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王族

作者: 神山一

―あらすじ―

 舞台は百年戦争中のフランス。

『オルレアンの乙女』と呼ばれたジャンヌ・ダルクの話です。


 連載形式で書き終えた『ジャンヌ』をまとめ、バージョンアップさせました。

『ネトコン11』コンテストにエントリー中。


 ちなみに、オルレアンでは今でも乙女の功績を讃えてジャンヌ・ダルク祭(1435年〜)が開催されています。

 開催時期は4月下旬から5月上旬で、メインは5月7日と8日の2日間。

 6月にはランスでもジャンヌ・ダルク祭が開催されます。

「ジャンヌは馬鹿だ」

 面と向かってそう言ったら殴られた。

「バカって言うほうがバカよ!」


 オレの物言いもストレート過ぎたが、ジャンヌも暴力的すぎだろう。

 口より先に手、カトリックの教義ってそんなに過激だったっけ?

 それとも単に、ジャンヌがガサツなだけか?

 これでもし「貧乳」などと言ったら、拷問でもされるんじゃなかろうか。


 ただ、別に悪気があって言ったわけではなかった。

 むしろ正しい指摘だったはず。

 なぜなら、ジャンヌはロクに字も読めない農家の娘なのに先日突然、

『神の声を聴いた』

 などと言い出したからだ。


 声の内容は、

『イングランド軍を駆逐し、シャルル王太子をランスで国王に就かせよ。フランスを救え』

 というものだった。


 ――本当に神の啓示だったとしても、田舎娘に随分と無茶なことを言ったものだ。


 祖国であるフランスは現在百年戦争の真っ最中で、イングランドの野蛮人どもにボコボコにされて国土の半分近くが占拠されてしまっている。


 そんな状況を誰かに何とかしてほしいとオレも思ってはいるが、農家の娘のジャンヌに何かをしてほしいとも、彼女に何かができるとも思っていない。


 ジャンヌはまだ十五歳の農家の娘だ。

 いくら信仰心が篤くとも、何か特別な力があるわけではない。


 ジャンヌの家は教会の隣りにあり、彼女が告解を欠かさない熱心なカトリック信者であることは知っているが、神から啓示を受けたというのはさすがに信じられなかった。


 となると、他に何か理由が――


『フランスが危機に陥ったとき、ジャンヌという少女が危機を救う』

 そんな伝説がこの辺りにはあったが、まさかそんな与太話を真に受けた?


 それとも、


『ジャンヌは王家の隠し子』

 そんな胡散うさん臭い噂が村内にあったが、噂が本当でピンチの兄を救うため一念発起した?


 いずれにせよ、ジャンヌは抜けているところがあるから、きっと寝惚けて何か勘違いしたのだろう。

 それとも、思春期特有の病気か。


 どちらにしろ、お馬鹿さんには早く目を覚ましてほしいものだ。

 胸はなくとも、黙っていればイケているのだし。


 ジャンヌもオレも養子であり、今の両親とは血がつながっていない。

 二人とも物心つく前からドンレミ村に住んでおり、歳も近くてともに中肉中背。

 そんな共通点に加え家が近所だったこともあり、オレたちは仲良くなった。


 村にはジャンヌを狂人呼ばわりする者もいたが、オレは接し方を変えようとは毛ほども思わなかった。

 むしろ、唯一の自然体で話せる隣人がいなくなるほうが耐え難かった。



 ※ ※ ※



 1429年2月。

 神の啓示を実現させるべく、ジャンヌはシノンの仮王宮を目指していた。

 そこにシャルル王太子がいるからだ。


 普通なら、面会の許可なんてまずおりない。

 ジャンヌには不思議な魅力があり、様々な人が援助してくれていた。

 もちろん、援助しているほうにもそれなりの思惑あってのことだろうが。


 ヴォークルールからシノンまでは敵地を通過せねばならないが、馬と護衛をつけてもらったうえに衣服なども提供してもらっていた。


 それでも危険極まりない旅路。

 髪を切り落とし、男物の衣服をまとっている。

 親の理解は得られず、すでに勘当されていた。

 はっきり言って、救い難い馬鹿娘である。


 そして、ジャンヌに請われて同行しているオレもまた大馬鹿野郎だ。

 まったくもって、どうかしている。正気の沙汰ではない。

 オーモンデュー!(おお神よ!)


