6 犬公爵様のお城でのこと
レイラは黒塗りの馬車に乗せられ、犬公爵の城へ向かった。
馬車が近づくほど城は大きく見えてくる。
街の中心には小高い丘があり、城はその上に建てられていた。高い塔や長い城壁に囲まれている様はまるで天空の城だ。
これだけ巨大なのは、公爵家にかなりの財があるからだ。
実際、リバーウォークには街道と川の二つの大きな運路があり、関所の税収は潤沢だった。さらにはその便の良さを求め、多くの商家たちが集まっていた。
城の改築や増築も、「どれだけセンスのある芸術家や建築家を領主に紹介できるか」といった商家同士の競争の場となっており、費用も彼らの寄付によってまかなわれていた。
そんなことを露ほども知らないレイラは、瞳を輝かせて窓の外を見つめている。
どこもかしこも見たことがないもので一杯だった。
犬公爵ギルフォードは、その様子を微笑ましく見つめる。
「あの、犬公爵様? 私お邪魔でしたかね?」
申し訳なさそうに、公爵の隣にいたノアがつぶやく。
ギルフォードは首を振った。
「いや、そんなことはないぞノア。今回君にはかなり無理をしてもらったからな、それなりの礼をしなくてはならん。それに、父上にもこのことを報告をせねばならんし。その場には君にもいてもらう必要がある」
「そう、ですか? それでは私の気にしすぎでしたかね。万が一そうじゃなかったとしても……それはそれで面白いのですが」
「やめろノア」
ノアと犬公爵が奇妙なやりとりをしているのに、レイラは首をかしげた。
「ああ、レイラさん。お気になさらないでください。ただの冗談を言っていただけでございますから」
「だから、やめろと言っている」
「おお、恐ろしい。こうして不機嫌を露わにされるのは珍しいことですね。ということは……やはり?」
「ノア」
「ふふ。さすがに冗談が過ぎました。もう老人は口をつぐんでおりましょう」
レイラは未だに首をかしげていたが、それ以上公爵たちが続きを話すことはなかった。
馬車が城の門前にさしかかる。
門番が御者に許可を出すと、レイラたちの乗る馬車はゆっくりと城の中に進んだ。
「わあっ!」
そこは、一面の芝生だった。
アレックスと同じ魔犬であろう、二匹の大きな犬が寝ころんでじゃれつき合っている。
レイラは目を見張った。
「あっちのこげ茶はダン。白い方はスノウという」
「うわあ、どっちも可愛いっ!」
ギルフォードの説明に、レイラは目をきらきらさせて魔犬を見つめる。
想定外だったギルフォードは、ぷっと吹き出した。
「ふ、ふははっ。『可愛い』とは! 君は本当に面白いな! 魔犬を怖がらないというのはもはや才能だ」
「い、いえっ、とんでもございません。わたしはただ……少しだけ見慣れているだけなのです。御犬様が本気を出されれば、わたしなどたちどころにかみ殺されてしまうことでしょう。決してあなどってはならないと心に刻んでおります」
「ふふ。魔犬のこともよく理解してくれているようだ。頼もしい。やはり君を勧誘して正解だったな」
馬車はやがて、ある白亜の館の前までやってきた。
玄関前にはたくさんのメイドとスチュワードたちが並んでいる。
蹄の音が止み、御者が客車のドアを開ける。
レイラは緊張しながら公爵、ノアのあとに続いて出た。
「おかえりなさいませ、ギルフォード様!」
笑顔で領主を出迎える従者たち。
館の玄関扉は開け放たれた状態で、レイラはちらとその奥を見た。
広いエントランスホールに大きなシャンデリア、その先には真っ赤なじゅうたん、さらには両翼に伸びる大階段があった。そして左右に続く長い廊下。
「わ……あっ……!」
贅沢な内装に言葉を失っていると、公爵はノアに別室で待っているように言い、レイラには自分についてくるよう言った。
「は、はい、ただ今!」
元気よく返事をして、足の速い公爵を追いかける。
外で待っていた従者たちはそれぞれの持ち場へ散り、公爵につき従う者は、レイラの他には二人のメイドだけとなった。
ギルフォードは言う。
「レイラ、さっそくだが君には当面、魔犬たちの世話を任せたいと思っている」
「えっ、御犬様たちのお世話をですか?」
「ああ。これからその厩舎に連れていく。厩舎長はパトリックという男なのだが……まずはその者を紹介したい」
「えっ、あの、わたし……」
「詳しい説明は後だ。まずは職場を見学してもらおう」
長い廊下を抜け、いくつかの扉を通過すると、やがて建物の裏口とおぼしき場所にたどり着いた。
外に出ると、また一面の芝生が広がっている。
中央に白い石造りの噴水。さらに周囲を囲むようにして、木造の巨大な「小屋」が九つほど建っていた。
「ここが魔犬たちの厩舎だ。おーい、パトリック、いるか!」
「はい、ギルフォード様」
噴水の裏側から、デッキブラシを持った白ひげの男が出てくる。年老いていたがギルフォードと同じくらいの身長で、がっしりとした体格をしていた。
「おや、そちらのお嬢さんは?」
「仕事中済まない、パトリック。紹介しよう。新しい従者のレイラだ。ここで働いてもらおうと思って連れて来た」
促され、レイラも軽くお辞儀をする。
「あ、あの、レイラ・マスティフと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「マスティフ……か。ふふっ。古い犬種の名じゃな。わしはパトリック・ウッドじゃ。よろしくの」
皮の手袋を取り、パトリックが握手を求めてくる。
レイラは快くそれに応じた。
ギルフォードは背後にいたメイドたちも紹介する。
「そうだ、こちらの二人も紹介しておこう。主な仕事場は館内なのだが、この二人も魔犬の世話をしている。ミミとジャスミンだ」
「ミミ・シェットランドです!」
「ジャスミン・ボーダーよ」
レイラはショートヘアのミミ、黒髪のジャスミンとも握手をした。
「わたしたちは館内の仕事の他に、御犬様のお食事や、わらの搬入なんかをしてるんです!」
「それから魔石の回収ね」
「魔石?」
聞き慣れないモノを耳にしたレイラに、パトリックが補足の説明をする。
「御犬様たちはな、普通の犬と違ってフンが魔石になるんじゃよ」
「ええっ!? フンが魔石に?」
「ああ、魔石の種類は魔犬たちの性質によって効果が変わってくるんじゃがな、それらは魔術師や錬金術師らに重宝されるんじゃ。そして高く買われて公爵家の収入になるんじゃよ」
「へえ、すごいですね!」
レイラは驚いた。
たしかにここの裏庭は獣臭くない。
普通、家畜がいる場所は排泄物の独特な匂いがするものだが、魔石がフンであれば納得がいった。
実際にそれを見てみたいと思ったが、まずはここでレイラが働けるかどうかだ。
「そういうわけで、どうだレイラ? メイドの仕事を希望していたというのなら、配属先を改めて考えてもいい。だが、私は君の能力を一番発揮できるのはここだと思った。できたらここで働いてもらいたいのだが……」
ギルフォードにそう言われ、レイラは覚悟を決めることにした。
「はい、わかりました。わたしに務まるかは分かりませんが、御犬様たちのお世話係、精一杯やらせていただきます!」
「そうか、それは良かった。では頼むぞ。皆もレイラにいろいろと教えてやってくれ」
「はっ、かしこまりました」
「かしこまりました!」
「おおせのままに……」
そうしてレイラの、厩務員としての日々が始まったのだった。