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「陛下、お耳に入れたいことが」
夕刻、宰相の元に王太子周辺の護衛を任命していた一人から、気になる情報があったと連絡が来た。
「ポーレンド男爵の娘シャトーレが、殿下に寵愛を受け始めている……と」
王は眉を顰めて首を傾げた。
「ポーレンドに娘など居たか?」
頭の中に叩き入れた貴族年鑑を紐解く。末端とは言え、爵位持ちの第二親等までは覚えていたはずだが。
そのようなことを考えていた王に、そのとおりですと宰相は頷く。
「実は半年程前に、見た目の美しい娘を平民から養女に迎え入れたそうです。庶子とのことですが、本当に血の繋がりがあるかどうかまでは、確認できておりません。どうやら母親は領地で雇われていた侍女だったとのことですが」
どこまで本当のことかは判りませんな、と言う言葉で締めた。
「成程。貴族年鑑の新版は半年近く先か。それならばまだ載っていなかろう……さて、その娘は新版に載ることができるかな?」
***
「堅苦しい挨拶はそこまでで、忌憚ない意見が聞きたい。座りなさい」
丁寧な挨拶の元、頭を下げたままだった王弟の娘レティーシアに、そう声を掛けると、向かいのソファーに座らせた。
自分の手元には王太子周辺の状況を調べた書類、背後には侍従と宰相が立ち並んでいる。
例の報告から数日経過していた。
まずは仔細を確認するべきだろうと多方面に調査依頼を掛けて状況を把握した。
その中に気になる点があったので、詳細を知っているはずの王弟姫レティーシアを呼び寄せた。
「ギルバートの様子はどうかな?」
そうレティーシアに声を掛けると、軽く目を見開いたあと、片手を口元に当ててクスクスと可愛らしく微笑った。
「本当に遠慮なくお伝えした方が宜しいのですね」
レティーシアは、微笑みを絶やさず紅茶を一口飲むと、はっきりと言った。
「色ボケなさっておられます」
背後からひっそりと、それでいてはっきりとした溜息が二つ程聞こえてきた。
「色ボケ……か」
「とても迷惑しております……と言うこともお伝えして宜しいでしょうか。確かに私、婚約者候補として最有力などと言われておりますけれど……、どちらかと言えば殿下の従姉妹として慕っております。年が一番近い親族として、学園生活のサポートをさせていただいているのは事実ではございますが、“嫉妬をして嫌がらせをしている”などと騒ぎ立てられるようなことは一切しておりません。殿下もそれはご存知だったはずですのに……、何故か彼女に同調なさっていて困っております」
私はそれを聞いて、ふうむと頷いた。
実のところ、王宮から離れ護衛からの距離が出来てしまう学園生活の中で、一番問題視されるのが異性の存在だ。
暗殺や暴徒などは、学園中に敷かれた警備システムで最小限に抑える事ができるが、若く初心な若者たちにとって、異性の存在は大きな誘惑になるだろう。
貴族の子息令嬢しか通わぬ学園であるから、その籠の中で愛する人を見つけようとすることに異議はない、本来ならば。
だが、王族ともなると、相手の素性は他の貴族たちよりも気をつけねばならぬことだし、何より相手にかかる負担も大きい。単純に“愛したから”ではすまないと常々伝えていたはずなのだが。
だからこそ、王弟姫であるレティーシアを王太子の傍に寄せ、良き伴侶に巡り合うまでは、お互いの露払いになるようにと仕向けていたはずだった。
「一部の方には悪女呼ばわりされておりますし、今まで殿下のお陰で近寄ってこなかった男性達にも言い寄られて、辟易しております」
右手を頬に当て、小さく溜息をつくレティーシアは、本当に困っているようだった。
「それは本当に迷惑をかけているな」
「護衛代わりの友人たちが居てくださいますので、事なきを得ておりますが……色ボケ……こほん、今の従兄弟殿とは会話になりませんので、最近は近寄らないようにしておりますの。私の友人たちにすら“取り巻きが嫌がらせをしてくる”とあらぬ非難を被せて参りますので」
「それはまずいことを……」
その言葉に眉を顰めた。