 とはいえ、オレはジャンヌと違い神の存在を信じているわけでもなければ、神の啓示なんてものも信じていない。

 単に頭の悪い隣人であるジャンヌの先行きが、心配だっただけだ。


 何度も止めたがジャンヌは熱烈なカトリックであり、今のところ自らの手でイングランド軍を駆逐するという考えを変える様子はまったくなかった。


 とはいえ、戦争は男の仕事である。女の兵士なんて聞いたこともない。

 ジャンヌはボーイッシュな女だが、腕力に秀でているわけではない。むしろ華奢なほうだ。

 そうである以上、オレには付いて行く以外に選択肢がなかった。放っておけば、彼女が破滅するのは分かっていたから。


 オレは一応、村の自警団の一員として戦闘訓練は受けている。

 大した腕前ではないが、護衛として役には立てるだろう。

 学だってジャンヌよりはあるつもりだ。少なくとも読み書きはできる。


「ネル、ちょっと遅れてるわよ。馬を急がせなさい」

 隣のジャンヌから文句を言われた。

「いや、お前が急ぎすぎなんだ。焦らず少しペースを落とせ」

 オレは、暴れ馬を必死で抑えている人みたいな気分を味わっていた。



 ※ ※ ※



 1429年3月。

 上手くいくわけのなかった、仮王宮での面会はなぜか大成功に終わったが、

『軍を率いて敵に包囲されているオルレアンを解放せよ』

 などという無茶振りをされてしまった。


 あの馬面王太子は正気か?

 それともまさか本当に、ジャンヌが王族だったりしたとか?


