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NINO'sWAR  作者:
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第一式 戦場の子供

第一式 戦場の子供

いつの頃か、もう定かではない。

はるか昔なのか、遠い未来だったか・・・。

時から見捨てられた人々がいつしか独自の文明を切り開き、国を構え、第三国が世界を作り出していた。

しかし、愚かにも一国の一血統が、自国を唯一のものとせんと、他国との争いを始めようとしていた時代。世界は灰色の渦に飲み込まれようとしていた。

人々は混沌とした世界に一筋の光と言わんばかりに、救世主の伝説が蔓延った。しかし、いつになっても救世主など現れることはなく、伝説は人から人へと受け継がれるだけの、ただの言い伝えと化してしまった。

もはや、人々に縋るものは何もなくなり、貧富の差が広がっていくばかりであった。


人々が貧しさから抜け出せる方法はないのか?生まれた瞬間から、死に向かって貧しさに耐えるだけなのか。

国の発展は自由の拡大なのか、相互に支えあう道はないのか古きに与かりし新しきを為すことは出来ないのか。

人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく創造的な生活を営むべきはずなのに、貧しさという抑制からの開放は永遠に来ないのだろうか。


霧雨の章 第一式 戦場の子供


「起きろ」

 男の声がした。とても低い声だ。年は三十代後半位だろうか。イライラしているのが分かった。「死ぬなら向こうで死ね」

 何か言っている。しかし、何か言っているか分からなかった。言葉が違う。他民族だろう内容が理解できない。ただ声のトーンから下品さが伺われ、貴族ではなさそうだった。兵隊でもなさそうだ。

「オイ、起きろ」

 声がはっきり耳に届くにしれ、次第に意識を取り戻す。

 頬に冷たいものが当たった。

液体らしく頬に当たるとつつーっと伝った。そしてまた、ぽつり、頬に当たった。

 意識してみると、その冷たい液体はそこからかしこと、顔じゅう当たっていた。不愉快さが体の神経に生まれる。と、同時に指がぴくんと跳ね上がった。

胴体が何かでぐいぐい押されているのを感じた。なすがままにしていると、頭が固いものですれ痛みを覚えた。しかし、それは摩擦らしい摩擦ではなく、奇妙にぬるぬるとしていた。

 一体なんなんだ。

 体感する正体の答えが得られず、うっすら目を開けた。

 目に飛び込む液体に鋭敏な瞳が反応して目蓋を思わず閉じた。

 「起きろ!」

 ドカッ!

 鈍い音と共に腹部に強い痛みを感じた。

自分の体が宙に浮き、ドサリ、地面に落ちた。

強い衝撃。一気に覚醒する。

「のたれ死ぬなら向こうで死ね」

 腹を蹴られた衝撃で吐き気を覚えた。

 胸がむかつき、胃がぐぐっと痙攣の筋肉運動を起こす。口に湧き上がる酸味の液に堪らずげほげほと吐瀉した。

 どうやら大量に水を飲み込んでいたらしい。口から出るものは水分ばかりだった。塩くさく、辛い。海の水だと分かる。

「クソがき。生きていやがるのか」

 わけが分からず声の主に顔を上げた。

 男は黒い布を頭から覆い被り、低身長のせいか地に引きずっていた。雨に濡れても厭わない様はさも怪しげだった。顔を見ようとするが、視点が合わずおぼろげで、男の背後に忍び寄る灰色の雲がより一層、奇怪さに拍車をかけていた。

「生きているなら身分証明書と入国証明書を見せろ」

 男が手を差し出してきた。

やはり何を言われたか分からないが、差し出された手に条件反射で体をまさぐった。

 手が胸ポケットの異物を見つける。

 羊皮紙に書かれた身分証明書と入稿証明書だ。

「早く見せろ」

 男は胸元から奪い取ると、身分証明に書かれた情報と照らし合わせるかの如く、ちらちらこちらを見た。

 そして、暫くすると納得したのだろうか、二枚の羊皮紙を乱暴に放り投げ、背を向けて言った。

「ようこそ、ダルフィールへ」

 理解できる言葉だった。「入国を許可する」

 昼だというのに太陽はどこにもなく、光だけが雲に反射し、雨を鈍く光らせていた。




「起きて」

 促す声が聞こえた。「起きて」

 その声にはっと飛び起きた。

 蹴り上げられる!

 一瞬そう思ったが、そこに薄暗さはどこにもなかった。

 眩しい光。

思わずぐっと目を閉じて腕で顔を覆い隠すが眼瞼に感じる程、光はこうこううと光っている。

「ニーナ、おはよう!」

 明るい声だ。

 光に慣れた片目を開くと、小さな少年の顔が飛び込んできた。

「え・・・?」

 自分がニーナと呼ばれたことに違和感を感じ、耳を疑った。

少年はにんまり笑って、

「お母さんー!ニーナ起きたよー!」

真横で声を張り上げた。

ニーナはベッドの上で飛び起きた不恰好のまま硬直した。

明るい太陽の光。草の良い匂いが鼻に付く。農耕の香りだ。そして料理の匂い。急激に食欲がそそられる。

「おそよう、ニーナ」

両目を開けると、お母さんと呼ばれた人がこちらを見て、優しげに微笑んだ。

 ニーナは顔を覆っていた腕を下ろした。

「なんだ、夢か・・・」

 飛び起きた格好を崩し、ぽてっ、と再び横になる。

「また変な夢みたのー?」

「エト・・

脱力してしまったニーナに、エトがにこにこしながら肘を付いて独り言に飛びついてきた。

「変とはなんだ、変とは」

 怖い夢なんだから。

 ニーナは起き上がりエトの首を軽く絞めあげる。

「やだー。母さんニーナがいぢめるー」

 エトははしゃぎながら苦しい振りをした。

「ニーナ、女の子なんだから、はしゃいでないで少し家事を手伝って」

 母親は苦笑し、「エトもお姉ちゃんをからかわないの」背を向けて家事の続きをしだす。

 食卓の準備をする母親。自分になつく可愛い弟。 

 平和そのものの風景だ。先ほどの夢とは無縁だ。似ても似つかない。灰色の空、冷たい雨、他国の言葉を使う怪しげな男、みすぼらしくのたれている自分の姿には程遠い。

全く身に覚えがない・・・。

何故自分はあんな夢を見るのだろう。いつも不思議に思う。毎日ではないにしろ、頻繁に同じ夢を見るせいでニーナは苦痛を感じていた。思いあまって、仕方なく村一番のおばばに相談したこともあった。しかし、ただの疲れだろうと言う。ニーナの体は至って健康そのもの。病気でもなんでもなかった。元気すぎるあまり「ニーナが病気になったら天と地がひっくり返るわ」とまで言われてしまう始末で、まじないも、薬草も与えてはくれなかった。