王太子の傍には、同世代の貴族子息を側近兼護衛代わりに数人つけている。
同様にレティーシアにも、数名の令嬢を側近兼護衛代わりに寄せていた。
「僭越ながら、発言をお許しいただけますでしょうか?」
背後に立っていた宰相から声が掛けられる。
「なんだ?」
「護衛兼友人として、レティーシア姫の傍に寄らせていただいております我が娘にも確認したところ、先日某子爵家の息子がレティーシア様に妙な声掛けをしてきたとのことで、ひねり上げたと申しておりました。逆に我が息子は、その……ポーレンドの娘がいかに素晴らしいかを訴えて参りましたので、実は本日部屋にて謹慎を言い渡しております。帰宅後詳細を洗いざらい……こほん、報告させる予定でございます」
そう報告した宰相の声音は穏やかに聞こえたが、振り返って様子を見ると死んだ魚の目をしていた。
「なんだ、ギルバートだけでなく、側近達もか」
レティーシアは扇を開いて口元を隠しながら頷く。
「宰相閣下もお心痛めていらっしゃるかと存じますが、私の友人にご子息の婚約者であるファレン侯爵令嬢ミレニア嬢がいらっしゃいます。彼女がご子息の行状を諌めようとされたのですが、逆に身分を笠に着て男爵令嬢を虐める悪女だと罵られまして……」
その言葉を聞いた途端、それまでなんとか表情を取り繕おうとしていた宰相は、青ざめて冷や汗をかきはじめる。
「レティーシア様には愚息がご迷惑をお掛け致しました。陛下、大変申し訳ございませんが、ファレン侯爵に至急連絡を取りたく……本日は、これにて退出させていただきたいと存じます」
低頭平身の様子を見せた宰相は、苦しそうに退出を願った。
「良い、許そう。それとファレン侯爵との話し合いの結果も、後日報告を」
その言葉を聞くやいなや、礼儀だけは丁寧に、しかし足早に宰相は部屋から退出していった。
「件の男爵令嬢は、何故王太子と仲良くなったか知っているかな?本来であれば会話をする機会も殆どないだろう」
学園内では、そもそも男女でクラスが分けられる。
その上で、本人の技量と家柄を考慮されて六クラスに分けられる。
例えどれ程学力があったとしても、ポーレンドの娘は王太子のクラスメイトにはなれないし、レティーシアとすら同じクラスになることはない。
実際に、編入時の学力や礼儀作法は判定が低く、男爵令嬢ということもあり、二人とは対極のクラスに配属されている。
食堂と中庭は共有になるが、警護や食事内容も注意が必要な王族だけは食堂は使わず基本別室になる。
そうすると、中庭で遭遇……するにしても、そう簡単にポーレンド男爵令嬢と挨拶や会話をする機会は、中々ないと思うのだが。
「どうやらお忍び先で出会ったそうなのです。視察と称して王都内を平民の服装で出かけた際に、“偶然”悪漢に絡まれているポーレンド男爵令嬢を助けたそうで。どうやらその際に一目惚れをなさったようですね」
「なんと、学園内ではなかったか」
「それが三月程前。そしてその一ヶ月後の二月前に彼女は編入してきたのですが、その再会は“運命的だ”と、恋心が燃え上がったご様子です」
「既に二ヶ月が経過しているのか。いや、状況から言うと二ヶ月でも中々のスピードではあるが」
思わず、威厳を増やすために蓄えた顎髭を撫でて唸る。
「当初の一ヶ月は隠れるように逢瀬を重ねていたご様子です。殿下としては彼女を守るためにも、色々と裏で手を回してから公表するおつもりだったようですが、そもそも男爵令嬢に貴族としての礼儀作法や規則認識が乏しく、少々積極的な行動をなさった結果、少しずつ噂になり始め、そのうち彼女が私に虐められたと騒ぎまして、公のものとなりました」
無の表情を浮かべながら、そう続けた。
「何をどうやって裏で手を回すつもりだったのだ」
例えどんなに愛していようと、どこの誰ともわからぬような娘を、そう簡単に王族へと迎え入れるわけにはいかない。貴族であったとしても男爵家の娘であれば側妃が限界、ポーレンドの娘のように平民上がりとなれば教養が足りず、側妃になることすら怪しい。
教養と学力を身につけさせてから、と思ったのだろうか?
