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第八章 ふるさとの詩

 第八章 ふるさとの詩


 朝、寝ぼけ眼のディレイアにベルディナはただ一言、北に向かうぞ、と言って食堂を後にした。

 ディレイアは慌ててパンだけをもらい、ベルディナを後にした。

 まともに朝食を口にせずに食堂を出たディレイアにベルディナは、飯はちゃんと食っておけと言うと、制止するディレイアの声を半ば無視して足早に自室へと向かっていった。

 ベルディナの部屋は朝だというのに薄暗かった。

「光に弱いものを置いているからな」

 というベルディナは机の横の作業台に置かれた宝石を手に取り、ノギスや罫書き棒、ヤスリなどを使ってそれに何らかの加工をし始めた。

 柔らかい布をかましてバイスで固定された宝石を覗き込むと、それはどうやら昨日店で彼が大人買いした宝石の一部のようだ。

 どうやら、昨日の晩からずっとその作業をしていたらしく作業台の周りには宝石やミスリルの削り屑が散乱して、とても落ち着きのない様相を示していた。

 魔導結晶の加工をしているのかと思ったディレイアだったが、そのできあがりが置かれたスペースにあるのは一般的なものに比べて幾分か小振りのものばかりだった。

 しかも、それは鋭利にとぎすまされ、不用意に触れたディレイアの指を何の抵抗もなく切り裂いた。

「あっ!」

 と気づいた頃には作業台に大粒の鮮血がしたたり落ち、敷かれていた布に大きな血痕を作ってしまっていた。

「お前、なにやってんだ」

 といってあきれ顔でベルディナは彼女に包帯を投げ寄越すと再び作業に戻った。

 ディレイアは邪魔をしてはいけないと思い、彼の目の届かないところで手早く傷を手当てすると、ひとまず朝食を済ませてこようとして部屋を去った。


 朝食が終わり、暫くボンヤリとしていたところにベルディナが顔を出した。中庭は静けさに包まれており、普段は人の行き来が激しいはずの王宮の廊下もどこか閑散としていた。

 ディレイアにしてみればいつまでも怪訝な目つきで自分を見る人間が少ないことには助かっていたが、どこか張り合いのない感覚もあった。

「まあ、今日は休日だからな。城下もこんなもんだ」

 と、少し目の下に隈を作りながらベルディナはよっこらせと言ってディレイアの正面に腰を下ろした。

 途中アグリゲットと名乗るベルディナの同僚らしい魔術師が顔を見せたが、その彼もベルディナと二言三言話すだけですぐにどこかへ行ってしまい、ディレイアの事は目にも入れていない様子だった。ディレイアにはその話の内容を少しも理解できなかったが、どうやらベルディナが司っているラボの引き継ぎに関することだったらしい。

 彼の持つ書類をさして、いろいろな事を口にするベルディナの表情は普段の軽さは全くなく、かといって牢獄で見せたあの冷たい表情とも違っていた。

 ああ、これが王宮でのベルディナなんだなとディレイアは妙に納得して、暫くそんな二人を遠くの風景を見るようにじっと観察していた。

「悪いな、あいつも忙しいんで、少し礼にかくところがあったかも知れん」

 まさかベルディナの口からそんな言葉が出るとは思っても見なかったディレイアは、

「別に気にしていないよ。変な目で見られるよりましだもん」

 と、少し素っ気なく答えるとベルディナから目をそらして中庭を見回した。

「あまりゆっくりはしてらんねぇ」

 そう呟くベルディナにもう一度視線を戻すと、ディレイアは無言でその続きを促した。

「部屋から荷物を取ってきな。すぐに出発する」

 見るとベルディナの準備は既に整っているようで、彼は背中に小振りの弓と腰に矢筒を差して、その側にはディレイアの持つものより二回り以上も大きなリュックサックが置かれていた。

