◆会議◆
【第一章】
3月20日。僕は憂鬱だった。
今夜7時から営業第二課の担当内会議がある。会議の内容自体はなんてことないのだが、最近、担当内の空気が著しく悪い。僕を含むメンバー4人が1時間も顔を突き合わせて議論をすれば、どんな事態になるかわからない。
できれば今日の会議は中止にしたい。みながそう思っているはずだが、僕等はサラリーマンだ。あるべき課題があれば、それに真摯に取り組まねばならない。はあ・・・
時計の長針がもうすぐ12の字を指す。7時だ。僕は相馬が予約を入れた小会議室Cへ向かった。
「お疲れ様です」と声をかけてくれたのは相馬。24歳。痩せ形イケメン。若いのに、真面目で信頼できる男だが、少し度が過ぎる。所謂、融通の利かないタイプだ。
こちらをチラリとも見ず、自分の携帯電話をいじっているのは40歳、高野課長と32歳、井上さん。少しでも物理的距離をとろうと6人掛けテーブルの端と端に座っている。ここ一カ月、何が原因かわからないが、この二人の仲が目に見えて悪い。先週も、何でもない仕事の話がいつの間にか怒鳴り合いに発展していた。こんな雰囲気で会議ができるのだろうか?やっぱり憂鬱だ。
「井上さん。髪切りませんでした?」僕が場の緊迫感に耐え切れず、井上さんに話しかけると「俺の髪型のどこが変わってんだ?適当なこと言ってんじゃねえぞ」と睨まれた。元ラグビー日本代表の井上さんは声にドスが効いていて、その迫力に簡単にびびってしまう。
「つまらない話をしていないで、早く進めてください」高野課長からも指摘が入る。しまった。課長の前で髪の話は禁句だと忘れていた。高野課長は40歳という年齢のわりに若作りで、また、紳士的な雰囲気、話し方が女子に評判が良く、「イケメン課長」という名誉あるあだ名を持っている。しかし、もうひとつ「ヅラ課長」という影のあだ名もある。センター分けにされた豊かな黒髪は年間を通してデザインも長さも変わることなく、風が吹いても揺れない。真相を確かめたことはないがおそらく噂通りなのだろう。
「じゃあ、進めさせていただきます」相馬が言った。僕は慌てて空いている席に着いた。
「ええと、部長の送別会が3月27日に決まりましたが、今日は営業第二課の出し物を何にするか決めたいと思います」
部長は3月いっぱいでこの会社を退職し、どこかの会社に転職をする。数々の出資案件をまとめてきた実績を買われてのヘッドハンティングらしい。人徳も備えた上司だったため、今度の送別会は、営業部全員参加となるだろう。他の課も気合を入れた出し物を用意してくるはずだ。僕たちも恥ずかしいものは出せない。
「我々は人数が4人しかいないので、団体芸をするにはちょっと分が悪いです。泣き系の出し物がいいと思うんですけどいかがですか?」確かに、歌や踊りといった団体芸であれば人数の多い第一営業課や第三営業課が有利だ。
「それでいいんじゃないか?」井上さんが同意する。僕もそれでいいと思う。
「君達、バク転とかできませんか?」突然課長が突拍子もないことを言い出した。僕たちがぽかんとしていると、「人数が少ないなら派手に動くしかないと思いますが」と人ごとのように言う。
「この体じゃあ、バク転はちょっと難しいですね」井上さんが、胸囲120センチの胸を手のひらで叩きながら言う。井上さんがデブではないが、元ラガーマンの名に恥じぬどっしり体形だ。「やはり泣き系がいいと思います」
「井上君。さっそく否定ですか?君はブレインストーミングのルール知ってますか?一番大事なのは否定しないことです。君のように否定していたらいい案なんて出ませんよ」いきなり来た。高野課長の嫌味攻撃だ。心配しながら井上さんを見ると「なるほど。さすが課長」と表面上は冷静を装ってくれた。仲が悪くとも井上さんもサラリーマンだ。上司の言うことに一応は納得したふりをする。「おい。議事録にちゃんと書いとけ!!」そして、苛立ちは下の者に持っていく。
「はい。書きました。『バク転』と・・・」丁寧にバク転と書く相馬。こいつもサラリーマンだ。
「近藤君は何かありませんか?君は若いんだからどんどん意見言ってください。そうしないと何も決まりませんから」今度は自分に振ってくる。正直まだ何も思いつかない。