更にどこかの子爵や伯爵家にでも養女に迎えて入れてもらおうと思っていたのだろうか。
と、想像したところ、レティーシアが瞳を死んだ魚のように目までを曇らせる。
「そのうちのひとつは、私の傍に寄せて『彼女は王太子妃にふさわしい』と言わせて箔をつけ、なんでしたら我が家の養女に仕立て上げて、守ろうと思ったご様子ですね」
私も思わず無の表情になる。
我が息子がそこまで馬鹿だったとは。
「……それがどうして、『彼女を虐めた』に繋がったのだ?」
「私がどちらもお断りしたからかと思います。私はそもそも『王太子妃にふさわしい』かどうかを判断する権利がございません。せいぜい礼儀作法や学力の伴う、国の益を考えることが出来ているご令嬢を、陛下や王妃殿下並びに王太子殿下にご紹介することのみでございます。『我が家の養女に』などと言うのは以ての外。現在の彼女の礼儀作法では、王妃殿下のお茶会に推薦することも、王弟殿下の前まで連れて行くこともできませんので、まずは礼儀作法を身につけてから、とお伝えしたのですが」
「それは何も間違ってはおらんな」
レティーシアの言うことは正しい。身元の怪しい者を、そう簡単に王族と会う約束を取り付けられても困るのだ。
「彼女曰く『私に王太子妃の立場を盗られるのが嫌で推薦してくれないのですね!』だそうです」
男爵令嬢の声真似だろうか。ちょっと上擦ったようなワンオクターブ高い声でそう告げる。
無を体現した表情と妙に明るい声のギャップに、レティーシアの心境が伺えた気がした。
「……その、ギルバートの対応はどうだったのだ?」
「ご存知の通り、そもそも私が彼女を虐める理由がございません。私と王太子殿下はお互い露払いをする関係。表立ってどう言われようとも婚約者でもありませんし、恋人同士でもございません。ですのに、『私が最近、レティの傍に居ないのが不満だったのだろう?だから反対するんだな?』だそうです」
今度はギルバートの真似だろうか。低めの声で答える。その抑揚の付け方はギルバートそっくりで、思わず吹き出しそうになり、顔に力を入れることで堪えた。
後ろの侍従からも、動揺した気配を感じる。
「後日、お茶会を開いていた私のところに、とってもずぶ濡れになったポーレンド男爵令嬢とそれを抱きかかえた王太子殿下が飛び込んでまいりましたので、何用かお伺い致しましたら、私がまた虐めたと仰いまして」
「今度はどんな話だね?」
レティーシアは、それまで以上に無の表情を作り、
「『レティーシア様は、『貴女など、ギルバートに似合いません!身を引きなさい!』……って、裏庭の噴水に私を突き落としたんです!私がギルバートに愛されているからと、嫉妬して虐めたんです!』」
相変わらずの、声真似の上手さである。
そろそろ笑いを堪えるのが難しい。
「因みに殿下は、“丁度”ずぶ濡れになった男爵令嬢と遭遇して、私が彼女を突き落としたと聞いたそうですわ。殿下は学園内で私がお茶会を開いていることをご存知でしたので、すぐにその場にやってきたようで辟易致しました。それが一ヶ月程前でございます」
「……それが一ヶ月前のことなのか」
「因みに私は、王太子殿下のことを“ギルバート”などと呼ぶことはございません。対外的には“ギルバート殿下”又は“王太子殿下”とお呼びしていますとお伝えしましたら、『親しくなりたい願望で、密かにそう呼んでいらっしゃるんでしょう!』などと言われまして。ですから私、『そもそも幼少期より親しいので、親族内だけの時には“ギル”と呼んでおりますが?』と言ったら沈黙していらっしゃいましたわね」
「まあ、それはそうだな」
お互い生まれた時期も近く、兄妹のように育っている。対外的には取り繕うよう教えられているが、身内だけでいる場合は、お互い“ギル”と“レティ”と呼び合っている。