「うん、分かった」

 いよいよここから始まる。ディレイアはそう決意し、少しゆっくりとした足取りであてがわれた部屋を目指し中庭を去った。

「対応が遅れている。これが後に響かなけりゃいいんだがな」

 ベルディナの淡い期待は脆く崩れ去ることとなった。


 誰にも見送られることもなく、誰からの賛辞も、出立の儀礼も交わすこともなく、二人はただ無言で王都を後にした。

 近くを通りかかった寄り合い馬車に便乗し、彼は北へと向かった。

「黒服の男が北のクローナ村に向かったというらしい」

 ベルディナは簡潔にそう説明すると、馬車の縁に背中を預け、一人ただ黙々と読書に興じていた。

 それが何の本なのかうかがい知ることは出来なかった。ただ、その表題に記載された「魔導結晶に関する……」という記載からはその本が専門書か何かだと推測できたが、魔導結晶に関する何の本なのかはその文字が難しすぎてディレイアには読めなかった。

 ディレイアは自分以外にベルディナしか居ない馬車の中を一望し、まだ鞘から抜いたことの無かった剣を確かめるため、側に置いておいた剣を引き寄せた。

 一応剣の手入れのしかたは知っていたし、荷物には砥石やさび止めのオイルも入れられていたが、幌の隙間から差し込む光を反射するその剣身には曇りの一つも見受けられなかった。

 ディレイアは改めてこの剣の完成度に心を奪われた。丹念に磨かれたミスリルはまるで鏡面のように覗き込むディレイアの表情をはっきりと映し込んでいた。

 これを見せられてはそれまでに持っていたあの剣ががらくたにも属しないものだと言われても納得がいくことだった。結局あの剣は破棄されることなくディレイアの元に戻ってきた。しかし、予想通りその剣は鞘を割らないと抜くことが出来なかったらしく、その鞘は真ん中から綺麗に割られた状態でそこにあった。

 王宮のものに頼んで、ハンマーとやっとこを借りて形ばかりに曲がりを修正してみたがダメだった。中庭で試しに振ってみても真っ直ぐ振れなかったのだ。

 そんな彼女を見ていた一人の少年が、煮えを切らして彼女から剣を奪いそれを振ったがその少年は全くダメだといわんばかりに首を振るだけだった。それでもディレイアよりもずっと綺麗に振れていた事から、同年代でありながらその少年は剣術に長けていると実感した。

「すごいね」

 と笑顔を向けるディレイアに、レイリアと名乗ったその少年は照れくさそうにうつむき、まるで投げ返すように剣をディレイアに渡すと、

「これを振ってみて」

 と言って自分の腰に差してあった剣を鞘ごとディレイアに手渡した。その剣は、今ディレイアが持っている剣と同じ物だったような気がする。

 試しに振ってみたが、何故かとても腕にしっくりと来てまるでその剣がずっと自分の側にあったかのような感触さえ感じた。

 しかし少年は、

「全然ダメだ」

 といって、ディレイアの背後から彼女の腕を握って正しい振り方、足さばき、重心の移動などかなり懇切丁寧に指導してくれた。

(兄弟が居ればこんな感じなのかな)

 とディレイアは思いながら、暫く楽しい時間をレイリアと共に過ごした。

 日が暮れる頃、レイリアは仕事があるといって中庭を後にし、それ以降出会っていない。後からベルディナに聞いたことだったがレイリアはこの国の王子様だったらしい。

 確かにその洗練された物腰といい、少し無愛想な口調の中にもどこか隠された高貴さがにじみ出る様は確かに王族とはかくあるべきと言わんばかりの物だった。

「もう一度会いたいな」

 ディレイアはそう思いながら、手に持つ剣をひたすらに眺め、その握りや剣の重心の位置を確かめるように何度も何度も握り直しては構え直した。

 時々脇目でちらっとそれを見ていたベルディナも、別段他に迷惑をかけていないそれを咎めることもなく本を読み続けた。

 日もてっぺんに登る頃、ディレイアが空腹で非常食に手を伸ばしそうになるのを遮るベルディナに、馭者が幌から顔を覗かせ、クローナ村への到着を告げた。


 クローナ村はディレイアにとって馴染みの深い雰囲気の村だった。村人の歓待を受けながら、村をあちこち回ってみたディレイアがその理由を理解したのは、この村が以前母と住んでいた家の側にあった村に雰囲気がそっくりだと気がついた時だった。

