第七話 知らなかったこと
バーベキューを終え、成瑠美と理が家に帰ると、なぜか両親が言い争っていた。居間で怒鳴り合う声が聞こえる。先に家に入ったのは成瑠美で、理はまだ車庫でテントや折りたたみの椅子などを車庫に持っていって片づけている。
「もういいです。それなら理を連れて家を出ます!」
そう息巻いているのはふみえだ。それを聞いた功雄は、激昂してさらに声を張り上げる。
「ああ、そうすればいい。もともと、理は俺の子じゃないんだしな」
廊下で聞いていた成瑠美はえっと思った。
――今、なんて言ったの。
目の前のドアが急に開いて、ふみえが出てきた。ふみえも目の前に成瑠美が立っているので驚いた様子だ。
「成瑠美、もしかして今の話聞いてた?」
「うん」
「ねえ、お母さん、どういうこと?」
ふみえは言いづらそうにしていたが、ため息をついて言った。ごまかしきれないと諦めたようだ。
「お母さんはね、理がまだ小さい頃、お父さんと再婚したの。お父さんも再婚。そのあとすぐお父さんと前の奥さんの間に成瑠美が生まれて、成瑠美は二歳のときお父さんが引き取って私たち夫婦が育てた」
成瑠美は動揺を隠せなかった。両親がお互いに離婚歴があることは知っていた。けれど、成瑠美は、ふみえと功雄の子供だとものごころついたときから言われ、それを信じ切っていた。
成瑠美がその事実を疑うようなできごとは、今まで二十五年間生きてきて一度もなかった。
「じゃあ、私とお兄ちゃんは血が繋がってないこと? それをお兄ちゃんは知ってるの?」
ふみえは頷いた。
「理はいつもあなたの本当の兄になりたいって必死に努力していたのよ。それは今もそう」
成瑠美は、理がなぜ自分にいつも異常なまでに優しいのか分かった気がした。けれど、それが成瑠美にはショックだった。今まで自分に注がれていた兄の愛情がわざとらしく取り繕われた作りもののような気がして、成瑠美は今まで兄に感じていた親しみがメッキのようにはがれていくのをただ呆然と感じていた。
「そんな」
そこへ何も知らない理が玄関から入ってきた。いつもの調子で成瑠美に声をかける。
「キッチン用品関係はここに置くから。片づけ頼むけどいい?」
「ああ、うん」
成瑠美は頷いた。理には今事実を知ったことは言わないでおこうと、成瑠美はとっさに思った。
けれどその日を境に、成瑠美は無意識のうちに理に対してよそよそしくなってしまうのを抑えることができないでいた。血の繋がった兄であろうとかなろうと、妹思いの優しい、文句のつけようのない兄であることは変わらないのに、つい理を避けてしまう自分がもどかしかった。
あの日の父と母の言い争いの原因は、結局成瑠美にはよく分からなかった。ちょっとしたけんかの末の売り言葉に買い言葉であったらしい。
家を出ていくと息巻いていたふみえも結局、パート勤めと主婦業を今まで通りこなしている。よく考えたら、ふみえとも成瑠美は血がつながっていないのだった。
でもそのことは成瑠美にはそれほど大きな衝撃ではなかった。ふみえはときには成瑠美に厳いことを言うときもあったが、それは成瑠美への愛情ゆえといつの間にか悟っていた。特別、ふみえに対して不満はなかった。
一方で理は成瑠美にとって精神的な大きな柱だった。理はいつも成瑠美にとってよき理解者であり、どんなわがままを聞いてくれる存在だったからだ。
成瑠美のよそよそしい態度に理も気付いてはいたが、一体何が原因なのか見当もつかないため、だた戸惑うばかりだった。
朝食を食べながら理は、成瑠美にぽつりと言った。
「おれ、何かしでかしたかな」
成瑠美は理を見ないように、急いでふみえの方を向いて答えた。
「いや、別に。お母さん、今日私夕飯いらない。明美と食事の約束、してるから」
「そう。わかったわ」
成瑠美は理を避けるように、家を出た。なんだか自分が本当にダメな人間になってしまったような気がして、情けなくなった。どうしてこうなってしまうのか自分でもよく分からない。
仕事を終えて、待ち合わせ場所の佐久市役所の駐車場に行くとすでに明美は来ていた。ここからは、明美の車に乗ってレストラン桜へ行く。二人とも大好きなレストランなのだが、いかんせん場所が遠いのが玉にきずだ。ここから車で三十分はかかる。
明美はシフトをPからDに移動させて言う。車はゆっくりと動き出した。
「この前のバーベキュー楽しかったね」
「うん」
「成瑠美の作ってくれたタレに漬け込んだお肉おいしかったなー。それに成瑠美のお兄さん、あんなにかっこいいと思わなかった」
お兄さんと聞いて、成瑠美は事実を聞かされたあとだけに、なんとも言えない複雑な気分になった。明美はそんな成瑠美の様子には全く無頓着で続ける。
「でも、悠司さんのあの態度には正直引いたな」
「うん、あれはないよね」
成瑠美が悠司にもう二人の仲の修復は不可能であることをはっきりと告げた後の悠司は、一言も発しなかった。理がフォローを入れていたが、それさえもあまり功を奏さなかった。
「でもこれでよかったんだと思う。お互い言いたいこと言えたし」
「そう。ならいいんだけど」
明美の運転する車は快調に飛ばしていた。国道一四一号を南へと南下していく。臼田のコスモタワーを過ぎると辺りの景色は夕暮れに包まれた。西の空では鰯雲が鮮やかなオレンジの夕焼けに染まっていた。成瑠美がその色に見とれていると明美はぽつりと言った。
「私は悠司みたいになりたくないな」
「え」
「今まで反対だったけど、これからは応援するね。成瑠美の洋菓子店オープン」
「ほんと?」
成瑠美は、まっすぐ前を見たまま運転を続ける明美の顔を思わず見た。明美は照れているのか成瑠美と視線を合わせようとはしない。
「もちろん。成瑠美が長年付き合った悠司と別れるほど、本気だなんて思わなかった。いつか悠司と結婚して、子供産んで、それでもう自分の夢のことなんて忘れてしまうんじゃないかって思ってた。失礼かもだけど」
「ううん。私の選択肢にそれはなかったんだよ。悠司には悪いんだけど」
「そっか。成瑠美はすごいね。いつも芯がぶれなくて」
「そんなことない。いつも悩んでばっかりだよ」
「でも大筋はいつもぶれないじゃない。いつも同じこと夢見てる」
「まあ、それはね。昔からの夢だから」
そんなことを言い合っていると、目的のお店レストラン桜に着いた。ここにも成瑠美が見本にしたいお菓子が最後のデザートに出てくるのだった。
「ああ、今日も楽しみー」
成瑠美ははしゃぎながら、車を降りた。
レストラン桜には三種類のコースメニューしかなかった。二千円、三千五百円、五千円のコースだ。成瑠美たちは迷いながらも二千円のコースを選んだ。
「私が洋菓子店で儲けたら、五千円のコース、また二人で食べに来たいね!」
成瑠美が言うと、明美は笑って頷く。
「期待してるよ」
そのためにも今は節約なのだ、と成瑠美は自分の胸に言い聞かせた。料理はサラダ、メインのパスタ、デザート、飲み物と続いた。
デザートは温かいチーズスフレだ。とてもおいしく、勉強にもなり成瑠美は大満足だった。洋菓子店がうまくいったら、今度は洋食屋さんもやってみたいかも。成瑠美は、明美が自分の味方に回ってくれたことがうれしくて、るんるん気分で店を出た。