第二十話 陽子の想い
成瑠美と理は曽野子とともに、曽野子の自宅へと向かった。自宅はぱてぃすりー・えすぽわーるのすぐそばにあった。徒歩十分もかからない。二階建てのごく普通の民家だ。
「ここに両親と姉、つまりあなたのお母さんね、あと私で住んでいたんだけど、今は離婚して出戻った私だけ」
淡々と話す曽野子に、成瑠美は気になったことを聞いてみた。
「ご両親は?」
「父も母も介護が必要な状態になってしまって、今は福祉施設にいるわ。自分で面倒を見られれば一番よかったんだけど、お店があるしね」
「そうですか」
「あなたに見せたかったのはね、姉の陽子が過ごした部屋。そこにあなたが知りたがっていたことの答えがあるかもしれないわよ」
「答えですか」
「散らかってるけど、この家のどこを見てもいいわ。陽子の部屋を見つけてみて。そしてそこで自由に過ごしてみて」
成瑠美は、自分の脈拍がどんどん早くなるのを感じた。
「俺も一緒に見てまわってもいいですか」
「もちろん。私は居間でお茶でも入れているわね」
一階にはキッチンと居間、あと仏壇のある畳の和室があるだけだった。成瑠美はそっと二階に上ってみた。理も無言で連いてくる。
二階の廊下には扉が左に一つ、右に二つあった。右の手前の扉には、曽野子と書かれたプレートが掛けられている。成瑠美はそれなら隣が陽子の部屋かと思い、奥の扉のノブに手をかけた。
開けてみると、そこはまるでメルヘンの世界だった。陽子の趣味なのだろう。部屋は真っ白に統一されており、カーテンも化粧箪笥も部屋の中央に置かれた背の低いテーブルも全て、白を基調とした花柄で統一されている。
その花柄も透かし彫りで表現されているものもあれば、刺繍になっていたりするものもあり、それぞれ、かなり凝ったデザインばかりだ。
なかでも一番、成瑠美が心惹かれたのは、窓の正面に配置されたソファだった。どこかで見たことがある、と思い、次の瞬間、成瑠美ははっとした。思わず口に両手をあてていた。そうしていないと叫び出してしまいそうだった。
――これ、いつも夢に出てくるソファだ。
片側だけ肘掛のついた、白を基調とした薔薇柄の生地のソファだった。成瑠美はそっとそこに腰を下ろしてみた。絹のような滑らかでやわらかい布地が、ほどよいスプリングで成瑠美を包む。
――座り心地も夢と全く同じだ。
だとするなら、いつも見るあの夢に出てくる女の人は、私の実母、陽子に違いない。だってここは陽子の部屋なのだから。あれは夢なんかじゃなくて、私の記憶から来るものだったのだ。
まだ二歳にもならない頃の記憶。そんな記憶が自分のなかに残っていたなんて。成瑠美はただただ驚くばかりだった。そして知らぬ間に目から涙がこぼれていた。
成瑠美は事実を知ってから一度も陽子に悪い感情を抱いたことがなかった。それは、今の自分の境遇とあまりに似ているからと思っていた。でももしかしたら、と成瑠美は思う。
――このソファでの記憶があったから。確実に愛してもらえた記憶が、こうしてここにあったから、だから。
成瑠美は、化粧箪笥の一番上の引き出しを何気なく開けてみた。そこには、短冊用の色紙が入っていた。そこに書かれた筆ででかでかと書かれた流れるような柔らかな筆致を見て、成瑠美は絶句した。
『いつの日か成瑠美と一緒に笑顔でお店に立てますように』
これはきっと陽子の願いごと。七夕の日か何かに書いたのだろう。成瑠美を離婚した相手に託してからも、陽子はきっとこれを胸にがんばったんだ。
——私、パテスリー・えすぽわーるを絶対受け継ぐ。今、決めた。どんなに苦労してもいい。どんな不幸な結果が待っていても。だって、私、今こんなにも幸せだ。
色紙を抱きしめて、感慨に浸っていると、すぐ隣に理が立ったのが分かった。
「もう決めたんだね」
「うん」
理の横顔はどこか寂しそうだった。




