メイドとおもちゃ箱
個人的趣味丸出しの世界感なので細かい事は気にしちゃ駄・目・!
―――鬱蒼とした森の奥深く、その屋敷は在った。
貴族の住まいとしてはさほど大きくは無い。用途としては来客用のゲストハウスか、家人が趣味に没頭する為の離れ家なのだろう。
もっともメインハウスと比べて小規模なだけで部屋自体は数十室もあり、弱小貴族のメインハウスに匹敵する。
持ち主の趣味なのだろうか?過度な調度品や装飾は施されておらず、シンプルかつ機能美に溢れた簡素な物で、精々要所要所に甲冑や石像、愛らしい花を活けた花瓶が配置されている程度だ。
そんな屋敷内では今日もメイド達が慌ただしく働いている。
メイドの数は15名、それと台所、洗濯、清掃など各役割の長の1名ずつがひとつ屋根の下に暮らしており、互いを監視する意味も含めて3人でひと部屋が宛てがわれている。
きっと小数精鋭なのだろう、この規模の屋敷を維持するに必要な人数で……
『キャアアアァァァーーーッ!?』
・・・・・
すまない、精鋭では無かったようだ……。
敷地内のアチコチから悲鳴と何かが破壊される断末魔が聴こえてくる。きっと新人研修の為に使われているのだろう。そうすると調度品などがあまり高価な物でも無い事に納得も出来る。
しかし、貴族的な感覚で“比較的安価”なだけで、一般庶民からすればトンデも無い額にかわり無い。
「フゥ……、また貴女ですか。ルーチェ=シュタイン……」
髪を纏め上げ、小さな眼鏡を鼻に架けたメイド長のソアラは呆れや侮蔑を超越した無表情で花器の破片を纏い、ずぶ濡れの少女に溜め息を零した。
気の強さを表すような吊り眼で見上げながら金髪碧眼の少女は不満を堪えるように震えている。
「僭越ながら見習いメイド候補のルーチェ=シュタインの処遇をお決め戴きますよう進言致します」
メイドは何も庶民から雑役を熟す為にやって来るだけでは無い。同じ貴族の御息女が行儀見習いや身の回りのお世話役 兼 御学友として宛てがわれる事もある。
当然、日常的に接する彼女達の役割も知っており、世間体や形式を重視する貴族はマナーやエチケットなどは教育されている。なのでこの屋敷で行われているのはほんの微調整であり、主な目的は政治的なコネや政略上のお見合い要素が濃かった。
件のルーチェという少女もそのような内の一人だった……筈だったが、彼女の場合は少し特殊だった。
彼女の実家シュタイン家は事業に失敗し、かなり危険な状態で、このオーヴェラント家に多額の融資を受けている。その資産の殆どが抵当に入っており、ルーチェもその一ツだった。
もっとも、フォークやナイフより重い物を持たぬまま蝶よ花よと育てられたルーチェ本人はそのような事など知る由も無く、未だに自分の置かれた立場を理解出来ずにいた。
「もういっその事、“接客”専任に切り替えた方が宜しいのでは無いでしょうか……」
「“接客”ねぇ……」
この場合の接客とはパーラーメイドの事では無く、公言を憚られる方を意味する。一見華やかで優雅な貴族社会だが、一歩裏に回れば謀略・奸計、嫉妬や侮蔑に不義密通等々に満ち溢れ、中には特殊性癖を持つ変質者も少なくは無い。
「まぁ、あくまでそれは最終判断として、現状“お嬢様”方にはキャパオーバーの様だし、もう一人ほど入れようか?」
「増員……ですか?」
高い背もたれの向こうから聴こえる声の主の姿は見えない。【Sound only】の幻視をしながら聡明なメイド長は深く溜め息を吐いた。(きっとロクな事にはならない……)と。
―翌朝―
メイドの朝は早い。本来の貴族の身分であればゆっくりと9時位に起床だが、従属者である彼女達は自分達で朝食の準備や洗濯、庭の手入れなどスケジュールは分刻みで進み、本来ならここに主や来客のお世話も増えるのだ。
その多忙窮まる中、この屋敷に従事する全員がエントランスフロアに集められていた。