 いや、きっと王太子はイングランド軍にやられすぎてパーになってしまったのだろう。

 そうでなければ、何者であれ実戦経験もない小娘を軍の指揮官になぞしないはずだ。むしろ慈善活動でも勧めてくれればよかったのに。


 ポワティエでの審問・純潔検査もクリアしてジャンヌは喜び勇んでいたが、やはり生娘一人に何ができるとも思えない。

 だが、ジャンヌは戦うことを止めない。熱烈なカトリック信者だから何度止めても無駄である。

 諦めるということを知らず、異教徒への慈悲もない。まるで暴れ牛だ。


 となると、オレが何とかする他ない。


 オレが集めた情報によれば、イングランド軍は城塞都市オルレアンの周りにたくさん砦を作って包囲しているらしい。

 補給を断って籠城するフランス軍を飢えさせ、降伏させるつもりだろう。


 それなら敵は分散している。

 戦の作法には反するかもしれないが、集結される前に包囲砦を一つずつ潰していくのが上策だ。


 作戦会議ではそのように進言しよう。

 それで駄目ならどさくさに紛れてジャンヌを後ろから絞め落とし、担いで逃げよう。うん、それがベストだ。


 そんなオレの密かな決意をよそに、

「あたしはやるぞー!」

 と馬上でジャンヌは燃えていた。


 無邪気なことだ。軍略もなにもない。

 困ったお馬鹿さんだった。



 ※ ※ ※



 1429年4月。

 神の加護があったのか。

 ジャンヌ率いるフランス軍は、夜陰に乗じてすんなりと包囲下のオルレアンに入城できた。

 そしてブルゴーニュ門を潜って進むなり、ジャンヌは救国の乙女として市民から熱狂的な歓迎を受けた。


 その様子を見て、オレは耳打ちした。

「ジャンヌ、士気向上のためにパレードやっとこう」

「今はそんな場合じゃ。すぐにでも、イングランド軍の砦を叩かないと――」

「急がば回れだ」

 遮り、オレは力を込めて説得した。

「戦は補給と士気で勝敗が決する。こんな状況下だからこそ、希望が必要なんだ。笑顔で手を振って、皆を安心させてやれ」

『皆を安心』という殺し文句が効いたのか、ジャンヌは首肯した。


 それから数日。

 ジャンヌはオルレアン周辺の道路を定期的にパレードし、住民にはパンを、守備隊にはお金を配って味方の士気向上に努めた。


『必ずやイングランド軍を撃ち破ってみせます! だから皆さん、安心してください!』

 ジャンヌは自身に満ちた、力強い言葉を発した。

 その言葉と凛々しい姿にある者は歓声をあげ、ある者は感極まって号泣した。

『聖女様!』『ジャンヌ様!』と叫ぶ者もいた。


 天性のカリスマ性が、ジャンヌにはあった。

 演技指導とか必要なかった。オレですらなぜか涙が出た。


 結果、味方の士気は爆発的に高まった。



 ※ ※ ※



 1429年5月。

 味方の士気が最高潮に高まった頃合いを見て。

 ジャンヌはオレの進言したとおり、砦の各個撃破に取りかかった。

 サン・ルー砦、サン・ジャン・ル・ブラン砦、オーギュスタン砦を立て続けに奪還した後、トゥーレル砦を攻める。


 力押しだったが、覚醒したと言っていいフランス軍の勢いは凄まじかった。


 ジャンヌが負傷していったん兵を退く局面もあったが、怪我を押して聖マリアの旗を高々と振るジャンヌの姿を見て、フランス軍は猛然とトゥーレル砦に攻撃を再開。


 勇ましくともジャンヌは十代の少女だ。

 大の男が少女に遅れを取るわけにはいかないと、兵が奮い立ったのは自然な成り行きだった。


 すべての兵が雄叫びを上げ、死兵となって砦の敵に襲いかかる。

 このときばかりはオレも、神の奇跡を見たと思った。

 恐怖が消え失せ皆に続く。

 こんなの防ぐほうは堪ったものではないだろう。


 オレの目前にイングランド兵が迫った。鬼の形相だ。

 剣を構え隙を窺う。

 見えた! 顔面と股間に鎧の隙間が。

 顔面うえへのフェイントから股間したへ、全力で突き刺す!!

 絶叫。

 初めて全力で人を突いたが、今はハイになっていて気にならない。

 ただ、手には鈍い感触が残っていた。


 その後、イングランド軍はフランス軍の怒涛の勢いを止められず敗北。

 翌日、戦意をなくして全軍がオルレアンから撤退していった。



 ※ ※ ※



 1429年6月。

 オルレアン解放後。

 王太子の御前会議に参加したジャンヌは、ロワール渓谷一帯を奪還するよう命令された。


 ジャンヌの宗教的な情熱にあてられたせいかもしれないが、イカれた王太子はまたも無茶振りしてきたのだ。


 少しは自分で働け淫乱王妃の息子!

