メタルキス第五話 メタルの雫
メタルキス第五話 メタルの雫
放課後の廊下は、昼間のざわめきが嘘のように静かだった。
ぼくの心の中だけ、悲しさと悔しさと、自分の運命を呪う渦巻きの中で、もがいている。
教室を出ようとしたとき、背後から小さな声がした。
「……ちょっと、来て」
振り返ると、彼女が立っている。
白いヘッドバンドの太いゴムは、さっきより少しだけ緩んで見えた。
けれど、その目は強く、しっかりとこちらを見据えている。
図書室の扉を開けると、紙の匂いと夕方の光が混ざり合った、外と隔絶された静寂が広がった。
誰もいない。
彼女は奥の窓際まで歩き、振り返らずに、
「……あれ、ほんっと、ムカついた」
その声は、怒りというより、抑えていた何かを絞り出すというか、まるで、ためていた雫があふれ落ちているようだった。
「さっきの、あいつらの笑い。
あなたの顔を見て、挿絵を見て、勝手に結びつけて……。
ああいうの、ほんっとに……許せない」
ぼくは、一瞬、自分のコンプレックスを深くえぐられた、あの時間を、思い出し、胸が締め付けられそうになる。
彼女は深く息を吸い、金属カップにそっと触れた。
その仕草は、まるで痛む場所を確かめるように、そっと。
「……わたし、ね。
小さい頃から顔の病気で、顔や口の中の手術を何度も何度も繰り返したの。
手術のあとは、水も飲めないほど痛くて、眠れなかった。
包帯やガーゼでグルグル巻きで、学校に行った日には、かわいそうとか言われるのはマシなほうで、妖怪、とか、気持ち悪いまで言われた。」
窓から差し込む夕陽が、金属カップの縁を細く照らす。
その光が、彼女の声の震えを際立たせた。
ぼくは、圧倒され、彼女に慰める言葉さえ、思い浮かべることができない。
「この装置をつけ始めたころは、みんな心配してるふりして、
“どうなってるの?” とか “痛いの?” とか聞いてくるけど……
本当は、ただ見たいだけ。
珍しいものを見るみたいに、横から覗き込んでくるの…」
彼女は唇を噛んだ。
その瞬間、金属カップの下で、かすかに光が揺れた。
「写真、撮られたこともある。
笑いながら、“記念に” だって。
……記念って、何の?」
「口の中にも色々な装置が入っていて、病院で調整するたびに、数週間、しゃべり方が変になって、それでも笑われて…」
声が途切れた。
彼女はうつむき、ヘッドバンドのゴムを指でつまんだ。
その指先が震えていた。
「だから……今日、あなたが笑われてるの見て……
胸がぎゅってなった。古い傷あとが撫でられるような 感覚。
わたし、あの時と同じ光景を見てるみたいで」
彼女はゆっくり顔を上げた。
その目は涙をこらえているのに、どこか強かった。
「あなたは、あの時のわたしじゃない。
でも……放っておけなかった。
だって、あなた……」
言葉がそこで止まった。
夕陽が沈みかけ、図書室の空気が少し青くなる。
金属カップの表面に、ひとつ小さな光の粒が流れ落ちた。
涙だった。
「……わたし、ずっと戦ってきたんだよ。
治療も、手術も、痛みも、好奇の目も。
でも今日、あなたが震えてるのを見て……
“ひとりじゃない” って、初めて思ったの」
彼女は涙を拭わず、まっすぐこちらを見た。
「だから……お願い。
逃げないで。
わたしも逃げないから」
図書室の静寂の中で、金属カップが夕陽の最後の光を受け、カップまで流れた彼女の涙の雫を銀色と赤色に交互に染めていた。