「そうですね。ちょっと時間ください。相馬。何かないのか?」僕もやっぱりサラリーマンなので困ったら下に。だ。
「ええと、そうですね。メッセージビデオはどうですか?」
「どんなやつだ?」
「部長の写真とか、僕たちの写真とか、部長へのメッセージを編集して、泣ける音楽に乗せてムービーにして流すんです。選曲とメッセージ次第でいい感じに仕上がると思いますけど」
「それって、結婚式で流すみたいなやつ?」
「結婚式に出たことがないのであまりわからないですけど、たぶんそういうやつです」
「うん。いいじゃないですか。それで行きましょう」高野課長があっさりOKを出した。これは、意外に会議が早く終わるかもしれない。
「置きに行っている感はあるけど、大きく外すことはないだろうな」井上さんも一応納得のようだ。
「じゃあ、第二課の出し物はメッセージビデオの放映ということでいいですか?ええと。ここから具体的に決めないといけないことは、楽曲と写真のチョイス。あと、メッセージを何にするかと、尺をどのくらいにするかですね」
「尺は自然と決まってくるから後でいいよ。楽曲は難しいな。選曲のセンス次第で、感動作にも糞にもなるから」と僕。
「じゃあ、先にメッセージを書きますか?」相馬の言葉に対して、高野課長が「今ですか?」とやや面倒くさそうに言った。
「ええ、スケジュールもタイトですし、なるべく早いほうがいいです。メッセージは後で差し替えてもらってもいいんで」そう言って、みんなに紙を配った。
「いきなり書けって言われても難しいですね」高野課長はぶつぶつと言いながらもペンを握った。
「今の段階ではアテでいいのでお願いします」相馬にそう言われた後も、しばらく悩んでいたが、少しして、「よし、できました」と完了の意を表した。「俺も書けた」と井上さん。「俺も」と僕。
「ありがとうございます」といいながら全員のメッセージを回収し、それを見た相馬の顔に驚いた表情が浮かぶ。そして言葉失くした。
「どうしました?誰か恨み事でも書いてましたか?」呑気そうに言う課長に対し、「いえ、そういうわけではないですけれど」と言いつつ、やはりとまどった表情のままだ。
「どうした?」と僕。
「みんな書いてることが同じなんです」
みんなも相馬と同様に驚いた表情を浮かべ、顔を見合わせる。
「ええと、まず課長が『私はあのことを決して忘れません。ありがとうございました』次が井上さん。『部長。あのことは決して忘れません。ありがとうございました』そして、近藤さん『部長。大変お世話になりました。あのことは決して忘れません。ありがとうございました』そして、僕が『自分はあのことは決して忘れません』」
「これじゃあメッセージビデオは作れないな」井上さんがぶっきらぼうに言う。
「『あのこと』って言ってもみんな内容が違うでしょうから明確にしないと駄目ですね」と僕も同意する。しかし、高野課長が鋭く異を唱えた。
「そんな必要ないと思います。いいじゃないですか。そのままで。部長に伝わればいいんですよ。『あのこと』って書いとけば部長には伝わるでしょう」
「駄目ですよ。『あのこと』だけだと、悪いメッセージを含ませてるようにも取られかねません。見ている他の課の人も変に思うかも知れないですよ」
「みんなが尊敬する部長です。悪いメッセージが書かれてるなんて誰も思いません。このままで大丈夫です」高野課長はかたくなに意見を変えない。
「みんなが尊敬する部長ですか・・・」相馬がぽつりとつぶやく。
「何ですか?相馬君。何か言いたいことでもあるんですか?」と課長。
「本当にみんなが部長のことを尊敬してましたか?」相馬の問いかけにみんなが沈黙する。
「確かに悪い噂も聞こえてはきましたね」と僕。部屋が少し不穏な空気になってきた。
「そんなのただの噂です」高野課長が厳しく否定する。「近藤君。部長に失礼だと思いませんか?サラリーマンを長くやってると、特に人の上に立つと、悪い噂の一つ二つくらいは立ちます。どんなに人間が出来ていても、人当たりが良くっても全ての人に良く思われるなんてことはありえません」課長に言われたけれど、僕はどうも納得がいかない。