「そもそも、私は一時間以上前からお茶会の準備その他で、サロンより動いておりませんでしたし、目撃者も多数いますとお伝えしたら、『取り巻きの人にさせたんでしょう!?』と、謎の発言をいただきまして。はっきり“私が突き落とした”と言っていたのに、おかしくないかと指摘致しましたら『逆光で顔が見えなかったの!』……と」
「……なんとも言えぬな……」
馬鹿馬鹿しくて。
「その茶番、ギルバートはどうしていたのかね?」
「『シャティは平民からいきなり貴族になり、学園に来る羽目になって毎日緊張しているんだ。その上で悪意を向けられたのだから、記憶が混乱しても仕方がない。レティは、本当にやっていないんだな?』」
「……本当に声真似が上手いな」
我が息子の発言に、どう反応したら良いのかわからず、思わずレティーシアの声真似を褒める。
「お褒めいただきましてありがとうございます」
軽く頭を下げながら謝辞を言うレティーシアの表情筋は、そうは言っても全く動かず、相変わらず無の表情だった。
「因みに私は、『ここは対外的な場所ですから、“レティーシア嬢”か“レティーシア姫”とお呼びくださいませ』とお伝えしましたら、王太子殿下も沈黙なさいました」
レティーシアの言葉に、私はがっくり肩を落とした。
「我が息子はもうちょっと賢かったと思ったのだが」
「色ボ……恋は盲目と申しますでしょう?恋人を肯定するための努力を一生懸命なさっているのだと思いますわ。将来国を背負う立場としては如何なものかと思いますけれども」
結局レティーシアの仕業だと確定材料も無く、その癖レティーシアが犯人だと断定したことが問題になり、ポーレンド男爵令嬢がレティーシアに謝る羽目になったことを受け、その時は大人しく引き下がってくれたので、裏で調べながらも様子を見ることにしたのだという。
が、その日の出来事がいつの間にか漏れ、しかもポーレンド男爵令嬢が悲劇のヒロインのように伝わっていたため、いつの間にかレティーシアが悪女扱いされるようになってきているらしい。
「恐らく直接的に動いてもしっかりした証拠がなければ、高位の者に楯突いた自分が謝る羽目になると思ったらしくて、今度は噂話で遠回しに私の評価を下げようとなさっているようですわね」
「レティーシアは噂を消して回らんのかね?」
「意味がございませんでしょう?良識ある貴族の方々は正解をご存知ですし、惑わされているのは王太子殿下とその側近、それとあまり王族に近くは無い貴族家の子息令嬢方々です。王族と近くないだけに、物語にあるようなラブロマンスを目の当たりにして、喜ばれているようですわね。恐らく真相をご存知の方々には鼻で笑われているでしょうが」
「確かにな」
手元にある調査資料に目をやりながら頷く。
「私が王太子殿下と恋仲などではないことも、露払いの意味で傍にいることも、皆様とってもよくご存知。ですからこそ、私のお茶会に参加して、王族への心象を上げようと皆様苦心なさっているのに」
学園内で定期的に開催されているレティーシアのお茶会は、王宮で開催される王妃のお茶会に同等すると言われている。それがなぜかと言えば、レティーシアのお茶会に参加することで王妃のお茶会に繋げて貰える可能性があり、王妃のお茶会に参加できれば、王太子の花嫁候補になり得るからだ。
「良識ある貴族たちは王室が提示したルールに則って動いていたのに対し、そうとは知らず、男爵令嬢は直接ギルバートのところへ向かったわけだ。周囲の反感も凄いことになっているだろうに」
レティーシアは、開いた扇子を緩やかに扇いだ。
「それがまた、恋愛のスパイスになっているようですわ。襲いくる試練に立ち向かう本来ならば許される間柄ではない悲劇のヒロインとヒーロー。それだけ切り取りますととても美しいロマンス小説でございますものね」
実際、外側から見ればこれ程滑稽なものはないのに、死んだ魚の目を継続しながら。