 あのニートには天罰でも落ちればいいのに。

 ジャンヌはただの農家の娘だっつーの。

 行軍中、オレは馬の手綱を引きながら内心毒づいた。


 ただ、王太子には少しだけ同情もしていた。

 彼の母親であるイザボー王妃がフランスをイングランドに売り渡すとか、滅茶苦茶やったから今の状況になっているのである。

 彼がやる気を無くして、引きこもりになったのも理解はできた。

 もっとも、国民のために奮起するべきだとも思うが。


 それよりも今は、ジャンヌの身の安全――

 そうだ! いざとなったら戦場でどさくさに紛れて、ジャンヌを戦闘中行方不明にしてしまおう。

 それでもって簀巻きにして、馬車に乗せてドンレミ村へ連れ帰る。うん、それがベストだ。


 そんなできもしないオレの馬鹿げた考えをよそに、

「全軍前進ー!」

 とジャンヌは、馬上で聖マリアの旗を振ってはしゃいでいた。


 最近は『オルレアンの乙女』などとおだてられ、以前よりも調子に乗っているように見える。

 やっぱり馬鹿だった。



 ※ ※ ※



 ジャンヌの旗の下に多数の志願兵が集ったこともあり、フランス軍は連戦連勝。

 ジャルジョー、マン、ボージャンシーの諸都市を制圧してロワール川の渡河点を抑えた。


 しかし、もちろんイングランド軍とてやられっぱなしで黙っていない。

 パテーの地でフランス軍を待ち伏せ、迎え撃つ気配を見せた。


 このとき、フランス軍1,500人に対してイングランド軍は5,000人。

 兵力差三倍以上。しかも、イングランド軍は野戦を得意としている。


 フランス軍が圧倒的に不利な状況だ。

 この戦いは名将の誉れ高いリッシュモン元帥が指揮していたが、これはさすがに……


 やはり、ジャンヌを絞め落として担いで逃げるか。

 ジャンヌを横目にオレはそう考えていたが、戦端は意外な形で開かれた。


 ――ジャンヌ効果とでも言おうか。

 ジャンヌに触れた者は例外なく、彼女の宗教的な情熱が乗り移ったかのような狂戦士と化す。


 ゆえに前衛騎兵隊の指揮官が、突撃前の陣形整列と名乗りも行わずいきなり突撃を開始した。


 ちなみにその指揮官は癇癪持ちの傭兵隊長で、『憤怒ラ・イル』とあだ名された猛将だった。

 指揮官に負けじと、雄叫びを上げて続く兵たち。


 狂気を帯びた戦闘集団の突撃である。

 この非常識な突撃にイングランド軍は狼狽し、自慢の長弓ロングボウ部隊も機能せず大混乱に陥った。


「全軍突撃!」

 間髪入れず元帥が本隊に命令。

「突撃ー!」

 ジャンヌが大声で叫び、軍旗を振るのも見えた。


 馬鹿は伝播する。

 オレも雄叫びを上げて突撃した。


 たちまち辺りは阿鼻叫喚の(ちまた)と化し、あちこちで血煙が上がる。

 持ち堪えられるわけもなく、イングランド軍は多数の捕虜と死傷者を出して逃走した。



 ※ ※ ※



 パテーの戦いの大勝利によって、フランス軍がランスへ進軍するのは容易になった。

 ここまで来れば、ジャンヌが神から与えられた使命が果たされるのも時間の問題である。


 それで、ジャンヌが満足してくれればいいのだが――

 無理か。じゃじゃ馬だし。

 オレはため息をつく。


 はっきり言って、ジャンヌの立場は危うい。

 救国の聖女を妬む者もいるだろうし、王族や貴族がジャンヌの狂信的な熱狂や人望を危険視してもおかしくない。


 あくまでも王太子の後ろ盾があればこそ、ジャンヌは兵を指揮できているのだ。

 それがなくなれば、ジャンヌは命知らずな馬鹿娘でしかなくなる。


 そのことはジャンヌにも言ってあるのだが、

「神に守られているから大丈夫」

 と言って笑っただけだった。


 ジャンヌは自身の身の安全について、神任せでかなり無頓着である。

 というより、聖女として強がっているだけなのをオレは分かっている。

 だからいざとなったら、オレが何とかするしかない。

 そのときが来たら一瞬でジャンヌを絞め落とせるよう、何度も絞め技を練習しておこう。


 ニギニギと左手の感触を確かめる。

 パテーの戦いで指を二本失ってしまった。

 勝ち戦でも死傷者は出る。もちろん、負け戦ならなおさら。


 そんな状況だから、オレだっていつ死ぬか分からない。

 オレの命が燃え尽きてしまう前に、何としてもジャンヌを救わなければならなかった。



 ※ ※ ※



 1429年7月。

 ジャンヌの猪突猛進精神が乗り移ったとでも言おうか。

 フランス軍は怒涛の勢いで進軍し、遂にランスへ入城。

 翌日、ノートルダム大聖堂でシャルル王太子の戴冠式が執り行われた。


 戴冠と同時に皆が「万歳ノエル」を叫び、ラッパの音が鳴り響く!