実はこのオーヴェラント家所有の別館の主が誰かというのを従事者はメイド長のソアラ以外は誰も知らない。
指示や通達は全てソアラを通じて行われるので、この屋敷に在中してはいるのだろうが、その姿を見た者は居ない。主の世話は全てソアラが行っているのだ。
「ご主人様におかれては皆の貢献と奉仕に大変お喜び戴き、なお精進するようお言葉を賜っています」
エントランス最奥にある階段の踊場でメイド達を叱咤激励するソアラの斜め後ろに一人の少女が立っていた。
歳の頃なら10歳くらいであろうか…。鼻の周りはソバカスだらけで髪はボサボサの赤毛、前髪が目深に被っているので顔は判らないが、如何にも着慣れていないお仕着せのメイド服も相俟って全体的にモッサリと垢抜けていないのが判る。
「この者は私の祖父の古い知人の曾孫にあたり、本日より皆と共に教育を受ける事となった。庶民の出ではあるが、この屋敷において出自は関係ない。それを各自、心に留めておくように」
ソアラに促され、赤毛の少女が一歩前に出る。
「私はシーマと申しますだ。何分田舎者ですだで宜スぐお願ぇスますだ」
『………プッ』
ソアラに対する緊張の反動だろうか、シーマの想像以上の訛り(なまり)に思わず何人かが声を漏らしてしまう。経験の長い者は表情ひとつ変える事は無いが、浅い者は必死に堪えながら肩を震わせている。
「なお、シーマの寝所は新参者に改めて与える訳にもいかぬし、皆にもこれ以上手狭な思いをさせられぬので当面の間、私の部屋で寝起きをさせるようご主人様から命じられている」
その言葉を聞いた瞬間、シーマに対するメイド達の心情は嘲笑から同情に換わった。プライベートな時間までソアラが傍に居ては気の休まる間が無いからだ。
何も知らない田舎者、そうたかを括っていたメイド達は先輩面をし、あわよくばシーマに仕事を押し付けようと考えていたが、実際に一緒に働いてみてそれが如何に甘い考えだと思い知らされる事となった。
シーマは恐るべき程に優秀で彼女達の何倍もの早さで熟してしまう。しかもソアラと同室である為、迂闊な真似をすれば全て筒抜けになってしまう可能性があるのだ。
シーマ本人は知らぬにしても彼女が送り込まれてきた理由を悟り、メイド達はこれまでの馴れ合いや気を抜く事が出来なくなってしまった。
シーマは行儀作法は若干怪しいものの、清掃や洗濯、ベッドメイク等メイドとしてのスキルはほぼ完璧で、読み書きは勿論、計算も早く、一般教養以上の知識を有しており、驚く事に数種の異国の言葉も理解しているのだった。
陽もかなり天をさす遅い朝食時に近くの座席のメイド達が探りを入れるべく話し掛けていた。
「いんや、まんず私の実家が山間にある小ぃさな村で宿を兼ねた食堂を営んでおりまスて……」
読み書きが出来ねば宿帳や帳簿をつけれない。計算も早く無ければお客さんに迷惑をかけたり勘定を誤魔化されるかもしれない。街道沿いにある為、色々な国から旅人が訪れるので言葉や情報は嫌でも入ってくる。……等、全ては必要に迫られ覚えるしか無く、物心つく頃には既に店を手伝わされていたとの事。根本的に年期が違っていたのだ。
「貧乏暇無ス、働かざる者食うべからず……だスなぁ」
照れながらスープを一匙口に含んだ瞬間、シーマの動きが止まる。
「どうしたの?」
「いんや〜、こげな物さ食べ慣れて無ぇだでビックリしちまっただ」
「そうでしょうね〜」と笑いながらメイド達が食事を進める中、シーマだけがジッと供された皿を見詰めていた。
一日の仕事を終えての湯浴みの時間。シーマは「私のような者がお嬢様方と一緒になど恐れ多いだ」と完全に冷めるどころか肝心の湯さえ残っているか怪しいのに誘いを辞退していた。
本人が居ないのを良い事に手際の良さに感心する者、または嘲笑うように厭味を言う者などメイド達の話題は小さな新参者の事で持ち切りだった。
―その夜―
屋敷の主の私室きベルの音が鳴る。
「……をですか?承知致しました。明日にでもご報告出来るかと思います」
