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第三章 イグニス

 坑道の中はやはり薄暗かった。しかし、どういうわけか松明が必要なほど暗いわけではなかった。

 ディレイアはいち早く闇になれるように目を細め、その中でも一際暗い闇の一点を見つめ徐々にまぶたを開いていった。

 まぶたを開けきったディレイアの周りにはなにやら不思議な光景が広がっていた。

 目が慣れるまでは薄暗いと思っていた坑道はどちらかと言えば薄明るいという表現の方があっているようにディレイアには感じられたのだ。

「これは、壁から光が出てるのかな」

 夜明け前の薄明よりも薄い明るみは、どうやらディレイアがさっきまで手を置いていた坑道の壁面からもたらされているようだった。

 それはまるで星空を映し出す海面のようなボンヤリとした光だった。

 鉱石の一部に自ら発光する物質が混ざっているのだろうかと、ディレイアは軽く壁面をひっかいてみようとしたが、それはロベルトに止められた。

「それは魔光石。王宮の魔術師が作った光を出す塗料なんだ。とても貴重な者らしいからむやみに剥がしちゃダメだ」

 冒険者として触り程度に魔術を知るディレイアも魔力で光る魔導結晶があることは知っていた。というと、これはその結晶を細かく砕いてにかわか何かで壁に塗りつけられているのだろうか。

 見ると、その光は坑道の前面に敷き詰められているというわけではなく、あくまで壁の両脇の一部に人の通る道筋を描いているだけのようだった。

 だが、ディレイアは少し疑問に思った。一般的な魔術師が使う魔導結晶スフィアは魔力を通さないかぎりただの石と同じだったはずだ。

 だから、魔光石を使用した魔導結晶スフィアも人が魔力を込めて触れないかぎりこんなにも断続的に光を発することはない。

 誰かが定期的に魔力を補充しないかぎり、例え薄くはあってもすぐに光を失ってしまうことになるはずだが。

 ディレイアが見る限り、誰かが魔力を補充しに回っている様子はなく、それで居てその光も一向に弱まる気配がない。

「となると、この膠なのかな」

 砕いた魔光石の周りを埋める膠に何らかの仕掛けが施されており、そことを通る人間から僅かずつ魔力を吸い上げているのかもしれない。

「だけど、そんなの聞いたことないな」

 壁面に向かってうなり始めたディレイアにロベルトは呆れたように鼻を鳴らすと、

「おい、行くぞ。後がつかえてる」

 といって少し強めにディレイアの肩を引っ張った。

 後ろと言われてディレイアは振り向くと、二人の後方には既に荷車を引いた男達が数人たむろしており、ディレイアをにらみつけていた。

「ごめんなさい!」

 思わず声を上げて謝るディレイアに、

「いいからさっさとしろ」

 と苛立たしげに男達は答え、ディレイアとロベルトは少し早足で坑道を進み始めた。

「坑道で立ち止まっちゃダメだ。みんな忙しくていらいらしてるから、殴られても文句は言えないぞ」

 薄明といってもハッキリと見えないロベルトの顔はおそらく、苛立ちと焦燥が入り交じったような表情をしているのだろう。

 ディレイアはもう一度「ごめんなさい」と告げると、極力道の片側を開けながらロベルトの後に続いた。

 自分の左腰に差された剣の鞘の先が時折側の壁にこすれてカチンカチンと音を立てる。

 この音も周りの人間は苛立ちの原因にならないかと思いながら、今更ながら剣を詰め所に預けておけばよかったと後悔した。

 それからしばらく二人は一言も言葉を交わすことなく、坑道の途中の広場を抜け、上に昇り下に下り、次第に自分がどれぐらいの高さを歩いているのか分からなくなる頃にロベルトは立ち止まった。

「ほら」

 と言って彼はその先を指さした。

 気がつくとうつむいて歩いていたディレイアは、

「なに?」

 と言いながら面を上げ、そのまばゆい光に目が眩み、思わずてで視界を遮った。

 真っ白に染まる視界だったが、しばらくするとそれも徐々に形のあるものに変じていく。

 それが何か判別できるほどに視界が回復したとき、ディレイアは目を見開き、域を飲み込んだ。

 鉱山を貫く坑道の先に広がっていたものは、まだ登り切らない太陽の光を身に浴びて悠然と広がる山々だった。

 天を貫き、雲をその身に纏った巨身が互いに連なり、それはまるで大自然が生み出した巨壁のごとく大地を覆い囲んでいるようだった。

 守邪の門と呼ばれたグラジオン王国の城壁もまるで大陸に横たわる大蛇のような雄大さがあったが、それも所詮は人が作り出したものに過ぎないと思えてしまうほど、その巨壁は偉大だった。