 軍旗を手にジャンヌは狂喜乱舞し、オレも気分が高揚している。

 新時代の到来を予感させるほどの凄まじい熱量が、満席の堂内であふれ返っていた。


 これでやる気がなくニートみたいだった王太子も、きっと目を覚ますだろう。

 そうなれば周りの人間もより前向きになる。

 かなりの相乗効果が期待できる、意義のある儀式だった。


 以後のことは、正式に国王となったシャルル七世陛下の外交能力に期待しよう。

 ここまでお膳立てしてやったのだから、さすがに聖女様頼みも改めるはず。


 とにかくこれで、ランスでの戴冠式は達成された。

 ジャンヌが神から託された使命は果たされたはずだったが、彼女はパリへのさらなる進軍を主張した。


 セフー!(イカれてる!)

 馬鹿な上に戦闘狂な娘である。

 もういいだろーが! シャルル七世たちも、和平条約を締結しようとしてるみたいなんだし。


「ジャンヌ、そろそろ田舎に帰ろう。いい加減死ぬぞ」

 指が二本欠けた左手を見せる。

 聖女として気丈に振る舞っていたが、彼女も全身傷だらけだった。だが、

「フランスからすべての敵を追い払うまで、使命は終わらない。それがあたしの運命」

 とジャンヌは冷たく言い放った。


 なんだよそれ?

 げんなりした。


 困った聖女様だ。

 だいたい、イングランド軍にもカトリック信者はいると思うのだが。彼らは神の恩寵を受けられないのか? ジャンヌはいつも、敵味方の区別なく死者の冥福を祈っているではないか。

 しかし、それを言ったら怒るか悲しむだろうから言わなかった。


 敵や味方の死傷者にじかに接するというショック療法を経ても、ジャンヌの信仰心はいささかも衰えないらしい。メンタル強すぎ。


「でも、これ以上無理してあたしに付き合ってくれなくていい。あなたは啓示を受けてない」

 あれ? 急に弱気なことを言い出した。

 こんなジャンヌは珍しい。というより、初めてだ。

 知ってはいたが、聖女様も人間だったわけだ。


「いや、別に無理してるわけじゃ――」

「もうここで下りて。あなたが死んだら耐えられない」

 ジャンヌは肩を震わせ嗚咽していた。


 ――こいつは!

 そういうことを本気で言ってくるから、見捨てられないんだろうが!

 ダレが下りるか! なにが運命だ! 啓示がどうした!


 反射的に震えるジャンヌを抱きしめていた。


 腹立たしい! 殉教する気だろこいつ。

 しかし、翻意させようにも狂信的なカトリックは説得不可能。

 じゃあどうするべきか?

 混乱して頭が痛くなってくる。


 抱きしめた体は柔らかくて温かく、失いたくなかった。


 オーモンデュー!(おお神よ!)

 結局、馬鹿は死なねば治らないのか!?

 ジャンヌの告白は、オレに決断を迫った。



 ※ ※ ※



 その日の朝。

 宗教裁判で異端を宣告されたジャンヌは、

「淫売!」「魔女!」「悪魔の手先!」

 などとギャラリーから罵倒された末に、広場で火焙りの刑に処せられた。

 もちろんオレは救援に向かっていたが、力及ばず間に合わなかった。

 いや、力の問題ではない。決断が遅すぎたのだ。

 そう、すべてが遅すぎた。

 愚図なオレが駆けつけたとき、火刑台のジャンヌは遺体ですらなく灰になってしまっていた。

 その事実に全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 すべてが終わった。もはや思考すらおぼつかない。