 おばばがどこも悪くないと言うのなら確かなんだろうが・・・。

 しかし、合点がいかない。何故なら、おばばが言う様な、さほど疲れる事をニーナはしていなかった。いつも通り朝には起きて、農耕をして、夕方には帰宅して、夜には寝付く。そのようなごくごく平凡な生活をニーナはしている。なのに、あんな夢を見る。

 自分でも気がつかない間にどこかでストレスを感じているのだろうか。

 しかし一体何に?

 何度自問しても思い当たるふしはなかった。

「いくら考えても覚えが無いものは無いものね」

 ニーナは肩を竦めると朝食を取るため食卓へと向かった。

 いつもの野菜スープと小麦粉で練った小さな発酵パン。彩りの無い食卓。

 野菜スープといってもじゃがいもと人参だけが入ったものだ。それ以上のものはない。何故ならニーナの家は貧しかった。ニーナが幼い頃、父は病気で死んだ。そして他の男手なる存在はなく、母が女で一つ、弟と自分を育てているからだ。そしてなにより、農牧以外でいくら母が織物の別労働したとしても、女だからといって十分な賃金を与えられていなかったり、農牧の場所請負制による余分な運上金を取られたりしているからだった。

 それはニーナの家だけではなかった。女というだけで賃金問題に発展する事は日常的なことであり、その他の事でもやはり少なからずの差別はあった。

 もともとこの国、ダルフィール国には差別などあまりなかった。しかし、他国との戦争で国が発展するにつれ貧富の差が激しくなり、ついには、貧困層は国から住まいの分別を図られてしまった。そして、貧困層の住む地域を『ムスリム』と別名を設けることから異様な差別が始まった。

その様な同民族からの差別や、戦争に男が駆り出される事で男の希少価値が高くなり、民衆の間には古い固定観念が定着してしまった。そうしなければムスリムは成り立たっていかなかったのだろう。

いつしかムスリムは国から見放された、一固体の自治村と化した。

乾いた土にいくら苗を植えてもやせた大地はわずかな実りすら出し渋り、羊も乏しい草に餓え、なかなか乳を出さない。それにも負けず、人々は微量の収穫に感謝し、老いて朽ち果てるまで働き続ける。

ムスリムで贅沢なるものは何一つなかった。ただ生まれ、己の人生を全うし、働き、死んでいく。それ以上の事はなかった。

生まれた瞬間から、ただひたすら死へ向かうだけの人生。

なんて虚しく、哀しい人生だろうか。

なんという貧しさなのだろう。

 飢える貧困。そんな中でもニーナは幸せだった。優しい母と弟。平和な毎日の営み。母の織り上げた服を着て母の織り上げた布団で一日の疲れを取る。慎ましくもそれで幸せだった。

 そして弟のエトは今は十歳そこそこの子供に過ぎないが、いつかは成人し、立派な男手となるのだ。そうすれば、今の生活も少しは楽になるのだ。また、自分もいつかは嫁ぎ、結納金も貰えるだろう。母親を楽にさせてやれる。

「ニーナ、もう少し女らしく食べなさい」

 朝から男のようにガツガツ食べているニーナに母が笑う。

ニーナは腰までの髪こそあるから女だと分かるが、それがなければまるで少年の様だった。母子家庭の長女であるからだろうか、立ち居振る舞いも心情も少年そのもの様に気高かった。それでいて、民族でも珍しく色が白く目は大きく綺麗な面持ちをしていた。

「それから今日は、畑が終わってからちゃんと河で体と髪を洗うのよ」

笑いながら母が突拍子もない事を言った。

「え?どうして?」

 ニーナは食事の手を止めぽかんとした。

 農牧で汚れた手足しを河で洗うことがあっても、祝い事がある以外は体や髪までは滅多に洗わなかった。

「どうしてって、今日はあなたの十二の誕生日でしょう。成人になるのよ。祝賀会があるのを忘れていた?」

 忘れていた。

 ニーナは気まずそうに顔を歪めた。

 ダルフィールでは、男は十三で、女は十二で成人と見なされる。成人となれば一生に一度の事。故に、祝賀が盛大に行われる。

 祝賀会は楽しいし、知り合いが総出で祝ってくれるから何よりも嬉しかった。しかし、嬉しいのは今までニーナが祝う立場だったからであり、自分が祝われる立場にあるのは釈然としなかった。なぜなら、

「正装しないと駄目?」

 だからである。

「当たりえでしょう。そのためにお母さん毎日毎日、いつも以上に機織場に篭っていたんですから」

 それはそれは良い布が仕上がったのよ。

 母は高揚で顔を赤らめた。

 そう言えばそうだった。

 ここ最近、ニーナが夕方に農耕を終えても、母はまだ機織場から帰宅せずに夕飯の支度をニーナにさせていたし、夜遅くに帰宅したらしたらで縫い物の夜業をしていた。体の事が心配で母に早く寝るよう催促しても「仕上げてしまわないと」と言っては夜業に徹していたのだった。