「特に間宮は部長のことをよく思っていなかったでしょうね」間宮という名前に、またみんなが沈黙する。
「みなさんが書いた『あのこと』って言うのは間宮のことなんじゃないですか?僕はそうです。確かに部長はいい上司だったし、人間もできていたと思います。でも間宮にしたことだけは僕は未だに納得できていません」
「部長は間宮君を真剣に指導していただけです。近藤君が思っているようなことは何もありません」
「指導で人が死ぬんですか?」と僕。
「そういうことだってあるかも知れません。しかし、そもそも間宮君が死んだ原因だって部長だっていう証拠はどこにもありません。他の原因で死んだ可能性だって十分あります。真相はもうわかりません。それを部長が原因であるかのように言うのは乱暴ですよ」
「どう見たって部長が原因ですよ」
「だから証拠はあるんですか?」
証拠なんてない。僕が下を向いた時、「証拠ならありますよ」と相馬が言った。「証拠はあります。課長。井上さん」その言葉に井上さんが反応する。
【第二章】
「何だ?相馬。俺に何か言いたいことがあるのか?」と言って相馬を睨む。やはり井上さんが睨むと迫力があって恐ろしい。
「井上さんに思い当たることがないならそれでいいですけど」悪びれるふうでもなく、相馬が言う。
「何だ?てめえ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「まあ、まずは相馬の話を聞いてみましょうよ」相馬が何を証拠と言っているのか、まずはそれが気になる。相馬は、僕に話を振られて、話し始めた。
「みなさん、ご存じの通り、僕と間宮は同期でした。そんなに仲良く見えなかったかもしれませんが、たまには相談しあったり、仕事で行き詰った時は励まし合ったりしてました。間宮は自殺する一カ月前から僕によく言ってました。『部長のことを考えると胸が苦しい』『部長の自分への態度は何か心に思うことがあってなんだろうか』って」
「確かに、間宮は部長に目をつけられてたっていうか、ちょっと当たりが厳しかったもんな」
「あれは、部長の部下への愛情表現です。可愛いと思う部下にはああやって厳しく当たるんです。私もかつてそうでした」と課長。
「俺もそうだった」と井上さん。
「僕にはそういうふうには見えませんでしたけど」と僕。
「間宮が死んだ日は12月12日土曜日の深夜でしたね?」相馬の問いに対し、「ああ、賃貸マンションの10階からの飛び降り自殺だった。聞いたところでは発作的に飛び降りたとか」と、僕が答えた。
「その日の夕方。僕は間宮からの電話を受けました」相馬の告白に、みんなが「何?」と驚き、一斉に相馬を見る。
「そんな話初めて聞きましたよ」と課長が言う。
「思うところがあったんで今まで誰にも言いませんでした」
「それで、何を話したんだ?」と僕。
「間宮は言いました。『俺は部長の秘密を知ってしまった。もしかしたら課長と高野さんも関係しているかもしれない。今から直接部長に確かめに行ってくる』秘密とは何だと聞いても間宮は教えてくれませんでした。お前は知らないほうがいいって」
「そして、その日の深夜に自分のマンションから飛び降り自殺をしたってわけか」と僕。
「ええ。どう考えても部長が間宮の死に関係しているとしか思えない。そして、課長。井上さん。あなたたちも何か知っているんじゃないですか?あるいは間宮の死に関わっているんじゃないですか?」
課長も井上さんもしばらく苦しそうに沈黙した後、言った。
「私は関わっていません」
「俺も関わっていない」
しかし、そんなこと納得できない。
「お願いです。本当のことを話してください。このままでは間宮も浮かばれません」
「僕からもお願いします。」
「課長。井上さん」相馬が真剣な目で二人を見る。
「だから、何も知りませんし、関係ないと言ってるじゃないですか」課長も井上さんもあくまでしらを切り通そうとする。僕は二人の顔を見ながらだんだんとイライラしてきた。
「じゃあ、この話を会社内で、いや、警察に話します」
「な!!!近藤。お前本気か?」井上さんが慌ててしゃべり出す。「相馬の言ってることなんて信じるな。俺が関係ないといっているんだから関係ないんだ」それでもまだ話そうとしない。