恭しく頭を下げ、メイド長は主の私室を後にした。
―翌日―
厨房に罵声が響く。声の主はキッチンメイドの教育係であるコック長のヒュンダィ、食材の管理や調味料などの発注まで受け持っている。
以前大きなお屋敷に勤めていたという彼女は腕はそれなりに確かなのだが、少々粗暴で横柄なところがあり、メイド達からの評判は良くない。
「何チンタラやってんだい!こんな程度の事すら出来ないなんて、ったく使えないねぇ。豚の餌を作ってんじゃ無いよ!」
彼女は貴族の娘だろうとメイド達を完全に格下認定しており、苛立たせると容赦無く鍋や食材、果ては包丁まで飛んでくる始末だ。
僅かなミスでも怒鳴り散らし、まともに教えようともしないのでキッチンメイドとしての技術向上はあまり芳しく無い。
ソアラから指導をうけても
「アタシゃ遊びでやってんじゃ無いんだ。教えて貰えるなんて甘っちょろい事考えてる暇があるなら手を動かして身体で覚えな!」
と、取り付く島が無い。
「ホラ、旦那様の分が上がったよ!さっさと持って行きな!つまみ食いすんじゃ無いよ、新入りッ!」
「了解ですだ!」
一つ一つ調味料の入った壷の中身を味見していたシーマがテキパキとワゴンに載せて蓋を冠せていく。厨房から裏口を抜けて階段下へ移動。一品ずつ注意を払いながら最上階へ。登りきったすぐ横にあるワゴンへと移していき、その先にある主の私室横のドアをゆっくりと3回ノックする。
主の部屋へと通じるメイド長ソアラの控室 兼 執務室。
「若様のお食事をお持ちしまスただ」
内開きの扉が開かれ、ワゴンごと運び入れられると入れ替わりでソアラが出ていった。
―食堂―
「皆、食事を続けながら聴いて欲しい」
突如のソアラの来訪に一瞬で緊張感が走り、立ち上がるのを制して言葉を続ける。
「実はご主人様がシーマの事で田舎料理に興味を持ってしまわれ、明日の朝食はシーマが作るよう命じられた。だが我々にとっても庶民の、ましてや田舎料理など口に合わねば空腹のまま働かねばならぬやもしれぬ」
全員、口にこそ出さぬものの「何てはた迷惑な…」と思っているであろう事は明白だった。
「そこで、ヒュンダィ料理長には迷惑だろうが余興として対戦形式にしたいと思う」
「ヘッ…成る程。調子付かせる前に釘を刺そうって事かい」
「そういう事だ。皆には審査員を務めて貰いたい。まぁ結果は見えているが、ご主人様も一度食されれば気も済むだろう」
「何でワザワザ庶民なんかの味に興味を……」一瞬そう思っただろうが、娯楽に欠ける毎日の事、面白そうだし、いつもの倍食べられると考えれば寧ろ得だともいえる。
損が無い以上、反対する理由も無いので満場一致で余興を愉しむ事となった。
ルールは前菜とメイン一品ずつ。あくまでも朝食なのでこの程度で、美味しいと思った方への得票数が多い者が勝ちだ。
ヒュンダィは現在の厨房を、シーマは以前使っていたという古い厨房が宛行われる。多少埃が被っていたが、通気の確認と簡単な清掃だけでまだ充分に使えそうだ。しかもここにはヒュンダィも、いや屋敷で働く誰もが知らない秘密兵器が2ツも在るのだ。
テキパキと清掃をしていると納戸の奥に厳重に封印された箱が見付かった。幸いにして鼠や虫の被害にも遇っておらず、保存状態も窮めて良好だった。
「お宝、発見〜〜!」
周りに誰も居ないのを良い事にシーマは存分に破顔させていた。
丁度清掃を終えた頃、メイド達が全員湯浴みを終えたのを確認し、風呂場へと足を運んだ。
風呂といっても基本的にサウナに近い物で、全身を湯に浸す習慣は無い。
残り少ない冷めたお湯で埃塗れになった身体を洗う。ゴワゴワと硬くてボサボサなシーマの赤毛から艶やかで美しい金髪が一房垂れ下がっている。キラキラと月明かりを浴びながら……。
明くる日の早朝、オーヴェラント家の別館は少々浮足立っていた。大した娯楽も無く、毎日朝から晩まで働き詰めなメイド達に降って湧いた主人からの小粋ではた迷惑な思い付きである。
