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前編

連載版【https://ncode.syosetu.com/n0285hy/】完結済み

 フレッグ国には、独特な制度がある。

 国王の子として生まれたものの中でもっとも優秀な子が王位を継ぐというものだ。

 性別は関係なく、王族としての姿勢、振る舞い、情勢を見る能力、民からの信頼などなど、様々な条件を出された上で認められたものが次期国王となる。

 国王の子であるなら、側妃の子でも王位継承権を持つ。国王によっては側妃を何人も囲いたくさんの子の中から優秀な一人を選ぶということもあるが、現在の国王――シーギスムンド・ベールヴァルトはそうはせず、王妃との間にしか子どもを作っていない。

 長男のヴィルフェルム。

 長女のアクセリナ。

 次男のスヴェン、次女のアンネッテ。

 このうち次男のスヴェンは早い段階で王位継承権を放棄しており、騎士になるべく城を出ている。次女のアンネッテはまだようやく二桁の年齢になったばかりで、将来の夢は「どこかの国の素敵な王子様のもとへ嫁ぐこと」らしく、王位継承権の放棄も時間の問題と言われている状況だった。

 ゆえに今現在、王位継承権を持ち、尚且つ自らが国王となるべく切磋琢磨しているのはヴィルフェルムとアクセリナだ。

 どちらも親譲りの美しい黒髪にヘーゼル・アイ、目尻は少し垂れており、笑うと幼くなる印象だ。男女の雰囲気の違いや体格差こそあるが、双子と言っても納得してしまうほどには似ている二人である。

 そして王族としての姿勢や振る舞いも申し分なく、時勢や情勢を見る目にも長け、民からの信頼も厚い。――もっとも今はまだ、現国王夫妻には及ばないのであるが。いずれ二人のうちの一人が国王となることは間違いないと言われていた。


「兄上はいつまで婚約者を作らないおつもりか」

 執務の間の、ティータイム。妹からの問いかけにヴィルフェルムは曖昧な笑みを浮かべた。

「作らないつもりはないよ。いずれ良い縁があったら、と思っているだけで」

「だが国を支えるための伴侶は必要であろう。まぁ決まらないと言うのなら、私が王位を継承すれば良いだけのこと」

「おいおい、まだ先のことだろう? それにお前の婚約者……フェムシェーナ公爵家のエドヴァルドは、国王の伴侶とするにはまだ未熟だ」

 アクセリナにはすでに婚約者がおり、名をエドヴァルド・フェムシェーナと言う。シルバーブロンドの髪に青い瞳の好青年と呼べる風体で、実際に優しく実直な青年だ。だがなぜか自分に自信がなく、能力のわりに頼りないと思われる部分が多々あった。恐らく「王族」として育っているアクセリナと比較してのことなのだろうが、アクセリナ自身は彼のそんな情けない部分も美点だと思っている。

「エドもしばらくすれば、私の伴侶たりうるだけの自信を身に付けるだろう。あいつが努力を重ねていることは、私が誰よりも知っているからな」

 年相応の笑顔を浮かべて言うアクセリナに、ヴィルフェルムははいはい、と適当に返事をする。妹が何だかんだと婚約者をのろけたいだけだと言うことはとっくにわかっていた。

 公爵家との結婚は、一見すれば政略結婚にしか見えないだろう。けれどアクセリナとエドヴァルドは互いに想い合っていた。気の強いアクセリナが直接好意を口にすることはないが、そうでなくても彼女の言葉や視線、エドヴァルドを前にしたときの表情から、彼女の想いははっきりとわかる。そしてエドヴァルドもまた、アクセリナをとても大事に思っていた。

「あなたに相応しい男になりたい」――それが、エドヴァルドの口癖だ。

「兄上、いっそ他の国に婿入りすることも視野にいれた方が良いのではないか? 実際多数の申し入れが来ていることだしな」

「アクセリナ、婚約の申し入れならお前だってたくさん貰っているだろう? ……まぁ、そのうちの半分は隣国からのものだが」

「私にはすでに婚約者がいると言うのに、勝手に送ってくるのだ。特にあの馬鹿王子……ディーノ・ウーナステラは」

 ディーノ・ウーナステラ。隣国フレイの第二王子。

 アクセリナとは幼い頃からの知り合いであり、彼はずっとアクセリナに嫁いでくるようにと口説き続けている。婚約者がいても、お構いなしだった。

 フレイ国は現在徐々に力をつけている国の一つであり、各国との交流や貿易が盛んに行われている。フレッグ国にとっても重要な国であるため、ぞんざいに扱えないのが現状だ。

「けど実際、婚約の申し入れは彼が先だっただろう? お前が断っただけで」

「あのような軽くてお調子者の男のもとへ嫁ぐなど考えられない。それにあちらの国はこの国と制度が異なるゆえ、奴の王位継承権は二番目だ。せっかく国王となるべく磨いたこの力、王になれぬままであるのは勿体ないだろう?」