「相馬の話を聞くと。そして、課長と井上さんの反応を見ていると二人が何かを知っていて隠しているようにしか見えません」
「僕の推理はこうです」相馬が追い打ちをかける。「部長。課長。井上さん。あなたたち3人は何か重大な不正を行っていた。そして、間宮がそれに気付き始めた。間宮が邪魔になった部長は間宮を辞めさせようとつらくあたった。間宮は不正の証拠を握り、部長に話に行った。それが自殺をした日。しかし、結局間宮は部長に、いや、3人に負けて、絶望して死を選んだ。いや、もしかすると死ななければいけない羽目に追い込まれたのかも知れない」
「ばかばかしい。そんなの全て相馬君の憶測じゃないですか」
「証拠だってねえだろう」
「残念ながら物証は何もありません。だからお二人に本当のことをしゃべってもらうしかありません」
「本当のことなんてしゃべって何になるんだ?」井上さんの言葉に課長が驚いた顔をする。
「井上君」と言って止めようとするが、井上さんは構わずしゃべり続けた。
「仮に、俺たちが何かを隠していたとして、それをしゃべったとして、誰一人得をしない。ただ、3人が不幸になるだけだ。お前たちは何も知らなかったことにして、今日のことは忘れろ。近藤。相馬。お前たちはこれからもこの会社で働くんだろう。そしたら、俺と課長を敵に廻すか、それとも、今まで通り平穏な会社生活を送って行くか。どちらが得か考えろ」
「井上さん。それ本気で言ってるんですか?」
僕は井上さんの言いぶりに思わず声を荒げた。「それじゃあ、井上さんが間宮の死に関わっていると言っているようなもんですよ」相馬も鋭く井上さんを睨む。
「お前たちがどう解釈しようと俺は関わっていない。お前が思うような不正だってやっていない。」
「でも、明らかに何かを隠してます」
言われて井上さんはもうそれ以上はしゃべらなくなった。絶対に何か隠している。それだけは間違いない。
沈黙を許さないといったように相馬が口を開く。「部長の転職先はY社らしいじゃないですか。給料だって上がるんでしょう」
「まあ、そうでしょうね」課長が頷く。
「Y社?この前俺達で出資案件をまとめた?」僕が聞くと相馬が「そうですよ」と答える。
「近藤さん。あの仕事をやりながら何かが変だと思いませんでしたか?うちがY社に出資して何か得がありますか?他の案件と比べて明らかにリターンがなさすぎる。しかも、トップダウンで部長から降ってきたオーダーです」
「確かに、それは俺も感じていた」
「そして、普段は意見が対立する課長と井上さんもこの件に関しては、ろくに議論もしないで進めた。これはあくまで推測ですけど、この件については最初からある密約が交わされていたんじゃないですか?」
「何です?その密約というのは?」
「Y社への出資をうまくできれば、何らかのインセンティブが直接、部長に入る。あるいは、課長、井上さんにも。部長はその結果、Y社へ役員待遇で転職する。あるいは、それ以外のもの、平たく言えば現ナマも手にしているかも知れない。」
「くだらない。そんなこと。部長はただ実績を買われてヘッドハンティングされただけです。それに私だって、井上君だって転職なんて別にしません。私たち個人へのインセンティブなんてものだって別にありません」
「僕も証拠があって話しているわけではないですから、そう言われてしまえば僕の妄想と片付けられても仕方ありません。でも、仮に100億もの会社の金を、自分の私欲のために動かしていたとしたら、僕はそんなの絶対に許せません」
「だから証拠がないんだから、全部お前の妄想なんだよ。お前が許すか許さないかなんてことだってどうでもいいことだしな」井上さんが言い切り、僕たちは言葉を失くした。確かに、証拠がなければこれ以上の追及は難しい。しかし、ちらりと相馬を見ると、相馬の目はまだ諦めていないようだった。
「どれだけ言ってもお話していただけないんですね。じゃあ、僕から、さらにお二人に不利な情報があるんでお話しします。12月12日。間宮が死んでから、僕は1カ月以上、毎日部長の業務終了後の行動を調べました」意外な展開に驚く。
「お前。何考えてるんだ。やり過ぎだぞ」井上さんがまた、相馬を睨む。
