第66話 ニリングス①
「予定通り、魔王は暗黒大陸に向かったようだな。俺たちの悲願まで、あと一歩というところか」
「その一歩が遠いがな……。最後の大罪は、未だに手掛かりがない状況だ」
「問題はもう一つ残ってるじゃない。猫人の娘はまだ全然覚醒する気配が無いんでしょう? ちょっと急かしてみようかしら。」
「おいおい、やり過ぎるなよ? ここまで慎重に進めてきたんだ。今回を逃すと次のチャンスは、俺たちが生きてる間には巡ってこないからな?」
「分かってるわよ。正しい方向へ導いてあげるだけ。何か間違ったことしてそうだし」
◆◆◆
俺はのんびりと、ダークエルフの支配地の領空を飛んでいた。
眼下に広がる景色は、相変わらず闇の瘴気に覆われ、薄ぼんやりとしか見えない。
時おり遭遇する鳥たちは、俺の姿を認めた途端、慌ててどこか遠くへ飛び去っていく。
完全に異物扱いだ。
オフィーリアの突然の卒業宣言は、俺の胸の奥に小さくも確かな穴を開けていた。
ただのオナホ程度に思ってたのに……。
来年か再来年には、サフィラ様もフィリク様の嫁になってしまうだろう。
出会いと別れは世の常とはいえ、やはり寂しく、どこか切ないものがある。
これからは誰が相手であれ、一回一回のセッ〇スを、もっと大切にやっていこう。
そんな感傷に浸りながら、空の旅を続けていると、そろそろ魔族の領域が近づいてきた。
ダークエルフの領域との境目に明確な境界線などあるわけもないが、何となく分かる。
――先代魔王が生まれ、そして支配した始まりの地。
二千年以上も昔のことだから、当時の面影などもう残ってはいないだろう。
それでも俺は、自分の目で確かめてみたいという衝動を抑えきれなかった。
この退屈な空の旅のゴールとして、自然とその期待は高まっていく。
「ん?」
いきなり、地上から眩い光が走るのが見えた。
反射的に身を逸らすと、波動砲のようなエネルギーの塊が俺のすぐ横を掠めていった。
確認のため降り立つと、そこに立っていたのは褐色の肌に金髪の男だった。
最初はダークエルフかと思ったが、耳先は尖っていない。
普通の人間っぽい見た目。
だが、その身体から放たれる圧――オーラのような威圧感は、明らかに何か異質なものを感じさせた。
――これが魔族か?
「おいおい、いきなり何しやがる。あぶねーだろ」
「ただの牽制だ。直撃したところで大したダメージも受けないだろうに……。で、お前は何者だ?」
「魔王だよ」
俺がそう言うと、男は鼻で笑った。
「そうでしたか。それは大変失礼いたしました――などと言うと思うか?」
「思わんけど、事実だから仕方ねーだろ。なんて答えて欲しいんだ?」
「ふむ……。とりあえず、どこから来たのか、目的は何かを教えてくれ。よそ者がやってくるなど数百年ぶりの緊急事態だからな」
「北の大陸から、この先の堕天使に会いにやって来た。で、お前は誰だよ」
「俺はクラミジー。この先の――」
その瞬間、白い閃光が迸った。
思わず目を閉じ、焼けつくような光が収まるのを待つ。
ゆっくりと目を開けると、目の前の地面が黒く焦げていた。
――クラミジーの姿が、ない。
かろうじて衣服の切れ端が、風に揺れているだけだった。
「……おい、嘘だろ」
俺は「千里眼」で閃光が飛んできた方向に目を向ける。
視線を向けた瞬間、背筋の奥まで寒気が走る。
遠くから、ねじれた風のような存在がまたたく間に迫ってくる気配。
額にぶわっと汗が吹き出し、体中の細胞が警鐘を鳴らしてくる。
すぐに荒野の彼方から小さな黒点が浮かび上がってきた。
それは揺らめく影となり、とてつもないスピードで近づいてくる。
――眼が合った。
まるで底の見えない渦のように。
見た者を深海の暗闇へと引きずり込むような、おぞましい瞳と。
俺は金縛りにあったかのように体が硬直して動けない。
その影は、あっという間に俺の目の前までやって来た。
「あんまり遅いものだから、迎えに来ちゃった」
深淵を思わせる闇のような漆黒の髪と瞳。
背中から広がる大きな黒い翼を羽ばたかせ、空に漂うように、それは静止した。
「……え?」
「ちょっと! 何よ、そのリアクション! 二千年ぶりの、念願の再会なんだからもっと嬉しそうにしてよ」
そう言いながら、右手に持つ禍々しい薙刀をくるくると回す。
「ニリングス……?」
「そうよ。で、今のあなたの名前は何?」
「ヒロシ……だけど」
「ヒロシ」
そして、何度か噛みしめるように俺の名前を口にすると、堕天使は魂が凍りつくような微笑みを浮かべた。
めちゃくちゃ美人なんだけど、それ以上に怖さが勝る。
「さ、さっきのあれ、何をやったんだ?」
「邪魔だから天罰を与えただけよ」
「は……? いやいや、さすがにやり過ぎだろ……!? 立ち話してただけだぞ……??」
「だって一秒でも早く会いたいのに、足止めするなんて許せないじゃない。虫けらの分際で。魔族とかダークエルフって時々ゴキブリに見えちゃうのよ。だから定期的に駆除してるんだけど」
あ、ヤバい。
ダークエルフの奴らが「滅茶苦茶だ」とか「忌々しい」とか言ってたのが、今の会話だけで理解できた。
ジスのアップグレード版みたいなもんだろ、これ……。




