プロローグ
悪魔公女。
私を称する多くの言葉の中で最も的を射ているのはその名だったと思う。
他にも札付き公女や我儘令嬢、狂公女と呼ばれたこともあるが悪魔のような公女、略して"悪女"とされていた私はその呼び名に文句はなかった。
だって事実だから。
気に入らないことがあれば当たり散らし、何かと権力者である父の名を出す。「お父様さえいれば私に怖いものなどないのだから」と豪語する私は本当に愚かな娘だった。
そんな愚かな女がこうも自省的なことを考えるのは、私は確かに他でもない父によって殺されたからに他ならない。
ここで一つ、身の上話をさせて貰いたい。
私の名はロザリー・アインツ。
三大公爵の一角、アインツ公爵家唯一の公女だ。そして先述の通り手のつけられない苛烈な悪女として名が知れ渡っている。
これは私がそう呼ばれるに至った経緯だ。
私を産んで間もなく、母は亡くなった。
失意の中にいたお父様は愛した人の忘れ形見である私を視界に入れることを厭い、私を置いて家を出てしまった。
きっと悲劇はそこから始まっていた。
生まれたばかりの子供を置いていった当主を見れば子が愛されていないことなどすぐわかる。
成長しても私に会いにくることなどなかった。
当主が来ない屋敷では日に日に使用人の態度は悪くなっていき、屋敷の人間全員に放置された子供が死にかけるのは自然な流れだ。
そんな中で一人だけ、情に厚く私と同じ年頃の妹がいるか何かで私を心配してくれる侍女がいた。
その侍女が私の置かれている状況に不満を持ち、直談判しに行ってくれたおかげで当主に事態が知れ渡り一気に待遇は変わるのだ。
私のお父様……公爵様が屋敷に帰ってきたことで、今まで満足にご飯を食べることなど叶わなかった私が正真正銘の"公女"として立場を得た。
しかしその時の私は5歳。満足にご飯も食べられておらず、貴族としてどころか人として当たり前の教育も受けていない子供だ。
5年間の空白はそう簡単に埋まりやしない。
いつ見捨てられるかもわからず、毎日のように我儘や癇癪を起こし所謂試し行為を繰り返す私に父は確かに向き合おうとしてくれた。
しかし、まるで母の生き写しのような姿をした子供が母ならば絶対に言わないであろう言葉を発するのだ。
今までかけられてきた酷い言葉しか私はものを知らなかった。だから同じ言葉を返した。
生まれた価値がないのね。あんたなんかいなくてもいいのよ。今すぐ消えればいいのに。
幼い頃投げかけられた無遠慮な使用人からの言葉一つ一つを忘れることなどできない。
そんな私はある日、一線を超えた。
私の待遇を変えてくれた侍女に、「2度と顔を見せないで」と言い放ったのだ。きっかけはよく覚えていない。多分、公爵ともっと話し合った方が良いんじゃないかと進言された気がする。
私の気持ちなんて何も知らないからそんなことが言えるのだろうと疎ましくなった私は、ついまた自分がかけられて嫌だった言葉を浴びせてしまった。
たった一言、それだけだ。
それだけで、私のために公爵に直談判する気概を持った強く優しい侍女は解雇された。2度とこの領地に足を踏み入れることもなくなってしまったという。
私は私の言葉が持つ力を、その瞬間まで少しも知らなかったから。知ろうともしなかったせいだ。
唯一のストッパーを失った私はもう止まれなかった。
周りの人たちに当たり散らして、それでも父が擁護してくれるからまだ己には価値があるのだと信じようとして……そういう毎日の繰り返しで、きっと私も父も気を病んでいた。
「……お前はもう少し、セレスのようになれないのか。」
セレスとは母の名だ。
私をこの世に生み落とした女、セレスティーナ・アインツは大層美しい人だったらしい。
こんな悪魔を産んで亡くなるなんて哀れだと言われているのを聞いた。
いつだってお父様はそうだ。
お母様の話ばかりして、私のことを見ようとしない。必死に目を逸らしている。
泣きそうになった私は声を荒げた。
すぐ泣く子供なんて厄介だから、もし涙を見せたら嫌われてしまうかもしれない。悲しみを怒りに変換することでしか私は自分を主張できなかった。
「っセレスセレスって馬鹿みたい!お母様は死んだのよ!私が殺したの!」
今までずっとそう言われてきた。
生まれてきた価値などない私がお母様を殺したのだと、毎日毎日言われていた日々を忘れることは永遠にない。
お父様のせいだ。お父様が私をあの場所に置いていかなければ、使用人どもだってあんな生意気言わなかった!
そう口にした時には首に鋭い何かが突きつけられていた。それが短剣であると認識するのと同時に、ゾッとするほどの殺意を浴びて瞼が痙攣する。
目の前のお父様は、冷たい目で私を見下ろしていた。
「……人殺しの悪魔め。」
吐き捨てるよう、父が私に告げる。
首元の剣はまだ刺さっていないのに、私の心はずたずたにされた気分だった。
ずるい。ずるいじゃないか。私はずっと辛いのに、私だってずっと寂しかったのに。
泣きながら、剣を掴んだ。
そして一思いに私の首に突きつける。
心配していたほど痛みは気にならなかった。
だってずっと、痛かったから。
「貴方が産んだ悪魔よ。」
飛び散る赤い血だけが、彼女が人であったことを示している。
暗い執務室にはかつて父親だった男と、その男が産んだ悪魔の死体が転がっていた。そういう、ありふれた悲劇。
♢
「……お前が、俺の娘か。」
もし私がまた5歳の時に戻り、父との二度目の初対面を迎えていなければそこで物語は終わっていたはずだった。
溺愛ものの予定です。