「世の王族の女性は、アンネッテのように良い条件のもとへ嫁ぎたいと思うことが多いようだけど」

「王族として生まれたからには、志を高く持たずしてどうする。良いか、兄上。私は絶対諦め……――」

 コンコン、と、控えめなノックの音が聞こえ、二人は同時に顔を上げた。アクセリナが「何用か」と尋ねると、扉の向こうから侍女の声が聞こえてきた。

「恐れ入ります、王女殿下。フェムシェーナ様がお越しです」

 アクセリナの表情が、ぱっと明るくなった。先ほどまでの「第一王女」の顔ではなく、その表情は年相応の少女のものであった。

「! エドが? すぐに呼んでくれ。あぁそれからお茶と菓子の準備も頼む」

「かしこまりました」

 アクセリナはすぐに立ち上がって、姿見の前に移動する。側付きの侍女もすぐにアクセリナのもとへ向かい、その身だしなみを整えた。

 自信と威厳たっぷりの王女の姿はどこへやら。妹のその様にヴィルフェルムは、思わず顔を緩めて笑ってしまう。

「アクセリナ。国王の座は僕に任せた方が良いと思う」

「馬鹿なことを。私はエドと共にこの国を背負うと決めているのだ」

 そんな乙女の顔をして――と、兄は思う。

 王族として生まれたアクセリナは、幼い頃から両親のことをよく見ていた。国を背負って立つものの責務、それが並大抵の精神力では耐えられないものであるとわかっているのだろう。綺麗事だけでは成り立たない、時には厳しい判断を下さなければならないこともある。民からの不満を一身に受けて、罵倒も叱責も、同じくらい受け入れなければならない。それでも彼女は、エドヴァルドと共になら耐えられると思っていた。両親のように互いを思いやり支え合うことが出来たなら、どれだけ辛いことがあろうとも耐えられる、と。

(果たしてエドヴァルドに、それだけの器があるのか……)

 何もヴィルフェルムは、何が何でも自分が王に、と思っているわけではない。アクセリナの方がより相応しいと思えば、潔く身を引いて妹を支える立場に回るつもりだ。だけれど今のままではまだ駄目だ。アクセリナの想いだけではなく、エドヴァルドの気持ちも。ただ想い合っているというだけでは、駄目なのだ。

「アクセリナ様、ヴィルフェルム様。エドヴァルド・フェムシェーナがご挨拶申し上げます」

 二人のもとへやってきたエドヴァルドは、胸元に手を当てて礼をする。

「よく来たな、エド。会いたかったぞ」

「はい、アクセリナ様。オレもあなたに、お会いしたかった」

 見つめ合う二人の雰囲気の甘さに、思わず体を後ろへ引いてしまうヴィルフェルムである。小さく咳払いをして、声をかけた。

「エドヴァルド、聖女様の様子はどうだ?」

 聖女とは、国のあちこちに発生する瘴気を消す力を持った、教会に属する女性のことを指す。瘴気を消す力を持ったものは決して多くはなく、聖女となった乙女は丁重に扱われるのが普通だ。それの警護や従者に選ばれるのが侯爵以上の爵位を持ち、尚且つ騎士としての腕も認められた貴族。男女問わず、聖女に携われるのならとこの位置を目指すものは多い。

 エドヴァルドは聖女の一人である、ヘレーナの護衛を務めていた。

「特に問題はなく、今日は教会でお休みになられています。最近瘴気が増えてきたようで、各地の聖女様たちも大変そうで」

「瘴気が増えるのは時期的なものゆえ、仕方あるまい。何、あと一月もしたら落ち着くだろう」

「そうだな、毎年この時期は増えるが……たとえその場に魔物が出現しても、お前たちがしっかり退治出来ているのなら問題はないだろう。引き続き見回りと報告を怠らぬように」

 瘴気は、魔物が現れる前兆と言われている。それを前兆の段階で止めるのが、聖女たちの役割だ。聖女たちは数人の護衛を引き連れ、街や周辺の森、山、川や海などを見回る。聖女ごとに見回る位置が指定されており、基本的に街を中心とした半径十キロメートルほどが一人に与えられた範囲である。

