第十三話 悠司、ごめんね
開店三日前という日、成瑠美はお店のショーケースに並べられるだけのケーキを試しに作ってみることにした。内装が終わり、電気、ガス、水道が通ってからこれまでも何度か試作は重ねてきた。
しかし、実際の営業を想定してお菓子を並べるのは今回が初めてだった。成瑠美が予定している販売予定のケーキは、プリン、チーズケーキスフレ、レアチーズケーキ、ベークドチーズケーキの四点だ。
洋菓子店開店に燃えていた当初は、パウンドケーキやクッキーなども並べたいと思っていたのだが、販売する商品の種類を増やすと、おのずと準備する材料が増え、材料費も高くつくので、開店当初は自信のあるケーキに的を絞り、経営が安定してきたら徐々に種類を増やしていくことにした。
ショーケースと言っても長さ一メートルちょっとの小さなものである。だが、その場所を全部埋める作業を一人でこなすのは思った以上に重労働だった。販売する商品をすべて作るのは順調にいっても最低四時間はかかる。朝十時開店としても、早朝の五時か六時には始めないと間に合わない計算だ。
「覚悟はしてたけど、ケーキ屋さんって大変」
大きなパティスリーになると、生地などは作り置きしておいて冷凍し、毎日売れる分だけ解凍して必要なデコレーションを施して店頭に並べているようだ。確かに効率的だが、成瑠美はそれだけはしたくなかった。
売り切れたら店を閉めればいい。冷凍はしない。成瑠美はそう決めていた。成瑠美がなんとしてもやり抜くと決意を新たにしていたとき、お客様用のドアが開いた。
「あの、開店はまだなんですけど」
成瑠美がそう言って、振り向くとそこには花束を持った悠司が立っていた。
「ちょっと早いけど、開店おめでとう。今日まで大変だったな。おれ、成瑠美がこんなに真剣だったなんて気付かなくて。ほんと馬鹿だよな。いつも自分の話ばっかして、お前のこと全然見てなかったって反省したよ」
「……悠司」
「でもお前にフラれてやっと分かったんだ。おれ、お前が好きだ。いつもおれのそばにいてほしい。ケーキ屋もおれがやれることならなんでも協力する。おれのこと、成瑠美はもう好きじゃないかもしれない。でもいつまでも待つよ。お前の気持ちがおれに戻ってくるまで」
今まで、ずっと寡黙に厨房機器の搬入を手伝ってくれていたのは、これを言うためだったのだ。口で言っても分かってもらえないなら、行動で示そう。それが悠司の想いだった。
しかし、うれしいことはうれしいが、もう成瑠美には悠司とよりを戻す気持ちはないのだった。成瑠美は、実母、陽子の気持ちが分かる気がした。
――私は母に似てるのかもしれない。一度に二つことができない、そういう不器用なところが。
「悠司、気持ちはとってもうれしい。今まで手伝ってくれたことも感謝してる。でも今の私には余裕がない。待ってもらうのは自由だけど、時間の無駄だと思う。これからは兄と私のいい友達でいてほしい」
悠司は、そうか、とだけ呟くと背を向けて帰っていった。父と別れ、わが子も父に託した母の気持ちが分かる気がした。夢を追うということはそれだけ残酷なことだ。
人間のキャパには限界がある。一つ手に入れば、一つは手放さないといけない。もしかしたら、みんな丸抱えでも生きていける器用な人もいるのかもしれないけれど。
そんなことを考えながらぼんやりとしていると、入れ替わりで現れたのは理だった。
「よう、どうだい、調子は?」
成瑠美の顔がぱっと輝いた。
「うん。商品並べてみたとこ。こんな感じでどうかな?」
「いいんじゃないかあ。ところでこんなに沢山作ってどうするの」
理は、ショーケースに並んだケーキの列を見て言う。
「明美の美容院と遠藤さんのところに持っていこうかと思って」
「いいねえ。うん。うちに持ってこられるよりずっといい」
「え? どういう意味よう」
「あはは。気にすんなって。あ、でも母さんは食べたがってたぞ」
「もう、自分が食べたくないだけでしょ。いいよ、お父さんとお母さんにしかあげないんだから」
「はははー。助かるなあ、なんちゃって」
理と悠司で、あまりに違う自分の態度に苦笑いするしかない成瑠美だった。




