第九話 いい物件見ーつけた!
成瑠美は仕事を定時で終えると、さっそく気になったあの不動産屋に向かった。自動ドアを開けると、オルゴールの音色でアメージンググレースが流れて、思わずびくりとする。人が通るとセンサーで音楽が流れる仕組みのようだ。
「いらっしゃいませ」
迎えてくれたのは、頭のつるんとした人のよさそうな小太りの中年の男性だった。
「あの、近々洋菓子店を開こうと思ってるんですが、物件を探してまして」
成瑠美が、緊張のピークに達しながらおどおどして言うと、店主は笑顔になった。黄色く変色した前歯が印象的だ。
「それなら、いい物件がありますよ」
家に帰って成瑠美が理の部屋を覗くと、理は零戦のプラモデルを組み立てていた。
小さな翼の本当に細く狭い部分に接着剤を塗りたいらしく、極限まで目を細めて慎重に刷毛を部品に持っていこうとしている。
「お兄ちゃん、ただいま」
成瑠美が声をかけると、理は手を止めて振り向いた。
「お、おう。おかえり」
成瑠美だと分かると、丁寧に接着剤の瓶に刷毛を納める。刷毛と蓋は一体になっているタイプのようだ。
「ねえ、お兄ちゃん、朗報。いい物件、見つかったかもしれない」
「ほんとか」
「うん。今日偶然見つけた不動産屋さんで良い話が聞けたの。月五万ならどうにかやっていける計算だったよね?」
少し考え込んだ後、理は頷いた。
「五万、うん、まあ五万ならいいんじゃないか」
「やった」
成瑠美がガッツポーズをすると、理はふいにふっと笑った。
「何よ、お兄ちゃん、やけにうれしそうだけど」
「うん。お前がやっと元のように接してくれるようになったことがうれしいんだよ」
「あ」
成瑠美はしまったと思った。母親から事実を知らされて以来、理を避けていたことをすっかり忘れていた。理は笑顔のまま続ける。
「別に訳なんかきかないよ。今まで通りの成瑠美でいてくれるならそれでいいんだ」
成瑠美は今まで自分の態度でどれだけ兄を悲しませていただろう、と思い深く反省した。
「お兄ちゃん、ごめん、私」
「いいんだ」
理の反応で成瑠美は、理は分かっているのだ、と気付いた。成瑠美が理と血がつながっていないということに気付いたことに。理の懐は、成瑠美には大きすぎるほど大きい。やっぱりとてもかなわない、と成瑠美は思った。成瑠美はいろいろな思いを吹っ切るように話を続けた。
「それでね、今度お兄ちゃんに一緒に物件、見てもらいたいんだけど。立地とか間取りとか事業計画書にも盛り込まなきゃならないし」
「ああ、そうだな。いつにしようか。成瑠美がいいって言うんだから相当いいんだろうな。うーん、わくわくするなあ」
自分のことのように喜んでくれる理を見て、成瑠美は心の中で思う。血はつながってなくても、私にとってお兄ちゃんはお兄ちゃんだ。変わらない。ずっとずっと変わらないんだ。