1-3 女心と砂埃
アン=ティアスはすこぶる上機嫌であった。
彼女が密かに(と言っても当人達以外にはばればれなのだが)想いを寄せている相手と2人でデートとなれば、上機嫌なのも道理だろう。
明日のダンジョン探索におけるパーティメンバーの獲得。
出掛ける理由こそキナ臭い内容ではあるが、誘いを受けたという事実は変わらない。
恋する乙女がデートだと思えば、それはデートなのだ。
(でもリョウは、なんで私を誘ってくれたんだろう)
アンの機嫌をすこぶる良くさせた張本人、リョウ=クレセッドは、現在アンの前方を歩いていた。
アンより頭一つ分高い身長。昔と比べて随分広くなった背中。
今は見えないが端整に整った顔も、ここ数年男らしさというものが出始めている。
目を合わせただけで胸が高鳴るという場面も最近では多い。
(あの3人の勧誘なんて、リョウ1人で十分よね……)
先にも述べたが、目的は明日のパーティメンバーの勧誘。
そしてその3人の勧誘にアンが特別必要か、と聞かれれば答えはノーだ。
アンはリョウから真相を告げられてはいない。
(いっつも重要なことは言ってくれないんだから……)
アンがやきもきしているのを知ってか知らずか、リョウは無言のまま歩み続ける。
中央区の南に位置する飲食街から真っ直ぐ東。
国立大図書館の前を通り、人気の菓子店の角を曲がり、薄暗い路地をいくつか抜け、現在は中央区と外周の境目周辺まで来ていた。
「リョウ? 一つ聞きたいんだけど、いい?」
ここまで来てしまうと、もう目的地は直ぐそこだ。
目的地に着く前に理由を聞いておきたい。
「なんだー?」
前を向いて歩きながら、そっけない返事を返してくるリョウ。
「なんで私を誘ったの? その、嬉しいんだけどね。なんでかなーって」
「今から行くところは?」
「えっ?」
「だから今から行くところは?」
質問をしたはずなのに質問で返され、アンは拍子抜けしてしまう。
しかし、ここは素直に応えるしかないようだ。
「砂埃」
「そう」
リョウの端的に返事をする。
砂埃は、ティパールでも最大手の武器屋だ。
ティパール内で国が絡まない物品の売買、輸出入、製造。その大半を占めるのがクラン『砂上の行商人』。
通称キャラバン。
そのキャラバンの本部兼武器屋が砂埃である。
「交渉ついでに、明日に向けた必要な情報と装備をいくつか揃えようと思ってな」
「へぇ、それで? 情報と装備をついでに揃える為に、なんで私が必要なの?」
わざと不機嫌であるということを伝えるように、アンは刺々しい物言いで尋ねた。
「お前みたいに可愛い子がいた方が、値切りやすい」
「そっ……そう……?」
急に『可愛い』等と言われ、アンは一気に赤面する。
しかし浮き足立ったのも数秒間。リョウの発言を反芻し、ある違和感に気付く。
「って、私はお手軽なクーポン券じゃないんだからねぇー!」
後日。この叫びを、まだ中央区にいたシンが微かに耳にした。と耳にして、再びアンは赤面するのであった。
―――――――
機嫌を損ねた女性の扱いというのは、ダンジョンの魔物を手懐けることよりも難しい。
(昔の人は的を射たことを言うもんだ……)
ティパールで伝わる格言を思い出しながら、リョウは呆然として空を仰ぐ。
アンが鼓膜を引き裂くような大声を上げてから、早15分弱。
今でも頭から湯気を出しそうな幼馴染は、現在も後方から無言で着いてきている。
「なぁ、怒らせたなら謝る。無理に着いてくることは無いぞ」
「そぉいうことじゃない」
この様なやり取りを続けるのも、やはり15分弱。
経験上、こうなったアンは手の施しようが無い。気持ちが治まるのをただ待つだけだ。
後ろから送られる、殺気染みた気配に耐えながらひたすら歩く。
耐えて耐えて耐え抜く。
もはや修行だ。この修行が終われば悟りが開けるかもしれない。
リョウは無心で修行を続ける。
そうこうしている内に、目的の店の前にたどり着いた。
砂埃。ティパール随一の武器屋だ。
(やっと着いた……)
砂埃の正門を眺め、リョウは人心地つく。
砂埃の正門は木造だ。
乾燥した気候の為、石で作られた建物が多いティパールの街並み。
その中で異彩を放つ木造の門。
確か遠く東の国の建築様式で「四脚門」と呼ばれる作りらしい。
門柱の他に、控柱という柱を前後左右に1本ずつ建て屋根を支える。
その形とこの街では見慣れない形状からか、まるで巨大な四足の魔物が鎮座しているかのような威圧感を与えてくる門だ。
「相変わらず目立つわよねー」
修行終了の知らせが鳴り響いた。
目的地に着きそろそろ気分が落ち着いてきたのか、はたまたそろそろリョウが可哀想になってきたのか。
リョウの隣には、機嫌を直した様子のアンが木造の門を見上げていた。
「間違いようがなくて、一見にも優しいけどな」
理由はどうであれ、アンの機嫌が直った事に内心胸を撫で下ろしながらリョウは平静を装う。
そして平静を装ったそのまま、門をゆっくりと叩く。
木造独特のノック音が響くと、数秒で門の向こうから返事が返ってくる。