「私のお茶会に関して言えば、本来の意味合いを王太子殿下もご存知のはずです。妃殿下が私にお願いしたことを真横で聞いていたはずですもの。女性に囲まれやすい王太子殿下を悩ませないためにも、私が社交の一環として、露払いのためにもお茶会を催し、これはと思うご令嬢を妃殿下と殿下にお伝えする。お二人の興味を引いたご令嬢を妃殿下のお茶会にお招きし、その後殿下とのお茶会を催す。他にも多く公務を抱えていらっしゃるお二人の手を、少しでも煩わせないようにと配慮したカタチですのに」
私が、王太子殿下に煩わせられております、と変わらずの無の表情で答えた。
「……アレは何を考えているのだ?」
「私が恋情の“れ”の字もないのはご存知のはずです。だって花嫁斡旋業の一端を担っておりますもの。王妃殿下と王太子殿下のお眼鏡にかなってはおりませんけれども、既に何人か候補を挙げておりますし」
「そのとおりだな」
「恋人の言い分を聞いてあげているご自分に悦に入られていらっしゃるか……、聞いてあげることで、恋人内でのご自分の地位の確立を考えていらっしゃるのか……。巻き込まれる身にもなっていただきたいと思っておりましたところですの」
レティーシアは溜息をついた。
「それにしても王太子の立場にある者が困ったものだな。今は学園内だけだが、民衆に知れ渡ればどうなることか。早い内に王太子の挿げ替えを考えるべきか、それともご令嬢に退場していただくべきかな」
そう言うと、レティーシアは少し考えたあと、こう言った。
「……恐らくですが、陛下がお手を煩わせなくても、ご令嬢の退場が先に起こりそうですわ」
「……ほう?」
「殿下の立ち回りを私以上に気をつけていらっしゃるのが王妃殿下でいらっしゃいます。先程の件も翌日にはご存知で、個人的なお茶会にお招きいただきました」
「……私は聞いておらんが」
小さい芽とは言え、場合によっては国を揺るがす可能性のある話、王妃からの相談も報告もないなどとは、どういうつもりだろうか。そう思い不機嫌な表情を浮かべると、
「陛下がご存知になれば、殿下の廃嫡も視野に入れられるでしょうから、母親として王妃殿下はできるだけ穏便に対処したかったのだと思いますわ。いつかはお耳に入ると予想はしていても、問題ない結果が出ていれば殿下も安泰だろうと」
レティーシアは、フォローするようにそう言った。
「気持ちはわかるが、それも王太子としての試練だろう。母親が手出しするべきではないと思うが」
「そこまで参りますと、陛下と王妃殿下ご夫婦の問題では」
「……それは、まあ、そのとおりだな」
姪御に白い目を向けられて、私はコホン、と咳払いをした。
「つまり王妃が何らか動くつもりだと?」
レティーシアは首をゆるく横に振った。
「いえ、先日急遽“花のお茶会”なるものをお開きになられて、『花にうっとうしい羽虫がまとわりついているようだ』と、一言発言なさっただけですけれども」
参加した彼らは、羽虫がなんのことは十分わかっていることだろう。
「丁度そのお茶会には、“偶然”ポーレンド男爵が懇意にしていらっしゃる侯爵家と伯爵家がご参加なさっておられました。お茶会の後にポーレンド男爵の事業から、手を引かれることにお決めになったそうですわ。お付き合いを続けても“将来的な実りが感じられない”と。ですので、近い内にポーレンド男爵令嬢は、残念なことに学園を通うことが難しくなりますでしょう。王太子が侯爵家や伯爵家の代わりに資金をお出しになるのであれば別ですけれど……」
そう言って、レティーシアは首を傾げて可愛らしく私の顔を見つめた。
「……王太子の活動費は税金から出ておる。そのような、一部の貴族を個人的な感情から優位に立たせることに使わぬよう、取り計らっておこう」
「それは良うございました」
レティーシアは、それまでピクリとも動かさなかった無の表情から一転、まるで天使の様な微笑みを浮かべた。
「はっきり言ってしまえば、彼女が言うような虐めなるものは、行ってもそれ程旨味がないのですよね。相手と状況によっては効果的なのだろうとは思いますけれど。そうですねぇ……もしも本当に私が彼女を蹴落とす必要があるのならば、例えば人海戦術で、今ある噂を彼女の悪い噂で上書きしていくですとか」