そんな不自然さは毎朝食材を届けに来る領民達にも感じ取れたようだ。
屋敷を訪れるのは主に領地内の農園で働いて毎日一定量の作物や乳製品や肉を納めにくる農夫(それ以上の分は農夫達の取り分として売ろうが食べようが自由にしていい契約を結んでいる。これにより雇用側は取りっ逸れが無く、農夫側は頑張った分が自分の利益になるので真面目に働く)、後は定期的に日用品や塩などの調味料を売りに来る行商人だ。何せ女所帯なので何かと入り用な物が多い。
ちなみに葡萄酒はメイド達が仕込んで地下の酒蔵で順に開封の時を待っている。
で、本日は行商人達も訪れる日であった。
「一体何事ですかい?こりゃ…」
事情を説明すると「物好きな旦那様なっこって…」と渇いた笑いを浮かべていたが、何処かソワソワしているようだった。
で、改めて見てみるとヒュンダィ側のテーブルには潤沢に食材が積まれているが、一方のシーマ側にはピーマン、パプリカ、茶色い塊と白っぽい塊、あとは湿らせた布を被せてあるからパン生地らしき物だろう……だけだった。っていうか、まだ焼いてすら無かったらしい。
竃には水を容れた鍋を乗せてない以前に火すら焼べられていない。それどころか先程からずっと暖炉のような物に薪を焼べている。まさか今から皿を焼く気なのだろうか?
あまりの少なさと背が低い為に台座に登って作業をするという足場の悪さも相俟って必要以上に不安を掻き立てられる。
「食材が無いのは当たり前だよ。あのヒュンダィのババア、昨日ワザと食料庫の鍵を閉めてシーマが取り出せなくしたんだから」
「何それ!?大人げ無いのを通り越して、ただのクズじゃない」
「ところでシーマって料理出来るの?居酒屋やってる両親を手伝ってたらしいけど、あの子自身が作ってた訳じゃ無いよね?」
「…………」
不安ばかりが膨らむ状況で更なる爆弾級の情報が…。
「実は私、昨日の晩見ちゃったんだよね……」
メイドの一人がゲンナリとした顔で呟く。
「あの田舎娘が仕込んでるのを…。そしたらアイツ、ニコニコしながら料理長が棄てた骨や剥いた野菜の皮とか焼いても硬くて食べられない肉とか寸胴で煮てるのよ。挙句に干からびてカサカサになった茸とかも……」
「何それッ!?あの娘、私達に生ゴミの煮汁を食べさせる気!?」
「……それにさ、あのテーブルに置いてある鍋のもグズグズになった腐る寸前のトマトを煮詰めたのなのよ。その横にある茶色い塊もずっと煙まみれにしてた塩漬肉だし……」
「……っちょ、それ本当!?」
「誰か彼女に嫌がらせしてたんじゃないの?きっとその報復で……」
ざわざわと騒がしくなり始めた食堂の事など気にするでなく、シーマは空っぽの竃に薪を焼べていた。
「…頃合いだスな」
シーマは燃えてる薪を横に避けると満足げに頷く。
「それでは只今より料理長ヒュンダィと新人シーマによる料理対決を開始する。まずは料理長から」
ヒュンダィが合図するとスープ皿に具だくさんのミネストローネが注がれ、審査員であるメイド達の前に置かれる。貝を摸したパスタも入っており、これだけでも充分朝食となる代物だ。
「うむ、流石はヒュンダィだ。いつも通り良い出来だ」
「当然だ、このアタシ直々に作ったのだからな」
さも当然だろうと言わんばかりの尊大な態度で踏ん反り返っている。だがメイド達には割と食べ慣れた味だ。安心感はあるものの、これといった感動は無い。
「では、次にシーマ」
「ハイハイ、最初はスープでスだよ〜」
旧厨房奥の扉を開くと中からワゴンを運び出し、次々にメイド達の前に並べていった。
「……何これ」
深皿の中には具のカケラ一つも無い薄茶色の透明な液体のみ。恐らくはこれが例の生ゴミの煮汁なのだろうと全員が内心退いた。
「うえぇ〜、勘弁してよ。それでなくても蒸し暑くて食欲無いのに〜」
スプーンを握るものの、誰も掬うのを躊躇っている。その時!
