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夫婦の時間

 頭痛が治まると、リビングから続く和室に向かった。襖はあるが、来客がない限り、常に開けたままだ。


 畳敷の奥に、仏壇がある。妻が、病床からこの小さな住まいに移って、もう13年が経つ。艶やかな漆塗りや職人技の透かし彫りが施された高級な造りは、さしたる我儘も贅沢も望まなかった彼女への、せめてもの贈り物だ。


 蝋燭に点した火を線香に移し、指先で消す。白灰色の糸のような煙が一筋立ち上る。お鈴を鳴らすと、いつもの澄んだ音が響いた。


真優美まゆみ……」


 合掌の後、妻の位牌と遺影に話し掛ける。これは日課であり、習慣だ。


「優雅が、結婚したいって言うんだよ。しかも相手は――大倉だ」


 迷った時、困った時、悲しい時、嬉しい時――いつでも、俺は妻に語り、相談し、報告した。

 子ども達が寝静まった深夜や、まだ起きていない早朝に。嬉しい時には祝杯を傾け、辛い時には涙した。恥ずかしいと思ったことはない。これは、俺だけの、俺だけに許された夫婦の時間だからだ。


「何でだよ、なぁ? よりによって、俺の親友だぞ?」


 中1で同級生になり、『大倉小倉』とお笑いコンビのように周囲からワンセットにされたこともあって、俺達はすぐに親しくなった。

 2年以降は、学期毎に学級長の座を競い合ったし、3年では、共に学祭実行委員に就き、青春を昇華させた。

 人生の早い時期に得た唯一無二の親友は、同時にライバルでもあった。


「アイツ……まさか、お前の面影を優雅に重ねてるんじゃねぇよなあ」


 俺達は同じ高校に進学した。そして、そこで運命の女性――中邑なかむら真優美と出会ったのである。


「どんなに溺愛しても、実の父娘おやこじゃ結婚できねぇからなあ……」


 俺達が、色白で小柄な真優美に心奪われたのは、必然だった。彼女は病気で休みがち――なのに、成績は抜群に良い。真面目に授業を受けている俺達が、考査では常に彼女の後塵を拝した。それは青臭い闘志に火を点けるのに、十分だった。

 負けたくない――その過剰な意識は、いつしか尊敬になり、親和欲求を軽く越え、猛烈な恋心に化けていた。


「優太朗まで懐柔されちまってな……生意気に、俺を説得するんだぜ……はは、参るよ」


 『能ある鷹は爪を隠す』というが、彼女がその聡明さをひけらかすようなことは一度もなかった。そんな奥ゆかしいところも、恋愛に疎く、頭でっかちな俺達を夢中にさせた。

 ガリ勉一辺倒の俺と違い、文武両道の大倉は、当時からモテた。それでも、数多のアタックを袖にして、アイツも真優美を一途に想い続けていた……。


 高3の夏、俺達は一大決心をした。真優美に外泊許可が降りる、7月最後の金曜日。その夜は、地元の夏祭りだ。例年通り、祭りの締めには花火大会が催される。俺達は、正々堂々告白し、勝者は夏祭りデートに繰り出すつもりでいた。


『……ごめんなさい。2人とも素敵なんだけど、友達以上に見たことはないの』


 あの夏――共に玉砕した男2人、夏祭りに駆け込むと射的を撃ちまくった。彼女に買うつもりだったリンゴ飴もヨーヨーもガラス細工の指輪も――全部直径13mmのコルク弾と消えた。

 安っぽいぬいぐるみと駄菓子が入ったビニール袋をぶら下げ、河川敷でラムネを飲んだ。夜空に大輪の花火が広がるのを眺めながら、呆気なく散った真剣な恋に、少しだけ涙した。


 大学進学後、俺は懲りずに真優美にアタックした。そして彼女が20歳になった翌日、三顧の礼を実らせた。


「お前がいたら……もう少し早く、優雅の相手が、分かってたかなぁ……」


 娘のことを見過ごしていたつもりはない。ちゃんと気に掛けて、それなりに交遊関係にも気を配っていたつもりだった。

 しかし、如何せん男親だ。悔しいが、女親ほど明け透けに彼氏の話を訊けるモンじゃない。


「子ども達には、幸せになって欲しいんだ。そりゃあ――アイツが優雅を不幸にするとは思わんが」


 線香の煙ごしの真優美は、穏やかに微笑んでいる。亡くなる2年前、35歳になる前日にフォトスタジオを予約して撮したものだ。


『30代を半分も生きてこられた、ご褒美ね』


 相変わらず色白で美しいが……本当は病のせいで青白い肌を、プロのメイクが色みを加えて上手く隠している。

 この写真をいたく気に入った彼女は、『遺影に使って』と事ある毎に繰り返していた……。


『何言ってるんだよ。30代最後の君も、俺は楽しみにしてるんだ。5年後の予約だって済ませてきたんだぜ?』


 病床の真優美は静かに笑っていたが――叶わぬ約束だと分かっていたのだろう。敢えて否定しなかった、彼女の気持ちが、年毎に切なさを増している。


「……勿論。アイツは、いいヤツだ。これまでのことも、感謝してるさ」


 彼女を亡くした後、誰よりも俺を気遣い、支えてくれたのは、間違いなく大倉だ。


 俺が出張で家を空ける時、子ども達の様子を見てくれた。俺が酷いインフルエンザにかかった時も、子ども達の隔離先になる傍ら、俺に食事を作ってくれた。本当に――掛け換えのない、いい男性ヤツなんだ。


 でも……何だって、俺の――真優美の娘を選んだんだよ。


「『覚悟を決めろ』、か」


 夕べは、突然の告白に動揺した。

 しかし、優雅むすめの父親として、真優美の夫として、そして――長年の親友として、大倉という男と向き合わねばなるまい。


「大丈夫だ。俺達の愛娘を娶ろうってんだ。半端な想いじゃ許さねぇ。俺も腹括るんだ。アイツの覚悟ってヤツを、しっかり聞かせて貰おうじゃないか」


 妻に向かって微笑むと、リビングに戻る。ソファーの背に掛かった革ジャンからスマホを出して、メールを2通送信した。




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