「僕にとっては真実とはそのくらい大事なことなんです」
「それで?」と僕は相馬を促した。
「12月12日から1月末まで調べたんですが、その間、部長は計5回シティホテルに行っています。3回はホテルパシフィック。2回はホテルセンチュリー。そして、部長がホテルパシフィックに入った日、課長もホテルパシフィックに入って行くのを目撃しました。ホテルセンチュリーに入った日は、その後で井上さんが入っています。一体ホテルで何を話していたんですか?」
「そう言えば」僕の言葉に、相馬が「何ですか?」と聞く。
「いや、課長と井上さんの仲が悪くなったのも12月上旬くらいからだったよな。それまではむしろ仲がいいと思っていたけれど」
「僕もそれはひっかかっていました。12月上旬頃から課長と、井上さんに何かトラブルがあったような気がします。例えばY社のポジションが限られていて、それを課長と井上さんで取り合うとか」
「また、不正をしているという妄想のはなしですか?もういい加減にしてください」
「課長。さらにこの話についてはなんと答えますか?」
「何ですか?」
「先日、偶然お二人が渋谷のコーヒーショップで一緒にいる時の会話を聞いてしまいました」
課長と井上さんに動揺が走る。
「聞こえたのは『ポジションは一つしかない』『部長に決めてもらうしかない』『インサイダー』・・・」
「決定的だ」僕は言った。「課長。井上さん。これでもまだしらを切りますか?」二人は顔を見合わせ黙る。まな板の上の鯉ってわけだ。
すると、課長が静かに話だした。
「相馬君。そして、近藤君。君達は真実を知りたいと言っていますけど、真実とはそこまで大事なことですか?私はそうは思いません。美しくない人に「お前はブサイクだ」と誰が言いますか?頭髪の薄い人に「お前はハゲだ」と言えますか?おそらく言わないでしょう。何故か?それは言っても誰も幸せにならないからです。言われた人ももちろん。言った本人も不幸になります。それが社会です。真実を隠すこと。それが、社会のルールです。そうやって人を不幸にするような真実をカーテンの向こう側に隠して、見えないようにみんなで気を使うから社会が廻って行くんです。私にも家庭があります。妻と子供がいます。彼女たちを傷つけたくありません。わかってもらえませんか?」課長の祈るような言葉に僕は少し心を動かされたものの、相馬は揺るがなかった。
「課長のおっしゃっていることはある意味では正しいことでしょう。でも、課長。真実はどんなことをしても隠し通せるものではないんです。隠しているものほど明るみに出ます。僕にも秘密があります。幼いころにはその秘密を周りによって隠されて、大人になった今は自分の手で隠しています。でも、そんな人生には何の意味もないって気がついたんです。まずは、真実を知ること。そしてそれを受け止めること。そこから本当の人生が始まるんだと今は思っています」
「偉そうに語りやがって、じゃあお前はその秘密とやらを俺達に話せるのか?」井上さんが言った。
相馬は少し躊躇し「僕は」と言って、言葉を詰まらせる。その様子を見て、僕は「無理しなくていいんだぞ」と声をかけた。
「ありがとうございます。近藤さん。でもいいんです。話します。僕は・・・」そこで、もう一度言葉を切る。
「部長の子供です」
「ええええ????」思わず3人が口を揃えて言った。部屋に静寂が広がる。
「これが僕の秘密です」
「ぶぶぶ・・・部長の子供?」
「ええ。部長はたぶん気がついていません。部長が20代のころ、僕の母と結婚し、僕が生まれました。でも、僕が生まれる前にあの男はほとんど逃げるように母と離婚し、行方をくらましました。僕は父が交通事故で死んだと言われて育ち、そして、母も僕が5歳の時に、病気でこの世を去りました。その後は親戚のうちに預けられ、その家の養子となって生きてきました。18歳になった時、今の父親から僕が生まれたいきさつ。そして、父がいない理由を聞きました」
「部長に子供がいたとは。ずっと独身だと思っていました」課長が驚いて言う。
「確かに、今の会社に来る前のことはあんまり聞いたことがなかったけど。そんな秘密があったなんて」井上さんもあまりの驚きに情報を消化できないでいるようだ。
