1-4 狂犬に会う
砂埃は、ティパールでも最大の武器屋である。
加えて、その武器屋を経営する母体組織、砂上の行商人の本部でもある。
その敷地は広大。
ティパール内の施設でも、5本の指に入る広さだ。
「なかなか賑ってるじゃないか」
ヒカルとハルカに案内され、砂埃のロビーに足を運んだリョウは声をあげる。
概観は極東風の建物。
しかし、その内観はティパールでよくある板張りの建物だ。
そんな砂埃のロビーは、多くの人で埋め尽くされていた。
入って直ぐに目に入るカウンターには多くの人が列を成しており、その向こうでは砂上の行商人の職員たちが対応に追われている。
「ここ2週間はずっとこんな感じだよっ」
カウンターの向こうで対応に追われている砂上の行商人のメンバーを見ながら、ヒカルはのんきな口調で返事をする。
そもそも砂埃は、砂上の行商人に認められた人間しか入れない秘匿性の高い武器屋だ。
普段なら買取、販売のカウンターに居る客は多くて3人程度だ。
しかし、その砂埃が今は満員状態。
これは極めて珍しい状況だ。
「場頭代理になって引継ぎが上手くいかなかったのよ。上が手間取ると、現場はもっと手間取るわー」
ヒカルに反して、こちらはロビーの喧騒には興味のないといった様子のハルカ。
その物言いは組織内部のことまで熟知している筆頭分家の長女その物。
しかし、その幼すぎる見た目のせいで、大人の口振りを真似する女児のように見えてしまう。
「ミチルもお姉さんも、事務仕事は得意じゃなさそうだもんねぇ」
場頭の姉弟に奔走させられる職員に、哀れみの目を向けるアン。
『黄金の世代』の副クラン
マスターを勤める彼女。
上に建つミチルの悩みも、上から指示を出される職員の悩みも両方理解できるのだろう。
「これはこれは! リョウ様にアン様」
リョウ達4人がロビーの喧騒を眺めていると、1人の男性職員が声をかけてくる。
フォーマルな茶色のスーツに身を包んだ、40代中頃の男性。
しっかりと整えられた黒髪からは、彼の几帳面な性格がひしひしと伝わってくる。
「シームアさん、お久しぶりです」
リョウが一礼する。
シームア=ターメラ
現在場頭代理であるミチルの伯父であり、ミチルの秘書を勤める人物だ。
非常に仕事の出来る男性で、リョウが幼い頃から砂上の行商人の雑用を一手に引き受けている。
「本日はどのようなご用件で? リョウ様、アン様であれば、すぐに奥の応接室を用意させますが」
リョウは場頭代理であるミチルの幼馴染。
それに加えて、砂埃の常連でもある。
上客中の上客であるリョウに対して、シームアは非常に腰の低い対応をする。
「いや、今日はミチルに用があって来たんです」
「ミチルに?」
シームアが片眉を吊り上げる。
リョウが砂埃に訪れること自体は久しぶりではない。
しかしミチルに会うのは久しぶりだ。
シームアもそのことを知っている為、不思議に思ったのだろう。
「はい、個人的な頼み事なのですが。買い物は、その頼み事が済んだ後にしようかと」
「なるほど、なるほど。そういうわけでしたら私が案内いたしましょう」
片目を吊り上げ表情を変えたのも一瞬。
シームアは直ぐに営業スマイルを作り直す。
「そ、れ、で」
しかしその営業スマイルは、リョウとアンの2人のみに向けられたものであるらしい。
「ヒカル、ハルカ。お前達は何でここに居るんだ?」
「えっ……と、それは……」
「な、なんでかしらねぇー」
あの双子が、シームアの鋭い眼光によって一瞬でたじろぐ。
「お前たちには門の警備を任せていたはずだが? 何か正当な理由でもあるなら聞こうじゃないか」
たじろぐ双子にシームアは更に詰め寄る。
「いやぁ……ははは……」
「ほらぁシームア、そんな起こった顔をすると男前が台無しよー?」
「いいから、持ち場に戻りなさい!」
「「はいぃ!」」
シームアの怒号に、双子は一目散でその場から去っていく。
ティパール広しといえども、あの双子をここまで追い詰めることが出来る人物は限られてくるだろう。
「全く……ただでさえ今日は人の出入りが激しいというのに……」
双子が走り去っていった方向を見ながら、呆れた表情のシームア。
(ヒカルとハルカにも、話をしなきゃいけなかったのにね)
シームアの迫力に気圧されたアンが、リョウに小声で話しかけてくる。
(そんな事言える雰囲気じゃなかっただろ)
(まぁミチルにさえ話が通れば、大丈夫だもんね)
(だな)
「どうかされましたか?」
再び営業スマイルに戻ったシームアは、何事もなかったかのように語りかけてくる。
「こちらの話です」
