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第六章 三度目の駆け引き

 硬い岩の感触にディレイアは眉をひそめた。目を開くとどうやらそこは閉ざされた岩戸の中のようだった。

 ノイズが混じる意識を何とか奮い立て、ディレイアはゆっくりと上体を起こし、身体に異常がないかどうか何度か確かめて溜息をついた。

 どうやら無事のようだ。

 それが分かると次に襲いかかったのは身を貫くほどの空腹だった。

「こんな状態でお腹が鳴るなんて、我ながら気楽なもんだな」

 そういいつつもある程度の緊張を取り除いてくれた無粋な腹虫に少しだけ感謝しつつ、ディレイアは周りを良く見回した。

 どうやら、今日はよっぽど洞窟に縁があるのだなと思いディレイアは悲観するよりも先に自身の数奇な運命に呆れてしまった。

 自分が寝かされているのが硬い鉄格子に閉ざされた牢獄であると気づくのには殆ど時間を必要とせず、自分がどうしてここに入れられているのかという理由も何となく理解できるだけにディレイアはむしろ落ち着きを取り戻した。

「あそこは、入ってはいけないところだったんだね」

 ディレイアはあの場所のことを思い出した。まるで祭壇のような様相を構えたその場所は、おそらく誰の目から見ても神聖な場所だったのだろう。

 そして、そこに安置されていたあの紋章のようなものは鉱山にとって、いや、ともすればこの国にとって大切な物なのだろうと予想がつく。

「だけど、ボクを眠らせたのは誰だったんだろう? 鉱山の人かな」

 いや、それにしては格好が奇抜すぎた。真っ黒いマントのような物を身に纏い、黒い手袋に黒い靴、表情が伺えなかったのは黒い布で顔を覆っていたからだったのかも知れない。

 ともあれ、あれがいったい何だったのかディレイアには想像さえもつかない事だった。

 ディレイアはひとまず立ち上がり、腰を落ち着ける場所を硬い岩の床から粗末なベッドに移し状況の変化を待った。ディレイアはこの先について何の悲観もしていなかった。

 爆発が起こったのは明らかに事故だったし、神聖な場所に足を踏み入れた事は確かだが、自分はすぐに眠らされてやましいことなどなにもしていない。

 おそらく、あそこで何をしていたのか叱責されるだろうが、今までのことを丁寧に話せばすぐ釈放されるだろうと信じていた。

 とにかくすぐにここを出たかった、早く仕事をもらわないとその日暮らしの路銀が底を突いてしまう。

「それにしてもあの爆発で良く無事だったね。あんまり強い爆発じゃなかったのかな。怪我人が出てないといいけど」

 ロベルトが昼食を取りに行ってあの場にいなかったのがせめてもの救いだと思いながら、ディレイアは鉄格子の向こう側を伺った。

 警備の人間は何処にいるのだろうか。ディレイアが入れられた牢屋は、随分と奥の深いところにあるらしく入り口を固める兵士の姿も、入り口から漏れ出る太陽の光も伺うことが出来ない。

 おそらく夕方近い時間帯なのだろうと当たりをつけたが、松明の光しかないここではそれを確かめる方法もなかった。

(せめてご飯ぐらい持ってきてくれればなぁ。腹ぺこで死にそうだよ)

