
「出られないって言葉の意味は分かった、俺たちに手伝ってほしいってのはその犯人探しってわけか?」
「……もう一週間だ、住人も今はまだ何が起こっているのかイマイチ理解していない様子だが、手紙も規制している現状では、いつ不満が爆発するか分からない、借りられるなら猫の手でも借りる」
親方が右手をスッと上げると、控えていたナディヤが彼の机から一枚の紙を取り出した。それは一枚の書類、ナディヤはリュージにそれを手渡した。
リュージは横から覗き込んできたラフィと共に、内容に目を通す。それは簡易的ではあるが、押印までされた公式の書類で、犯人を捕まえた際の報酬について書かれていた。
「金に糸目はつけん、勇者といえど人間だ、金は必要だろう?いくら欲しい」
「……もっと他に言うことねえのか」
「なんだ、紙の上だけの約束じゃ信用できんということか?確かにそれはそうだろうな、騎士団の連中でも呼んで証人にするか」
「そういうことじゃねえよ」
リュージは短く言い捨てた。信用とか、証人とか、そんなことが気になったわけじゃない、もっと根本的で、基本的なことだ。できれば自分から気付いてくれはしないかと、親方に視線を送るが、彼はリュージが何を言いたいのかさっぱり分からないようだった。
軽く目をつむる。残念だが、これも考え方の違いなのだろう。
「金は要らねえ」
「なに?」
「俺たちはもともと買い出しに来ただけだ。全部終わったら買い物して帰る、そんだけでいい」
ラフィが他からは見えないようにリュージの背中を抓っている。もらえるものを何故貰っておかないのかと、言いたいのは分かっている。
だが、これだけは譲る気はない、個人的な主義でしかないが、捨てたくないこだわりでもある。
恬淡としたリュージの言葉に、親方はむしろ不機嫌そうに口を歪めた。
「方向性は真逆だが、野心と無欲ってのは信用できないって一点では一致するものだ」
「俺には俺の考え方があるってだけだ、手伝いはしっかりする」
「……ふん、ならばここにいる間にかかった費用は必要経費にしてやる、これは断らせんぞ、私は施されるのが嫌いだ」
ここらがお互いの妥協点か、リュージは静かに頷いて了解の意を示した。
親方は無言で追い払うようにリュージ達に手を振った。二人としてももうここに用はない、再び先導してくれるナディヤについてこの部屋を後にしようと――リュージはふと思い出して部屋の主に訊ねた。
「そういえば、あんたなんて名前なんだ?」
「言う必要があるか」
「いや、気になっただけだ、あんたじゃ失礼かと思ってな」
「……オットナー、オットナー・カフカだ、さっさと行け」
オットナーは、非常に不機嫌そうに、言い捨てるという言葉がぴったりな言い方で名乗った。
自分の名前だというのに、それを名乗るのが不本意で仕方ないように、不思議に思ったが、行けと言われて留まる理由もなく、リュージは部屋を出て扉を閉めた。
内側から施錠される音が、閑散とした十八階に響いた。酷く重苦しい音だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
申し訳ありません、と前を歩いていたナディヤが謝罪の言葉を口にしたのは、丁度ビルから出る時のことだった。
親方の部屋で彼女を襲った惨劇は、体にこそ傷をつけなかったものの、精神を疲弊させるには十分すぎた。乱れた着衣を直そうともせず、一言も口を利かないナディヤに、二人も黙ったままここまで来ていた。
彼女が口を開いたのはもうこのままお別れかと思われたタイミングだった。
「親方が散々失礼なことを、本当に申し訳ありませんでした」
「気にしてないって言ったら嘘になるけど、あなたが謝ることじゃないわ」
「俺は気にしてない、どっちにしろ謝る必要はねえよ」
「そういって頂けると助かります」
ナディヤは頬に垂れた髪を直しながら、微笑んだ。
その笑みには力がなく、疲れ切っていることは明らかだった。この様子ではもしかしなくとも珍しくない出来事なのかもしれない。
追い詰められているからといって部下を嬲るような男なのだろうか、だとするならば、個人的には好きなタイプではない。
「……ちょっと」
脇腹を突かれていることに気づかないほど、考え込んでいたようだ。ラフィが呆れた顔、ナディヤを見るように示す。
視線の先ではリュージの顔を不安そうに見ては、目を逸らすナディヤがいた。リュージは、自分の眉間に皺が寄っていたことに今更気づいた。
「すまん、別にあんたに怒ってるわけじゃないんだ」
「親方に、ですか?」
「……そうだな、部下に八つ当たりするのはどうかと思ってる」
「ありがとうございます、でもそれは違うんです、あの人はそんな人じゃありません、ただ最近はいろんなことがあり過ぎて、だから――」
必死に親方を、オットナーという人間をかばうナディヤの姿に、リュージは反省させられていた。
気を使っているようにも、恐怖で縛られているようにも見えない、きっと当人たちの間でしか見えない、信頼関係のようなものが確かにあるのだろう。それはリュージには分からないことで、分からなくていいことだ。
「……どうやら適当なこと言ったみたいだ、悪かったな」
「いえ、心配してくださって感謝してます、それで、これからどこに?」