「ちょっと!シーマ、アンタ巫山戯るのめ大概に…」
ルーチェがテーブルをバシンッ!と叩き、勢いよく立ち上がった反動でスープの入った深皿が倒れる。
「ル…ルーチェ、落ち着い……エッ?零れて無い?」
コロコロとテーブルの上を転がる深皿のスープは零れるどころかプルプルと震えている。慌てて隣のメイドが深皿を掴むと…。
「エッ…?冷たい…!?」
食堂内が騒然とするのも介さずシーマはニコリと笑う。
「“冷製コンソメスープのゼリー仕立て”でスだ。どンぞお召ス上がりくだっせ」
メイド長のソアラが戸惑いも見せず口にしたのを皮切りにメイド達が恐る恐るスプーンを差し入れるとプツッ…という軽い抵抗の後、掬い上げられたコンソメスープは黄金色に煌めき、まるで琥珀のようにも思えた。
プルプルと震えるソレを意を決して口に含むと雪が溶けるように旨味が拡がり、喉を過ぎると全身に染み渡り力が充ちるようだ。
「お…美味しい…」
ただ一言そう言ったまま恍惚とし、我に返ると一心不乱にスプーンを口に運んだ。
「な…何で、生ゴミの煮汁が……」
愕然とするメイド達にシーマが説明を始める。
「骨やその中の骨髄、普通なら硬くて食べられないスジ肉は勿論、野菜の皮のすぐ下には旨味がいっぺぇ事ありまスだ。その野菜も肉の臭みを消スてくれまスで。天日に干す事で茸も旨味がグンと増えまスだ。そスて肉の旨味と野菜の旨味が合わさっと何故かも〜っと美味スくなるでスだよ。後は徹底的に灰汁を根気よく取り除くのがコツでスだ」
「だ…だけど外もこんなに蒸し暑いのに何で冷たいし、スープが固まってるのよ」
それがこの旧厨房の第一の秘密だった。扉の奥は地下へと通じた貯蔵庫になっており、長い間使われていなかった為に息が白くなる程に冷気が溜まっていたのだ。そして煮込む事で骨髄やスジ肉から溶け出したゼラチン質が冷えて固まったという訳だ。
「では次にメインディッシュだ」
ソアラの合図で美しく盛り付けられた魚料理が運ばれて来る。
「川魚のムニエルだ。本来なら小麦粉を塗すのだが、カツレツのように香草を混ぜたパン粉を付けて焼いてある」
少々アレンジが施されていてただのムニエルより香りがいい。川魚の淡白さを補う為に澄ましバターのソースが掛けられている。
「フム、確かに川魚には足りないコクがある。単に焼くだけではパサつくのを衣を付ける事で抑えられている訳だな」
「流石はメイド長、分かってんじゃねぇか!」
またメイド達はマナーに則り、無言で食べ進めている。添えられたパンに手を出す者も多いようだ。
「では、次にシーマのメインを」
だが、シーマの厨房には料理は無く、ただ空の皿が並べられているだけであとは丸められた焼く前のパン生地とスライスされたタマネギとパプリカ、燻された塩漬肉、そしてカビの生えたチーズのみだった。
「ちょっと!メイン料理は何処よ!?」
「少スだけお待ちを。すぐに焼き上がりまスで」
言うやいなやシーマは平たい石板に打ち粉をすると流れるようにパン生地を平たく伸ばし、そこにトマトを煮詰めたソース、薄切りの野菜、燻製肉、カビの生えたチーズを乗せ、最後にオリーブオイルを掛けるとボートのオールのような木の棒に乗せ、薪を焼べ続けた竃に放り込む。
「ちょっとカビの生えたチーズ何て食べたらお腹壊し……」
十数秒も経たない内に拡がる香ばしくも独特な香り。直接火も当たって無いのに膨らんだパン生地に焼き目がつき、溶けたチーズやトマトソースがプツプツと煮え立っていく。頻繁に位置を変えながらあっという間に焼き上がり、頃合いと見たシーマが竃から取り出し、サクッと放射状に切り分ける。
「お待たせしまスただ。次々に焼き上げまスで遠慮無くどンぞ」