「その……実はヘレーナ様が、見回りの範囲を広げたいと仰っているんです」

 エドヴァルドが眉を下げ、どこか戸惑っているようにも見える表情で言う。アクセリナがすっと瞳を細めた。

「どういうことだ?」

「ヘレーナ様の力は、他の聖女様よりもずば抜けて高く、ゆえに一気に瘴気を取り払えるので……自分がより広い範囲を見回ることが出来れば、他の聖女の負担を減らすことが出来るのではないか、と」

 アクセリナの眉間に、微かにシワが寄った。

「そうなればエド――たちが、長い期間家に帰ることが叶わなくなる。それを理解しての発言か?」

「も、もちろん、そのこともお話ししました。ただ、オレたちも国のためになるのならそれはやむを得ないと思っていて……他の聖女様たちに充分な休養を与える余裕が出来たなら、さらに瘴気払いの精度が上がるだろうと……」

「……エドヴァルド。お前は王女の婚約者であることを、忘れてはいないな?」

 表情を消してしまったアクセリナに代わり、ヴィルフェルムが問う。

「もちろん、忘れてなどいません! ……ただオレはまだ、とても未熟で……アクセリナ様の隣に並び立つに相応しい男ではありません。各地を回って見聞を広め、魔物を倒すことで力と経験値を得て、強い男になりたいのです」

「お前がそう言うから、本来結婚するはずだった日を大幅に延期しているのだぞ。お前はいつになったら、アクセリナに相応しい男になるのだ?」

「兄上」

 アクセリナに呼ばれ視線をそちらに向けると、アクセリナは首を左右に振って制した。それからエドヴァルドに向き直り、視線を合わせる。エドヴァルドの瞳はやはり、戸惑いと不安の残る頼りないものだった。

「……お前が納得するまで待つと言ったのは私だ。……だが、見回りの範囲を広げることは認めぬ。今のままで支障があるとも思えぬし、何より他の聖女のためにヘレーナが倒れては問題だ。……戻ってそう伝えよ」

「……はい。ありがとうございます、アクセリナ様」

 深く頭を下げるエドヴァルドに、アクセリナは短く息を漏らす。それでは、と席を外そうとしたエドヴァルドは不意に立ち止まって、アクセリナのもとへ足早に近づく。

「あの、アクセリナ様。次はその、……あなたの好きなものをもって、訪ねて来ます」

「――あぁ。楽しみにしている」

 瞳を細めて笑ったアクセリナに、エドヴァルドは安堵の表情で頷く。それからまた一礼して、彼は部屋を後にした。

 ヴィルフェルムはこめかみを押さえて、先ほどのアクセリナよりもさらに深いため息を漏らした。

「アクセリナ……お前も聞いているだろう? 聖女と彼の噂を」

 問いかけに、アクセリナの表情が再び消える。感情を読み取れないその顔は、彼女が心を悟らせないためにする表情であった。

「他にも護衛がいるにも関わらず、かの聖女はエドヴァルドを連れ回しているそうだ。それこそ街中では、まるで恋人同士のように振る舞っていることもあるそうだ」

「噂に過ぎません」

「他の護衛からの声もある。時に二人きりで行動することもあるのだと」

「私は!」

 これ以上聞きたくないというように張り上げた声は、アクセリナ自身が思っているよりも震えていた。ぐっと息を詰め、それからゆっくりと深呼吸をし、表情を取り繕い言葉を紡ぐ。

「エドを、信じている」

 まるで言い聞かせるような言葉に、ヴィルフェルムはただ眉を寄せることしか出来なかった。

 アクセリナとエドヴァルド、二人の婚約は数年前に決まったものだった。互いに一目惚れをして、話して見たら意気投合。アクセリナが王になる夢を語り、エドヴァルドはそんな彼女を支える男になりたいと言う。王家からの婚約の申し入れを、エドヴァルドは躊躇なく受け入れた。愛するひとの力になれるなんてと、当時は喜んでいた。

 けれど少しずつエドヴァルドは、アクセリナに対して劣等感を抱くようになった。それが悔しさや憎しみではなく、向上心に結びついたのは良い傾向だっただろう。だがアクセリナが成長すればするほど、エドヴァルドは自分の能力の低さに落ち込み、自分は婚約者に相応しくないのでは、と思うようになっていた。

