強くなる為に 6
朝の陽光が洞窟の外に差し込む中、軽く体をほぐしながら新たな訓練への準備をしていた。昨夜の試練の疲労が残っているものの、体は軽くなったように感じる。
シェリルは既に外で待機しており、その隣にはアークとエンバーが穏やかに横たわっている。二頭は昨日の主人公の様子を見ていたためか、特にエンバーが誇らしげな様子でしっぽを振っている。
「昨日の試練で得た感覚、それをさらに鍛える」
シェリルはいつもの鋭い目で見つめ、静かに告げた。
「次の試練は“限界を超える動き”だ。この崖を登れ」
彼女が指さしたのは、昨日の山道よりもさらに険しい岩壁だった。足場はほとんどなく、所々に鋭い岩の突起が突き出ている。
「岩登り……か。でも、ただ登るだけじゃないんだろう?」
疑問を投げかける。
「その通りだ。この崖には罠が仕掛けてある。攻撃や障害が君を襲うだろう。それをかわしながら登りきるんだ」
「……なるほどな。簡単じゃなさそうだ」
苦笑いしながらも覚悟を決め、アークとエンバーに軽く手を振る。
崖の下に立ち、慎重に最初の足場を見極めながら登り始めた。手にした岩は冷たくざらついているが、しっかりと体重を支える感触がある。
しかし、数メートル登ったところで、突然何かが飛んできた。岩陰から鋭い小石が飛び出してきたのだ。
「っ、こんなところにも罠が!」
とっさに身を捻って避けるが、わずかに肩をかすめた痛みが走る。
「油断ならないな……」
息を整え、再び手足を動かして登り始める。
感覚を極限まで研ぎ澄ます。罠は次々と仕掛けられていた。突如足場が崩れる仕掛けや、上から落ちてくる小さな岩の塊――視覚や聴覚だけでなく、風や振動を頼りに察知しなければならないものばかりだった。
「昨日の試練と同じだ……感覚を信じろ……!」
猫耳響覇!
風の流れや周囲の微細な音を拾い上げる。次の罠が発動するタイミングを読み取り、手足を動かす。
「右だ!」
突然の風切り音を察知して、右に大きく身体をずらす。その瞬間、足元の岩が崩れ落ちる音が響いた。
「ふぅ……ギリギリだな」
彼は冷や汗を拭いながらも、確実に一歩一歩上へと進む。時間にしてどれほど経っただろうか。全身は汗と泥にまみれ、腕や足は疲労で震えている。それでも主人公は最後の岩を掴み、ついに頂上へと手をかけた。
「……やった」
頂上から見下ろす景色は、まるで雲海の中に浮かぶ島のように幻想的だった。しばしその景色に見とれ、深い呼吸を繰り返す。
「よくやったな」
声に振り向くと、シェリルが崖の上で待っていた。彼女の表情には僅かに笑みが浮かんでいる。
「この訓練を通して、身体の使い方だけでなく、危機を察知する感覚も鍛えられたはずだ。君は確実に強くなっている」
その言葉に応えるように頷き、再び景色へと目を向けた。険しい試練を乗り越えた達成感と、まだまだ続く修行への決意が胸に湧き上がる。
頂上で少しの休息をとるが、シェリルは間髪を入れず次の課題を告げた。
「次は水だ。この山の裏手には清流が流れている。だが、ただの水ではない。その冷たさは身体を蝕み、動きを奪う。そこで泳ぎながら、流れに逆らって進むんだ」
「冷たい水の中で泳げってか……これ以上ないくらい体力を使った後に、か」
主人公は自嘲気味に笑いながらも、内心の挑戦心が沸き起こるのを抑えられない。
「これは君の耐久力と集中力を鍛えるための試練だ」
シェリルの声は冷静だが、その瞳には期待が浮かんでいる。
清流に到着し、まずその光景に目を奪われた。
澄み切った水は太陽の光を反射し、まるで水晶のように輝いている。しかし近づくにつれ、その水が放つ冷気が肌に刺さるように感じた。
「さぁ、入るんだ」
シェリルが静かに促す。覚悟を決め、ゆっくりと水に足を入れる。
「……冷たっ!」
思わず声を漏らすほどの冷たさが、全身を一気に駆け巡る。水に足を入れるだけで震えが止まらない。
「これ、本当に泳げるのか?」
水の中で立ち止まるが、シェリルは微動だにしない。
