第五章 大導師出陣
グラジオン王国の至宝、聖銀の紋章が消失したという知らせはすぐに国王の耳に入れられ、緊急対策会議には尋常ではない緊張が駆けめぐった。
事情を知る鉱山の関係者の何人かが仕事の最中であるにもかかわらず招集され、それを聞いた重鎮達は誰もが破滅の二言を口にした。
ベルディナは苛立っていた、いや、もはや激怒していたと言ってもいいだろう。
対策会議のために集められたはずの重鎮達は、聖銀の紋章が何処に行ったのかということにはどうやらあまり関心がないようで、むしろこの責任は何処にあるのかという事に関心を持っているらしい。
ベルディナはその隣に座るこの議会の主を横目で見た。
重鎮達よりも一段高いところにどっしりと腰を据えるグラジオン王国の国王、グリュート・デファイン・グラジオンはその威厳のある表情を一切崩さず、また一言も口を開くことなく押し黙っていた。
(こりゃ、怒っているというよりは、呆れて物が言えんってかんじだな)
ベルディナは鼻を鳴らすと、つまらなさそうに椅子に背を預けて腕を組んだ。
「ベルディナよ、私にはどうやら人を見る目というものがなかったらしい」
それは沸き立つ議会においてはベルディナの耳にのみ届く程の声だった。ベルディナはにやりと笑うと、
「どうやらそうみたいだぜ。あいつ等は事の重要さが理解できてねぇらしい。とんだ屑共を選んじまったみてぇだなお前は」
その物言いは一国の国王に向けるべき言葉ではない。しかし、グリュートはそれを意に介することもなく深い溜息をついた。
「あのときと同じだ。私はこの場には居なかったが、おそらくそうだったのだろう。父上は何も話してはくれなかったが」
グリュートは三十年前のその日を思い出した。自分には決して何も語られることがなく、沸き立つ王国の裏側を表に立ってただ見つめるしかなかったあの日、その傍らにいた兄も同じような表情でただ状況を伺うことしかできなかった。
「お察しの通りだ。だから、あのときは最悪の一歩手前まですすんじまった。もう、あのときの二の舞はごめんだぜ」
ベルディナにとっては立った三十年前に過ぎないことだった。しかし、人間というのは僅か三十年程度で教訓を無に返すことが出来るのだろうか。
三百の時を生きるエルフであるベルディナにとってはそのことがむしろ驚愕だった。
「また、そなたに頼ることになりそうだ」
グリュートのその言葉はまるで彼に許しを請うような印象を与える。
「まあ、最初から覚悟はしていたよ。出来れば辞退したい所だが、国王の頼みとあれば断るわけにもいかねぇな」
ベルディナは腕を横に広げて肩をすくめた。だが、彼は分かっていた。おそらく、これが出来るのは自分だけだと。
嫌な予感ははたして全てが的中してしまったことに彼は溜息をつく気も起こらなかった。
「済まぬ」
グリュートは頭を垂れることなくそういった。
「一国の主がそうそう簡単に謝るもんじゃない。お前の親父は心の中ではそう思っていても口には決して出さなかったもんだ」
「兄上もそうだったのか」
決して表情を崩さず、不満も憤りも全てその内に秘める彼であっても自身の兄のことを思うとその抑制も効かせられなかったようだ。
ベルディナは去ってしまった彼の国王のことを思い出し、目を閉じた。
「……さあな、忘れた……」
十五年前のあの日、彼は二人の大切な友人を失った。もう記憶の隅に閉ざしてしまいたいそれを思いベルディナもグリュートさえも押し黙るしかなかった。
「では、よろしく頼むぞベルディナ。必要な物は全て用意しよう。万事難なく執り行ってくれ」
「了解した、グリュート。少し荒々しくなるがな」
ベルディナは腕を組んだまま軽く頷くと一度だけ議会の推移を眺めると、組んだ足を持ち上げそれを強引に机にたたきつけた。
バーンという、まるで会議場に雷でも落ちたのかというその音に、さっきまで延々と不毛な言い争いを演じていた者達の全員がその音の原因であるベルディナのほうに目を向けた。
「テメェら、馬鹿騒ぎもいい加減にしやがれ」
水を打ったかのように静まりかえるそれらを見てベルディナは腹の奥底からわき上がるような低音を響かせ、彼らを威圧した。
「ベ、ベルディナ大導師。陛下の御前ですぞ、馬鹿騒ぎとは失礼な……」
「黙れ!」
まるで馬上から転げ落ち方のように狼狽する老人に向かってベルディナはただ一言でそれを黙らせた。
「さっきから聞いてりゃどいつもこいつも自分勝手でいい加減なことばかりいいやがって。責任の所在は何処にあるかって? そんな物は決まっている。聖銀の紋章の継承者である国王と、その管理を仰せつかっているこの俺だ。だったら、何故誰も俺たちを叱責しようとしない。何故行く当てのない愚論で議会を混乱に陥れるのだ」
その言葉はまるで天から振り下ろされた鉄槌のようにそこにいる者達の全てを責め立てていた。
「しかしですね。」
「黙れといっているのが分からんのか!」
それを口にしたのはグリュートだった。そして、国王が黙れと言う以上、彼はそれ以上の発言を続けることは出来なかった。
議会が完全に沈黙したことを受けて、ベルディナは話を続けることとした。
「当件の責任者である国王、グリュート・デファイン・グラジオンはこれに関して全ての責任を負うことに決めた。これは国王の名における勅命である。」
ベルディナは机の上に置いていた足を元に戻し、組んだ腕をほどき、威風堂々と胸を張り、そして立ち上がり腕を掲げた。
全ての視線がベルディナが伸ばすの腕の指先一点に集中する事を感じ、ベルディナは宣言した。
「これより当件は我、ベルディナ・アーク・ブルーネスが国王の代理として全てを受け持つこととする。」
そして、ベルディナは席より離れ、段を下り、議会の中央、円卓の中心へと身を寄せ再び宣言した。
「大導師の称号ではいささか不安が残されると思う者もあるだろうが、出来れば了承していただきたい。了承の印は拍手を持ってそれを示して欲しい。不安がある者はこの場で名乗り出るがいい。私は喜んでそれに応答しよう」
ベルディナは議会の頂点に立つグリュートとその頭上に掲げられた王国旗に背を向け、かかとをならし背筋を伸ばした。
一瞬シィンとなる議会だったが、誰かが打ち鳴らした拍手を拍子に、会議場はまるで振りしきる豪雨のごとき拍手の渦に包まれた。
グリュートはベルディナの背に向かって一度だけ深く頷く。
ベルディナはその拍手の全てを身に受け、まるで自らが国家の代表だと言わんばかりの足取りで真っ直ぐと進み、その先にそびえる会議場の扉を開け放った。
ベルディナの出室を見計らった近衛の騎士がそれを閉ざしても、その拍手はまるで扉の向こうにいるベルディナの出陣を後押しするかのように泊まる気配を見せない。
いまだ背後から響き渡る拍手の音を聞き、ベルディナは誇らしく思うと同時に陰鬱な感情に沈み込む思いだった。
「安心しろ、同じ過ちはもう繰り返さない。だから、あまりつきまとうなよ、メイガス」
ベルディナは両手をスーツのポケットに突っ込み、少し肩をすぼめて身震いすると性急な足取りでその場を後にした。
扉の向こうの会議場は拍手ではない別のざわめきで包み込まれていた。