32 魔王は涙に弱かった
飯尾くんのターンです。
私は咄嗟に手の甲で涙を拭う。でも無意識下での涙は制御不能で、堰を切ったかのように止まらなかった。
「お、おい。ちょっと待ってろ、タオルタオルタオル……! どこだどこだ……あったぁー!!」
魔王飯尾くんは昔懐かしの信玄袋からハンドタオルを取り出すと、それを私に握らせた。
「ありがとう……。でも大丈夫。目にゴミが入ったのかも? それに足が痛くて泣けてきちゃったみたい……」
「わ、わ、わ。泣くな、泣くな! ……そうだ! あっちに休めるところがある! さぁ、行くぞ! な? な?」
止まらない涙はそのままに、何とか笑顔を作る私と、驚くほど狼狽える飯尾くん。
いつもマイペースでマイワールド全開。私のことなんかお構い無しにいじり倒してくる彼が、見たこともないくらい動揺しているのが可笑しかった。
「お! ちょうどいいものが売ってるぞ」
休憩できる場所まで案内される道すがら。飯尾くんはある屋台に吸い込まれていく。
そこには子ども向けのアニメのキャラクターのお面が並んでいて、彼は600円で某アニメのお面を買うと、したり顔でそれを私に突き出した。
その突拍子のない行動に、私の脳内を疑問符が駆け抜けて、涙が行き場を失くしてきょとんとする。
「くれるの?」
「これを使えば、泣き顔が見られない」
「そ、それは……。ありがたいけど、かえって目立っちゃうような……。それにおかげさまでもう涙は止まったよ」
「受け取らないのか? お前って、見かけによらず本当に強情だよな」
飯尾くんは嘆息まじりに呟くと、お面を腕にぶら下げて、また歩き出した。
「ほら、行くぞ。あっちに休めるところがあるから、もう少し頑張れ」
やがて参道の脇にある大きな石に案内されて、私はそこに腰かけた。
「飯尾くんはこの場所に詳しいんだね」
「ああ、小さい頃から来ているからな」
そういえば『炭火焼き肉いいお』はこの街にあったっけ。先輩と飯尾くんが同じ町の出身だということは、顔見知りだったりするのだろうか。
(先輩……追いかけてこなかったな。当たり前か……)
また先輩のことを思い出してしんみりとしてしまう私。
「咲谷」
思考の底無し沼に沈みこむ前に、飯尾くんに救出された。
「何か食べよう。僕が適当に買ってきてやるから、そこで間抜け面を晒して待っているといい」
「私も一緒に行くよ」
「バカか。お前の足が痛いから、休んでるんだろうが」
優しいのか罵倒されているのかよくわからない言葉を残し、飯尾くんは人混みに消えていった。
その間に私は巾着袋から絆創膏を取り出して、皮が剥けてしまったところに貼る。今や祭りの賑やかさが、少し遠くに感じられた。
それからしばらくすると、飯尾くんがわたあめを両手に持って戻ってきた。
「ほら」
私にそのうちの1本を差し出すと、彼は同じ石の反対側に座る。
「ありがとう」
「感謝しろよ」
私は夏の入道雲のようなわたあめを口にした。
甘い。
甘くて……美味しい。
わたあめは顔よりも大きくてふわふわで、なかなか食べ方が難しい。でもその甘さが、私の心を優しく慰めてくれた。
「おい、わたあめが髪についてるぞ」
「本当?」
私は右耳横の後れ毛を、引っ張って確認する。
「違う、そこじゃない」
「ここ?」
今度は左側。
「違う」
飯尾くんが痺れを切らした。
「ちっ、動くんじゃないぞ」
至近距離で飯尾くんと視線が絡む。
藍の袂がふぁさりと揺れて、彼の手が私の頬に伸ばされた。
次回、先輩視点で謎が解けます。