「あれがボルドーミサの先兵。あの向こうにある世界の巨峰、天嶮ボルドーミサを守る兵士だ」

 ロベルトはまるで自分のことのように誇らしくそれを口にする。

 ディレイアはただそれに首を振るだけで、言葉さえもその口から発せられることはない。

「本当は夜明けの時が一番綺麗なんだけど、その時間は鉱山も閉鎖されて見られないんだけどね」

「だったら、何でそれを知っているのかな?」

 ディレイアの悪戯っぽい笑みにロベルトは、しまったと言わんばかりに頭をかくと、

「一度だけ忍び込んだことがあるんだ。小さい頃だけど」

 ディレイアは、うらやましそうにそれを聞くと、自分もいつかそれを見てみたいなと思った。

 ロベルトは下の作業場から昇ってくる男と挨拶を交わし、ディレイアに着いてくるよう誘った。

「作業場はあそこ。少し見えにくいけど、あそこから鉱山に入れる」

 ロベルトの指さす方には、片側に急な斜面を持つ通路のような先に、大きな岩の影に洞窟の入り口が見え隠れしていた。

 ここから見ると、石を運ぶ鉱山夫がまるで岩から出てくるようにも見えて、ディレイアは少し頬をゆるめた。

 ディレイアは少し肩に食い込み始めたリュックの紐を背負い直すと、先を行くロベルトを追い、さっきの坑道より少し入り口の広い洞窟へと足を運んだ。

 洞窟から出てくる者はだいたい三つの人間だった。

 一つは掘り進むことで発生する土砂や使い物にならない鉱石を捨てる人間、二つ目は算出した鉱石を下に運ぶ人間、そして三つ目は休憩のために外に出る人間だった。

 通路ではない洞窟の中はかなり広く掘り進められており、その経路もまるでありの巣のように入り組んでいるようだ。

 先ほどの坑道よりも中が明るいのは、魔光石が壁一面に塗りたくられているせいだ。幾分か発する光量がが多いのは、単に純度の高い魔光石が使用されているのか、それとも魔光石の密度が高いのかのどちらかだろうとディレイアは推測した。

 珍しげに洞窟の壁面に目をやるディレイアに、ロベルトは、

「少し前までは松明を使ってたんだ」

 ディレイアは珍しく説明と注意以外に声をかけてきたロベルトに目向けその言葉に耳を傾けた。

「だから、事故がよく起こったんだって」

「粉塵爆発だね」

 ディレイアはその話をどこかで聞いたことがあった。

 ロベルトは少し表情をかげらせてうなずいた。

 密閉された空間に高密度の粉塵が舞い上がったとき、もしもそれに火種程度の小さな火がついた場合、その粉塵は連鎖反応を起こし大規模な爆発が生じる。

 そのため、こういった鉱山では火の扱いには細心の注意が払われる。

「僕の父さんもそれで足を無くしたんだ。それで働けなくなって、変わりに僕が働くようになった」

 ディレイアはただ一言、「そう」と呟くと、少し押し黙った。

「だけど、お亡くなりにならなくてよかったね」

 親が死ぬことの辛さはディレイアもよく知っていた。それはロベルトへの同情ではなく、単に自分のようにならなくてよかったという安堵の言葉だった。

 ロベルトはその言葉の向こうに、ディレイアは既に両親を失っていることを見つけ、その言葉が単なる同情からでた言葉ではないことを理解し彼は少し心が軽くなった気がした。

(不思議な奴だな。何で僕はこんなことを言う気になったのか)

 笑顔を向けるディレイアから少し視線を背けると、ロベルトは作業場へ案内した。


 作業場の熱が外の熱と合わさって汗が噴き出すほどの熱気を纏い始める頃、不意にディレイアの腹の虫が騒ぎ始めた。

 ロベルトは笑って周りを見回した、そろそろ交代で昼食を取る時間のようだ。少し早いが、そろそろ昼食に行くと仲間に伝える者もちらほら見受けられるようだ。

「昼飯を取ってくるよ。今日は見学だけど、たぶん貰えると思う」

 ディレイアは少し頬を赤らめ、「ありがと」と小さく言って彼を見送った。

 本当は作業の邪魔にならないように外に出ているべきなのだろうが、ディレイアはこの作業場をもう少し見学したくなった。昼食をとっていない作業員達はまだ身体を動かして労働に励んでいるが、既に彼らも昼休みの感覚なのか先ほどよりも幾分肩の力を抜いているように思えた。