「君がそう思うなら、不可能だろうな」
その一言が闘志に火をつけた。
「やってやるよ……!」
意を決して胸まで水に浸かり、冷たさに耐えながら流れに逆らって泳ぎ始めた。
流れに逆らう――心身の限界
水流は思った以上に速く、身体を押し戻そうとする力は強大だった。冷たさが全身に染み渡り、腕や足の感覚が次第に鈍くなっていく。
「くっ……これ以上は……!」
体力が尽きかけたその瞬間、頭の中に微かな声が響いたような気がした。
「焦るな。水の流れを感じ取れ」
自分自身の心の声か、それとも何か別の存在なのか。それはわからなかったが、その言葉に従い、無駄に力を入れるのをやめた。
水の流れをじっと感じ取りながら、効率よく動けるタイミングを見極める。冷たい水の中、次第に動きは滑らかになり、少しずつ前へ進み始める。
「流れに合わせて……こうだ!」
腕を引き、水をかき分け、足で力強く蹴る。体力を消耗しない泳ぎ方を掴むにつれ、流れに抗う感覚が薄れていく。
長い時間をかけ、ついに目標地点までたどり着いた。清流の終点に立つ岩場に這い上がると、冷たい水から解放された安堵感が全身を包む。
「……やり遂げたぞ」
疲労で息を切らしながらも、達成感に満ちた表情で呟いた。シェリルが岩場へと歩み寄り、冷静な声で言う。
「いい動きだった。力だけではなく、感覚を磨くことができた証拠だ」
彼女の口調は相変わらず厳しいものの、その中に微かな満足が感じられる。
アークとエンバーも達成を見届けるかのように近くに座っている。エンバーはしっぽを大きく振り、アークは静かにその目を見つめている。
「次の試練も控えているが、今は少し休むといい」
シェリルの言葉に従い、水辺の岩場に腰を下ろす。
冷たい試練を乗り越えた今、心にはまた一歩強くなった実感が芽生えていた。エンバーを抱き抱えると暖かさが身体に染みる。エンバーも抱きしめられてとても嬉しそうにしている。
冷たい清流での試練を乗り越え、その日は身体を休めた。早朝に再びシェリルの前に立っていた。朝日が山の稜線を照らし、冷えた空気が鼻を刺す。
シェリルは昨日の達成を称えることもなく、厳しい表情のまま口を開いた。
「次の課題だ。今回は己の心と向き合う試練だ」
額に汗を滲ませながら問い返す。
「心の試練……それはどういう意味だ?」
シェリルは静かに手を山の中腹に向ける。そこには大きな断崖絶壁があり、途中には丸い岩がいくつも突き出ている。
「見えるな。あの岩に登り、崖を越えた先にある頂上を目指す。ただし、崖の途中で集中を乱せば命を落とす可能性がある。心を揺るがせば、足を滑らせて終わりだ」
その険しい崖を見上げ、冷や汗を流した。
「これ……落ちたらどうすんだよ。」
「落ちることを考えるな。ただ登れ。恐怖を乗り越えられなければ、この先に進む資格はない」
シェリルの冷たい言葉に無言でうなずく。背中でエンバーが鳴くような気配を感じたが、試練に集中するためそれを振り払った。
前にも崖を登った気がするが、前回よりさらに高い崖だった。麓に立つと、岩肌の凹凸が鋭利に見え、触れると冷たさが掌を刺すようだった。深呼吸し、両手を伸ばして岩を掴む。
「冷てぇ……滑りそうだ……!」
最初の岩を掴んで身体を持ち上げる。足を慎重に岩の隙間に差し込むが、崖の角度がきついため背中に重力が強くのしかかる。岩を掴むたび、落下の恐怖が心に忍び寄る。しかし、それを振り払うように自分に言い聞かせた。
「恐れるな。恐怖に飲まれたら終わりだ」
その時、心に不意に浮かぶのは、ジルバとの戦いで感じた無力感だった。あの敗北が頭をよぎり、手が震え始める。
「……くそ、こんな時に……!」
その時、アークが下から見上げている視線を感じた。目と目が合い、アークの冷静な瞳が語りかけるようだった。
「焦るな。落ち着け。お前はここまで来れた」
アークの声を聞いたわけではないが、その静かな気配に心が少しずつ安定していくのを感じた。手の震えを止め、再び岩を掴む。