「はいはいっどなた様ー?」
「ご予約はされているのかしらー?」
門の向こうから聞こえてきたのは、幼い男女2人の声。
砂埃という武器屋とはミスマッチな声色だ。
しかしリョウとアンは、その声に違和感など感じたりはしない。
なぜなら今回の勧誘対象である3人のうちの2人が、この声の主だからである。
「ヒカル、ハルカ。俺だ開けてくれ」
こちらが声色で誰か分かったのと同じように、向こうも声だけで自分のことを把握できる。
そう考えているリョウは、名乗らずに開門を要求する。
「んっ? この声はリョウっ?」
「リョウちゃんー? デートのお誘いにでも来てくれたのかしらー?」
もちろん、門の向こう側の2人もリョウを把握する。
重厚な音を立てながら門が開き、2人がこちら側に顔を出してくる。
「あっアンも一緒だっ!」
先に現れ、リョウの後ろに居るアンに対しても笑顔を見せた男児。
名をヒカル=ターメラ。
「なんでアンまで一緒なのかしらー?」
そのヒカルとは対照的に、アンを一瞥して眉間にしわを寄せた女児。
ハルカ=ターメラ。
リョウの胸ほどまでしかない身長。
幼さの残る、しかし人形のように整った顔立ちに、目を引く銀髪。
フリルが多くあしらわれた白黒のバトルドレスに身を包んでいる2人。
違いらしい違いといえば、髪の長さがロングかショートか。
加えて、履いているのがスカートかズボンかという点だけ。
それ以外は全てがそっくりな双子がそこには居た。
「なによその目つきは」
双子の女児の方、ハルカの目線に気付き、アンは棘のある言葉を投げ掛ける。
「なんでもないわよー? せぇっかく、リョウちゃんがうちに来てくれたのに邪魔な女がいるなぁって思っただけー」
アンの言葉に物怖じもせず、ハルカは腰まであるだろうかという銀髪を掻き揚げる。
「言うじゃない。邪魔な女はどっちよ」
「そんなの誰にだって分かるんじゃなぁいー?」
「あんたねぇ……!」
「なぁにぃ? ここでやる気なのぉ?」
売り言葉に買い言葉。
あぁ言えば、こう言う。
鋭い眼光を交えながら、加速度的にヒートアップしていくハルカとアン。
傍から見れば、18歳の成人直前の女性が大人げもなく子供と口喧嘩をしているように見えるが、ハルカそして双子のヒカルは紛う事なき18歳。
見た目は10代前半にも関わらず、リョウやアンと同い年だ。
様々な語彙を駆使しながら、アンと同等かそれ以上の罵詈雑言を紡いでいる。
「今日はどうしたのっ? 本当にデートのお誘いっ?」
そんな18歳のうら若き乙女2人が火花を散らしていることなど意にも介さず、ヒカルは屈託のない表情でリョウに問いかける。
「いや、今日はお前達2人とあいつに頼みがあってな。あいつは今仕事中か?」
こちらも全く乙女の戦争には興味のない様子のリョウ。
そもそもハルカとアンがいがみあうのは、今に始まったことではない。
昔からこの2人は折り合いが非常に悪い。今となってはもう慣れっこだ。
「あいつってミチル? ミチルなら本殿で唸ってるはずー」
ミチル=ターメラ
ここに居ないもう1人のリョウの幼馴染だ。
ハルカ、ヒカルもリョウ、シン、アンは同い年の幼馴染。
そこに、これまた同い年のミチルを加えて、幼馴染6人の完成という訳だ。
「なんか場頭の業務が山積みで、しばらくは外に出れないって騒いでたわよー?」
ひとしきり繰り広げられたアンとの罵詈雑言の応酬に満足したのか、ハルカがのんびりとした口調で口を挟んでくる。
「そういえば、ミチルって今場頭代行になってるんだっけ?」
こちらはハルカとは対照的に、げっそりとした様子のアン。
どうやら今回の口喧嘩も、ハルカの圧勝で終わったようだ。
場頭とは砂埃の母体組織、『砂上の行商人』のトップに立つ人間の肩書きである。
砂上の行商人という組織は代々、世襲制で場頭を引き継ぐ。
「そうよー。あれでも本家の長男だもの。仕事はちゃんとしてもらわないと」
場頭を引き継ぐのはターメラ家、本家。
現在はターメラ家の本家長女が就任しているが、2週間ほど前に行商の為ティパールから離れてしまった。
その姉の代理で、弟のミチルが現行の場頭に着任しているというわけだ。
「お前らは手伝わないでいいのか?」
本家長男が仕事三昧名だというのに、呑気な口調の双子に呆れた表情のリョウ。
「いいのいいのっ、僕たちは分家出身だからねっ」
しかし悪い意味で身の程をわきまえているのか、ヒカルに気にした様子はない。
「そういうことよー、分家の役割は本家の護衛。私やヒカルには、デスクワークなんて向いてないわー」
ハルカも同様だ。
「じゃあミチルにデスクワークが向いてるのか? って聞かれたら、疑問だけどねー」
「アンの言う通りだ」
アンの発言に、リョウは心底楽しそうに顔を綻ばせる。
1人が抜けているとは言え、今日はすでに幼馴染5人と再会している。
これは非常に久しぶりな事だ。
「さて、それじゃあ場頭殿の陣中見舞いにいってやるか」
幼馴染との懐かしい空気に心を躍らせつつ、リョウは最後の幼馴染が仕事をしている本殿へ足を進めた。




