第38話 スアヌ王国③
俺とオフィーリアには、それぞれ別々の個室が用意されていた。
まぁ、俺たちの関係なんて知らないだろうから当然か。
俺の部屋はアルナ家での部屋と同じく、外に出ずともここだけで暮らせる造りになっていた。
広いリビングに寝室、バスルームとトイレも完備。
冷蔵庫を開ければ、お茶や炭酸飲料、さらにはアルコールまで揃っている。
「お食事はいつでもご用意いたしますので、遠慮なくお申しつけください」
猫耳のメイドがそう言って一礼し、静かに部屋を後にする。
ベランダに出ると、眼下には白い石壁と尖塔が連なる街並みが広がっていた。
一通り部屋の中を確認してから、リビングのソファに腰を下ろし、ひと息ついたところで——トントン、と扉がノックされた。
「はい、どうぞ」
そう声を掛けると、入ってきたのは先ほど会ったばかりのアーリス様。
「あ、どうも。どうされました? オルフェウスのことで何か思い出されたとか?」
「いえ、違うわ」
そう言ってソファにドカッと腰を下ろし、だらしなく背もたれに身を預ける。
……なんかさっきと雰囲気が全然違うな。
「あなた、魔王だって?」
「はい、一応。というか、元・魔王ですかね」
「ふーん」
深い緑の瞳を細め、値踏みするようにじっと俺を見つめる。
「どういうつもりなのかしらね、サフィラちゃん」
「はい?」
「あなた、自分で気づいてないだろうけど、あのコの匂いが染みついてるわよ」
「あのコ?」
「サフィラちゃん。体中の至る所にマーキングしてる」
「い、いや――そんなことは」
心臓が一瞬、止まりかけた。
「私は何度かアルナ家に遊びに行ってるからすぐに分かった。あ、安心して。兄は行ったことないから。女だけの三姉妹の家だから行きづらいんでしょ」
「い、いや仮に俺の体にサフィラ様の匂いが染みついてたら、アルナ家の皆さんだって気づくでしょう?」
「自分の家の匂いって、他人じゃないと分からないでしょ? それと同じ」
「ま……まぁ、サフィラ様とは一緒に行動することも多いですから、気づかないうちにあの方の香水か何かが」
「誤魔化さないで」
その緑の瞳に鋭さが増す。
「そういう匂いじゃないから。唾液とか体液とか、体から分泌されるものをあなたに擦りつけてる。完全なマーキングよ。夜の営み――彼女の方から、毎晩のように奉仕されてるんでしょ? 」
完全にバレてる……。
これは言い逃れできない。
てか、アルナの街を出てから二週間も経つのに、まだ残ってるのかよ……。
猫人の嗅覚、どうなってんだ?
「何でそんな分かりやすいことするのかしらね? ま、考えるまでもないけど」
そう言ってアーリス様は目を細め、ニヤリと笑った。
「私の物に手を出すなという警告。私が人の物を欲しがる性格なのをよく分かってるから、あのコ」
アーリス様は俺に近づき、首筋あたりの匂いを嗅いでくる。
俺は硬直して動けない。
「失礼だけど、あなたみたいな冴えない中年太りのどこがそんなに気に入ったのかしら? 強そうなのは分かるんだけど」
「ど、どうなんすかね?」
俺は何も答えることが出来ない。
「アルナ伯爵家次期当主ともあろう者が、尻尾を振って男に奉仕するなんて……なんて汚らわしいの」
アーリス様は顔を離し、わざとらしく身震いした。
「もちろん兄には内緒にするわ――ずーっとね。墓場まで持ってく秘密にしてあげる。だから――」
そう言って人差し指を、俺の額に当てる。
「これからあなたは、私の言うことを何でも聞いてちょうだい」
「え?」
「何でもよ? 分かった?」
「は、はい……」
アーリス様は満足そうに微笑み、そのまま部屋を出ていった。
ええ……。何を要求してくる気だよ……。
俺はさっそく『精神感応』でサフィラ様に相談しようかと思ったが、余計な心配をかけたくないので、止めておいた。
◆◆◆
翌朝、さっそくアーリス様がやって来た。
「ねぇ、あなた武術は何でもこなせるんでしょ? 私に短剣術を教えてくれない?」
「は、はぁ……それ位なら喜んで。てか、この国にも凄腕の人とかもいますよね?」
「いるわよ、糞生意気なジジイがね。王女であるこの私に向かって、いつもいつも偉そうに指導してきて……はらわた煮えくりかえってるの」
「あ、師匠的な感じですか?」
「師匠? はたから見ればそういう関係なんでしょうね。オルフェウスを受け継いだ者は、短剣術を叩き込まれるの」
「なるほど、分かりました。では俺が――」
「あ、その前に、あなたの腕前をみんなに認めさせないとダメね」
「はい? どうやってですか?」
「決まってるじゃない」
そう言うとアーリス様は悪そうな笑顔を見せた。
「あのジジイを叩きのめして。殺しちゃってもいいわよ? 試合中の事故に見せかけて」
「い、いや……さすがにそれは」
「まぁ、いいわ。あなたに任せる。じゃ、私は御前試合を実施する為の諸々の準備に取り掛かるから、呼びに来るまでゆっくりしてなさい」
そう言い残し、スタスタと扉へ向かう。
そして、扉に手をかける前に、思い出したかのように振り向いて――
「もしジジイに負けるようなことがあったら、兄にバラすからね」
それだけ告げ、扉を閉めて出ていった。