何とも食欲をそそられる香りである。皿に一切れ取り分けるとソアラがナイフを入れた。
「ブルーチーズか…。少々クセのある味と香りだが、その濃厚な味をトマトソースが洗い流し、更に燻製肉が旨味を添えている」
……ゴクッ
はしたないのは承知しているが涎が溢れるのを止められず、そうせねば自らの涎で溺れそうだった。
「わ……私も…」
「あっ…熱いッ!でも美味しい!」
「駄目、フォークなんてまどろっこしい!」
「こう折り畳んで持つと零れ難いでスだよ」
普段は行儀良く澄ましている貴族の御息女達が我先にと焼き上がるピッツァを手掴みでとって食べていく。
「ば…馬鹿な…」
唖然とするヒュンダィ。見れば自分の魚料理は殆どの者が半分以上残している。
「宣言するまでも無いようだな」
ソアラが口元をナフキンで拭いながら近付いていく。
「いんやぁ〜、塩も麦の粉も私ん家と同ンじな物で助かっただよ。んでねば調整が厳しかったでな〜」
その瞬間、皆の手が止まり、ヒュンダィの顔が見る間に青ざめてガタガタと震え始める。
(貴族の使用する塩や麦の粉の質が庶民と同じ?)そんな馬鹿な事がある訳が無い。あるとすれば……。
冷汗を流し、後ずさろうとする行商人の脇を二人のメイドが固める。
「お話し……お聞かせ願います?」
項垂れた行商人は抵抗も適わず、屋敷へと連行されて行った。
さて、ヒュンダィの方はというと…。「アタシは知らない!関係無い!騙された!」と何も聴かぬ内から豪快に猛っている。
「ヒュンダィ、貴様の腕は確かに良いのかもしれん。だが、心がまるでなっていない。貴様は表面的な技術のみを学び、それに驕ったのだ。それは貴様のメインディッシュが語っている」
大量に残された川魚のムニエルは冷たいままの皿に盛られ、飾り付けで更に時間が経って給仕された時には完全に冷めきっていた。パン粉の衣も油と川魚の水分を吸ってベットリとし、澄ましバターも凝固し始めており、ソースとしての滑らかさを欠いていた。
食べる側の事を考慮し、皿を温めていればこうはならない。
「食材に無駄なところなんて無ぇ、真摯に向かえば必ず応えてくれるだ。冷てぇ物は冷てぇ内に、温っけぇ物は温っけぇ内に……これが美味スく食べるコツだ」
「ヒュンダィ。貴様が料理長になって1ヶ月くらいからパンの焼き上がりが悪くなり、塩も味がボケ始めている。それが見抜けぬ貴様ではあるまい?……連れて行け!」
ガックリと膝をついたヒュンダィはメイド達に引き摺られるように連れていく。
「さて…困っただな…。実は仕込み過ぎてまだまだ余ってるだよ。そこの農園の皆様もご一緒に如何でスだか?」
こうして期せずしてこのオーヴェラント家に従事する者達の慰労会は盛り上がりを見せて終了した。
結論から言うと、別館の主の睨んだ通り、ヒュンダィから持ち掛けていて、塩や香辛料を扱う行商人と粉碾き職人が係わっており、ヒュンダィと粉碾き職人は紹介状を渡される事無く暇を出され、行商人は所属する商業ギルドへと引き渡される事となる。代替人は近い内に派遣されるであろうし、商業ギルドがどういう裁定を下すかはオーヴェラント家の関知する事では無い。
手口としては行商人は質の悪い塩などを納品し、納品分の2割程を芋や他の穀類を雑ぜて納め、差分を先の行商人に横流しする事で得た利益を分配していた。
元々粉碾き職人は手間賃とは別に石臼に残る1割程は職人の取り分として暗黙の了承を得ていたにも拘わらず、ヒュンダィの口車に乗って欲をかいてしまったのが間違いだった。
行商人もギルドの後ろ盾を失った場合、何の庇護も得られずに丸裸で旅をするようなものだ。