「……ふむ」
レティーシアの方が、齟齬の無い噂を速やかに流すことができような。
「他にもいる彼女を慕う男性の相談に乗って、二人きりで居られる場を作って差し上げるですとか」
そして、それを他の者が“うっかり”発見してしまうのだろうな。
「ポーレンド男爵がお喜びになりそうな、急いでお嫁をご希望されている、お金と爵位をお持ちの婚姻先をご紹介いたしますとか」
あの家とかあの家だろうか。ほぼほぼ女好きの後妻探しではあるが。
「そちらの方が、退場していただきやすいですし、殆ど自分が動かなくても宜しいですし、スムーズに進みますでしょう?いちいち噴水に突き落としたり、教科書を破いたり、足を引っ掛けて転ばせるなど……、物理的に汚れますし、手足が痛くなりますし、その癖効果が今一つで時間の無駄ですもの」
「……それは確かにな」
どれもこれも中々に酷い手段だとは思うが、効果的ではあろう。レティーシアの立場であるなら、なんの証拠も残さず出来るはずだ。多少の疑惑は残ったとしても追求できる立場の者が殆ど居ない。
「まあ、そんなことをしてまで手に入れたいとすれば、“愛”のためとは言い難いでしょうけども。本当に“愛”とやらのためでしたら、遺恨の残るような方法を取るのは悪手ですし、その後自分が愛される可能性を下げるだけです。下手な画策などせず、いっそ引き際は見事にした方が宜しい気が致しますわ、私の持論ですけれども」
「そのとおりかもしれんな。私や王妃が行う画策も、“愛”ではなく“体面”という名の“国策“である部分が多いからな」
そういう姿が、王太子をこんな行動に走らせたのかもしれないと自嘲気味に呟くと、
「お二人が王太子殿下を大事にしていらっしゃることは、私は存じておりますわ。国を動かすとなれば、必要に応じてそれらを切り離して考えなくてはいけないことも。“愛”だけでは動かしてはならない物事は沢山ございます。それでもなるべく“愛情”を無くさぬように行動してくださっていることは、私も王弟殿下も存じ上げております。それが王太子殿下にも伝わると宜しいのですが」
レティーシアは、慰めるように微笑んだ。
「いっそ、レティーシアが王太子妃にならんかね。それが一番丸く収まりそうなのだが」
その言葉を聞いた途端、レティーシアは思いっきり顔を顰めた。
「王太子殿下の泣きべそもおねしょも存じ上げております、勘弁していただきたいですわ。それよりも、隣国の王太子から縁談が来ておりましたよね?そちらを進めてくださいませ」
そう言うと、レティーシアは最上級の挨拶をして、部屋を去っていった。
私はレティーシアを見送ると、王太子の画策は上手く行かなかったようだと溜息をひとつついて、侍従を振り返った。
「王妃のところに向かう。先触れを出してくれ」
***
この数日後、実家の事業が急速に傾いたポーレンド男爵令嬢は、退学を余儀なくされある商家の後添いに迎えられたという。
また、少々騒ぎを起こした王太子やその側近たちは謹慎を言い渡されたものの、大事にもならず反省の色があったとして復学した。
半年後に刷新された貴族年鑑には、ポーレンド男爵令嬢の名前が載ることは、無かった。
お読みいただきましてありがとうございます。
後書きまで辿り着いていただきまして、とても嬉しいです。
普段は好んで婚約破棄やら断罪イベントやら悪役令嬢の小説を読ませていただいています。
読んでいる内に、婚約破棄や断罪イベントなどが起こる前に国王の耳に入ったら、国王ってどう動くのかな、と想像していたら、こんな話ができました。
違うバージョンも色々考えられそうですね。
次は婚約者に恋愛感情を持っているご令嬢で想像してみたいです。
短いお話ですが、皆様のお暇つぶしになりましたら幸いです。
またご縁がありましたら。
追記:
評価とブックマークしてくださいました皆様、ありがとうございます。
この追記を、該当の方がお読みくださることがあるか謎なんですが、嬉しかったのでm(_ _)m。