「ああ、もう一人が宿をとってくれてるはずだからそこに」
「なるほど、ではそちらに直接向かわれるんですね」
「いや、先にヴィートと合流することに――」
その時、リュージの頭の中に一つの疑問が湧きあがった。それはこの少し前に、ひとりの少年が得た気づきと全く同じものだった。
急速に膨れ上がった疑問は、一つの結論を導き出し、そして同時にもう一人の同行者であるシスター、こう見えても聡い彼女がこんな簡単ことに気づかなかったはずはないと、力いっぱい首を動かして横を見た。
にっこりと微笑むラフィの姿があった。
「……お前気づいてたな」
「なんのことかしら、それより早くヴィートの所に行きましょう?」
「どこにいるのか知ってんのか」
「全然、知るわけないじゃない」
「あのなぁ、気づいてたなら言えって、こんなことして何の得があるんだよ」
「いや言おうとは思ったのよ?ただどこで気づくかなって思ってみてたら、全然気付かないから、面白くなっちゃって」
「お前、お前ほんとに――」
リュージは激しい脱力感に襲われていた。
ヴィートが見つからないことで誰が何の得をするのか、見つけてもらえないヴィートは心細くなり、自分たちはいたずらに時間を浪費するだけだ。誰一人幸せにならない、というかラフィ自身にとっても損でしかないことを、彼女は理解しているのか。
怒鳴ることもできずにがっくりと肩を落とすリュージに、ナディヤが気を使って声をかけた。
「あの、よろしければ騎士団の方に連絡を取ってもらって探してもらっても――」
「有り難いけど遠慮しとく、話聞いた限りじゃ暇な奴なんていないんだろ」
「それは、まあ言ってしまえば余っている人材は一人もいないでしょうね、しかし勇者様の一行の捜索となれば」
「もう夜だし、これから人通りが増えるってこともなさそうだ、だったら自分たちでも探せるさ……あと頼むから様付けはやめてくれ」
「そう、ですか、ではお気をつけて、あと宿が決まったら近くの騎士団の人間にでも伝えておいてください、こっちのほうで確認しますので」
「分かった、行くぞラフィ」
「はーい勇者様」
「叩きのめすぞ」
深々と頭を下げるナディヤに見送られ、二人が進むのは中央ビルからまっすぐ伸びる道、名前はそのまま中央ビル通り。
午前中ならば人で溢れているであろう広い道だが、夜も深まれば人通りもちらほらと表現できる程度のもので活気はない。
そそくさと家に帰っていく人たち、飲みに出かける人たち、目に映るのはそのくらいだ。
「とはいえ、この都市そんなに狭くないぞ」
「大丈夫よ、すぐ見つかるわ」
「一応聞いておくが、根拠は?」
「あるわけないでしょ」
「だと思ったよ、ったく、見つからなかったらどうすんだ」
「その場合は勝手にどっか泊まればいいんじゃない?それで明日探しましょ」
「鬼かお前は」
その場合真面目なヴィートは、きっと一晩中自分たちを探し続けた挙句、明日泣き崩れることだろう。そんな光景は見たくない。確かに都市は広いが今からの時間帯ならば、人が減ることはあれ、増えることは無いとふんでいい。時間がたてば経つほど見つけた少なることに賭けて探すしかない。
これは持久戦になる、半日歩いた後のこれだ。流石に肩が凝りそうだ。つい首を大きく回したリュージの視界に、それが映り込んだのは完全に偶然だった。
それは道の端で蹲っている人影、それも年端もいかないような少女だった。身なりは整えられているとは言い難く、襤褸を纏っているような恰好で、少女は地に両の手をついていた。
周囲を歩く人々は自らの家に帰ることに意識が集中して、少女に気づきもしない。
いや、気づいていてもこの明らかに家を持っていなさそうな少女に構う人物がいないだけか。
少女自身も助けが来るなど、考えてもいなさそうだ。
そしてそれは恐らく当たってしまう想像だ。こんな時間に地面に突っ伏して目に涙を溜めている少女など、よくて迷子か、悪くて犯罪がらみか、どちらにしろ関われば厄介事にしかならない。自分から関わろうなんて、人並み外れたお節介だけだ。
だからそれも町の風景の一つとして処理されるだけのものだった。
ただ、少女を見つけたのは人並み外れたお節介な男だった。
リュージは躊躇わず少女のもとへ向かう、ラフィはそれを見て漸く少女の存在に気づくと、やれやれと両手を肩まで持ち上げて、着いてきた。
「おい、どうかしたのか」
「……意味わからねえよ、今日会ったばっかりなのに、なんであいつはアタシの身代わりなんかに――」
「あいつ?」
「騎士だった。行ったことねえけど、ブロックスの制服だった、急に現れた男たちに、アタシが襲われてるところにきて、先に逃げろって、あいつら三人だったし、戦いなれてそうだった、このままじゃあいつが――」
本人の中でもまだうまく纏まっていないのだろう、話す内容は要領を得ず、何も知らずに聞けば支離滅裂もいいとこだ。
だが混乱の中、懸命に身に降りかかったことを語り続ける少女には申し訳ないが、リュージは苦笑しながら、ラフィのほうへ顔を向ける。
ーー どうだと言わんばかりに胸を張っていた。
「ほらね、だから何とかなるんだって」
満面の笑みを浮かべるラフィと、状況を飲み込めずに二人を見上げる少女が、とても対照的だった。