「これなら邪魔にならないかな」

 とディレイアは思うと、ひとまずこの現場を指揮している様子の男に声をかけておくことにした。

「ねえ、もう少しここにいてもいいかな」

 スコップを杖にして一息ついていたその男は、ディレイアを見下ろし、何でこんなガキがここに居るんだ、と言いたげな目を向けた。

 ディレイアが「今日は見学なんだ」と答えると、どうやらその話を聞いていたらしくその男は頷くと、

「まあ、かまわねぇけど、あんまり奥には行くなよな」

「うん、お兄さんの目の届くところまでしか行かないよ」

 さすがのディレイアも、奥は危険だということはよく分かっていた。発掘作業中のそこからは、鉄で岩を削る音が絶えることなく聞こえてくるし、昼食時であるにも関わらず多くの者が忙しそうに出入りしている。

 男、現場監督は、

「それなら自由にしな」

 といって作業に戻り、ディレイアはぐるっと周りを見回した。ロベルトから誰が何の作業をしているのか一通り説明はされているが、その中でも気になったものが一つあった。

 ディレイアは、広い作業場の隅に置かれた木箱に近づいていった。

 かなり大きな木箱で、その表面には"危険、さわるな"と記されている。中には、両側が細くとがらせてある小振りなミスリルの塊が幾つか収められていた。鉱山から出土した物に比べればそれは明らかに人の手で精錬され形が整えられたものだ。

 それが何か分からない者でもこれが何かの規格で作られたものだと言うことぐらいは見当がつくだろう。

 ディレイアはそれが何か知っていたため、その箱に記された言葉の意味も理解できていた。

「おい坊主。それは危ないものだって書いてあるだろう。読めねぇのか?」

 今にもそれに手が伸びそうになるディレイアを引き留めたのは、さっきまで周りにいた作業員とは少し変わった服装をした男だった。

 その男は周りにいる者達とは違い、青ではなく赤を基調としたツナギに"発破技師"とかかれた腕章をしていた。

「ボクは坊主じゃない、ディレイアだ」

 と言いながら、ディレイアは手を引っ込めた。

「だったらディレイア、それは危険だからさわっちゃだめだ」

 少し苛立たしげに男は伝えると、額からにじみ出た汗を拭いながらその木箱に手をかけた。

「それって、爆発イグニス魔導結晶スフィアだよね」

 赤服の男はディレイアがこれを知っていた事に少し驚くと、木箱から手をどけた。

「何だ、知ってたんなら何でさわろうとしたんだ」

 爆破イグニス魔導結晶スフィア。それは、魔術を司る者にとっては実になじみの深いものだ。

魔導結晶スフィアだったら安全かなっておもったから、つい。ごめんなさい」

 赤服は、「ほお」と声を漏らしてディレイアをじっくりと眺めた。そして、ディレイアの容姿をみて彼女が冒険者だと言うことに気づくと、「なるほど」と頷いた。

 魔導結晶スフィアとは、100年ほど前に発明された技術だ。ディレイアが一時期働いていた宿屋で知り合った魔術師から聞いた話によると、それはそれまでの魔術の有り様を根底から変えてしまうほどのものだったらしい。

