4 どうやって交換すればいいの?
桐島先輩から交換日記を渡された2日後の朝。
私は自宅近くの駅のホームに立っていた。
鞄の中にあるのは『交換日記』と名前を変えた大学ノート。でもそんなタイトルを堂々と書けるわけもなく、ノートは今朝ものっぺらぼうのままだった。
私はお守りに触れるつもりで、その表紙をそうっと撫でる。これを先輩に渡すのだ。
そもそも先輩は一方的に私のことを知っていたけれど、私は彼のことを何も知らなかった。どのタイミングで乗り合わせ、どれくらいの区間を一緒に乗っていたのか。日記を交換するために必要なことは何も。
『1番ホームに電車が参ります。白線の後ろまでお下がりください』
鼻にかかった放送が響き渡ると、まもなく電車が滑り込んできた。
とりあえず私は電車に乗り込むときに、辺りをサッと見回してみる。まだ先輩は乗っていなかったので、がっかりしたような、安心したような、複雑な気持ちで胸を押さえた。
プルルルルル……
『発車します。ご注意ください』
車窓にピッタリとくっついている青い座席には、まだまだ座れる余裕があった。発車のベルが鳴り終わる前に、私はいつも座っている扉近くの席に腰をおろす。
ガタンゴトン
まだかな? 先輩はいつ乗ってくるんだろう。スマホを見ているサラリーマンや学生。流れていく景色に、時折鳴る踏切の音がやかましかった。
ガタンゴトン……
しかし幾つ駅を通りすぎても、先輩は乗ってこない。
(どうしよう……。もしかしてお休み? それとも私と交換日記をする気が無くなったとか……?)
私の心が不安に浸食されていく。
ガタンゴトン……ガタンゴトン……
ついに私の降りる1つ前の『東港』駅に着いてしまった。ここで先輩が乗ってきてくれなければ、交換日記は渡せない。膨らんでいたドキドキが、急速に萎んでいくのを自覚した。
と、そのとき。
私のすぐ横の扉が開く。乗り込んできた待望の人の姿に、鞄をぎゅっと抱きしめた。
(あ、桐島先輩!)
どうしよう。一駅分。一駅分の間に渡さなければいけない。
(早く渡さないと……。ああ、でもどうやって?)
私は脳内で一昨日から繰り返しているシミュレーションを、もう一度再生する。先輩は斜向かいの扉の横の席に男らしく腰かけた。
(まず挨拶して、それからさりげなく渡す。はぁ……緊張する。先輩からこっちに来てくれないかな?)
でも先輩は不自然なくらい、こっちを見ようとしなかった。私は困ってしまった。
『次は緑町、緑町……』
このままでは私の下りる駅にまもなく到着してしまう。他力本願な自分を叱咤して、私はようやく心を決めた。
私は下りる瞬間、先輩の横を通る。そのときに渡そう。
「……あの、これ……」
「!」
蚊のなくような声しか出なかったし、私の顔はきっと熟れたトマトのように真っ赤だったと思う。
でもお互いの目があったその瞬間。切り取られたその一瞬が、永遠に私の胸に焼き付いた。
☆花と先輩がのっている電車☆
東港線(地方都市を走る在来線。雨や風、人身事故ですぐ止まる)
駅の並びとしては、
花の家→先輩の家(東港町)→花の高校(緑町)→先輩の高校
です。