 ニーナは頼まれて一気呵成に仕上げているのだろうと思い、敢えて何も聞かず、また翌日には朝早くから農作業が待っているので早々と床に就いていた。

 母は母で、ニーナが何も聞いてはこないので、きっと分かっているのだろうと思っていたのだろう。母もまた、敢えて何も言わなかった。

 ニーナは眉を顰めた。

 自分の為に夜業に徹していたのなら、そんなことはさせなかったのに。

 何も訊かなかった事を後悔した。

「母さん、徹夜し続けて、病気が酷くなるよ」

 こんな台詞はもっと以前から言うべきだったのに。

 ニーナは口惜しくてならない。

「大丈夫よ。貴女の為ですから」

 優しい母はそう微笑む。

 ニーナが幼い頃は母も元気だった。しかし、流行の病に一度倒れたからというもの、体は再起せず、すっかり弱ってしまった。

気がつけば、やせ衰えいつも咳き込むくらい心臓を悪くしていた。今はただ、おばばの薬草でなんとか命を繋ぎとめているといった状態である。おばばが言うには、このまま無理をし続ければいつかは失明も免れなかった。だからニーナは少しも無理をさせたくなかったのだ。「無理しないように」といつも声をかけて注意をするだが、母がそれに素直に促されるてくれることはなく、知らぬ間に必要以上の仕事をし、無理をしている。しかし、それはニーナと弟のためであり、それが母親の愛情というものであるのをニーナは理解していた。母もまた、制する娘に「親になれば気持ちが分かるわ」と言い聞かすのだった。

「でも無理はしないでよ。絶対だよ?」

 無駄とは分かっていても念を押す。

「分かったわ」

 母はうんうんと頷いた。「それよりも早く、畑に出ないと、もう鐘がなるわよ」

 3、2、1、0

 促すと同時に、一斉に鐘が鳴り響いた。

 農牧開始の合図である。

「エト!行くよ!」

 ニーナは残飯を口の中に詰め込むと、さっと入り口の肩掛かばんを掛けて勢いよく玄関の扉を開けた。

 春先の少し肌寒い風が、背後の家内へと広がる。

「ニーナ!待って!」

 慌てふためきながら、愛用の帽子を鷲掴むエト。

ニーナは目を細めた。

明るい春の日差しが、空を流れる白い雲と共に新鮮さを詠っていた。


「どうしてニーナだけ竜が扱えるんだろう」

 エトは今更ながら、ふと沸いた疑問を投げかけた。

「さぁ、気がつけば扱っていたからな。何故だろう」

 ニーナは首を傾げてみせた。傾げた瞬間背後のエトがバランスを崩しそうになりおたおたする。

「しっかり掴まっていろ」

「うん」

 エトはニーナの背の衣服を手に握りこんだ。

時は昼過ぎ。

二人は竜に跨り、森を詮索していた。農耕が一段落してから狩猟に来たのである。本日の祝賀会の為のごちそう探しだ。しかし、先程から探しているものの、手ごろな獲物が見つからず、ただ跨っている竜の二足歩行で揺れるままに揺らされているだけだった。

一定の揺れが心地よさを呼ぶ。

 ニーナはぼんやりしないように気を尖らせた。

「だって、噂じゃ竜を扱えるのは遥か東のユダロ国のユダ人だけだって言うよ?」

 エトはぐいぐいニーナの服を引っ張った。

「お前に知識を教えているのは一体誰だ?」

どこからともなく知識を得てくる弟に、ニーナは半ば呆れるように笑った。「どうせ、いつものおやじさんのところで、だろう?」

エトの頭は得体の知れない情報や、全く嘘の知識やらで溢れていた。時折、感心させられる亊もあるのでニーナとしては非常に興味深かった。しかし、その出所がいかんせん問題だった。

「ドクター・セラティスはいい人だよ!」

「ムスリムでは少し変人扱いだぞ?」

「それでも知識は豊富だし、農畜だって、彼の発明品で少しは楽になってきたんだよ。彼は列記とした発明王さ。この間だって・・・」

 エトは息を荒くして彼がいかに凄い人物であるか熱弁しだす。

 ニーナはさして真剣に聞かず、はいはい、と相槌を打った。

 ドクター・セラティス。

年の頃は六十を入っただろうか。ムスリム一の変わり者、いや、発明王である。

 確かに彼の発明で農畜は楽になった。例えば、『自動芝刈り収納機』などは、芝をその機会にセットするだけで使用しやすい大きさにカットされ、収納箱にきちんと整理整頓されるという代物である。また例えば、『自動苗植機』などはスイッチひとつで田圃の隅から隅まで走り、耕地の広さを認識し、一定の幅で苗を植えていく代物だ。

 確かにどれも便利だが、その機能性を人目見れば、「機械が大そう過ぎて、むしろ手でやった方が早いかもしれない」と思ってしまうのである。しかも、『自動芝刈り収納機』に至っては物凄い騒音と共に、かなりのエネルギーを必要としてしまい、あまり意味がない。『自動苗植機』に至っては、泥を撒き散らす走りをするのでこれも痛い発明である。

画期的と言えば画期的なのだが・・・

 詰めが甘いのだ。

 ムスリムの人々は、そんなドクター・セラティスをやっかい者扱いはしないものの、変人扱いをしている。しかし、列記とした発明家であると賞賛する人もいる。何故なら、ドクターが発明したのは全て根性の入ったものではあるし、第一に人々が楽に生活出来る様にと考えているし、発明の全部が全部、失敗作でもなかったからだ。中でも一番役に立っているものは、『他国人撃退線』である。ムスリムとダルフィールの境目全土には目に見えない電線が張られている。ムスリム以外の人間が電線に触れるとたちまち村中に伝達が行く仕組みになっている代物である。

 それに関してはムスリムの誰しもが頷く発明だった。ニーナも感心した覚えがある。

「あんまり彼に陶酔するなよ」

 ニーナは言が、しかし、エトはドクターに夢中である。

「今回のドクターと僕が開発したのがコレ!」

 見て見て、とニーナの背中をぐいぐい引っ張った。

 ニーナは手綱を放してしまわないように、背後のエトに振り返った。

 いつの間にか、エトの右目に、一見眼鏡に見える、得たいの知れないものが装着されていた。

「なんだそれは?」

 眼鏡と言っても、やたら何重にもレンズが重なり合ってある。

「コレはね・・・」

 にんまり笑いながら、エトはレンズの重なる順番をかちゃかちゃ言わせながら変え合わせた。「ほら!レンズの組み合わせ方次第でどんな遠距離でも近くに、どんな細かいものでも大きく見えるんだよ!」