「アクセリナ。お前もわかっているだろうが、愛だけで国を支えることは出来ない。このままエドヴァルドの心が変わらなければ、僕はお前を国王として認めることは出来ない」

 結婚の時期を引き伸ばした時点で、彼の心にはまだ覚悟がないことがわかっている。アクセリナを支えると決めたのなら、結婚を躊躇うことなどなかったはずだ。

「……言われるまでもない。兄上に心配されずともわかっている。そもそも兄上こそ、婚約者不在のままでは国王と認められぬからな」

 ふん、と、アクセリナが悪態をつく。やれやれとヴィルフェルムが肩を竦めた直後、にわかに外が騒がしくなった。

「なんだ?」

「さぁ……きみ、外を確認してくれるか」

 侍女の一人に声をかけると、侍女はすぐに返事をして扉の方へと向かう。扉を開こうとした瞬間、その扉が勢いよく開かれ、侍女は悲鳴をあげて尻餅をついてしまった。

「来たよ~アクセリナ! 久しぶりー!」

 明るいレッドブラウンの髪に、髪よりも更に濃い色合いの瞳。ディーノ・ウーナステラの姿が、そこにあった。

「お前は……了承を得てから扉を開けろと何度言えばわかる」

「だーって早くアクセリナちゃんに会いたかったんだもん! 元気してた? 二週間ぶり?」

「普通王族は一ヶ月に二度も三度も遊びに来ない」

「今月はまだ二回目だよ! 抑えてる抑えてる!」

 彼らの出会いは、国同士の交流会だった。幼いアクセリナに、同じように幼かったディーノは一目惚れをした。それからずっと婚約の申し入れをしているのであるが、当然ながらアクセリナが受け入れることはなく。もう何年も経つというのに、ディーノはこうして飽きることなくアクセリナを訪ねては他愛ない話をして帰るという行為を繰り返していた。

「ディーノ、何度も言うがな、私にはもう婚約者がいるのだ」

「婚約はしても結婚はしてないからセーフかなって!」

「そんなわけがあるか! 何度来られてもお前の申し入れを受けるつもりはないのだから、いい加減諦めろ」

「絶対ヤダし。何で諦めなきゃなんないの。僕さぁ、こう見えて頑張ってるんだよ? アクセリナちゃんをお嫁にもらうために」

「無駄な努力だな」

 やいのやいの、とても王族同士とは思えない会話が続くこと、しばらく。そういえば、とディーノが従者に顔を向けると、従者は巻かれた羊皮紙をディーノに渡した。

「これ、国境警備についての提案の書状。僕発案ね! 父上に許可もらって持ってきた」

「……ほう? 見ても構わぬか」

「もちろん! あとでしっかり国王陛下にも見せておいてね」

 二人のやりとりを見て、ヴィルフェルムはつくづく思う。王子と公爵子息では立場が大きく異なるが、アクセリナの志を思うとディーノと一緒になったほうが良いのではないか、と。彼はアクセリナに会いに来る体で、こうして書状を直接渡したり、あるいは交渉に来ることもある。フレイ国にとってフレッグ国は、大きな取引先でもあった。表向きはアクセリナへの求婚であるが、かれがこれまで持ってきた書状や交渉条件を思い返すと、随分な功績を上げているように思う。

 アクセリナを支える、或いは共に国を背負って立つというのなら、王女の兄として選びたいのはディーノの方だった。

「ディーノ。アクセリナを嫁に貰うことばかり考えているようだが、自分が婿に来る気はないのか?」

「兄上!」

 咎める声がするが、ヴィルフェルムはまぁまぁ、と妹を宥めた。

「うーん、それも考えたんだけどねー。でも僕にもちょっと考えがあってさぁ。その実現のためにはアクセリナが必要なんだよね~」

「そうか。その考えは一生成就しないだろう」

「そんなこと言うなって! ちょっとの希望くらい抱かせてよー!」

 また先程と同じようにじゃれ始めた二人に、ヴィルフェルムは小さく笑った。王女の兄として選びたいのはディーノであるが、アクセリナの兄として選ぶのなら、それはアクセリナが想う相手の方だろう。かわいい妹には幸せになってほしい。

 そのためにはやはり、エドヴァルドをなんとかしなければ。聖女との噂もそうだが、本気でアクセリナを支える気があるのかどうか、一度問いたださなければならないだろう。国王になるのが自分であれ妹であれ、妹の結婚相手に妥協は出来ない。

 