「……ありがとう、アーク。行ける」
集中を取り戻し、体力を無駄に使わず確実に身体を引き上げ、慎重に崖を登っていく。
最後の一歩を踏み出した時、ついに崖の頂上へと到達した。息を切らし、額の汗をぬぐいながら振り返ると、下の世界が遠くに霞んで見えた。
「やった……やったんだ!」
頂上で立ち尽くす様子を下からエンバーが大きく尾を振っている。アークは静かに座り、達成を見守っていた。
その時、シェリルが上の岩から飛び降りてきた。
「登りきったな。恐怖を制し、心を鍛えるのに成功した。これで一歩前進だ」
疲れた身体を倒れ込むようにして座らせ、満面の笑みで言った。
「これで一歩かよ……。でも、確かに少し自信がついた気がする」
シェリルの唇がわずかに動き、ほんの一瞬だけ微笑みが見えたように感じた。
「次の試練ではさらに自分を見つめ直すことになるだろう。今日は休むといい」
その言葉にうなずき、次の試練へ向けて心を整える決意を新たにするのだった。
その日の夕刻、小屋の前で身体をほぐしながら夕日を眺めていた。試練を終えた達成感と疲労が交錯し、心地よい静けさが辺りを包む。
シェリルは淡々と食事を用意していた。野菜を切る音や火をかける音が小屋から聞こえ、エンバーはその匂いに反応してソワソワしている。アークは隣に静かに座り、目を閉じて瞑想しているかのようだった。
「今日はなかなかの一日だったな……」
小声でつぶやき、アークの背中を軽く叩いた。
シェリルが夕食を持って外に出てきた。木のテーブルには、山の幸をふんだんに使った料理が並べられる。焼いた魚に香ばしいキノコのスープ、そして硬めのパン。
「簡素なものだが、身体を休めるには十分だろう」
シェリルは手短にそう言い、前に皿を置いた。
「ありがとう、シェリル。こういうのも悪くないな 」
感謝を込めて答えた。エンバーはすでに自分の分を口に咥え、尻尾を振りながら夢中で食べている。その姿を見て小さく笑う。アークは最初こそ無表情だったが、用意された食事に少し顔を近づけてから静かに食べ始めた。
夕食を終えた後、焚き火の近くに腰を下ろし、「猫鳴の髭」を手に取った。その楽器の表面は薄い光を反射し、柔らかな音を奏でる準備が整っているように感じられる。
「少しだけ弾こう」
弦を軽く爪弾くと、静かな旋律が夜空に溶け込んだ。音はまるで風に乗って踊るように山中を包み、火の揺らめきと相まって神秘的な雰囲気を醸し出す。
エンバーは焚き火の側で丸くなり、音色に耳を傾けながら瞼を閉じている。アークも目を開けたままじっと演奏を見つめていた。
演奏が進むにつれ、心の中に今日の試練が蘇る。崖を登りきった時の達成感、恐怖を克服した瞬間、そして次の試練への不安と期待。
「こんな山奥で、自分をこんなに追い詰めることになるとはな……」
音色に混じる独白は誰の耳にも届かないが、自分自身に向けた言葉だった。
ふとシェリルが小屋から現れ、焚き火の近くで腕を組んで立ち止まった。
「その楽器、使い方をマスターしているのか?」
手を止めて答える。
「なんとなく、だけどな。前ににケットシーとにゃんまるから教わったんだ。こうして弾いていると、不思議と落ち着く」
シェリルは短くうなずく。
「なら続けるといい。自分を見つめ直す時間も修行の一環だ」
と言い残して再び小屋に戻っていった。
再び音を紡ぎ出し、静かな夜に身を委ねた。焚き火の明かりと共に流れる旋律は、心とこの場にいる仲間たちの絆を深めるように感じられた。
翌朝、日の出と共に目を覚ました。外ではシェリルが山道を見下ろしながら、次の試練の準備をしているようだった。
エンバーとアークも起き出し、朝の冷たい空気を吸い込んでいる。焚き火の跡を片付けながら、次に待つ試練への気持ちを引き締めていた。
「今日はどんな試練が待っているんだろうな……」
言葉に答える者はいなかったが、その胸には確かな決意が宿っていた。