 そういうエトの右目がレンズ一杯に大きく広がり、片目の大きな奇妙な生き物みたいになった。

「・・・・・そうか」

見てくれの良いものではないな・・・ 

「ニーナの毛穴まで見えるよ!汚れている!」

「・・・・・そうか」

 ニーナは呆れて前を向いた。

「細かいメモリも入ってるんだよ。距離も分かるし角度も分かる。狩に最適だよ!」

 自分も発明に加わったと代物にエトが高揚する。「ユダ人は目がいいから、こんなものはいらないらしいよ。ねぇ、さっきの噂って本当かな?」

 我が弟は何ゆえユダ人に拘るのだろう・・・

 ニーナは少し項垂れた。

「噂じゃない。ユダ人が竜を扱えるのは本当だし、ユダ人だけが竜を扱う方法を知っているというのも本当だろう。ユダロ人の事を竜使いと言う位なんだから」

「そうなの?」

エトは目を丸くした。

「なんでもユダロでは農畜は竜で行っているそうだ。竜で地を歩き、竜で空を舞う」

 竜が農畜で人の手助けになるのなら、これ程力強い助けはないだろうな。「羨ましい事だ」

 ムスリムでもそのように竜が普及すればどれほど楽なことか。ドクターも無駄な発明に勤しむ事もなかろうに・・・

噂によると竜というものは竜使いでしか扱いを知らず、竜使いによって扱われなかった竜は凶暴になり、ついには人を襲うと言う。竜の交配から飼育まですべて竜使いが担っているというのだ。しかし、何故だかニーナの家には竜がいる。ムスリムに竜がいること自体不思議な事であるにもかかわらず、ニーナは竜の扱いが出来る。

 他国の竜がいつしか住み着き、竜使いでもない娘が竜を扱えるということは、ムスリムでなくともたいそう妙な事だった。ニーナはムスリムの生まれで竜使いではない。しかし、竜は人に危害を加える事なく、素直にニーナの言う事だけを聞く。母に言わせると最初はたいそうムスリム中で大騒ぎになったが、竜の力強さは何かにつけては役立っていたので、次第に誰も何もいわなくなったそうだ。

「じゃ、ニーナはユダ人?」

 エトは急に不安そうな顔をした。

「まさか」

 弟の安直な思考にニーナは破顔する。「母さんが言うには、その昔、旅で流れに流れついた竜使いが母さんの恩恵を受けた御礼に自分の竜を差し出したそうだ。もっとも私は幼くて覚えてはいないが」

 ともかく、気がつけば竜に跨り自由に扱っていた。「たまたま私と気が合った竜だったのだろう。なぁフォウ?」

 ニーナは跨っている竜を見下ろし、手綱を軽く引っ張った。

 フォウと呼ばれた竜は返答するかのように、

きゅー

鳴いた。

フォウは珍しい成りをした竜だった。

フォウが子供の竜なのか、成人した竜なのかは不明であるが、体は蒼く、皮膚の表面はつるつるして産毛が少しあるくらいだ。触り心地は人肌と大して代わりが無く、目玉はソフトボールくらい大きい。長い尻尾で二足歩行のバランスをとり、高さは百八十弱ほどで、左右に二メートルの大きな翼があった。そこまでは、もしかすると普通の竜と同じかもしれない。ただ奇妙にフォウは左右目の色が違っていた。右は灰色の目をしているが、左目は紅蓮だった。いくらムスリムの人間が竜をあまり見たことがなくとも、それが奇妙なことであることは理解できた。

特異な竜。それを連れいていた旅人もきっと特異だったに違いない。ユダ人なのか、はたまた違った人種なのか・・・

思いに耽っていると、遠くでカサリ、草音がした。

はっとニーナは顔を上げた。

「どうしたの、ニーナ?」

「黙って」

 ニーナは全身を研ぎ澄ませた。耳で草音のした地点を探る。

 主人の異変にフォウも歩く足を止め、首を垂れ、鼻をひくひくさせた。

 カサ、カサ

 草音が森中に響く。

 ニーナの目が見開かれると同時に望遠レンズのピントを合わせるがごとく遠方の草音の地点の景色が目に飛び込んだ。

 見つけた!

 ニーナはフォウの胴を両足で蹴る。

 フォウが合図に走りだした。

「エト!しっかり捕まれ!」

「わっ!」

 その声に物音の主もこちらに気が付き逃げ出した。

「飛ばずに走れ!」

 命令されるがままフォウは地を駆け抜ける。

 疾風が如し走り。

 あまりの速さに視界に入る木々が歪んで見える。木々がニーナ達に道を開けているかの様だ。

 エトはその速さで振り落とされないようにニーナにしがみついく。そして慌てて、何重にも重なっているレンズをガチャガチャと合わせ、標的に標準を合わせた。

「左方向に三十度!距離七百フィート!」

 エトの情報にニーナはすっと胴体を屈めた。

「加速!」

 フォウは翼を折り込めた。

 風の抵抗がなくなり、更に走りが加速される。

 ニーナは手綱を放しフォウの胴体を両足で挟みバランスを取った。

「左三十度!回り込め!」

ニーナは左の(えびら)から矢を一本さっと抜いて弓に構える、そして、

フォウの体が左三十度に傾いた瞬間、

獲物の背がぐんっとニーナの視界に入り込み、

捉えた!

勢いよく矢を放った。

矢は抵抗する空気をも切り裂き、我が身の糧とし、ぐんぐん加速する。そして、

ザシュ!