 世界から太陽が消え失せ、真っ暗闇のなかブリザードが吹き荒れる――

「うわああぁっ!!」

 そこで目が覚めた。

 世界の終わりに直面したような酷い悪夢に、異常な発汗と動悸が治まらなかった。



 ※ ※ ※



 1429年8月。

「幼なじみと所帯を持つことになったんで、除隊して田舎へ帰ることにしました」

 夜に酒場で一人飲んでいたら、近くの卓からそんな声が聞こえてきた。


 赤ワインを飲みながら目を向ける。

 六人ほどで飲んでいて、声の主は確か――傭兵隊の若い男だ。名前は知らない。


 会話の内容はまあ、よくある話だ。

 傭兵なんて危険な稼業、きりのいいところで辞めて家業を継いだり商売を始めたりは一般的。

 とはいえ、彼が無傷で引退できたのはかなり運が良かったほうだろう。

 傭兵の多くはどこかの戦場で死ぬか、大怪我するか精神に異常をきたして引退する。


 パンをかじった。

 そう、人は簡単に死ぬ。

 この半年、敵も味方も息絶えるのをいっぱい見てきた。

 もちろん、戦争だったとはいえ自身で手を下した相手もいる。

 初めてのときは、戦闘後に吐いた。


 指だって簡単に飛んだ。

 指が二本欠けた左手を見て、ニギニギしてみる。

 三本残ってよかったと考えるべきか?


 後悔してみたところで、失われたものはもう二度と戻らない。

 精神的なダメージの有無は分からないが、五体満足で除隊した彼がうらやましい。


 ただ、人が死ぬのはもちろん戦場だけではない。

 むしろ、黒死病ペストで死んだ者のほうが多い。


 ――では、人が生きている意味とは何だ? この世に神の救いはないのか?


 いくら考えても答えは出ないが、残された時間は少ない気がした。

 命が尽きる前に、やれることはやっておくべき。


 ジャンヌがもっと打算的な女であったなら、見捨てるという選択肢もあったかもしれないが――

 あいつは馬鹿だから。オレもそうだし。

 馬鹿!? そうか、馬鹿らしくやればいいのか!


 一筋の光明が見えた気がした。

 追加の赤ワインを注文する。

 今夜は一人でとことん飲みたい気分だった。



 ※ ※ ※



 1429年9月。

 フランスは10,000人という大軍を以ってパリを包囲・強襲した。

 しかしこれは難攻不落の王都を力攻めしたうえに、3,000人のイングランド兵に加えシャルル七世を嫌うパリ市民の抵抗もあって失敗。

 この戦いでジャンヌは、いしゆみの矢を受けて脚を怪我した。


 その後、シャルル七世から撤退命令が下ったが、このときジャンヌは治療の疲れもあり一人で仮眠を取っていた。


 千載一遇の好機!

 そう判断したオレは、手早くジャンヌを簀巻きにして猿ぐつわを噛ませ、担ぎ上げて馬車まで運んで荷台へ放り込んだ。

 以前から計画し練習もしていたことを、遂に実行へ移したのだ。


 もう神も啓示もどうでもいい! ジャンヌの命に勝るものなぞない!!


