アルカディアの5
短いので2話投稿、これの前に一話あります。
体にかかっていた負荷が消えた。つまりは最上階に着いたということだ。ナディヤが先導して扉を開けようとしたが、それよりもラフィが半ば体当たりするように扉を跳ね開けるほうが早かった。
そのまま地面に手を着いて口元を押さえている、顔色が白くなったり青くなったりと急がしそうだ。
「大丈夫ですか、お手洗いはあちらに一つありますから」
「……大丈夫、すぐ直すから」
ラフィは額に手を当てて治癒魔法を使う、二日酔いや乗り物酔いに有効な魔法もあるそうだ。ただし漠然とした『気持ち悪さ』というやつは、下手な怪我よりも治すのが難しいらしい、現に切り傷程度なら十秒かけず消し去ってしまうラフィの魔法でも、少し顔に赤みが戻った程度だった。
それにしてもこんなに弱っているラフィも珍しい。
「馬車は平気なのにエレベータは駄目なんだな」
「急激な上下移動なんて普通に生きてたら経験しないのよ、むしろ何で平気なのか知りたいわ」
「俺は慣れてるからな、乗り心地はちょっと悪かったが」
「……慣れてる、ですか、それにエレベータとは『昇降室』のことでしょうか、うちにしか無いはずのものを、うちとは違う呼び方をしている」
「そこらへんもまとめて話すさ、だが面倒な話になりそうでな、できれば親方も交えて一回で終わらせたい」
「……そうですね、その通りです」
リュージは歩き出したナディヤを追った。ラフィも何とか立ち上がってそれに続く。
最上階は何も無いフロアだった。広さだけは他のフロアと変わらないのに、使っている様子の部屋が極端に少なかった。この階だけ見れば、今にも倒産寸前のような廃れ具合だ。明かりも無かったため、ナディヤが自分で出している。
移動はすぐに終わった。目の前にこの階唯一の明かりが点いている部屋がある。掲げられたプレートには執務室の文字、ここで間違いない。
が、ナディヤのノックに対して、中から返答は無かった。
「何?もしかして留守?それだったら私もう帰って寝たい……」
「いえ、中にはいます。ですが――申し訳ありませんが私だけ先に入らせていただきます、声をかけたら入っていただいても?」
「分かった、先に行ってくれ」
ナディヤは小さく頭を下げると、扉を薄く開いて潜り込むように入った。おかしな動きだ。まるで出来るだけ扉を開けたくないかのように、すばやい動作だった。さっきも何か言いかけていたし、扉の向こうはどうなっているというのか。扉の向こうからはくぐもった話し声がかすかに聞こえた。
疑問はあるが、待てと言われたリュージは扉の前で直立していた。ラフィは近くの壁に持たれかかって呻いている。
「ちょっと、遅くない?もう二分くらいたってるけど」
「急なことだったからな、説明に時間かかってるんじゃねえか?」
「うぅ、やっぱりこっち来ずにヴィートいじめとけば良かったかな……」
「違うだろ、こっち来ずに宿探しとけば良かった、だろ」
「同じようなもんよ」
「お前なぁ、偶には優しくしとかねえといい加減あいつの胃に穴が開くぞ」
「あら、普段からこんなに優しくしてるのに?」
「いじめとけば良かったって言ったのと同じ口から、よくもまぁ――」
嫌な音が聞こえた。鼓膜を突き刺すような、ガラスの割れる音、それも一つじゃない、連続で次々と、全て目の前の扉からだ。
考えるよりも先に体が動いた。リュージは目の前の扉を開けて中に入った。
折り合い悪く、入った直後に、リュージの顔面をコップが狙った。リュージはそれを難なく受け止めると、次々飛んでくるグラスや花瓶を避けながら、部屋の中を見回した。窓にはひびが入り、壁紙はめくれている、惨憺たる状況だ。
先に入ったナディヤを探すと、彼女は部屋の隅で小さくなっている。リュージが駆け寄ろうとすると、その背中目掛け大きめの額縁が猛スピードで飛来した。
「危ない!」
とっさにナディヤが叫ぶも、角度的に避けると彼女に当たる。リュージは咄嗟に腕をクロスさせて衝撃に備えたが、幸いにもその準備は無駄になった。突然部屋中の浮遊していた物体が、動きを止めたからだ。