 だからなのだろうか、馴染みの深いはずのこの村がどこか遠くにあるような感覚に襲われたのは。

 二年前、母が死んだあの日から数日後、彼女はこの村を一度捨てた。逃げたと言ってもいい。

 ディレイアの心の隙間に少し冷たい風が吹き抜けていった。

「ここの料理、王都の奴より随分ましだな」

 二人が部屋を取った宿屋から歩いて少しにあるところに建てられた食堂は、今日も仕事終わりの者達であふれかえり、談笑が渦となって喧噪を形作っていた。

「何で、こんなに賑やかなのかな。今日はお休みじゃなかった?」

 王都を出る前に聞かされた今日は休日であることをディレイアは忘れていなかった。馬車の中もあれだけ閑散として他のもそれが理由だと思っていたからだ。

「王都は結構余裕のある奴らが多いからな。地方に行けばこんなもんだ」

 そういうと、ベルディナはウィスキーをグイッとあおった。グラジオン王国では一般的な酒類とされているその蒸留酒はお世辞にも上物とは言えない物だったが、庶民にとってはかけがえのない友であることは間違いない。

 事実、カウンターに座る者達を筆頭にどこか彼処かで同じものが飲まれている。

 この国で取れる麦はどれも主食にするには向かない物だと言うらしい、その僅かは黒パンや堅パンに加工され、残りは蒸留所に運ばれウィスキーになると言うらしい。

 実際、この国には世界的に有名なドーフェスやマークィスといった蒸留所が領地に建てられているらしいが、そんな銘柄を教えられてもディレイアにとっては話の種にもならないことだった。

「申し訳ありません、お客様。こちら、二名様と相席でもよろしいですか?」

 あまり会話の弾まない二人の間に給仕が割り込み、本当に申し訳なさそうな顔で訪ねてきた。

 店いっぱいに埋め尽くす人の量を見ると、なるほど、これでは相席をせざるを得ないと悟ったディレイアは、一度だけベルディナの表情を盗み見ると、

「大丈夫です。どうぞ」

 と言って席を明け渡すようにベルディナの正面から、その隣に席を移った。

 給仕は手早く料理をそちらに寄せると、入り口で待つ二人の男女を空いた席へと誘った。

「相席に感謝する」

 比較的ラフで動きやすそうな服装の男は、それに似つかわしくない口調でそういうと席に着いた。

「人がいっぱいで参っちゃう。もっと席を増やせばいいのに」

 まともに礼も言わずに席を陣取った女性は、白い上着と長いスカートをはいたひいき目で見なくても綺麗な女性だった。

 ベルディナはウィスキーを傾けながら、二人の方をちらっと見ると、

「お似合いの夫婦だな。見てて腹が立つぜ」

 と言い放った。

「君、初対面の手合いに対して少し無礼ではないか?」

 男は眉をひそめると、ベルディナのその物言いを咎める。

「そうよ、あんた何様のつもり。それに、あたしとこの人はそんなんじゃないわ」

 女の方も黙ってられないと言わんばかりに口調を荒げた。

「初対面か」

 ベルディナは相も変わらずその口調で二人に問いかけた。

 二人はお互いに、そうだ、と告げると近寄ってきた給仕に注文を告げた。

 ディレイアは少し慌てながら二人とベルディナを交互に見やった。

「あ、あの。済みません、どうか許してやってください。この人ちょっと酔っていて」

「そういうことだ、不躾で悪かったな。少し虫の居所が悪かったんだ。許してくれるとありがたい」

 ベルディナはグラスを置くと、少しだけ頭を下げて詫びた。

「謝ってくれたんならいいわ。許しましょう?」

 女はまだ不機嫌そうだったが、運ばれてきた料理に目を輝かせ早速それらを頬張り始めた。

「私の方も少し礼を欠いていた部分もある。お互い様と言うことで水に流そう」

 男はベルディナが差し出したウィスキーに少し気分をよくした様子でそれを口に含んで一息ついた。

「ところであんた等、名前は? 旅業医師と、バイオリニストなんだろう? 仕事は順調かい?」

 そう聞くベルディナに二人は少し驚かされた。

「何故、私の職業を?」

「どこかであったかしら?」

 女は食べる手を止めてベルディナの目を覗き込んだ。

「おそらく初対面だ。男のあんたの方は王都の酒場で目にしたことが会ったかも知れんが。理由は単純、彼女からは消毒液の匂いがしてたし、その格好と胸のバッヂを見れば一目瞭然。男のあんたからは松脂の香りがするな。その格好から無骨な職業に就いている感じはしねぇから剣の手入れ用の松脂じゃねぇだろう。だったら、バイオリンをやってると考えるのが一番自然だ」