矢が勢いよく獲物を貫いた。

肉体から血は飛び出ることなく、獲物は地へ落ちた。

「捕獲!」

 エトはまたレンズをカチャカチャと合わせた。

フォウの走りが緩やかに止まる。

ニーナは弓を放った体系を緩めた。

「フォウ、よくやった」

 ニーナはフォウの首をなぜた。

 撫ぜられる心地よさに

 きゅー・・・

 甘えた声を出した。

 フォウはニーナが促すまでもなく、体をゆらゆら揺らし、ニーナが打ち落とした獲物へと近づいた。

 獲物は既に息絶えていたが、まだどことなく、生を感じさせていた。

 エトはニーナの背から手を離し、フォウから飛び降り、

「よっ」

 獲物から矢を抜いた。「どうぞ」

「よし」

 ニーナはさっとフォウから降りると、短剣を取り出し、自分の右手の人差し指をうすく切った。

 鮮血が滴る。

 ニーナは血の滲む指で獲物の体に印をつけた。赤い血は皮膚を這い、血の生々しい独特の臭いが鼻を掠めた。

 ニーナは膝間着くと手を合わせ、頭を下げた。

「その命、我が糧となり我が身の生を保て」

洗礼を受けると、矢を抜いた傷口から白い煙が出てニーナの体にまとわり付いた。

 そして、獲物はただの肉の塊と化した。

「これで魂は昇天した」

 ムスリムでは狩猟をする際、ただ狩るだけではなく、こうして神の恵みに沐することを民族の慣わしとしていた。そうする事で、無駄な命を捕らずして慮る様にしている。人間が欲する程に狩猟してはたちまち動物は絶滅してしまうだろう。動物と共存しなければならない、農畜をするムスリムの知恵であった。

 エトは肉から抜いた矢の先を見た。

 枯れ木で作った上差しの鏑矢である。枯れ木で創作しているので、その細さは普通の矢とは異なり至極頼りなかった。また、一本一本と太さもまちまちで、むしろ矢とは言い難かった。しかし、ニーナは己の腕力と正確な角度を鋭角に持ってして仕留めてしまう。幼くもニーナの腕前は、ムスリムの男たちも平伏す程である。

 そんなニーナにエトは狩猟に出る度に感服していた。狩猟に出て、今まで一度もニーナの的を外した素矢を見たことがなかった。

「この矢先、駄目になってる」

 何度も使うせいか、鏑が砕けていた。

「うん。でも今一度くらい使えるかと思ったんだ」

 ニーナは笑った。「使えるだけ使わないと」

 聞くなりエトはぎょっとした。

 ただでさえ、ひょろりとした矢を使っているにもかかわらず、鏑まで役立たずだった矢で良く仕留められたものだ。

「ニーナがいれば怖いものなしだね」

 エトは歓心した。

「私にも怖いものくらいあるぞ」

 ニーナはエトの頭をがしがし撫ぜ笑った。

「何が怖いの?」

「そうだな・・・」

 ニーナは腕を組んで考えると、「そうだ、水が苦手だ」

 人差し指をエトに突きつけた。

「水ぅ?」

「多分・・・」

 人差し指の頭が垂れる。

「だからまめに体を洗わないの?」

 ニーナは女には珍しく、必要以上の水浴を好まなかった。

「水浴び自体が嫌いではない・・・」

 水が嫌いと言うわけではなかった。ただ、水が側にあると、あの奇妙な夢を思い出してしまい、途端に得も言えぬ感情が沸き起こるのだ。暗い闇に足を取られ、底なし沼のように己の感情がずるずると引きずりこまれていく。それは神から罰を受ける教徒の末路か、天使から悪魔に摩り替わる瞬間のようだった。惨めにひたすら受理されない救いを求める、現実の気高さとは裏腹の、我を忘れて無様に手を伸ばしている自分がそこにはあった。

「に、しても・・・」

 ニーナは獲物を腰の帯に縛りつけ、「その眼鏡、少しは役に立つようだな」

 仕留める時間が早くなる。

 ニーナはふとっと笑った。

「でしょー!」

 ようやく自分の発明品の出来栄えに満足を見える姉に、ふふんと、得意げに胸を張って仰け反った。しかし、仰け反るあまり、自分の頭の重みでそのまま後ろに倒れた。

「あいたッ」

「・・・・・・・さて、次の獲物でも探すか」

 姉は無様な弟に手を貸す気にはとうていなれなかった。

 

 二匹目を仕留めたところで、ニーナは森の天井を見上げた。

 緑の葉々の隙間から太陽の位置を確認する。

 三時頃か・・・

 そろそろ母が畑に差し入れを持ってくる時間帯である。

「ニーナ、そろそろ戻らないと・・・」

 魂昇天の儀式を終えたニーナを見下ろした。

「そうだな」

 大量の捕獲がバレては元も子もない。きっと理由を聞き出され咎められるに決まっている。

 ニーナはすくっと立ち上がり、

「獲物を売りに行く」

 短剣を鞘に戻した。

「町に行くの?」

「そう。今までの売り上げと、今日のこれを売れば、もう薬が買える額になっているだろう」 

 ニーナは捕獲した獲物をフォウの背に乗せた。

ダルフィールの町には進化した薬が多種多様にあるという。ニーナはそれを買うため毎日の狩を多目に行っていた。獲物を町の市場で売り金を得るのだ。そして、その金で母の心臓病の薬を買うために他ならなかった。

金儲けの為の殺生など、本当はしてはいけないのだが、やむ終えなかった。

ムスリム一のおばばのまじないも薬草も駄目なのだ。残るはダルフィールの町に蔓延る、他国から取り寄せられている薬のみだろう。

「最後の望みだな」

 ニーナの言葉にエトは頷いた。

「ニーナ、これも」

 エトはすっとポケットから差し出した。

 数枚の金貨。

「これは?」

「僕の発明で少し得た金貨さ」

 ニーナは眉を顰めた。まさか・・・

「お前、町に行ったのか?」

 いつの間に?