 ここに至って、ようやく吹っ切れていた。

 あとは負傷兵の後送を装いどさくさに紛れ、馬車を故郷へ向けて走らせるだけだ。


 ここまではトラブルもなく計画以上に進んでいた。

 今のオレには幸運の女神がついている。


『聖女様が拉致される』と、それなりの抵抗があることも覚悟し買収なども考えていたが――

 このとき周囲の人間は反対するどころか、むしろ手助けさえしてくれた。


 ジャンヌの言っていた使命はすでに果たされているうえに、何と言ってもまだ十七歳の少女である。

 彼女が勝利の女神だったとしても、戦場から遠ざけたいと願う者は少なくなかったようだ。

 加えて、なぜかオレもジャンヌを任せられるだけの信用を得ていたらしい。


「ジャンヌを泣かせたら殺すぞ!」

 戦友である傭兵隊長からそう言われた。

 彼は癇癪持ちで憤怒ラ・イルと呼ばれ、元は野盗の頭目だったとの噂もあったが仲間には優しかった。

「けどまあ、達者でな。お前らのこと、上には『戦闘中行方不明』だと報告しとくから」

 無骨な彼らしくなく、ウインクして照れたように言った。


 これにはちょっとうるっときた。

 粋な計らい。彼もまた大馬鹿野郎だったわけだ。

 オレは皆に感謝の言葉を述べ、御者席ぎょしゃせきに飛び乗った。


 このまま故郷まで馬車を走らせれば、ジャンヌはきっと怒るだろう。

「むぐぅーっ!」

 現に今も背後から、ジャンヌの抗議らしき声が聞こえてくる。やはり怒っている。


 機嫌を取るため、せめて道中に提供する飲食物はぜいたくなものにしておこう。それでも殴られそうだが。


 しかし、ジャンヌは以前こう言っていた。

『あたしたちは一つの人生しか生きられないし、信じたようにしかそれを生きられない』

 ならばオレも、信じたように生きさせてもらおうと馬に鞭を入れた。 



 ※ ※ ※



 ――そのご戦争がどうなったかは知らない。

 傭兵隊長たちは、今なお戦い続けているのだろうか。

 シャルル七世がジャンヌのそっくりさんを聖女にでっち上げたとかいう話も耳にしたが、真偽のほどは定かでない。


 ただ、シャルル七世がリッシュモン元帥をフランス軍に復帰させれば、たいがいの問題は片づくとオレは考えていた。

 元帥とはパテーの戦いでしか一緒に戦ったことはないが、それでも『正義の人』の異名に恥じない傑物との確信があった。他の将軍とはまとっているオーラが違った。


 ジャンヌも敬愛する彼であれば、『フランスを救え』という神命をジャンヌに代わって立派に果たしてくれるだろう。

 まあ、シャルル七世に彼を用いる度量があるかどうかが問題だが……たぶん大丈夫だろう。直言や頑固さから疎ましく思ったとしても、尻に火がつけばなりふり構わないはず。

 元帥が返り咲いて大活躍し、イングランド軍を叩きのめすのは時間の問題だ。


 兎にも角にも、ジャンヌの大冒険は終わった。

 あのまま怪進撃を続けていたら、馬鹿娘はいつか魔女とか言われて火焙りにされていたかもしれない。実際、イングランド側からすれば魔女のような存在だっただろうし。

 いつだったかそんな悪夢を見た。そう考えれば、これで良かったのだ。


『何がこれで良かったよ! このバカ! アホ!』

 ジャンヌは村に連れ帰った当初こそ暴れまくってうるさかったが、最近はなぜか大人しい。

 おそらく思春期特有の熱病が、頭が冷えて治まったということだろう。

 そもそもが裏表のない、血なまぐさい世界とは縁遠い娘だったのだ。


「ちょっとネル、手を動かしなさいよ。全然進んでないじゃない」

 畑仕事する手が止まっていたので、怒られた。

「すぐやるよ、ジャネット」

 急ぐ必要は全然なさそうだったが、言うと怒りそうなので無難に応じた。


 ジャネットはジャンヌの昔の名だ。

 十五歳のときに改名していたが、村に戻ってきたとき耳目を集めぬよう元に戻させた。ジャンヌという名は珍しくないが念のためだ。


 ちなみに、オレも改名していて幼いころの名はフィリップだ。

 深い意味はない。そのころは改名するのが流行っていたし、偉そうな名で気に食わなかったから変えただけである。


 ジャンヌのようなビッグネームでもないし、実母がどう思うか知らないが今後もフィリップを名乗るつもりはない。

 もっとも、十二人目の子供のことなぞ実母は忘れているかもしれないが。罪深いひとだ。


 ――酷い噂しか聞かない実母にいい感情なぞ持つわけないが、ジャネットと出会わせてくれたことだけは感謝している。


 ドンレミはフランス北東部の辺鄙な小村。

 もう戦うこともなく、今日も明日もこんな穏やかな日が続いていくのだろう。

 戦争は王族や貴族が互いに死ぬまで勝手にやっていればいいし、馬鹿でもジャネットみたいないい女が死ななくていい。

 いざこざに巻き込まれるぐらいなら、清貧のほうがはるかにまし。


 これからは農業で身を立てていくつもりだ。

 幼いころ家庭教師も『農は国のいしずえ』と言っていた。

 皆の腹が満たされていれば戦争は起きにくいだろう。


 しかもドンレミ村は、シャルル七世から聖女への感謝として免税特権が与えられている。これは大きい。農業万歳。


 汗水たらして畑仕事を続けるジャネットを眺める。

 陽の光を反射してキラキラと輝き、豊穣(ほうじょう)の女神といった佇まいだ。

 最近、ますます女に磨きがかかったようにさえ見える。


 ――もしジャネットが死んだら、そのときはオレも一緒にいこう。


 そう思わせるだけの魅力が、ジャネットにはあった。

 本当は、探せば女なんて他にいくらでもいるはずなのに。

 女に溺れるとは、こういうことか?


