第45話 聖女①
この世界では、いくつもの宗教が人々の心を支えている。
その中でも、とりわけ多くの信徒を抱えるのがメーザン教だ。
人々が「教会」と言えば、まずそれを指す――それほどに国を問わず、根付いた宗教である。
その総本山、ジル・マン大聖堂を中心に築かれたのがニナオ市国だ。
二千年前の建国以来、その宗教的権威を狙って幾度となく他国から侵略を受けたが、すべて撃退してきた歴史を持つ。
信者の数が増えるにつれ、いまでは戦争を仕掛ける国もなくなり、小国ながらも豊かで、そして安定した国として知られている。
――日課の朝の修業を終える。
俺はニナオ市国への旅立ちの為、訓練場を出ようとするとアーリス様に呼び止められた。
俺の体中に染み込まされたサフィラ様の縄張りの主張が気に入らないらしく、訓練場の中で俺に襲い掛かってきた。
「今、汗だくだから丁度いいわね」
そんなことを言いながらジャージを脱ぎ捨て全裸になると、荒々しく俺の服をも剥ぎ取り、俺の体にむしゃぶつりき、サフィラ様の痕跡を自分の汗やら体液やらで上書きしてくる。
お互い、相当負けず嫌いなようだ……。
そんな感じで朝から濃厚に一発抜いてスッキリした後、俺は馬車に乗り込む。
オフィーリアは聖騎士団を追放された身ということで、ニナオ市国に顔を出すのは気まずいらしい。
ということで今回は同行せず、もうしばらくスアヌ王国を観光してからアルナの街へ戻るそうだ。
一人旅は暇だが、こんな時の為の瞬間移動だ。
俺は月姫とティアナ、そしてイラーマを交代で連れてきて、目的地到着までの三週間の旅路を楽しんだ。
◆◆◆
ニナオ市国は、その名のとおり一つの街だけで成り立つ小さな国家だ。
高い城壁にぐるりと囲まれ、その規模はアルナとほぼ同じくらいに見える。
門の前でビザを示すと、係の兵士がじっと確認する。
やがて重い門扉がゆっくりと開き、俺は街へ足を踏み入れた。
街の両脇には白壁の建物が並び、窓には色鮮やかなステンドグラス。
角ごとには小さな聖像や祈りの場があり、修道服姿の人々や巡礼者が静かに行き交っている。
猫人や狐人など、耳や尻尾を持つ種族の姿もちらほら見えた。
街の奥、放射状に延びる道の先には、大聖堂の尖塔が顔をのぞかせている。
俺はゆっくりとその道を進む。
歩くほどに建物は重厚さを増し、道幅も広がっていく。
やがて視界が開け、前庭の奥に白い尖塔が高く伸びる大聖堂が現れた。
荘厳な扉を押し開け、中に入ると広い参拝ホールが広がっていた。
受付に近づき、司教からの親書を差し出す。
係の者は親書を受け取り丁寧に目を通すと、一度建物の奥へと姿を消した。
しばらくして、静かな足音と共に穏やかそうな中年の司祭らしき人物が現れ、受付の係を伴ってこちらに歩み寄ってきた。
「ようこそ、お待ちしておりました。導師のカセイと申します。クイ司教よりお話はお聞きしております。奇跡の癒し手様」
そう言って差し出されたカセイ導師の右手を握り返し、俺も自己紹介をする。
「はじめまして、ヒロシと申します。奇跡の癒し手なんて、大げさすぎます。俺はただ、これまでの人生を捧げて磨いてきた回復魔術などを自分の為ではなく、この世界の為に広めたいと思ってるだけですから」
「……なるほど、実に立派な志ですね」
導師は感心したような表情を浮かべる。
俺は今回、『聖人』の情報に近づくために、回復魔術の探求に人生を捧げてきた設定にしている。
聖人も何かの道を探求している人たちということなので、あわよくば紹介してもらえないかという算段だ。
俺自身、魔法はすべて無詠唱・ノーモーションで発動可能だが、その理論についてはちゃんと言語化して説明できる。
ティアナに教えている召喚魔術も、きちんと分かりやすく解説しているしな。
挨拶を終えると、導師は聖堂内の書庫へ俺を案内した。
そこには回復魔法や状態異常回復魔法、薬草の調合法などの理論書が、所狭しと並んでいる。
「ほう、これらを教科書にして、後進を指導されているのですね。拝見させて頂いてもよろしいですか?」
「もちろんです」
俺は目の前の一冊を手に取り、ページをめくってみる。
……なるほど。
こりゃ古いな。
魔界に比べると、だいぶ遅れている。
「確認しました。俺が研究してきた内容とは、大分齟齬がありますね」
「そ、そうですか。具体的にはどのあたりが――」
「まずこの魔法。詠唱に無駄が多すぎて、その分だけ性能が削られ、発動が制限されています――」
俺が指摘するたび、導師は熱心にメモを取り、うなずきながら聞いてくる。
途中で俺は、実際に魔法を発動してみせてやったりもした。
長年の修業でいつの間にか無詠唱で扱えるようになった、ということにしておく。
導師は俺の一つ一つの所作を食い入るように見つめ、書き留め続けた。
数時間が過ぎた。
「いやはや、驚きました。司教からお話は伺っていましたが、実際に目の当たりにすると……これはまた。ですが、あなたほどの力を持ちながら、これまで世に名が知られていなかったとは」
「ずっと故郷の村に籠って研究していましたからね」
「ふむ。それが一念発起し、村を出て、世のために力を使おうと」
「その通りです」
導師から差し出されたお茶を口にし、一息ついていると、トントンと扉をノックする音が響いた。
「はい、どうぞ」
導師が呼びかけると、扉の向こうから現れたのは、淡い栗色の髪をさらさらに靡かせた、一人の凛とした美少女だった。
真っ白な修道服には所々に金色の刺繍が施されており、その立ち姿だけで、格の違う存在であることが分かる。
「カセイ導師。スアヌ王国より奇跡の癒し手様がいらっしゃっているとお聞きしました。わたしにも是非ご紹介をお願いします」
「申し訳ございません。つい時間を忘れ、ご指導いただいてしまっておりました」
導師は立ち上がり、右手を胸に当てて少女に向かい頭を下げる。
つられて、俺も思わず立ち上がり、軽くお辞儀をした。
「ヒロシ殿、この御方は『聖女』カトロジー様です。我がメーザン教の象徴的存在として、信徒たちの心の拠り所となっておられます」
「そうでしたか。道理で高貴な雰囲気ですね。お会いできて光栄です。俺はヒロシと申します。しがない回復術師ですが、よろしくお願いします」
「カトロジーです。是非、今晩は夕食をご一緒させて頂き、お話をお聞かせください」
「はい、喜んで」
……聖女?
聖人とは違うのか?
にしても、この子……可愛いだけじゃない。すげぇ魔力を感じる。
単なる象徴ではないな。




