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忘れられない

 いつの間にか桜は散り、じめじめした季節も越えた。夏の気配が見え隠れするようになるこの時期、大抵の人は冬服から夏服へと切り替わる。もちろん僕も、吉川海未(よしかわうみ)も。


 僕と吉川さんの距離は、この三ヶ月ほどで随分縮まったと思う。最初の頃あったたどたどしさもなくなり、気軽に冗談を言えるようにもなった。


 ただ、知れば知るほど実感することもある。似てるとはいってもやはり吉川さんは吉川さんで、雪季は雪季なのだ。


 そんな当然のことで一喜一憂してるあたり、最近の僕はどうかしている。一体雪季と吉川さんが似てるからといって、何だというんだ。それ以前に、大体雪季は僕にとってなんなんだというんだ。


 あの春休み。従妹の美緒に会いに行ったとき、偶然知り合った大人っぽい年下の少女。あれから彼女とは全く関わりがないのに、僕の頭の中にはずっと雪季の気配が留まっている。


「どうしたの柴崎君。考え事?」


 聴き心地のいい滑らかな声に顔を上げると、隣にいた吉川さんが、何故かむさ苦しさを感じさせない長い髪を掻き上げながら、僕の顔を覗き込んでいた。例によって今日は、吉川さんとの図書当番だ。


「あ、ああ、うん。何かわりぃな。ボーッとしちまって」


「それは別にいいよ。それより何か悩んでるんだったら、私でよかったら相談とか乗るけど?」


 その悩みの一部は自分のことだと知ったら、彼女はどう思うのだろうか? まあそんなこと言えないけど。


「いいよ。そんな大したことじゃないし」


「そうなの? ならいいんだけど」


 そういうと彼女は、膝の上で組んだ手へと視線を移した。


「やっぱりいいか?」


 気がついたら、僕はそう言っていた。


「うん。いいよ」



 ーー



「つまり、春休みに一回会っただけの従妹の友達が何故か忘れられないってこと?」


「ああ、そうだ」


 僕は吉川さんに全部話した。雪季と吉川さんが似ているという、一点を除いて。


「それって、ねえ……」


 吉川さんは顎に手を当てて、何やら神妙な様子で眉間に(しわ)を寄せた。厳しい顔の彼女を見たのは、これが初めてかもしれない。


「何だ? やっぱりまずいことなのか?」


「いや、まずくはないんだけど、なんというか……」


「何だよ? はっきり言ってくれよ」


 吉川さんは一つ咳払いすると、真っ直ぐに僕を見上げた。


「ていうかそんなに想ってるのに自覚ないの?」


「は? 想ってるって……」


「柴崎君は、その従妹の友達ちゃんのことが好きなの。恋愛の対象として。でなきゃ一度会っただけの人を、そんなにずっと考えてられないよ」


 吉川さんの発する言葉の一つ一つが、僕の胸に静かに刺さった。僕が雪季のことを好き? たった一日。いや、一日も一緒にはいなかった。そんな相手を?


 でも言われてみれば、そんな一瞬の関わりの人を半年も忘れられないなんて、一体恋じゃなくてなんだというんだ。それを今まで気づかなかったなんて。


 ううん違う。本当は自分の気持ちには気づいてた。雪季と結ばれることの難しさから、気づいてないフリをしてただけだ。だけど吉川さんにはっきりと言葉にされて、逃げられなくなった。気づかないフリなんて、もう、出来なくなった。


「吉川さんの言う通りだ。僕、従妹の友達が……雪季のことが好きだ」


「ふうん。雪季っていうんだ。一途な柴崎君に想われて、幸せ者だね」


「そっそれは……」


「……ましいよ」


 吉川さんが、ほとんど息を吐いてるに等しい声量で呟いた。


「ごめん今何て?」


「何でもない! 柴崎君は雪季ちゃんを大切にね」


 そう言いながら、吉川さんは鞄を背負って立ち上がった。彼女はいつもの笑顔に戻っていた。


「大切にって別に付き合ってるわけじゃ。ていうかまだ仕事中だろ、帰んな!」


 ーー


 何とか吉川さんが帰るのは引き留めたが、当番の終わるときまで、僕たちは一言も喋らなかった。まあ図書室だから、別にそれが不自然というわけでもないのだが。


「よっしゃ。じゃあ帰ろっか」


「え……あ、うん」


 何だろう。雪季のことを相談してから、吉川さんの元気がない。やっぱりこんなこと、話さない方が良かったのだろうか?


「何かごめんな」


「へっ?」


 普段落ち着いている吉川さんには珍しく、素っ頓狂な声を上げた。


「あんな話しちゃって。気分悪くしただろ」


「い、いや別に、気分悪くだなんて」


「でも元気ないぞ」


 いつの間にか僕らは、普段使う駅に着いていた。吉川さんは(うつむ)いたまま、一言も口を利いてくれなかった。


 電車に乗ると程よく混んでいた。一席空いていたので吉川さんに譲り、僕は正面に立った。吉川さんが何か呟いたけど、僕には聞こえなかった。でも多分、口の動きからして「ありがとう」と言ったんだと思う。


 ーー


 座ってもずっと俯いたままだった吉川さんが顔を上げたのは、彼女が降りる駅まであと一駅になった時だった。


「ごめん柴崎君。やっぱりちゃんと言うね」


「え、っと……」


 じっと僕を見上げる吉川さんは、いつになく色っぽく、美しく、僕は雪季のことを忘れてしまうほどに固唾を呑んだ。


「柴崎君の話を聞いたとき私、苦しいというか、何かこう、心臓がぎゅって締め付けられたような感じがしたの。それで私は自分の気持ちを確信しちゃった。だから雪季ちゃんのことを素直に応援する気になれなくて、それなのに応援するフリをしてる自分が情けなくて、憎たらしくて、それで……」


「お、落ち着けって。言いたいことはわかったから」


 感極まって泣き出してしまった吉川さんの肩に、思わず手を置いた。こういうときスッとハンカチとか差し出せたらいいんだけど、生憎そんな物持ち歩いていないので、ただおろおろとするばかりだった。


「ホントに? ホントに私の言いたいこと、全部伝わってるの?」


 彼女は僕の手を握り返して、泣き顔のまま僕の視線を奪った。この時初めて、吉川さんのことを雪季と関係なく、可愛いと思ってしまった。


「えっと、その、つまり雪季の話をしたら吉川さんが不快に思って……あれ何で?」


「もうっ、肝心なところだけ伝わってないんだから」


 電車がホームに入り、吉川さんの降りる駅へと着いた。彼女は立ち上がり、僕に歩み寄ったーー



「……じゃあね」


「あ、うん……じゃあな」



 扉が開くと、吉川さんは全力で外へと走っていった。僕はといえば、ただ茫然と立ち尽くすのみだった。


 再び電車が動きだし、ようやく身体の感覚が戻ってきた。先程のことを思い出し、爆発してしまうんじゃないかと思うほどに、全身に熱を帯びた。


 頬に感じた柔らかい感触は、きっと忘れられないだろう。



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