 すらすらと紡がれていくベルディナの推理にディレイアは感心してしまった。それは目の前の二人も同じだった様子で、暫くポカンとベルディナを見ていた。

「いやはや、私はあなたを少し甘く見ていたようだ」

 男はそういって姿勢を正すと、今までの非礼をわびた。

「私は、ミリオン。理由あって中名と家名を伝えるわけにはいかないが、流しの演奏家をしている」

 ミリオンはそういうと、ベルディナに片手を差し出した。ベルディナはそれを握り、続いてディレイアにも差し出され彼女もそれを握りしめた。

 続いて女の方に目を向けると、女は少し引きつったかのような笑みを浮かべ、

「あたしはユア・タリス・キルリアル。あんたの言うとおり、旅業医師よ。ヨロシク」

 ミリオンに習ってベルディナに手を差し出すユアはそれに振れた瞬間少し身体を震わせたが、ベルディナは意を介する事もなく少し長めに握手を交わした。

 続いてディレイアにも握手を求めたが、今度はユアの方が必要以上に長くディレイアと握手を交わすこととなった。

「名前を聞いておきながら俺の方が名乗らないのは失礼だな。俺は、ベルディナ・アーク・ブルーネス。こんななりでも一応王都の魔術師をやっている。まあ、よろしく」

 ベルディナ大導師アークの名を聞き、二人は暫く惚けたような表情をしていたが、それがベルディナ自身の事だと言うことに気がつくと、さすがに二人も驚愕して息をのんだ。

 ベルディナは少し楽しそうに唇を持ち上げると、テーブルの下でディレイアの膝を叩いて、次はお前だ、と誘った。

「あ、えっと。ボクはディレイア。よろしく」

 ミリオンはそれに「ああ。こちらこそ」と言って軽く頭を垂れ、ユアは、

「ディレイアちゃんね。よろしく。かわいい坊や。ね、どこから来たの?」

 と、今にも頭を撫でてきそうなユアを警戒してディレイアは少し後ずさった。

「ぼ、ボクは坊やじゃないよ。ディレイアだ。それにボクはベルディナと一緒に居るんだから、それぐらい分かるでしょう!」

 あたふたとするディレイアを見て、なおも「かわいい」と評するユアにベルディナは呆れて肩をすくめた。

 ミリオンもそんな彼女の変わりように少し驚くが、

(おそらく、子供好きなのだろう)

 と考え、ようやく運ばれてきた料理に口をつけた。

 暫く四人はそれぞれに談笑し合い、ベルディナはその合間に黒い服の男についての情報を巧みにつり上げようとしていた。

 ミリオンとユアはそれについてはあまりよく分からない様子だったが、噂程度にそれがこの村で見かけられ、そしてそれは真っ直ぐクローナの大森林に向かっていったということだけ口にした。

(どうやら、道は正しかったようだな)

 と視線でディレイアに伝えると、ディレイアも、

(そうだね)