 それともオレはジャネットが死んだら精神を病み、黒魔術にハマったりするかも?

 そして最期は火焙りに。


 そう考えると、ジャネットは男を破滅させる魔性の女なのかもしれない。

 下手をすると、傾国の美女になっていた恐れすらある。なまじカリスマ性があるだけに。


 あまり見惚れているとまた怒られる。

 視線を畑に戻し、すきを握り直した。


 オレは神も王も教会も信じていない。生き様も死に様も自分で決める。

 そんなオレが、一つだけダレかに願うとするなら――

『ジャネットがオレの側でずっと笑っていてくれますように』

 それだけで充分で、富や名声に興味はなかった。


 ……いや、違う。

 改めてジャネットに目をやる。

 富や名声が色あせるほどに、その姿はまばゆく光り輝いていた。



 ※ ※ ※



 ――ジャンヌが歴史から姿を消したその後――


 1435年9月。

『史上最悪の王妃』と呼ばれたシャルル七世らの母イザボー、パリにて死去。

『フランスはイザボーによって破滅し、ジャンヌによって救われた』

 との言葉が後に流布された。

 ただ、フランスが乱れたのはもちろん王妃のせいだけでなく、権力闘争に明け暮れた愚者たちのせいであることは言うまでもない。


 1443年1月。

 武勲を立てて『ノルマンディー総司令官』と呼ばれた猛将・憤怒ラ・イル、モントーバンの戦いで負った傷により死去。


 1453年10月。

 ボルドー平定によって百年戦争はフランスが勝利して終結し、敗北したイングランドはカレーを残して大陸の所領を失った。

 このフランスの王位継承問題に端を発する泥沼の戦争により、実に350万人が死亡。


 1458年12月

 軍事・外交に手腕を発揮して各地でイングランド軍を駆逐し、ジャンヌの使命を完遂させた功労者・リッシュモン大元帥死去。

 フランス王国軍総司令官だった彼もまた、ジャンヌの資質を認めてその清純なカリスマ性に惹かれた武人の一人だった。


 1461年7月。

『勝利王』と呼ばれたシャルル七世、晩年は愛人の国政介入や息子との確執もあり苦悩のうちに死去。

 一説には息子との争いで殺されることを恐れて食事を拒み、餓死したとも言われている。

 だが、決して暗愚な国王ではなかった。

 ジャンヌ・ダルクの起用を英断し、危機的状況から勝利により百年戦争を終結させた功績は大きい。

『彼はその死に臨み、フランス王国をクローヴィス以来ともいえるほど平和で正義と秩序に満ちたものにしていった』(ルイ12世までの年代記略 パリ国立図書館所蔵フランス語写本第4954番より)


 1471年5月。

 イングランド王ヘンリー六世、ロンドン塔に幽閉されたのち塔内で暗殺されて死亡。

 なお、彼はシャルル七世の甥であり、1420年のトロワ条約に従ってフランス王も兼ねていた。


 1477年8月。

 豪農ネル、農業改革に取り組んで財を成したのち、ドンレミ村から娘夫婦の住むオルレアンへ移住。十年後にその地で死去。

『啓示よりも命を大切にしろ。そうすれば後悔しない』

 と子孫に言い残した。


 2022年2月。

 ロシアがウクライナへ軍事侵攻。

 両軍ともに死傷者多数。


 ――人類の歴史とは戦争の歴史である。

世界が平和になりますように。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ジャンヌ・ダルクの生涯と百年戦争での活躍がネルの視点から簡潔にわかりやすく描かれていて楽しめました。 「寝惚けて何か勘違いしたのだろう」とか「思春期特有の病気」など、ジャンヌの事を“ただの…
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