 ヴィルフェルムは少しばかり過保護だった。

 自分の結婚相手よりも、妹の結婚相手をなんとかしなければ、と思う程度には。




*****




 聖女ヘレーナは、美しい女性だった。

 淡いピンクブロンドの柔らかな巻き毛に、緑色の瞳。聖女としての力は国で一番とも言われていて、その容姿から女神と呼ばれることもあった。

「まぁ……やはり、許可は()りなかったのですね」

 悲しげに瞳を伏せて言うと、彼の護衛騎士であるエドヴァルドは眉を下げて頷いた。

「申し訳ございません」

「残念ですわ、わたくしは他の聖女様の負担を少しでも軽く出来ればと思って提案しましたのに……王女殿下には伝わらなかったのですね」

「あ、いえ、それは……王子殿下も同じ意見であると仰っていて。お二方とも、ヘレーナ様にかかる負担を心配されてのことです」

「わたくしのことは良いのです。他の方よりも強い力があるのですから、多少のことで倒れることはありません。……王女殿下はただ、あなたが長い間自分のもとを離れてしまうのが嫌なだけなのでしょう」

 そうなのだろうか、と、エドヴァルドは黙り込む。だとしたらその気持ちはとても嬉しいがーー自分に、その価値があるとは思えない。エドヴァルドの自己評価は低く、最近ではアクセリナの想いも疑ってしまうくらいになっていた。

「エドヴァルド様は王女殿下のために力をつけたいと思っているのに、それも認めてくださらないなんて……」

 両手を合わせ、辛そうな表情を見せる。エドヴァルドは苦笑して、首を振った。

「アクセリナ様に非はありません。全てオレが至らないだけのことで……あの方の婚約者だと言うのに……」

 ヘレーナははっとして、エドヴァルドとの距離を詰めた。彼の瞳を見つめて、眉を下げた悲しげな表情のまま言う。

「婚約者。そうですわ、エドヴァルド様。きっとそれが、問題なのです。あなたが婚約者であることが」

「――それは、どういう……」

「婚約者という肩書きを持ってしまっているために、あなたは制限されてしまう。……だからいっそ、一度婚約を解消したらどうかと思うの」

「……え?! そ、それは、……でも……」

「アクセリナ様のためですわ。あなたももっと強くなりたいのでしょう? 一度婚約を解消して、そしてアクセリナ様に相応しい力を身に付けたらまたプロポーズしたら良いのです」

 ヘレーナの瞳には悪心など少しもないように見えた。心からエドヴァルドを応援しているのだというように、その手を握りしめて「ね?」と微笑みかける。

 エドヴァルドは目を泳がせ、すぐには返事が出来なかった。

 彼にとってアクセリナは愛するひとで、また誰よりも尊敬する女性であった。聖女ヘレーナのことも尊敬しているが、それ以上にアクセリナのことは素晴らしいひとであると思っている。その感情は崇拝にも近く、またその感情ゆえにエドヴァルドは自信を失っていた。

 自分が彼女の夫で良いのか。

 王女の、いつか国王になるというひとの隣に立っていいのか。

 もっと相応しい相手がいるのではないか、自分では力不足なのではないか……そんなふうに思ってしまう。

 アクセリナは自分を好いてくれているようだが、それは本当に自分と同じ感情なのだろうか。ただの同情である可能性は、本当にないのだろうか。

「あなたが自信を身に付けて……そうね、花束を持って、もう一度結婚を申し込むのはどうでしょう? とてもロマンティックで素敵だと思いません? 王女殿下もきっと喜ばれると思いますわ」

「そ……そうでしょうか。本当に、アクセリナ様が……」

「えぇ、きっと。アクセリナ様も、あなたが婚約者だから仕方なく留め置いているだけで、そうでなければ修行を積むことを否定する理由がありませんもの」

 婚約者だから、仕方なく。

 その言葉が心に突き刺さり、ずきりと痛んだ。

 婚約をしてしまったから。制約を結んでしまったから。だからアクセリナは、自分に気を遣わなければならない。

 それは彼女にとっての負担なのではないだろうか。彼女の足枷になってしまっているのではないか。

 それはエドヴァルドの、望むところではない。

「……二週間後、また報告に上がります。そのときにお話ししてみようと思います」

「えぇ、それがいいわ。それじゃあまた見回りに行きましょう。わたくし、エドヴァルド様がいるととても調子が良いの。見回りの範囲が広がっても、エドヴァルド様にはぜひ一緒にいてもらいたいわ」

 そう言いながらヘレーナは、エドヴァルドの腕に手を絡ませた。

 その姿はまるで、恋人関係か、それ以上の関係に見えた。決して聖女と護衛騎士の距離ではないが――護衛の誰一人、「聖女」のやることに口出しは出来なかった。

 エドヴァルドも同様に。

 自分の力不足に思い悩む彼は、周囲がどんな目で自分達を見ているか気付いていない。

 ヘレーナの瞳が怪しく光っていることにも、気付いていなかった。




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