 今となっては古代魔術と分類される、所謂呪文や魔方陣等を用いた魔術はその習得に多くの時間と才能を必要とし、それが扱える者は魔術師として高い地位に就いていたらしい。

 しかし、魔導結晶スフィアは基本的にはその行使に特別な才能も技術も必要としないものだ。

 ディレイアが先ほど見た物のように、ミスリルなどの魔力伝導の良い金属の中にはガーネットやルビーといった宝石が埋め込まれている。

 魔術の発動に必要となる公式や術式は、全てその宝石に刻み込まれており、使用者は単にそれらに魔力を通じさせるだけでいい。

 複雑な呪文もイメージも必要とせず、単にそれの発動に必要な魔力を注ぎ込むだけでいいそれらはそれまで魔術の知識の無かった者でも魔術師同様の力を与えることとなった。

 そして、その性質は逆に魔力さえ与えなければけっして魔術が発動しないという安全性をも持つこととなり、最近になってようやく社会に普及し始めることとなった。

「よく知ってるな。俺みたいな技師ならともかく、普通ならまだ見たことがないって奴も多いってのに」

「詳しい人に聞いたことがあるんだ。それにしても、爆発イグニス魔導結晶スフィアなんて、何に使うの? こんなところで使ったら危ないと思うよ」

 ディレイアに少しだけ興味を持った赤服の男は、木箱のスフィアを一つ取り出すと説明することにした。

「発破っていってな、人間の力じゃどうしても硬くて掘れない岩とかがあるだろう。その時はこいつで吹き飛ばしたりすんのさ」

 手のひらでスフィアをもてあそぶ赤服の男の説明にディレイアは納得したように手を打ち鳴らした。

「なるほど。確かにつるはしとかスコップじゃあ壊せないもんね。だけど、落盤とか崩落とかしたら逆に手間にならない?」

「そのための技師だ。俺たちは場所ごとにどれぐらいの爆破までなら安全だとか調べるのが仕事だからな」

 赤服の男はその仕事に誇りを持っている様子で胸を張り、ディレイアはそんな彼を尊敬の眼差しで見つめた。

「すごいね、どうやって調べるの?」

「そうだな、発破するポイントの周辺の岩の硬さとか、ハンマーで叩いた反響音で密度を調べたり。まあ、最終的には感だな」

「感?」

「ああ、師匠がやってるのを見て自分なりにいろいろ経験した感だ。最近ようやく感がつかめるようになったばかりだがな」

 ディレイアは「すごいね」と目を光らせ、赤服の男は照れくさそうに鼻を擦った。

「お前、ここで働くのか? 発破に興味があるんなら俺の所にきな。さすがにやらせてやるわけにはいかねぇがいろいろ教えてやるぜ」

「本当? ありがとう」

 赤服の男は、自分をアランだと紹介すると、暫くディレイアと話を続けたが、彼を呼ぶ声に返事を返し、木箱を持ってそのまま外へと出て行った。

「発破か。ボクはあまり力仕事は出来ないだろうから、そっちもいいかな」

 ディレイアはそう呟きながら、何気なくさっきまで木箱が置かれていたところに目をやった。

「あれ?」

 そこには、白く光る塊が一つ、壁の隅に隠れるように転がっていた。それはさっきアランが運んでいったイグニスのスフィアと同じ形をしていた。

「箱から落ちたのかな」

 危ないなと思いながらディレイアはそれをアランの所に持って行こうと考えた。アランの話では、イグニスのスフィアは厳重に管理され、その個数が会わないと大変なことになるというらしい。

 下手をすれば首になるぜと肩をすぼめていたアランの姿を思い出し、ディレイアは足早にそのスフィアの元に足を運んだ。

 壁伝いに歩き、ディレイアはその一歩手前で不意に足下に違和感を感じた。さっきまで硬質な感触のしていた岩床が、いきなりまるで粘度を踏んだ時のような感触に変わったのだ。

「えっ?」

 ディレイアは思わず足元を見た。見ると、その足はまるで泥のような茶色いものを踏みしめている。そして、その泥のようなものはまっすぐと彼の目の前に転がるスフィアに伸びており、よく見るとそのスフィアはその泥に埋もれるようにそこに貼り付けられていた。

 ディレイアの背筋が凍り付き、身体が一気に緊張した。その泥はここに来るまで彼の周りにたくさんあるものだった。

 これは、魔光石を包み込む膠にそっくりの者だった。そしてディレイアは思い出した。この膠はひょっとして周囲の環境から魔力を吸収してそれを魔光石に提供する者なのかもしれないと。そして、その魔光石がイグニスのスフィアに取り変わったとしたら、その結果は。

 それに気がつき、踵を返そうと身体をねじったディレイアだったが、それは果たすことが出来ず、彼女の視界は熱を帯びた空気の奔流と、鼓膜を打ち破るほどの轟音で遮られた。

 衝撃が洞窟の壁床天井を反響させ、その衝撃波は小さな岩や土埃を圧倒的な速度で跳ね上げ、そのエネルギーは暴れ回る竜のように空間をかき回し、やがてそれらは出口へと誘われる。