 と軽く頷いて見せた。

「ところで、楽師の旦那。せっかくだから一曲やってくれよ。いい加減ここの喧噪にも飽きてきたことろだ」

 黒い服の男について少し興味を引かれつつあった二人から話の逸らすにしては上手いやり方で、ベルディナはミリオンに水を振った。

「ん、そうしたいのは山々だが。宿にヴァイオリンをおいてきてしまった。残念だが、今夜は無理のようだ」

 そういえば、ミリオンはなにも持ってきていなかったなとディレイアは彼の様子を見て、

「それなら仕方ないね。残念だけど」

 といって話を終わらせようとしたが、ベルディナは食堂の脇を指さし、そこにあったピアノに注意を向けた。

「あれだったらいけるだろう? まさか、流しの楽師様がピアノが弾けないなんて、そんな事無いよな?」

 ベルディナの話術はさすがとしか言いようがない。適度に相手のプライドを揺すぶるその言い様は、ミリオンでなくても期待にこたえたくなってしまうほどだった。

 それは、ミリオンが無理だと言っても、簡単な曲程度なら何とか弾けるディレイアは彼の代わりに弾くよと言ってしまいそうになるほどだった。

 といってもディレイアが弾ける曲など、幼子が最初に習う『ウォーキング キャット マーチ』という聞けば失笑を買うものに過ぎないが。 

 結果的にディレイアは恥をかかずに済んだ。

 ミリオンは少しだけ考えて、食堂の店長に目を向けた。

「いいだろう」

 店長はミリオンに軽く頷くと、彼はゆっくりと立ち上がって隅の鍵盤へと足を進めた。

 流しの演奏家が曲をやるという言葉が店中を伝わり、にわかに騒ぎ立てていた者達はみな口を噤んで彼の一手挙動を見守った。

 ミリオンは鍵蓋を開き、端から一つずつ鍵盤を叩いてその音の調子を確かめていった。

「少しチューニングが甘いが、問題はないな」

 というと、側の本棚から楽譜の束を取り出しそれらをぱらぱらとめくっていった。その多くはどうやらグラジオン王国の民謡をアレンジした物らしく、作曲者の名前からするとどれもこの国の人間のようらしかった。

 この国の民謡をよく知らないミリオンは、その中でも一番弾きやすそうな物を選び取り、それを譜面台に載せた。

「さて、お手並み拝見だな」

 そう呟くベルディナはまるで探りを入れるかのように目を細めてその動作を見守っていた。

 ミリオンは一度大きく息を吸い込み、そして細かくそれを吐き出すと、両腕の五指を鍵盤に置きまるでそれを叩き付けるかのように腕を振るった。

 それは、グラジオン王国に住む物なら誰でも知っているような民謡だった。しかし、その曲調かテンポを僅かに変化させているのだろうか、古臭いその曲の中にどこかモダンな雰囲気を内包させるその曲は一瞬にして食堂の誰もを虜にした。

「私、この曲知ってる。お母さんがよく口ずさんでた。懐かしいな」

 ディレイアはその曲の向こう側に台所に立って鼻歌を歌う母の風景を重ねていた。

「お前のお袋は、この国の出身か?」

 机に載せた指で調子を取りながらベルディナはそう訪ねた。

「分からない。だけど、そうかもしれない」

 それは答えになっていない返答だったが、その言葉はディレイアの心持ちをよく表していた。

 曲はリズムカルに時に流れるように、聞く物を全く飽きさせることなく終盤を終え、最後は最高の響きを持って終了した。

 『ボルドーミサの先兵』と名付けられた曲は全ての物に哀愁と輝かしい未来を残し、余韻を残すことなく消えていった。中には思わず涙を切らせる物もあり、演奏を終え、聴衆に恭しい挨拶を手向けるミリオンに絶大な拍手と賞賛が与えられた。

 おひねりを断るミリオンの服に、その日の稼ぎをまるまるつっこむ者、是非いっぱい奢らせてくれと酒瓶を片手に近寄る者、次はこの曲をやってくれと楽譜を掴んで懇願する者と、ミリオンはまるで英雄のような扱いで人々にもみくちゃにされていた。

「どうやら、楽師ってのは嘘じゃねぇみたいだな。だったら、あの手の豆は何だ?」

 と、一人冷めた様子で彼を横目で見るベルディナに、ディレイアは、

「ひょっとして、試したの?」

 と耳打ちすると、ベルディナは表情を変えずに答えた。

「当たり前だ。言う事を鵜呑みにするほど俺は優しくねぇぜ」

 といって、手先から一握の氷を生み出すとそれをグラスに入れ、ウィスキーを咽に注ぎ込んだ。

「ベルディナって、容赦がないんだね。少し怖いよ」

 ベルディナは、はは、と笑ってディレイアに目を向けると、あの悪魔のような笑みを浮かべた。

「お前も後数年もすりゃあ、こうなるさ」

「ボクは、そうはなりたくないよ」

 気がつくと声のしないユアを目で追うと、彼女は既にミリオンの元に居て彼に抱きついているところだった。

「ユアって、本当に素直だね。ボクもあんな風に素直で、綺麗になりたいな」

 ベルディナは肩を振るわせると、少し気色の悪い感触の表情でディレイアを見、

「ああいうのは、跳ねっ返りっていうんだよ。それに、"男"がそれを言うと気持ち悪いぞ、ディレイア」

 他人の嘘を見抜くことに長けるベルディナでもその間違いにまだ気がつかないようだ。

 ひょっとしたらこの中で一番の詐欺師はボクなんじゃないかと思ったディレイアは少し愉快そうな笑みを浮かべた。

 


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