「左様ですか。それでは本殿にご案内いたしましょう」
こうしてリョウとアンは、シームアに連れられて本殿へ向かった。
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現在、砂上の行商人のマスターを勤めるのは、ミチル=ターメラ。
年齢は18歳。
後ろに流された茶髪、鼻に掛けられた小さなサングラス。
そして身を包むのは深緑のジャケットに、同色のパンツ。
傍から見れば、外周の片隅で薬を売っているチンピラのような少年だ。
そんなクランマスター代行。
ミチル=ターメラは、現在自室の窓枠に足を掛けたまま硬直していた。
理由はただ1つ。
伯父であり、秘書でもあるシームア=ターメラの鋭い眼光を確認してしまった為だ。
「ミチル。貴様は何をしているんだ?」
シームアの低く、重たい声が部屋に響く。
「い、いや。これは、その……あれだ。ストレッチだ」
冷や汗を滝のように流しながら、しどろもどろになるミチル。
ヒカル、ハルカと同様。
ミチルもまた、シームアには逆らえないのだろう。
「ならばストレッチはもう終いだ。仕事は一時中断していい。お友達が訪ねてきた」
そう言ったシームアに招かれ、リョウとアンを部屋に足を踏み入れる。
クランマスターの自室として、敷地の最奥に位置する本殿に構えられた部屋。
豪奢な装飾品、調度品に囲まれ、中央に大きな物書き机が存在する。
とは言っても、現在は机どころか床にまで多くの書類が散乱しており、ただの散らかった部屋に成り代わってしまっている。
「ミチル、くっくく……久しぶりっ、だなっ……くくくっ」
渋々といった様子で物書き机の椅子に座ろうとしているミチルを見て、堪え切れない笑いを零しながらリョウは挨拶をする。
リョウの背後からも、アンの押し殺した笑い声が聞こえてくる。
「あぁ? なんだお前ら。ここに殺されに来たのかぁ?」
くつくつと笑う幼馴染の2人に、ミチルは威嚇するかのように声をあげる。
しかし、シームアを目の前にして動揺していた姿を見られた後だ。
もはやその威嚇すら、リョウ達の笑いのタネとなってしまっている。
「あぁっ、くそっ! 笑うんじゃねぇ! それにシームア、お前は下がれ!」
「私に当たるんじゃない。それではリョウ様、アン様」
再びミチルに鋭い眼光を浴びせると、シームアはリョウとアンの方へと向き直り、営業スマイルを向けてくる。
「私はこれで失礼致します。お話が済みましたらご用命ください。商談の方、私が担当させていただきます」
恭しく腰を折った深い礼。
その姿からは、ミチルの動きを止めた威圧感など感じ取ることは出来ない。
「分かった。ありがとうシームア」
リョウが感謝の意を述べると、そのままシームアは退室していった。
「ったく、俺の方が役職は上だってのに……」
シームアが出て行った扉を恨めしそうに睨みつけるミチル。
続いてリョウとアンに目を向ける。
「それで? 何のようだお前ら。まさか本当に笑いに来たんじゃないだろうな?」
「まぁ、これだけでも楽しませて貰ったから十分なんだが、今日は頼みがあってな」
「あぁ? 頼み?」
肩眉を吊り上げるミチル。
その仕草はシームアに良く似ている。
「そう、なに難しいことじゃない」
そう前置きをして、リョウは話し始めた。
凍月の間について。
そして凍月を手に入れるためパーティを組むこと。
シンとアンがパーティに入ること。
ミチルに加えて、ヒカルとハルカも勧誘したいということ。
「なるほど」
ひとしきり黙ってリョウの話を聞くと、ミチルがゆっくりと口を開く。
「それで? 無料で俺等について来いってか?」
「報酬は言い値で構わない」
リョウは即答する。
本来トレジャーハンターが、普段パーティを組まない人間に対して勧誘する時、交渉の材料として用いる物。
それは金だ。
古今東西、物を言うのはやはり金。
地獄の沙汰も金次第という訳だ。
「んぁ? 金ぇ? そんなんいらねぇよ」
しかしミチル=ターメラという人物は、金では動かない。
というよりも、ティパール全土で幅を利かせている商人クランのマスターだ。
この街で誰よりも金に困っていないのだから、金が交渉の材料にならないのも当然である。
「じゃあ、どうしたらいいのよ」
リョウの背後からアンの声が上がる。
「そんな事、幼馴染なら直ぐに分かることだろうよ」
サングラスの奥で獰猛な目を光らせ、犬歯を剥き出しにして凶悪な笑みを浮かべるミチル。
「リョウ、俺と戦え!」
「やっぱりか……」
大声で叫ぶミチルに、リョウは諦めに似た表情を浮かべるのであった。