いや、突然ではない、部屋の外で様子を見ていたラフィが、『操作』の魔法で止めたのだ。
「……これはアルカディア風の挨拶ってこと?はっきり言わせてもらうけど全くセンス無いわよ」
白色のシスターは至極つまらなさそうに、部屋の一点を見ていた。その先にあるのはこの異常事態でありながら、普段どおりに地面に接している机と椅子、そこに腰掛けている一人の男、これといって目立ったところの無い中肉中背の男であるが、全く似合っていないカイゼル髭が特徴といえば特徴だった。
男は顔を真っ赤にしてくっきりと隈が出来ている目を血走らせて喉を震わせる。
「なんだお前らは!邪魔をするなぁ!」
男は地面に転がっていた花瓶の破片を操作しようとしていたが、浮いた時点で再びラフィが主導権を奪う。似たようなことが何度も繰り返され、男は次第に疲弊していった。
通常二人以上の人間が同時に『操作』の魔法を使った際には、最も魔法に魔素をつぎ込んでいる人間に主導権が移る。つぎ込んだ魔素は、そのまま腕力だと解釈しても差し支えない。
男の魔素保有量がどの程度かは知らないが、生まれ着いての魔素の量が人並みはずれている、『亜人』と呼ばれる体質のラフィにかなうはずも無かった。
「……そうか、お前らがナディヤが呼んだ助っ人ってところか、で、どうするんだ、私を殺すのか」
「違います親方!この人たちは本当にさっき会ったばかりで――」
「黙れ!今更弁解なんぞ聞きたくない!やはりお前も私を裏切るんじゃないか!」
「そんな、私があなたを裏切るなんて、あるわけ無いじゃないですか!私だけじゃない、ブルーノさんだって――」
「俺の前でその名前を言うんじゃねえ!!」
男は、椅子を倒す勢いで立ち上がって、手元にあった金属製の定規をナディヤに向かって思い切り投げつけた。魔法が無駄と知って最後には肉体に頼ったのだ。
しかし、ナディヤの前には男よりも遥かに肉体のみで生きているリュージがいた。
リュージは片手でそれをキャッチすると、泣きそうなナディヤの顔を、激情に駆られた男の顔を順に見た。
なにが起こったのかは分からないが、二人だけでは修復不可能なほど話がこじれたのは確かだ。そして原因は自分たちなんだろう。
「あんたが親方、で良いのか」
「だったらどうなる」
「どうもしねえよ、ナディヤも言ってたろ、ここであったのはただの偶然だ」
「信じられるか!都市の機密を知っている人間が、偶然ナディヤに会って、偶然ここまでやって来ただと?ふざけるな!」
「ふざけてもねえし、それが真実だ、俺が色々知ってたのは、俺の故郷に似たようなものがあったからだ」
「それがふざけていると言っているのだ!鉄筋コンクリート製の建物も、昇降室も、世界中探してもこの都市にしかない!」
「それはこの世界の話だろうが」
その言葉に、男は戸惑い、ナディヤは目を見開いた。
もっと穏便に話したかったがそうも言ってられない、こんがらがった事態を正すため、リュージは自らの正体を明かした。
「リュージ・キド、異世界からやってきた男だ」
「勇者だ!が抜けてるわよ」
茶化すラフィに舌打ちをした。その立場、自分から名乗るのは結構恥ずかしいのだ。親方は自分たちのことを聞いてはいたようだ。その一言に幾分か落ち着きを取り戻すと、息を整えながら机に手を突いた。
駆け寄って体を支えようとする秘書を押しのけ、親方はギラついた目をリュージに向けた。
「そうか、お前が異界の勇者、だったらちょうど良い、お前にも手伝ってもらう」
「手伝い?なんの話だ」
「喋るな、今説明する、そして聞き終わったらすぐに仕事に取り掛かれ」
「……頼み方がなってないわね、別にあなたの命令に従わなくちゃいけないわけじゃないんだけど?」
「いいや、従うことになる」
機嫌が悪くなったラフィに、親方は笑ってみせた。
その笑みは余裕を表すものでもなく、かといって二人をあざ笑うためのものでもなく、ただただ破滅的な、その先になんの未来も感じられない笑みだった。そのまま親方はこう言った。
何故ならこのままじゃお前らはこの都市から出られないからな、と。