 幾たびも小さな崩落が起こり、出口を貫いた風圧はやがて山々の間を駆け抜け消えていった。


 はらわたが煮えくりかえるかというほどの不快な会議を終えたベルディナは、中庭の休憩所の椅子に腰を下ろすと、そのままテーブルに突っ伏してしまった。

「お疲れ様です。大導師」

 その隣では状況的にはベルディナと大同小異であるアグリゲットが、水の入ったマグカップを彼に差し出していた。

「ああ、お前もな」

 ベルディナは身体を起こしてそれを受け取ると、まるでやけ酒を飲むかのような塩梅でそれを一気にあおった。

 いや、いっそうのことこれが酒であればいいのにとベルディナは心の隅で毒づくと、空になったカップを乱暴にテーブルにたたきつけた。

「それにしても、予想通りというか予定通りというか。評議会は荒れましたね」

 アグリゲットは先ほどまで自分たちが立たされていた会議場を思い出し溜息をついた。

「全くだ、チクショウめ。連中は何でああも目先の利益だけに目を向けやがるのか。俺の提案が実現したら世界に革命が起こせるってのを理解してねぇ」

 ベルディナはそういうと、テーブルを何度も叩いた。普段は温厚(というよりは調子が軽い)彼がここまで感情をむき出しにするのはよほどのことだとアグリゲットは感じた。

「まあ、政治というのはそういうものでしょうよ。特に金に関係する事ならあの者達も慎重になることでしょう」

 ベルディナは「やってられねぇ」とばかりに空を仰いだ。

 王宮に属する魔術師である彼らは、実質的に行っているのは技術研究者と同じ事だ。

 彼らは既存の技術を更に発展させると共に、新たな技術的課題に取り組みそれを現実の物とする事が仕事でもある。

 この国で最も重要なことは、国益の半分以上を占めるミスリルに関する技術だ。ベルディナも他の同僚と同様、ミスリルの技術開発に多くの時間を割いている。しかし、そんな彼も許される時間と資金の中で一つの大きな技術革新の研究に打ち込んでいるのだ。

魔法力機関スフィア・エンジンが現実の物となれば、世界の輸送交通に革命を起こすことが出来る。他の国ではいまだ手がつけられていないこの技術は出来るかぎり早急に実用段階に持って行く必要がある」

 アグリゲットは評議会を説得させる度に口にしている言葉を呟いた。もう何度目になるのだろうか、既に彼はそれを一字一句違えることなく口に出来るほど、その言葉を言い続けていた。

「ようやく理論的に実現できる段階にまで漕ぎ着けたんだ。実証と実験のためにはその試作のための資金がいる」

「ですが、その資金が最低500万ソートに上るのであれば、さすがに評議会も躊躇するのも分かりますね」

「本当はその倍は欲しいんだがな」

 ベルディナもアグリゲットにつられて溜息をつくと、懐から煙草を取り出し指先にともした火でそれを噴かし始めた。

 ベルディナが研究を進めている魔法力機関とは、現在この世界にあるどの動力ともかけ離れた全く新しい動力機関である。

 現在世界を席巻している動力を三つほどあげるなら、それは風力と馬力と人力だ。船舶は歩に風を受け、人が動かすオールを動力とする。地上では馬車が殆ど唯一の交通機関であり、街中では人力で走る車が主流となっている。

 そのため、船舶はその時の環境に左右され、風向きによって進むことが出来る方向が決められ、風力によってその速力が制限される。人力は安定した動力とは言い難く、場所と費用を必要とする。より強い速力を得るには帆の面積を大きくしその数を増やすしか無く、オールを操る人員を増員するしか他がない。そのため、どうしても船舶自体が巨大化し自重を増すこととなり、それに使われる素材もなるべく軽い木材を使用せざるを得ない。

 しかし、魔法力機関は違う。

 魔導結晶スフィアをその動力として使用するそれは、水中で水を前方から取り込み後方から噴射する構造をとっている。その前後で水流は加速され、その運動量の差額として船舶には動力が提供されるのだ。

 それは風のご機嫌を伺う必要もなく、人が汗水垂らしてオールを漕ぐ必要もない。魔導結晶スフィア定期的に補給してやれば常に一定の速力で船を進ませることが出来るのだ。

「魔法力機関の効率を上げるにはどうしても大型のものが必要となり、その建造には莫大なコストがかかる」

 アグリゲットは彼らが抱えている唯一の欠点を口にした。

「だが、その資金さえあれば、夢の鋼鉄船をも建造することが可能となる」

 鋼鉄船構想。あらゆる国がどれほど夢に見て実現できなかったことか。その夢が実現までもう後一歩というところなのだ。ベルディナは自分の開発した魔法力機関を搭載した鋼鉄製の船が広い海原を悠然と航行している姿を思い描き、甘美な夢に浸るかのようにホッと溜息をついた。