 エトは首を振った。

「ううん、違うよ。ニーナじゃないんだから、僕なんかがムスリムを抜け出したらすぐバレちゃうよ」

「しかし、金貨は町にしかないだろう?」

「隣のアムネスティ夫妻のお手伝いさ、あの人たち、最近になってダルフィールから追い出されてきたムスリムの新人でしょう?まだいくらか金貨を持ってたのさ」

 なるほど、そうか。

 ニーナは納得した。

 ニーナの隣人、アムネステイ夫妻。

すでに随分な年寄りだが、たった二人で細々と生活を営んでいる二人である。なんでも、アムネスティ夫妻は、他国への貿易を生業としていたが、入国許可のない移民人を匿ったとか匿わなかったとかで財産の殆んどを国に没収されてしまい、泣く泣くムスリムに移り住んだと聞いた。

「まだ金貨を持っていたのか」

「自給自足のムスリムじゃ使わないものね。ただの金属にすぎないんだよ」

 エトは肩をすくめた。「年もとってるし、二人じゃ農耕が辛いみたいで、『自動鉈』をあげたの」

『自動鉈』

 聞きなれない名前だ。また何を発明したのだろう。

「なんだそれは」

「チープな機械だよ。こう、鉈を振り下ろすだけの機械」

エトは鉈の動く様を手で真似る。「テコの原理と石の錘で動くから、エネルギーも要らない。永久自動だよ」

簡単簡単、とエトは笑った。

ニーナは結構意外と凄い発明なんじゃないのかと思いつつ、エトに笑いを合わせる。

「だからそれも使って」

「ありがとう」

 ニーナは幼いながらも稼いだエトの金貨を握り締めた。

「すぐ戻ってくるよね?」

「あぁ」

 ニーナはフォウの首に手をかけ、背中へと軽やかに飛び乗った。そして、背中にある二つの獲物を見比べると、

「エト!」

 ニーナは本日の夕飯分の肉をエトに放った。

 空に舞う、飯のタネ。

 エトはあわあわと脚を絡めそうになりながらタネに見入る。

 ドサッ!

「痛ッ!」

 タネを受けるとエトは重みに耐えかねて地へとぶざまに尻もちをついた。

「一人前には程遠いな」

ニーナが高らかに笑う。

「痛いッー!」

エトは痛さに脚をバタつかせた。しかし、どんなに痛くとも、大事な食料だけは手放さなかった。

「優秀だ」

褒めてやらねば。

ニーナは垣間見えた弟の有望さに、にやり、笑い

「グッジョブ、エト」

 親指を立てた。そして「後は頼む」

 言うと

「ハッ!」

 フォウの手綱を引き、一つ、嘶かせた。

 フォゥの前足が空気を吸い込み、嘶きは大きな空気の層となり、エトの服の裾や髪を躍らせた。

「行くぞ!フォウ!」

 勢いよく町へ振り向くと、全力疾走で走り去った。

 やれやれ。

 残された弟は、尻もちから立ち上がった。

「母さんはお見通しなんだよ?」

 これからしなければならない母への姉の言い訳で頭を一杯にした。


 見上げれば、天をも狭く感じさせる高い城壁。それらが都市をぐるりと囲んでいる。そして四方に大門が口を開いてる。大門はせわしく、車や人を飲み込み、吐き出していた。大門をくぐってると、都の真ん中に林立するきらびやかな塔が見えてくる。都城である。

 ムスリムとはがらっと変わった雰囲気だ。

 ニーナはちらりと山済みされた穀物を見た。

 質がよく、豊満で黄金に輝いていた。

豊かさがここにはある・・・

派手な賑やかさがあった。金の匂いも、色々な食物の匂いもした。ムスリムで感じる貧困さはどこにもなかった。すれ違う人間の体臭さえも違っていた。

民族こそは同じゆえ、着物こそは似通っているが質が違っていた。ニーナの着ている服は古びており、一見で町の人間でないことを明らかにしていた。

同民族なのに・・・

ニーナは俯きながら、きらびやかな賑わいに違和感を感じた。

一方では金が蔓延るほど発展している。一方ではムスリムという、金など何の役にも立たない地域もある。

無常だ。

ニーナは思った。ぐっとフォウの手綱を握り締めた。

我らには誇りがある・・・

そう心で言い訳するが、顔を上げることは出来なかった。

ここではムスリムと分かればダルフィール市民軍、ミリシアが何かと因縁をつけてくるのだ。むやみやたらに顔を上げて歩いていてはミリシアと目が合ってしまう。

ミリシアは貧しくなった市民等で構成されていた。貧困になってしまった市民は、国からムスリムに行くか、兵役に服するかどちらか選択権が与えられていた。ミリシアはムスリムへと追い立てられぬ代わりに兵となった元は市民である。国から飯を貰う代償に身を売ったのだ。飯を貰う以外は何も与えられない。ただ、国が命じれば戦場へと赴き命を落とすだけだ。

戦争と貧しさの狭間で生きるだけ、それがミリシアである。身を売る前は良き人間であっただろう人さえ変貌する。口が硬くなり、敵意のある沈黙が他人と見えない壁を作っていた。

気をつけなければ・・・

ニーナは衣を被り、顔を隠した。

因縁をつけてこられては衣服や剣を奪われる。金貨を持っていようものならたちまち文なしにされてしまう。

金貨を持っていると悟られては元も子もない。貴重なムスリムの獲物を売って、やっと溜め込んだ金貨だ。みすみす取られてはならなかった。

ふと、ニーナの前方から大きな車が一台やってきた。

ガタガタと異様な音を立てていた。大きさばかりの古びた車両だった。

三匹の駄獣が引く、装甲された車両。車両の上にはミリシアとは別の政府軍の男三人が銃を構えていた。こちらに近づくにつれ、車両から異臭が漂ってきた。

大人三人分位の積荷。人目を避けるように布が被せてあった。

大きさから見て、政府軍がまた古く腐った軍用物を運搬しているのだろう。

 よくあることだ・・・

 ニーナは黙って何食わぬ顔で政府軍等の率いる車両の横を通り過ぎた。

すれ違う瞬間、巻き起こった風で覆い被さった布がふわりと浮いた。

と、その時。

切れ目から、ちらり、中が見えた。

 え?