「あの男がこの会社にいることは業界紙で知りました。写真を見ただけではわからなかったのですが、名前や生年月日を知っていましたから。僕は呑気にインタビューされているその男が許せなかった。僕と母を捨てて、自分はのうのうと出世し、いい気になってマスコミに顔を出している。この男の人生を僕の手でめちゃくちゃにしてやりたい。その写真を見ながらそう思いました。でも、その前に、僕は男にチャンスをやることにしました。もしかしたら何か理由があったのかも知れない。もしかしたらそんなに悪い男ではないのかもしれない。どこかで父親を信じたかったんでしょうね。実際に、男を自分の目で見て、許すか許さないか決めることにしました」
「それで、うちの会社に入ったのか」
「まさか、直属の上司になるとは思いませんでしたけどね。でも、おかげで結論が出ました。男はやはりくだらない男でした。男は自分の利益のために、会社の金を100億も動かしていたと、社長やマスコミ、社内のいたるところで話そうと思います。彼は相応の制裁を受けるでしょう。Y社への転職もパーでしょうね」だまって聞いていた課長が意を決したようにしゃべり出した。
「相馬君・・・君は真実が知りたいと言った。でも、真実は君が思っている以上につらいものかも知れません。覚悟はできていますか?」
課長の問いかけに、もちろん、といって首を縦に振る。
「課長!!」井上さんが止めようとする。でも、課長の決心は揺るがない。
「井上君。相馬君は全てを覚悟して秘密を打ち明けてくれたんです。もう我々の秘密も隠し通せるものではありません。井上君も納得してください」
「わかりました。でもな、相馬。本当にいいんだな。聞いたらお前は傷つくだけだぞ」井上さんの問いかけに対し、「たとえ、どんな真実だとしても知りたいんです」と相馬が力強く答えた。
【第三章】
「部長は、君のお父さんは・・・」課長が相馬の目を見る。「ゲイです」
課長の告白の後、静寂した部屋でアナログ時計の秒針だけが動いていた。
「ええええーーーー!!!!!」一瞬遅れて相馬と僕の二人が上ずった声を出す。しかし、それだけでは終わらなかった。
「私もゲイです」課長が言った。
「ええええーーーー!!!!!」
「俺もゲイだ」今度は井上さん。
「ええええーーーー!!!!!」
「ちなみに、間宮君もゲイでした」
ゲ、ゲ、ゲ、ゲイ???「ゲイってあのゲイですか?」僕の間抜けな問いに、「そのゲイだ」と井上さんが力強く答えてくれた。相馬は目を白黒させて自失してしまっている。
「間宮君が死んだ理由はですね」課長が再び話し出す。「ただ単に部長にふられたからです」
「え?じゃあ、部長の不正は?」
「だから、そんなものはねえんだって。何回も言ってただろう」
「えええ!!!じゃあ、じゃあ、部長が間宮につらく当たってたのは?」
「間宮はしつこかったからな。あきらめさせるためにもつらく当らざるをえなかったんだろう。あいつはちょっとストーカー的要素があったらしくてな。一方的に部長のことを好きになってから、部長の家に押し掛けたりしていたらしい」
「あいつ。ゲイだったなんて」
「あいつの言葉を思い出してみろ。ゲイだとすると納得がいくから」
「『部長のことを考えると胸が苦しい』」
「一方的に恋をしていたからだろうな」
「『俺は部長の秘密を知った』」
「ゲイだってことを知ったんだろうな」
「『今から部長に確かめに行ってくる』」
「行ったんだろうな。そして、部長に拒絶された。おそらく、それで絶望して自殺したんじゃないか?」
「た、確かに、そう考えると説明はつく。でも・・・課長。井上さん」
「何だ?」
「お二人にも部長の秘密が関係しているって。一体どういうことですか?」
「それは・・・」と言い淀む井上さんをさえぎり、「私が説明しましょう」と課長が言った。「私と井上君は、いわば部長を取り合う恋のライバルなわけなんです。12月から」
ははは。恋のライバル・・・もう驚きすぎて声も出ない。相馬はまだ、情報を消化しきれず目を白黒させたままだ。
「確かに部長は悪い男なんです。複数の相手を同時に相手してしまうというか」
「もともと部長と付き合っていたのは俺なんだ」