 それは彼のような技術者にとってまさに最上級の夢であるに違いない。その隣に座るアグリゲットも彼の想像の中に眠る未来の姿に酔いしれるかのように頬をゆるませている。

「実現できるようにがんばりましょう」

 アグリゲットはそういって立ち上がると中庭を後にしようとした。

「お前、この後はどうするんだ?」

 ベルディナも彼と同様に立ち上がり中庭を後にする。

「私は、これから計算書を洗い直そうと思います。おそらくまだコストを軽減できる要素があるはずですから。何とか後100万ソートは安くできるようにして見せますよ」

「そうか、ご苦労だ。ただし、安全率は下げるなよ。それをしちまったら魔術師を名乗る資格が無くなる」

「分かっていますよ。私も魔術師です」

 ベルディナはアグリゲットの誇らしげな視線を心強く思い、

「そろそろお前に研究室ラボを預けてもいい頃だな」

 と呟いた。

 アグリゲットは驚いたような様子でベルディナを見つめ返すと、照れたように頬を赤らめ、少しうつむいた。

「私などまだまだですよ。まだ、私はベルディナ大導師から教えを授かりたいと思っています」

「後はもう経験を積むだけだとおもうがな。頭の隅でいい、少し考えておいてくれ」

 アグリゲットは困惑しながらも「分かりました」と一言伝えると、ラボへと続く角に差し掛かり一礼すると、そのまま真っ直ぐラボへと向かっていった。

「さてと、俺は昼飯前に鉱山にでも行くか。親方に頼めば飯ぐらい用意してくれるだろう」

 凝り固まった身体をほぐすようにベルディナは二、三度身体を伸ばすとそのまま白衣を脱いで脇に抱えるとそのままの足取りで自室へと向かっていった。


 鉱山にたどり着いたベルディナはその騒々しさに眉をひそめた。

「おい、何があった」

 彼に道を譲る者の中には下町の警備員の姿もあり、これはただごとではないと感じたベルディナはその一人を捕まえて事情を聞き出そうとした。

「あ、大導師。ほ、本日はご機嫌も麗しく……」

 自分を呼び止めたものがベルディナだと理解したその者はしどろもどろになりながらも何とか対応しようとして舌を噛んだ。

「挨拶はいい。状況を教えろ」

 ベルディナの強い口調に男は背筋をただし、かみ砕くように状況を説明した。

「鉱山内で爆発事故? 魔導結晶スフィア管理者は何をしていた?」

「それが、どうも不審な点が多いらしく、現在調査中でして」

「場所は?」

「第七鉱山の奥の作業場です」

「最近、鉱石食いジュエル・イーターのおかげで見つかったというあそこか」

「は、はい」

 そこまで聞いたベルディナは少し口を噤んだ。鉱石食いジュエル・イーターは鉱物を主食とする魔物の一種で、その姿は巨大なミミズのような形をしている。

 それは鉱山で働くものにとってはやっかいな敵であると同時に、彼らの出現する場所には高品質の鉱物が取れることから諜報もされている魔物だ。

 グラジオン王国の鉱山夫にとってそれは鉱山の番人として恐れられており、聖銀の主の守手として信仰されているものでもある。

 しかし、ベルディナはその鉱山を開拓するのには反対していた。

「(祭壇に近い。これはそれを狙う者の仕業か?)」

 ベルディナは自分の危惧が外れて欲しいと思いながら、今回もあのときのような・・・・・・・・事件が起こりつつあることを予感していた。

 ベルディナは面を上げ、しどろもどろになる鉱山の男に声をかけた。

「警備団長は来ているな?」

「は、はい」

「だったら、そいつを呼べ。祭壇の事について俺が話をしたいといえば分かるはずだ」

 彼のいう祭壇は一般には秘密にされているものだ。事実、祭壇と聞かされて首をかしげる鉱山夫にベルディナは「早くしろ」と命令し、鉱山夫は「はい!」といいながらその場を後にした。

「杞憂であればいいんだ。そうすればこれは単なる事故で解決できる」

 ベルディナのつぶやきは、混乱をきたす鉱山の中に儚く消え去っていった。


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