 思い返せば、朝食を取れず、昼食もあれで食いっぱぐれてしまった今となってはこうやって起きていられることが不思議なぐらいだった。

「ねぇー! 守衛さんとか居ないのぉー! お腹が空いて死にそうだよぉ。ご飯持ってきてぇー」

 ディレイアの切実な願いは牢獄の壁を反響し儚い余韻を残しながら消えていった。

「お願いだよぇ。本当に死んじゃうよぉ」

 鉄格子に縋り付くも何の意味もなく時間が過ぎ、ディレイアは泣きベソをかきながらその場に崩れ落ちた。

「うう……、グスッ……。お腹空いたよぉー」

 腹の虫ももう鳴き叫ぶ元気も失ったのか、その代わりに泣き出したディレイアだったがそのために牢屋に近づく人の足音に気がつけなかった。

「随分威勢がいいじゃねぇか。泣いているとは思ったが、まさか空腹で泣き出すとはな。幸せなガキだぜ」

 どこかで聞いたこととのある無遠慮な物言いにディレイアは驚いて面を上げた。

「よう、また会ったな。お前があそこにいるとは驚きだった。随分奇妙な縁だ」

 そこで邪悪な笑みを浮かべていたのは、ディレイアがこの国に入って初めて知り合った男、ベルディナだった。

「ベ、ベルディナ? 何でここにいるの? あ、ひょっとして……脱獄?」

 それを聞いてベルディナは大げさに足を踏み外した。

「何で俺が捕まらにゃならん。言っとくが、これでも俺は善良な人間だぜ?」

 これでもと言うことは、それなりに自覚があるのだろうか。ディレイアはベルディナの物言いに溜息をついた。

「だったら、どうしてここにいるのさ。この国は罪人を見物する習慣でもあるの?」

 もしもそうなら、こんな悪趣味な国には居たくないなと思いながらディレイアはベルディナの表情を伺った。

「あるかそんなもん。俺のことはさておき、お前の話がしたい」

 ベルディナは側にあった背もたれと膝掛けのない椅子を引き寄せ、疲れた表情でそれに腰をかけた。

「ボク、どうなるの?このままご飯も食べられずに死ぬの?」

「いい加減飯から頭を話せ。話し終わったら豪華な奴をごちそうしてやるから」

 いい加減話を進めたいベルディナはそういって取引をすると、ディレイアは一瞬で口を閉じた。

(現金な野郎だぜ)

 この駆け引きは俺の負けかと思いながらベルディナはこれまでの経緯を説明し始めた。


 多少尋問も混じったベルディナの説明は実に簡潔で、小さなディレイアにも今の状況という物が良く理解できた。そのため、ディレイアは困惑せざるを得なかった。

「紋章を盗んだのはボクじゃないよ。あの黒服の奴だ」

 再びオーケストラを奏で始めたディレイアの腹虫に嫌気がさしたベルディナが持ってきた一抱えの黒パンをものの数秒で平らげたディレイアは落ち着いていた。

 まさか、腹の虫にも駆け引きで負けるとはとうなだれるベルディナだったが、それを腹いせに話に虚実を混ぜることはしなかった。

 ディレイアもベルディナが嘘をついていないことを理解し、自分が何かとんでもないことに巻き込まれている予感に身を震わせた。

「俺はその話に頷ける。お前は人のものを盗むような人間じゃねぇって思えるし、その動機もない。何より手に持つから例のぶつが見つからなかったのもそれを裏付ける証拠だ。だが、上は黙っちゃいない。お前を何とか犯人に仕立て上げて体裁を整えるだろうよ、あの爆破事件も含めてな」

 それには多分に嘘が含まれていた。この事件の全てはベルディナが担当することになった事から、その重要参考人の処遇はベルディナの一言で全てが決まるため、上も下もあり得ないのだ。

「それって、エンザイだよ。何でボクなのさ」

 冤罪という言葉の意味を正しく理解しているわけではなかったが、ディレイアは多分こう使うのが正しいんだろうなと当たりをつけて抗議した。

「ただし、お前が条件をのめば仮釈放という事にも出来なくもない」

「それって、もしかして。その例の物ってのを探してこいってこと?」

 二人が聖銀の紋章を"例の物"と呼ぶには理由があった。聖銀の紋章は王家の至宝であり、グラジオン王家がこの国を統治する証でもあるのだ。それが盗まれた事が広く知れ渡れば、国は混乱を喫するだろう。だから、例え王宮内であっても知るものが限られているそのことを口外するわけには行かず、ベルディナもディレイアに聖銀の紋章を"例の物"と呼ぶように厳命したのだった。

 ディレイアの推測にベルディナはわざとらしく口笛を吹くと、

「ご名答。話が早くて助かるぜ」

 そう言って更にこれ見よがしに指を鳴らして見せた。

「無理だよ、ボク一人でなんて。絶対無理だよぉ」

 また泣きベソをかきそうになるディレイアを制してベルディナが口を開いた。

「誰が一人でといった?俺もだ」

「えっ?」

「この件は俺が全ての責任を負って尻ぬぐいをすることとなった。お前が拒否しても俺のやることには変わりない」

 その表情は決意の表情だとディレイアには感じられた。さっきまでの軽い感触が全くなく、そこにあるのは多くの悲惨な現実をその目で見て、自らくぐり抜けてきた強者の眼差しだった。

 大抵のことには動じず、何とか笑って物事を乗り越えてきたディレイアであってもその眼差しを前にしては萎縮せざるを得なかった。

「で? お前はどうする? 自由のために俺に手を貸すか。それともここで罰を受けるか」

「だけど、ベルディナがこの事件を解決して例の物を取り返してこれば……」

「事件は解決するな。だが、お前が聖域に踏み入った罪は消えない。俺は俺を手伝うことでその罪を無かったことにしてやると言っているんだぜ? これは俺が用意できる最大限の譲歩であり救いだ。お前はどうする、お前が自分で決めろ」

 ベルディナの邪悪な笑みはまさにこの世界の悪を象徴しているかのようだった。それはまるで善意のベールを纏った悪意のようなもので、ディレイアが最も忌み嫌うものの一つだった。

「結局、ボクには残された道なんて無いんじゃないか。何が、条件だよ。何が、救いだよ。結局、あなたはボクをいいように利用したいだけなんじゃないか」

 ディレイアはふさぎ込んで床にうずくまった。これならさっき恵んでもらったパンを返してしまえれば良かった。このままベルディナにいいようにされるぐらいなら、このまま空腹で死んでしまった方がましに思えた。