 ニーナは一瞬、我が眼を疑った。

 あれは・・・!

 檻に入れられた、

「待て!」

 ニーナはフォウの手綱を引き、過ぎ去った政府軍へ勢いよく振り返った。「待て!中は人間ではないか!」

 ニーナは叫んだが、車両の見張り役が一人がちらりとこちらを見ただけでそのまま通り過ぎようとした。

 ニーナはフォウの手綱を引き、車両を追いかけた。

「待て!政府軍!開放しろ!」

 ニーナは叫んだ。しかし、政府軍は何も聞こえなかったように、何も見えなかったように、無反応のままだった。

 ニーナは舌打ちをすると、檻に被せられてある布を思い切り引っ張った。

 ばさり・・・

 檻から布がはだけ、中身があらわになる。

 ぎゅうぎゅう詰めにされた人、人、また人。まるで物を詰め込んだかのような、無作為さがあった。

 ニーナは目を見張った。

 その無作為さに同調するかのように中に詰め込まれている人は死んだような目をしていた。

 これが生きている人間なのか・・・!

ニーナのこの行為に流石の政府軍も反応を見せた。

「小娘ぇ!」

 突然の怒鳴り声にニーナは我に返った。

 車両の上から政府軍がニーナに銃口を向けた。

 ヤラレル

 逃ゲロ

 頭の中で言葉が木霊す。

 にもかかわらず、手足が竦んで動かない。

 きゅー!

「!」

 フォウが叫んだ。

 と、突然ニーナの体が宙に浮いた。同時に、肩脇左に一筋の銃線が走る。

「!」

次の瞬間、壁に体が叩き付けられた。「ぐはっ!」

 強い衝撃。

 体という外壁を通り越して内臓に激痛が走る。

 あまりの衝撃で壁の一部が破壊されて頭上にばらばらと破片が落ちてきた。

 ニーナはそれを避けるともせず、壁伝いに、体がずるずると地へ落ちた。

「ふぉ・・フォ!」

 叫ぶが早いか、耳へ

 ぷち・・・

 肩から音がした。

 ニーナは肩を見張った。大量に流れ出す血。銃線が空を切り、ニーナの肩肉を切り裂いていたのだ。

「ぐっ・・・・・・・」

 ニーナは肩口を押さえ込んだ。

 とまらない流血。

「フォウ!」

 顔を上げると、フォウの姿が見えない。

 砂埃が散乱しており、政府軍も駄獣の引く車両も視界に入っては来ない。

 殺られたか!?

 ニーナは焦り立ち上がった。

「フォウ!」

 目怒らすと、砂埃の中からゆらゆらと獣らしき生物が立ち上がった。

 きゅー・・・・

「フォウ!」

 ニーナはフォウへと走っていたった。

 フォウはどうやらしっぱで砂埃を上げて政府軍の目を撹乱させたらしい。

 そして、向けられた銃口からニーナを突き飛ばすことでニーナを守ったのである。

 ニーナはフォウの生存確認をすると、腰に備えてあった短剣を取り出し、車両に向かって走り出した。

 たんっ!

 と地を蹴り、高らかに車両の上へと飛び乗った。

 政府軍は前方にいるはずのニーナに標準をあわせるのに気を取られて隙だらけだった。

 ニーナは体を屈め、男の背後に回る。そして、ぐっと男の口を押さえ込み、短剣で男の首を軽く裂いた。

「命までは奪わぬ」

「ぐあっ!」

 軽く裂いたが、それでも血しぶきが上がった。

 男は車両からもがき落ちた。

「小娘ぇ!」

 背後から別の男がニーナに飛び掛った。

 ニーナを背後から羽交い絞めにし、締め上げた。

「・・・ツ・・・・」

 ぎりぎりと締め上げ、骨がぎしぎし鳴る。ニーナは締め付けられつつも、ぐっと手を伸ばし、男の腰に帯びた銃に手をかけ、相手に少し傾けると、

 ドンッ!

「ぐはぁっ!」

 男はニーナと突き飛ばし、ひざを抱えた。

 銃弾は男のひざを貫いていた。

 風が砂埃を巻き上げた。

 ニーナの衣の裾が風に揺れた。

「そこまでだ小娘」

 最後の一人が銃口を向け、標準完全にあわせていた。

「どうかな・・・」

 言うが早いかニーナは男に向かって走りだした。と同時に男は発砲した。

 ズドドドドド!

 連打で発煙が上がる。

 が、そこにはニーナの姿はなく、

「!」

 男の頭上に一瞬にして影が落とされた。

 ニーナは体を軸に足を振り上げ、遠心力を利用して空に舞っていた。

「なっ!」

 ニーナは男の肩に足をかけると、そのまま勢いよく足をひねった。

 グギッ!

 鈍い音と共に最後の音は車両から落ちていった。

「青いな・・・」

 ニーナはにやりと笑った。

 いや・・最初は私の足が竦んでいた。

狩で運動神経は培われていたが、戦闘の訓練は受けていない。

 怖気づいても仕方ないということか。

 ニーナはふっとため息をついた。

 短剣をしまい、 

「フォウ大丈夫か?」

 ニーナは車両上から飛び降りた。

 フォウは軽く尻尾を振った。

「いい子だ」

 ニーナはフォウの首筋をひと撫ぜすると、気絶している政府軍の男から鍵を奪った。

「勇気のあるものはこの檻から出ろ」

 ギィ。

 檻を開錠した。

「?・・・」

 しかし、檻からは誰も出ようとはしなかった。「お前たち、出ないのか」

 誰一人、動こうとはしなかった。

 それどころかニーナに白い目さえ向けていた。

 何故だ・・・

 ニーナは顔を曇らせた。

 自由を望まないのか?

 身も心も奴隷に成果て、死んでいるのか。

 ガシャン!