ヒュンダィ自身も紹介状が無い以上、次の屋敷での就労は望めない。良くて場末の酒場か宿屋だ。
暫く後任が決まるまでの間はシーマが厨房を取り仕切り、在庫管理や発注・交渉はソアラが受け持つ事で治まりよくつく……筈だったが、何とヒュンダィは主の部屋に赴き、選りにも選ってシーマやソアラに奸計に掛けられ不当なる仕打ちを受けたと直訴する暴挙にでたのである。
「ヘェ〜、では今回の件は完全な濡れ衣だと?」
相変わらず屋敷の主は椅子の高い背もたれの陰に隠れ、Sound only状態である。
「ハ…ハイ、その通りです」
(意外と声が若い……、経験の浅いガキなら上手く丸め込める筈だ)と考えたヒュンダィは尚も言葉を重ねる。
「聞けばシーマはメイド長のソアラの知人だそうではないですか。奴らはご主人様に取り入り、この屋敷を乗っ取るつもりに違いありません」
「まぁ、確かにソアラの祖父の知人の曾孫にシーマなんて娘は居ないんだけどね」
「で…でしょ?あのシーマって小娘はトンデも無いガキなんですよ。何処の馬の骨とも分からない阿婆擦れよりお父上様の下から長年勤めさせて戴いているアタシを信じてくださいますよね?」
精一杯の慈悲を求め、懇願するヒュンダィ。だが彼女は違和感に気付くべきだった。何故、主が顔を見せないかという事に。
「ククク……馬の骨な阿婆擦れ…“だか”?」
「………ウェッ?」
ヒュンダィが素っ頓狂な声を挙げるとクルリと背もたれが回転し、姿を現したのは小さな赤毛のそばかす少女だった。
「シ……シーマ!?何故そんな所に……」
「だ〜か〜ら、シーマなんて娘は居ないって言っただろ?」
髪をヘッドドレスごと掴み、白いエプロンと濃紺のワンピースを同時に思いっきり引き剥くと、白磁の肌を持つ金髪碧眼の少年が現れた。
「やぁ、“初めまして”僕がこの別館(オモチャ箱)の主にしてオーヴェラント家次期当主、エスバーダ=フォン=オーヴェラントだ。じゃあ、これからの話をしようか。ヒュンダィ君」
「あばばばばば……」
ヒュンダィは困惑していた。今まで悪し様に罵っていた相手がその本人で、しかも少女では無く、この別館の主にして自分の主人だったなど思いもしなかったのだ。
中指に嵌められた指輪の紋章は確かにオーヴェラント家の物である以上、この少年が主で間違いないだろう?だったらアタシは何をした……?という心境だろうか。
「まぁ、これで何処の馬の骨かは解って貰えたと思うが…」
最早言い逃れも利かない。全て“本人”が知ってしまっているのだから。
「僕自身も確認したけど、塩や麦の粉は直接君が管理していたよね?」
現在の貯蔵庫の鍵はヒュンダィに預けられており、そのお陰で“シーマ”はまともな材料を使えなかった訳だが、確実にしたのは勝利では無く、自身の不正の事実だった。
このオーヴェラント家別館に居る者は主以外は役付きであろうと全員が教育・選別対象であり、主の為の“玩具”なのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
時は過ぎ、収穫の終わった葡萄を広い桶に移し、メイド達がワインの仕込みをしている。
ワンピースの裾をたくし上げ、覗く健康的な白い素足が何とも煽情的である。
「…んしょ……んしょ」
小さなメイド少女がその身体に釣り合わぬ大きな手桶一杯に詰め込んだ葡萄をヨタヨタと運んで来る。
「ちょ…貴女、小さいクセに何してるのよ!?失敗したらメイド長に怒られるの私なんですからね!もう、早く貸して」
そう言って赤毛のそばかすメイド少女から葡萄が一杯に詰まった手桶を取り上げる。何だかんだ言ってツンデレな金髪娘だったりする。
「だども、これぐれなら私でも……」