「それが、12月に入ったくらいから私とも仲良くなって」
「そこからはもうドロドロだ。間宮の問題も加わってきてな」
「じゃあ、シティホテルで部長と会っていたっていうのは?」僕は聞いた。
「男二人でラブホテルに入れるか?シティホテルしかねえだろう」
「じゃあ、相馬が聞いたコーヒーショップの会話は?ポジションがひとつしかないっているのは?」
「まあ、部長のステディというポジションというか」課長・・・ステディって。
「待て待て待て待て、ちょっと待ってくださいよ」急に相馬が覚醒した。
「すっかり騙されるところでしたよ。くだらない話でごまかさないでください。僕はコーヒーショップではっきり『インサイダー」って聞いたんです。これについてはどう言い訳するんですか?」
「『インサイダー』ですか?ちなみに、相馬君。本当に『インサイダー』ってはっきり聞こえました?実はコーヒーショップの喧騒であんまりはっきりとは聞こえなかったんじゃないですか?」
相馬が黙る。
「『インサート』って言ってませんでした?」
「インサート?」僕が繰り返した。
「そうだ。『インサート』だ」井上さんが言う。
相馬も『インサート・・』とつぶやきうなだれた。
これで全て説明がついた、しかし、何だろう苛立ちは、虚しさは。不意に僕の胸の底から笑いが込みあげてきた。それは、当然、楽しさからくるものではない。自分でも消化しきれない笑いだった。
「何だ。これ?」僕がくくくという笑いを噛み殺しながらつぶやくと「どうした?近藤?」と井上さんが聞いてきた。
「何でしょう?何だか、もう、可笑しくて。部長、課長、井上さん。間宮までゲイだったなんて。こんなにゲイに囲まれていたなんて。うちの課はどうかしてる。6人中4人。約70%のゲイ率ですか?」
「近藤君。それは違います」言ったのは課長だ。
「何が違うんですか?何も違わないでしょう」
「近藤君。70%じゃなくて、おそらく100%ですよ」
「どういうことですか?」
「だから、そういうことです。おそらく近藤君も相馬君もゲイなんです」
「ええええーーーー!!!!!!」再び、僕と相馬が絶叫した。
「まさか・・・」
「いや、おそらくそうだ。第二営業課の人選は部長自らがしてるんだ。そして、どういう基準で人を集めると思う?」
「もしかして?」
「そうだ。社内のゲイを集めてくるんだ。部長のお眼鏡にかなったんだ。今は自覚がないとしても、お前たちもおそらくゲイだ。知ってると思うが、第二営業課は扱う金もでかい。社内では出世コースだ。同志への愛情なのかな?少しでもゲイが生きやすくなるように、ゲイを集めて出世させてやるのが部長の趣味なんだ。まあ、たまたま間宮は例外だったが」
「でも、部長には相馬っていう子供が。課長にだって家庭があるじゃないですか」
「そうですね。部長は子供がほしかったんでしょうね。その気持ちはわかります。子供がほしい場合、女性と性行為をします。しかし、きっと部長は実際に女性と人生を一緒に歩んで行くのが怖くなったんじゃないでしょうか?無理して、女性と家庭を持った失敗例がここにいます。私も家庭を持っていますが、ずいぶん前から家庭内別居です」
「家庭内別居。最低だ。部長も、課長も。最低だ」
「そうですね。最低です。私は最低なんです。自分のわがままで妻と結婚し、子供を作り、結果二人を幸せにしていない。私も幸せになっていない」
「どうだ?相馬。これがお前の知りたがっていた真実だ。知れてよかったか?」
相馬は何も答えない。
「近藤はどうだ?」
「自分がゲイだったなんて・・・」
「言われて見ると思い当たる節はあるだろう」
確かに、そう言われるとそんな気もしてくる。僕はこれまで恋愛感情を持ったことがなかった。女性と恋愛をしたいと思ったことがなかった。
「ゲイっていうことを自覚して、自分に正直に、好きな男を探せ。きっとそこに本当のお前の人生がある」
「そんなこと急に言われても・・・」僕の混乱も収まらない。
「しかし、私は逆に良かったかも知れません」課長が妙にすっきりした顔で話し出した。
「どういうことですか?」