 ニーナは扉を勢いよく閉めた。

「好きにするがいい」

 踵を返した。

「待って!俺は出る!」

 幼き声が背後からした。

「お前・・・」

 檻から一人の幼き子供が飛び出してきた。

 こんな子供までいたのか・・・。

 飛び出してきたのはエトと変わらない位の子供だった。

 奴隷に気を取られていると、ざわざわと回りに野次馬が出来ているのに気が付いた。

「長いは無用だ。乗れ!」

 ニーナはフォウに飛び乗ると、手を差し出し子供の襟首を鷲摑みすると、フォウの背中へ引き上げた。「フォウ走れ!」

 きゅー!

 フォウは旋風の如く、強い脚力で走りだした。

 背後で政府軍の救援だろうか、追っ手の声がしたが、フォウはもう距離を離していた。


 城壁近くの隅の路地裏で足を止めた。

「ここまでくれば大丈夫だろう」

 ニーナはフォウから降りると、子供を降ろしてやった。

 じゃらり・・・

 金属の鈍い音がした。

 足枷か・・

 細い子供の足には似つかわしくなかった。足枷は子供の両足をがっちり掴み、チェーンで動きを制御していた。鉄の重さは子供の足に痣を作り上げていた。

「痛いか?」

「足が腐りそうだ・・」

「座れ」

 子供はいわれるまま素直に座り込んだ。

 ニーナは短剣を取り出しチェーンの穴に短剣の先を当て、ぐっと力をこめて切断した。

 頭から髪留めに使用してた針棒を抜いた。

 ニーナの束ねていた髪の毛がさらりと広がる。

 子供の足をひざに乗せると、足枷の鍵穴に針棒を差し込んだ。

「名は?」

「モン」

「いくつだ」

「十一」

 ガチャリ

 足枷の鍵が開いた。

「ありがとう。器用じゃん、アンタ」

「年上には敬語を使え」

「うん」

 エトに教えてもらった無駄知識が役に立ったな。

 ニーナはこっそりエトに感謝をした。

「アンタ強いね」

「アンタじゃない、ニーナだ」

 ニーナはモンの頭を小突いた。「強くはない、運が良かっただけだ」

「ニーナはユダ人なのか?」

「違う」

「竜を扱っているじゃん」

「しかし違う。事情があってね、竜を貰ったんだ。私はダルフィール人だ」

「そうか・・・ユダ人じゃないのか」

 モンは視線を落とした。

「ユダ人に何かあるのか?」

「うん・・」

 おとぎ話を思い出したんだ。

 モンは痣になった足首を撫ぜた。

「ユダ人はもう全滅したんじゃないのか。ユダロ国も滅んだと聞く。」

 ニーナはぼそりつぶやいた。

「離散・・・ディアスポアしているとも言われてるじゃん」

「探せば生き残りはいるかもしれないな」

 ニーナは肩をすくめた。

 それはともかく・・・、 

「モン・・これからどうする」

「俺はミリシアになる」

「ミリシア?・・・何故だ」

 ニーナは顔眉間にしわを寄せた。

「やつら政府軍は俺の町を焼いた。母さんも父さんも殺された。だから兵士になって敵を殺すんだ!」

「ミリシアになっても政府軍に復讐は出来ないだろう。ミリシアは政府軍の傘下だ」

「それはたてまえさ。」

 モンは路地裏の隙間から垣間見せる人通りに目をやった。「まだ、確定はしてないけれど、政府軍はミリシアの武装解除をしようとしている。」

「ミリシアを失くすのか?」

 モンは力強く頷いた。

「ミリシアの増加傾向に政府はおびえだしたのさ。もしミリシアで武装解除しないまま反乱が起これば政府はたちまち傾いてしまう」

「ミリシアが政府軍に吸収されるのか?」

「いいや、ダルフィール政府は単一国家を目指してる。だから他民族で構成されているミリシアを排除する気だ。」

「ミリシアはダルフィール人だろう?」

「アンタ、何も知らないんだな・・・」

 モンはあきれた顔でニーナを見た。

「あいにくムスリム出身でね。ムスリムの外のことには無頓着なんだ」

「ムスリムか・・・」

「そ、貧困層」

「貧困だけど、自給自足で皆それなりに幸せだと聞いたことがある」

「確かにね」

 政府だのミリシアだの政府軍だのとは無縁だな。

「ミリシアはダルフィールの国籍を持った元は他民族さ。海の向こうから渡ってきたヤツが多い。飢餓から逃れに逃れてやってきたのさ」

 飯にありつく為に。

「だけど・・・ミリシアはもう政府からただ飯を貰うことはなくなる。そうすれば不和が起こって反乱が起こるだろう。政府はダルフィール全土に徴兵令を出すだろう」

「どっちにしろ反乱が起こるじゃないか」

「政府は排除する理由がほしいのさ。ミリシアの武装解除をすることでミリシアの反乱をあおり排除の理由にこじつけるのさ」

「どちらにしろ政府の思うつぼじゃないか」

 ニーナはぽりぽりと頭をかいた。

「ミリシアの反乱は武装解除に対する異議だけじゃない。自分たちの血を守るためでもあるんだ」

「モン・・・」

「俺もダルフィール人じゃないイディッシュ人だ。だから・・ミリシアになって敵を討つ!」

「人殺しをさせるためにお前を助けたんじゃない」

 ニーナはモンを睨み付けた。

 モンはこぶしを作り握り込んだ。

「俺はもうすぐ十二歳になる。本当なら徴兵される予定だった。どっちにしろ俺たちができることは戦争以外にないんだ」

「他の町へ助けを求めろ。そしてそこで安全に住むんだ」

「他の村へ行ったところでどうなるんだよ。難民となった俺を受け入れてくれるほど裕福な村も町も国もないさ。差別を受けるだけだ。奴隷になって飯も貰えず死ぬだけだ。」

 モンはすくっと立ち上がった。

「助けてくれてありがとう。でも・・・」

「でも?」

「ニーナはダルフィール人だ」

 モンはニーナに背中を向け、「次会う時はニーナも俺の敵だ!」

 そう叫ぶと走り去っていった。




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