「現に桶で前が見えて無いじゃ……って危ないッ!」
小石に躓いた少女の手桶をサッと取り上げ、倒れ込みかけた身体を片足を伸ばして支える。とてもでは無いが彼女のご両親にはお見せ出来ない姿だ。
「フゥ〜〜、助かりまスただ〜」
「…っとに、料理や裁縫とか技術スキルは無駄に高いクセに身体自体はお子様だって考えなさいよ」
どうやら小さな新人メイドは周りにとけ込み仲良くして貰っているようだ。そこにカッカッと蹄が石畳を蹴る音が近付いてくる。どうやら来客らしいが、荷馬車以外の馬車で訪れる以上、貴族か金で爵位を買った成金商人の類いだろう。
「オイ、そこの下女達!邪魔よ」
車窓から面倒臭そうに罵倒する少女。まぁ、確かにお貴族様から見れば奉仕階級なんてそういう扱いだろうが、馬の頭数や馬車の仕立てから判断すると寧ろ横でこめかみに青筋立てているツンデレ少女より格下だ。
「申ス訳無ぇだが、これより先は徒歩での通行となりますだで、馬車は裏手に回って戴けるだか?」
お付きのメイドに手を添えられてゆっくりと馬車を降りてくる。弄り廻した髪型、品の無いメイク、流行りかもしれないが似合わな過ぎて寧ろ野暮ったく感じるドレス。典型的な成金組の特徴だ。
「ったく、面倒臭いわね〜。まぁイイわ、この屋敷の主の所まで案内“させてあげる”からサッサとなさい」
上っ面だけで貴族としての矜持が無いものだから薄っぺらいし、ウザい。まさに猿真似した猿のよう。
「でスたら私がご案内致しますで、どうぞコツラへ…」
別のメイドにメイド長であるソアラへの言伝を頼み、赤毛のそばかすだメイドは手荷物を預かった。後ろから「…ったく、何でこんな田舎に」とかブツブツと不満タラタラな言葉が漏れ聞こえる。「何で私が“子守”なんて…」とも聞こえるので主の情報は少しは知っているのだろう。
衣裳持ちの付き人をウエイティングルームで待たせ、通路を歩く間も「ウエルカムドリンクも出さないのか」とか「広いばかりでロクに調度品も無い」とか、文句や浅ましい値踏みのオンパレードだった。たまにいるのだ、自分の“立場”や“役目”をロクに知らされず送られてくるのが。
「アナタ、かなり訛りが酷いけど何処の生まれ?そんな小さい内から奉公に出されるなんて余程貧乏で無能な親なのかしら」
「さぁあ?私の両親が無能かどんか判りませんし、ここには行儀見習いとして来ているお貴族のお嬢様方もメイドとして働いておりまスだで」
たまにそうでない方もおられますが…、と僅かばかりの厭味を込めていると最上階にある他よりも豪奢な造りの扉の前に到着する。 きっと客人にもここが主の部屋だと解ったのだろう。悪し様な言葉が止んだ。
ユックリとノックを3回。
「お客様をお連れしまスただ」
すると内開きの扉が引かれ、チラリと若くて如何にも有能そうなメイドが見えた。
「お待ちしていました。どうぞお入りください」
若いメイドに促され成金娘が入室しようとすると驚く事に用事が済んだ筈の赤毛のメイドも当たり前のように入っていく。
「ちょ…」
止める間も無く赤毛のメイドが背もたれの高い椅子の傍らまで行くと徐にエプロンの結び目を解き、濃紺のワンピースを投げ付けた。
「…プッ、何するのよッ!?」
視界を遮ったお仕着せ服を乱暴に取り払うと、そこには赤毛のメイドはおらず、金髪碧眼で白磁の肌を持つ人形のように美しい少年が座していた。
「ようこそ、我がオーヴェラント家別館(オモチャ箱)へ。歓迎するよ、借金の形として無能な親に売られた憐れなお嬢さん」
成金娘は己が迂闊な言動と受け入れ難い現実に崩れ落ちるようにへたり込むしか無かった。
メイド候補生を“おもちゃ”と称した割に遊ばない主人公w