「私は今まで真実からずっと目をそらして生きてきました。でも、自分がゲイだっていうことはきっと家内にはばれているでしょう。それでも、家内も気づかないふりをし、自分でも気づかれていないふりをする。そんな生活です。誰も幸せじゃない。しかし、離婚はしたくなかった。彼女たちを不幸にしたくないからという理由を、自分に言い聞かせていたけれど、本当は違うんですね。自分のちっぽけな世間体を守っていただけなんですね。そして、そのことで、これまで家族を傷つけてきただけだって、やっとそのことに向きあう勇気が持てました。今日、家に帰ったら家内に正直に話してみます」
「課長」井上さんが目に涙を浮かべて聞いていた。ご勝手に、どうぞ。
その時、会議室のドアがカチャリと空いた。入ってきたのは、渦中の人。部長。部長は優しい目をしてゆっくりと言った。
【完結】
「話はすっかり聞かせてもらったよ。相馬。こんな父親で本当に申し訳ない。本当に悪かった。簡単に許してくれなんて言えない。でも、信じてくれないだろうが、俺はお前のことを1日だって忘れたことはなかったよ」
「もしや、部長は気がついて・・・?」僕は聞いた。
「ああ」と静かに肯定する。
「でも、今さら名乗り出られるわけもない。最後まで隠し通すつもりだったんだがな」
「真実は隠せるものではありません。相馬が教えてくれました」課長が目じりを抑えながら部長に話す。
「そうだな。今すぐには許してもらえなくても、何年もかけて償いをすることにするよ。それにしても、高野、井上、近藤、そして、相馬。世話になったな。本当に今までありがとうな」
「部長はまだ、しばらく会社にいるじゃないですか。そんな別れの挨拶みたいなのやめてください」井上さんも目を潤ませながら言う。
「ははは。すまん。すまん。なあ、ついでにもうひとつ俺の告白を聞いてくれないか?」
「何ですか?」と課長。
「20代のころから隠し続けて、今まで誰にも話したことのない秘密だ。でも俺も、お前たちのおかげで偽りのない人生を生きてみたいって気持ちになった。これが本当の自分だ。見てくれ」そう言うと、部長は自分の頭髪に手を持っていき、髪の一部をつかみ、そのまま手を振りおろした。振り下ろされた手には髪がそのまま握られ、頭の天辺はむき出しにされている。蛍光灯の光がまばゆく反射している。ハゲだ。
「部長。そういうことなら私もお付き合いしなければなりませんね」言ったのは課長。
「な!!いいんだ。別に。俺は見せたかったから見せただけなんだ。無理はしないでくれ」部長が課長を気遣って言う。でも、その時点で、すでに言ってしまっていますよと、僕は思ったけれど、もちろん口に出しては言わなかった。
課長は決意ある目で部長を見た後、頭髪の中に両手を入れ、パチ、パチ、と何個か留め具を外す動作をした。そして、大量にある頭髪を手で、そっと持ち上げた。
「これが本当の私です」
「課長!!そして部長!!」井上さんが感極まって泣きながら二人を称えた。「ちくしょう。二人とも光ってます。輝いてます。俺なんか足元にも及ばないくらい。」
部屋の中では手を取り合って涙を流すハゲ二人と、デブ一人。そして、冷やかな目で見る僕と、一人うなだれているイケメン。
「ああ、いい気分だ。最高の気分だ。これも全部相馬のおかげだ。相馬。ありがとうな。改めて礼を言わせてくれ」そういって、部長は相馬を優しく見た。
相馬はさっきからずっと何も言わずに下を向いていた。拳でテーブルをいらだたしげに叩いている。そして、しゃべりはじめた。
「くそう。くそう。ふざけやがって。何お前らだけで盛り上がってやがる。20年以上もほっとかれた子供の気持ちがお前らにわかるのか?父親がゲイだと教えられた子供の気持ちがお前らにわかるのか?こんな父親認めたくないけど、それでも、それでも、やっぱり親子なんだな。血は争えないんだな・・・」
「相馬・・・」僕は何か言ってやりたかったが、何と声をかけていいのかわからない。
最後に相馬は「チクショー」と叫んで、頭髪に手をやった。そして、部長、課長と同様に頭髪を手でわしづかみ、一気にむしり取った。
そこには父親同様の蛍光灯の光を跳ね返すまばゆい、地肌があった。そして、相馬は男泣きに泣いた。
「相馬・・・」声をかける部長の目からは大粒の涙が止まることなく零れ落ちていた。