「それは認めよう。ただし、お前にとってもけっして悪い条件ではないはずだ」

「ボクは、君がキライになったよ。君となら友達になれると思ったのに、結局君はボクを裏切るんだね」

「キライで結構。裏切りと思ってくれてもいい。だが、俺は目的のためなら全てを敵に回す覚悟がある。実際、先ほどこの国の半分以上を敵に回してきたわけだからな」

 ベルディナはそういって苦笑を浮かべると立ち上がり、そのままの足取りで入り口へと向かっていった。

「ちょっと待ってよ。何処へ行くの?」

 立ち去る彼の後ろ姿を必死に鉄格子の向こう側から追うディレイアにベルディナは振り向くこともなくただ無情に言い放った。

「交渉は決裂のようだ。これ以上俺は不毛な会話を続けている暇はないんでな。後は好きにしな」

 まるで後腐れ無く去っていく彼のその姿は、まるでお前などもう用済みだといわんばかりに冷え切っていた。

(ダメだ。ここで行かれたらボクは、何も出来なくなる)

 ディレイアは殆ど無意識に口を開くとまるで去っていく恋人に縋り付く者のような大声で彼を引き留めた。

「その条件を飲む!! だから、ボクをここから出して!!」

 カツンとかかとをならして立ち止まったベルディナは、クルッとターンをしてニヤッという悪魔のような笑みをディレイアに向けた。

(しまった。あれも演技だったんだ)

 と後悔するディレイアだったが既に時が遅すぎた。

「この駆け引きばかりは俺の勝ちのようだな」

 ようやく意趣返しが出来たといわんばかりに笑うベルディナを見て、ディレイアはまるで魂の抜けた人形のように牢獄の床に崩れ落ちた。


 ようやく牢獄から出して貰えた頃には既に王国には夜の帳が下ろされていた。

「ここの夜は冷えるんだね」

 ベルディナとは少し離れて後ろを歩くディレイアは、冷え切る夜の風に身を擦り合わせた。

「今年はどういうわけかな。例年ならそろそろ熱帯夜が続きそうなもんだが」

 夏の初めにしては厚着をしているベルディナは、寒そうに身体を震わせるディレイアにきていたコートを羽織らせた。

「あ、ありがとう」

 キライといってしまった手前どう反応していいのか困ったディレイアは少し顔をうつむけ気味にして小さな声でそう呟いた。

「風邪を引かれると俺が迷惑するだけだ。明日、厚手のコートを買いに行く方が良いな」

 ベルディナの素っ気ない物言いの裏に、幾何かの照れを見つけたディレイアは少し微笑んでベルディナの背後に駆け寄った。

「そうだね。だけど、ボク、お金持ってないよ?」

 ディレイアはそういいながらベルディナのすぐ後ろを歩き、ベルディナはそんなディレイアの変わりに身少しぎょっとするが、すぐに視線をただした。

「金の心配なんてすんな。今回のは調査費で国から金をぶんどってる。多少の豪遊程度は目をつむってくれるだろうさ」

 それって、横領っていわないのかなとディレイアは思うが口に出さないことにした。

「ひょっとして盗んだの?」

 とディレイアが言った言葉にベルディナはいきなり立ち止まった。

「わっ!」

 その後ろを歩いていたディレイアは当然ながらベルディナの背中にぶつかるが、軽いディレイアの衝突を受けてもベルディナは少しもよろけなかった。

「えーっと?」

 黙り込んでしまったベルディナの肩は少し震えているように見えた。

(ひょっとして怒ったのかな?)

 と、心配し、ディレイアはゆっくりと彼の脇からその表情を読み取ろうと身体を動かした。

 その瞬間、ベルディナはディレイアの頭をワシッとつかみ取ると、グリグリと乱暴にかきむしり始めた。

「わっわっ! ちょっと、ベルディナ。止めてよ」

 次第に荒々しくなるその手つきにディレイアは無駄な抵抗を始めるが、その次の瞬間に聞こえたベルディナの大笑いに抵抗を止めた。

「だーはっはっはっは……。おい、ディレイア、お前も面白ぇこというじゃねぇか。いいなそれ、国から調査費用を盗んで来たってか。それいただきだ。そういうことにしておこう」

 そうやって笑うベルディナを見て、ディレイアはやっとの事でその束縛から抜け出すと、なんだか自分もおかしくなってついつい笑い声を上げてしまった。

(ベルディナはキライだけど、好きになれそうかも知れない)

 夜空に浮かぶ一番星を頭上に眺め、ディレイアはそれまでの全てが変わってしまいつつあることを感じた。だが、それも悪い変化ではないと感じると、この目の前にいる得体の知れない魔術師をもう少し信じてみてもいいかなと思い始めていた。



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